阪和線

阪和線

[1] 阪和線

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[2] 天王寺駅の怪 完結編-ついに天王寺駅の謎が暴かれる!?【昭和考古学】 - 昭和考古学とブログエッセイの旅へ, , http://parupuntenobu.hatenablog.jp/entry/2017/10/14/203559

数ヶ月前、 JR阪和線 天王寺駅 の謎について記事を書きました。

parupuntenobu.hatenablog.jp

parupuntenobu.hatenablog.jp

自分でもかなり力を入れた記事でしたが、その熱量がインターネット回線を通して伝わったか、かなり好評でした。正直、スターや はてブ などの数以上に反響があります。

これからの内容は、上の前編と後編を完読という前提で書いていくのですが、両方とも後でゆっくり読めばいいんじゃないの!?と気軽に書いてみる。

この中で、 天王寺駅 のホーム下に今でも眠っているだろう、地下通路の話を書きました。詳しくは上のリンクの 後編 をご覧下さい。そこで、

「地下通路の事をご存知の方、こっそり連絡下さい」

というメッセージを発信したのですが、ありがたいことにそれを受信してくれた方が複数いらっしゃり、貴重な情報を入手することが出来ました。こちらにて改めて御礼申し上げます(-人-)

阪和線 天王寺駅 の事は、前編後編で書き尽くした!終わり!これだけ書いたら十分やろ!と自分では思っていました。

しかし、まだ終わってはいなかった・・・たかが 天王寺駅 、されど 天王寺駅 。 天王寺駅 は実に、実に奥が深い。

これで 天王寺駅 の謎がすべて解ける。「帰ってきた 天王寺駅 の怪」のつもりで、実家への 淡路島の野菜運搬 帰省のついでに再び 天王寺駅 へ。

予告しておきますが、ここから、すごく長くなります(笑

新たに生まれた 天王寺駅 の謎

実地調査のために、時間をかけて入念に現場を歩いてみました。電車に乗るわけでもなく (結果的には実家帰省のために乗ったので切符は持ってますよ) 、何時間もホームをキョロキョロしながらウロウロする私、明らかに不審者です。特に、今はほとんど使われていない降車ホームの5~6番線は人ひとり立っておらず、だだっ広いホームに自分ひとりがポツンと、それも上を見、下を見、キョロキョロしながら歩いていたら、駅じゃなかったら警察に通報され 職務質問 されるレベルだと自分でも思います。

それはさておき、ホームを俯瞰して見てみると、

「あれ?なんで今までこんなことに気づかんかったんやろか?」

という不思議な風景に感づくことに。

天王寺駅 ホームの3面を写真にアップしてみます。

これは 7~8番線 。

こちらは、現在は降車専

[3] 大阪環状線 - Wikipedia, , http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E9%98%AA%E7%92%B0%E7%8A%B6%E7%B7%9A

大阪環状線(おおさかかんじょうせん)は、大阪府大阪市内の大阪駅 - 西九条駅 - 天王寺駅 - 京橋駅 - 大阪駅間を環状に結ぶ西日本旅客鉄道(JR西日本)の鉄道路線(幹線)である。

「大阪環状線」の呼称が指す区間は典拠や目的により、次のように使い分けられている。

『JR 線路名称公告』や『JTB時刻表』では、大阪環状線は大阪駅を起点・終点とする21.7kmの路線であり、今宮駅 - 天王寺駅間2.2kmは関西本線との重複区間となっている。

民営化時に当時の運輸省に提出された事業基本計画、国土交通省監修の『鉄道要覧』および、JR西日本が発行している「データで見るJR西日本」では、大阪環状線は天王寺駅 - 新今宮駅間20.7kmの路線で、新今宮駅 - 天王寺駅間1.0kmは関西本線であり、今宮駅 - 新今宮駅間1.2kmは関西本線との重複区間となっている。

運行管理や旅客案内、『JR時刻表』での大阪環状線は、天王寺駅 - 大阪駅 - 天王寺駅となっている。

JRが旅客営業規則第78条第1項第1号に規定する電車特定区間の「大阪環状線内」は、大阪環状線(大阪駅 - 天王寺駅 - 大阪駅)のほか、桜島線(JRゆめ咲線)全線と関西本線(大和路線)天王寺駅 - JR難波駅間が含まれる。この区間内を相互発着する場合は運賃計算などに関する特例が適用される。

以下、特記がない限りは 1. に従って記述する。なお、大阪をはじめとする近畿地方においては、当路線を単に「環状線」と呼称する場合も多く、本項でも一部でそのように表記している。

概要[編集]

大阪市の都心部外周部を環状運転している環状線であり、JR西日本のアーバンネットワークの中心路線として機能している。ラインカラーは赤(■)で、大阪のダイナミズムをイメージしている。路線記号は O [1]。

大阪環状線は、東海道本線と関西鉄道(のちの関西本線)を連絡する東側の城東線、旧淀川の右岸を走る北西側の西成線の一部(元の西成鉄道の桜島線以外の区間)、南側の関西本線と貨物線の一部を、戦後の高度経済成長期に西側の臨海部に新線を造って接続したものである。成立時点ですでに内側に適当な用地がなかったこともあり、環状線内を横断・縦断する地上路線は存在しない。大阪市営地下鉄は従来から地下を横断・縦断しており、地下鉄以外でもJR・私鉄ともに地下区間により横断

[4] 天王寺駅の怪と阪和電気鉄道の歴史 前編【昭和考古学】 - 昭和考古学とブログエッセイの旅へ, , http://parupuntenobu.hatenablog.jp/entry/%E9%98%AA%E5%92%8C%E9%9B%BB%E6%B0%97%E9%89%84%E9%81%93%E3%81%A8%E5%A4%A9%E7%8E%8B%E5%AF%BA%E9%A7%85

天王寺駅 の謎

好奇心のアンテナを限度いっぱいに広げていると、身近な場所や物でもさりげなく「???」と思う謎があったりします。

そして、それそれを掘り下げてみると、意外なものが見つかったりすることがあります。

例えば、大阪にある JR阪和線 の 天王寺駅 。

阪和線 の 天王寺駅 は、他のJRの路線とは少し離れた所に位置しています。

そもそも、

「同じJRなのに他の路線とホームが違うの?」

という疑問を持たれてもおかしくないですが、その答えは簡単。 ここは元々阪和電気鉄道(以下阪和電鉄)のターミナル駅として作られたもので、当時は私鉄なので別でした。もちろん、当時は駅舎も違いました。

今でも私鉄のターミナル駅のような、終端式のホームが私鉄時代の面影を残しています。

ここのホームには、気付くことはほとんどない、ちょっとした謎が隠されています。

これは、7~8番ホーム。

これは今は降車専用になっている5~6番ホームです。 カメラマンの腕が悪いせいでわかりにくいですが、この2つのホームを比べてみたら、なんだか変なんです。

そう、 7~8番ホームと比べて5~6番ホームの幅が異様に広い ということ。 これは、毎日この駅を使っている人でも意識しません。逆に、毎日使ってるからこそ気付かない、このアンバランスさは何か。

そしてもう一点。

これは7番ホームから和歌山の方向を写したものですが、 途中でレールがグニャッと不自然に曲がっています。 まっすぐにした方が効率が良いのに、何でわざわざこんな非効率な曲がり方しとるんやろ?

こう書くとなんか不思議に思いません? 俺はごっつい不思議に思うんですけどね(笑

で、思っ たこ とは、

「こんな非効率な曲がり方には、何らかの理由があるに違いない!」

という謎。 そこで、名づけて 「 天王寺駅 の怪」 を解明すべく、 GWのヒマつぶしに 調査することにしました。

伝説の私鉄、阪和電気鉄道

本題に入る前に、 阪和線 の前身、阪和電鉄のことを説明しないといけません。

JR阪和線 は大阪の 天王寺駅 と 和歌山駅 とを結ぶ路線で、今は 関西空港 へのアクセスラインとしても知られとります。

しかし、ここが元々は私鉄だっ たこ とは知っていても、 京阪電鉄 の系列だったって知る人は、毎日通勤通学で使っとる人でも知っている人は少ないと思います。 今は「 おけい

[5] 阪神高速道路 泉北線, , http://cwoweb2.bai.ne.jp/~jec19501/20120601/hanshin000-senboku001.htm

昭和45年に大阪地区都市高速道路調査委員会より答申された路線で、美章園から国鉄阪和線(現JR阪和線)沿いを南下し、大和川を渡り堺市東八田に至り、当時まだ計画中の近畿自動車道和歌山線(阪和自動車道)へ接続する計画でした。

昭和45年の答申では、美章園で第二環状線と接続し、泉北線は第二環状線を起点とする放射路線となるはずでしたが、昭和57年の答申では、第二環状線構想のルートが変更され、この泉北線が第二環状道路を構成する路線の一部となりました。

しかし、平成16年に近畿地区幹線道路協議会において、「第二環状線構想」の廃止が合意され、構成路線の一部であった泉北線も廃止となりました。

阪神高速泉北線は、都市計画が決定していた区間では用地買収もかなり進められており、これほど事業が進んだ段階で都市高速道路の計画を廃止するというのは異例のことです。

◆阪神高速道路 泉北線 概略図

※上記の図・表は、阪神高速道路公団二十年史、大阪の都市計画道路(昭和51年3月発行)の大阪地区都市高速道路調査委員会の昭和45年答申の案の道路網図を参考に作成しています。

出入口の地名については「大阪地区における都市高速道路に関する答申書(昭和45年1月19日付で阪神高速道路公団に答申 編集:大阪地区都市高速道路調査委員会)」より抜粋して記載おります。

※2014年2月16日 図を差し替えました

天王寺東 出入口は天王寺駅の直ぐ南を通る国道25号線に接続する形で、天王寺バイパスと交差する付近に計画されていましたが、下り入口が阿倍野区松崎町1丁目、上り出口が阿倍野区天王寺南町1丁目と位置が東西に少し分かれています。出入口のランプはJR阪和線の西側を通り 美章園 に至ります。

美章園では第二環状線(城東線)と接続して、阪和線の西側を進み、松原線を越えたあたりでJR阪和線との二重高架になります。この二重高架区間は高架にJR(旧国鉄)阪和線、さらに上に阪神高速道路泉北線が通る構造で、昭和45年の答申では上下6車線で計画されていましたが、都市計画では将来は橋脚を継ぎ足して上下線合わせて6車線化が可能な上下4車線での計画となりました。

↑泉北線 美章園〜山之内間の全体図《画像をクリックすると拡大画像が表示されます》

↑泉北線 美章園〜山之内間の標準断面図(阪神高速道路公団史(2005年発行)より

[6] 大阪市立大学と杉本町駅 後編ー駅から伸びていた謎の線路とキャンプ・サカイ - 昭和考古学とブログエッセイの旅へ, , http://parupuntenobu.hatenablog.jp/entry/osaka-city-university-and-sugimotocho-staton

前編は、ざっくりと 大阪市立大学 の歴史と現在の姿を書きました。

parupuntenobu.hatenablog.jp

今回の後編は、最寄り駅の JR阪和線 杉本町駅 を絡めた謎解きの本題に入ります。

で、こう書くと「また 阪和線 か!」という声がPCの奥から聞こえてきそうですが、 恐るべし 阪和線 、実はまだネタがあるのです。こうなればこのブログは 阪和線 と心中でもしようかしらん。

杉本町駅 から伸びる謎の線路

まずは、ある航空写真を見てみましょう。

昭和23年(1948)、まだ 大阪市立大学 (以下「市大」)が大阪商科大学だった頃の航空写真です。 70年前の写真なので、大学の周囲にほとんど何もない以外は、大学の輪郭を含めて今と変わっていません。

しかし、どこかしらおかしいところもあります。

杉本町駅 の横に、線路が見えているのがわかるでしょうか。 ある人はこう思うでしょう。 「これって、阪和貨物線じゃないの?」 つい最近まで、 杉本町駅 からは 「阪和貨物線」 という貨物専用の路線が分岐していました。

私が小さい頃は、ここから貨物列車が毎日走っていました。昭和50年代後半だったと思いますが、 大和川 を隔てた浅香という駅に何故か1日1本の貨物列車の通過時間が書いていて、駅近くにあった祖母の家に行った時は、その貨物列車を見に行っていました。うろ覚えですが、午後4時前後だった記憶があります。

今はその阪和貨物線も廃止され、レールも剥がされて写真のような長細い荒れ地と化していますが、これではないかと。 確かに路線的には似ています。しかし、阪和貨物線が出来たのは昭和27年。これはその5年前の航空写真です。 これの最大の謎は、線路を辿っていくと大学の構内に伸びていること。これは一体何なのか。

本日の謎は、この一本の線路から始まります。

市大が市大ではなかった時代

前編で大阪商大~市大の歴史をサラッと書きましたが、ある年代がすっぽり抜けています。それが、昭和20年代。昭和20年代の 大阪市 大の10年間は、 玉音放送 の通り「耐え難きを耐え、忍びがたきを忍」ぶ苦難の時代でした。

杉本町の大阪商科大学は戦争中、キャンパスの一部を海軍に接収されてしまいます。最初は一部施設だけだったものの、そのまま 終戦 を迎えます。

「接収」というと権力で無理矢理分捕ったというにおいがしま

[7] 【京都】R162 栗尾峠にトンネル: 淡海の国から on blog, , http://kinoppi.tea-nifty.com/_on_blog/2010/03/r162-3d46.html

私的には関心レベルの高い話題。

美山町( 現:京都府南丹市美山町 )へのアクセスルートのひとつであるR162も、所々で谷を跨ぎ山を貫く改良工事が進められてきており、以前よりは走りやすくなってきてはいるのですが、いよいよ現時点での最大の難所と思われる栗尾峠でもトンネル建設を含むバイパスの工事が本格的に始まります。

(京都新聞HPから↓)

京北発展へ 新設トンネル起工式

栗尾バイパス

京都市右京区京北の交通の難所、栗尾峠のバイパス道路新設トンネルの起工式が6日、同京北周山町の京北第一小で行われた。京都市・京北町合併建設計画に盛り込まれた最大の工事で、2014年度の完成を目指す。…

#ちなみにここはマエハラ君やタニガキ君の選挙区ではありません。その間ですw 現在は思いっきり京都市内なんですねここは(右京区)

栗尾峠の特に北側では以前から山の木々が思いっきり伐採されていて、何かするんやろな~とは思っていましたが、トンネル工事でもあんなに伐採をしなければいけないものなんでしょうか。ただ基本的には栗尾峠は何気に厄介だったので、トンネルで抜けられるようになることは良いことだと思います。

しかし、これでトンネルが出来ると、また何かを勘違いしている飛ばし屋さんたちが増えるんでしょうね┐('~`;)┌

R162はいくら改良が進んでいるとは言っても、例えば高雄あたりとか、歩行者に注意を払い慎重に運転せねばならないところが多い道です。

[8] 天王寺駅の怪と現代に残る阪和電鉄の遺構 後編【昭和考古学】 - 昭和考古学とブログエッセイの旅へ, , http://parupuntenobu.hatenablog.jp/entry/%E9%98%AA%E5%92%8C%E7%B7%9A%E5%A4%A9%E7%8E%8B%E5%AF%BA%E9%A7%85%E3%81%AE%E8%AC%8E

普段から使っている人には、普段すぎて何の不思議も感じなさそうな駅にも、さりげなくミステリアスな歴史が詰まっていることがあります。

前回はその前哨戦として、大阪の JR阪和線 天王寺駅 を紹介しました。

parupuntenobu.hatenablog.jp

前哨戦にしてはやたら長くて、読む方は辛かったと思いますが、今回は本題の本丸に突入し、遺物を「発掘」していこうと思います。

・・・大丈夫です。後編は前編のように長くはありません、たぶんね(笑

阪和電気鉄道時代の 天王寺駅 ホーム

まずその前に、 阪和線 が「阪和電気鉄道」だった頃の、 天王寺駅 のホーム配置から説明しないといけません。

まずは今の 天王寺駅 ホームを。 大阪環状線 や 関西本線 ( 大和路線 )のホームは関係ないのでモザイクをかけ、 阪和線 のホームだけ表示しました。上の①~⑨番線がそれです。

阪和電鉄当時のホームの基本構造はこの通りです。これを 『図①』 とします。

ホームの基本構造は、変わっていないと言えば変わっていないのですが、ホームは今より少なめです。 図の上の広いホームが今の3番線~4番線ホーム、下のホームが同じく5番線と6番線と解釈下さい。

で、この図に当時の線路の配線を描くと、

こんなふうになります。これを 『図②』 としておきます。 阪和電鉄時代のホームの大きな特徴は、

「乗車専用ホーム」

「降車専用ホーム」

に分かれているところです。 「乗車専用ホーム」と「降車専用ホーム」は今の鉄道でもあるにはあるのですが、昔の分け方は今とは少し違っていました。

阪和電鉄の「乗車」「降車」は、ホームの縦割の構図になっています。 文字で説明すると、 天王寺駅 に入った電車は、まず 「降車ホーム」 で止まり、乗客を下ろします。

乗客を下ろした空の電車はホームの奥に入り、 「乗車用ホーム」 で乗客を乗せる。

という仕組みです。

上の図でわかる通り、阪和電鉄の 天王寺駅 のホーム番号の割り振りは、

乗車用ホーム:奇数

降車用ホーム:偶数

と分けられていました。

これは何も、阪和電鉄独特のやり方ではありません。

当時の関西の私鉄ターミナル駅では珍しくないことで、昔の京阪のターミナル駅であった 天満橋駅 や、 近鉄 の上 本町駅 も同じやり方でした。

阪和電鉄は京阪系列の会社だったので、親会社に倣って同じ仕組

[9] 山手線 - Wikipedia, , http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E6%89%8B%E7%B7%9A

山手線(やまのてせん)は、東日本旅客鉄道(JR東日本)が運営する鉄道路線である。

「山手線」には、次の4つの意味合いがある。旅客案内および運行管理上は2.が多用される。

路線名称としての「山手線」:東京都港区の品川駅を起点に、渋谷駅・新宿駅・池袋駅を経由して北区の田端駅を結ぶ全長20.6kmの鉄道路線(幹線)の名称[1]。東海道本線の支線。鉄道要覧に記載された山手線の区間でもある。

全線複々線であるが、このうちの埼京線電車、湘南新宿ラインの列車や特急列車、貨物列車の走る路線を通称「山手貨物線」と呼ぶ。

運転系統としての「山手線」:上記 1. に東海道本線の一部および東北本線の一部区間を合わせて東京都区内で環状運転を行う近距離電車の運転系統。実際には同運転系統のみが使用する専用の線路があり、それを「山手線」と呼ぶ。

マルスのシステム上の経路表示における「山手線」:上記1.から、代々木駅 - 新宿駅間を除外し、田端駅 - 日暮里駅間を含む(代々木駅 - 新宿駅間は「中央東線」と表示される)。

運賃計算上の「東京山手線内」:東京駅からの営業キロ程が100km超200km以内の範囲に所在する駅に発着する乗車券(または1km超200km以内の範囲に所在する駅に発着する一部の特別企画乗車券)に表示されることがある運賃計算上の名称。上記2.の区間に加え、環状線内側にある中央本線神田駅 - 代々木駅間および総武本線秋葉原駅 - 御茶ノ水駅間を含む。また、この区間内相互の近距離運賃は区間外よりも低額に設定されている。

以降、本項において特記のない場合は、2. の運転系統としての山手線を指すものとする。

概要

山手線は、日本の首都である東京の都心部で環状運転を行い、多くの駅において、都心から各方面へと伸びるJR(在来線・新幹線)や私鉄各社の放射路線、および都心部を走る地下鉄各線に接続している。1周の長さは34.5km、1周の所要時間は最速59分、平均64分である。ラインカラーは1963年登場の103系電車の車体の色に使用されたウグイス色(■、国鉄黄緑6号)であり[2]、以降登場したステンレス車両の帯の色や旅客案内(路線図・サインシステムなど)にも使用されている。

山手線は、日本の文明開化期に日本鉄道(私鉄)が当時国内有数の貿易港であった横浜港と関東地方内陸部の各地(埼玉県、群馬県、栃

[10] あべのハルカス - Wikipedia, , http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%82%E3%81%B9%E3%81%AE%E3%83%8F%E3%83%AB%E3%82%AB%E3%82%B9

近鉄百貨店 あべのハルカス近鉄本店[編集]

詳細は「大阪2011年問題#近鉄百貨店阿倍野本店(阿部野橋ターミナルビル)(阿倍野・天王寺)」を参照

地下2階から地上14階には、核店舗として「あべのハルカス近鉄本店」が既存の本館と合わせて売り場面積10万m²と単独の百貨店としては日本最大の規模に増床して入居しており、近鉄百貨店はこの増床に約230億円を投資している[21]。2012年11月、近鉄百貨店はあべのハルカスの全面開業に先行して、低層部の百貨店タワー館部分を2013年夏に開業させると同時に、店舗名を「近鉄百貨店阿倍野本店」から「あべのハルカス近鉄本店」に改めると発表した[22]。

そして、2013年5月には「あべのハルカス近鉄本店タワー館」の先行開業日が同年6月13日と発表され[23]、タワー館の概要資料が公開された[24]。6月13日のタワー館開業後は、旧新館を順次改装しウイング館としてリニューアルが進めれられており、10月10日には第2期分としてウイング館の4階から8階までがオープン[25]、2014年2月22日にはウイング館の地下2階の一部と地上2階から4階までが専門店街「ソラハ」としてオープンした。これにより、ウイング館の残りを含めて「あべのハルカス近鉄本店」が全面グランドオープンした[26][27][28]。

オフィスエリア[編集]

オフィスエリアは1フロア2,400m²と大阪地区有数の広さを誇る。照明設備にLEDや内部吹き抜け空間を利用し、自然採光や自動調光システムを利用するなど最先端設備を多数導入しており、省エネルギー性を実現するように工夫されている[14]。なおオフィスのメイン照明、廊下およびロビー照明に設置されるLED照明には、同オフィスに入居予定であるシャープ製の製品が採用された[29][30]。オフィスワーカーのサポート機能には金融機関やカフェなどの利便施設のほか、保育園「近鉄ほいくえんハルカス」が設けられる予定である[31][32]。「近鉄ほいくえんハルカス」は近畿日本鉄道が初めて運営する保育園である[33]。同オフィスで働くオフィスワーカーの子供だけではなく、近鉄あべのハルカス本店やホテル、美術館に来場した客の子供の一時預かりサービスも実施される[14]。

テナントには家電大手のシャープが営業拠点を入居する方針が決まっている。大阪市内に

[11] 岩泉線 - アンサイクロペディア, , http://ja.uncyclopedia.info/wiki/%E5%B2%A9%E6%B3%89%E7%B7%9A

茂市駅という、すでにど田舎の山田線の駅から出発し、岩泉に向けて行く岩泉線である。

そもそも、岩泉の観光地へは盛岡からバスで行くのがセオリーで、わざわざ岩泉線を使って行くのはよほどのマニアである。利用客は人の他、山の動物たちの割合も高い。

JR東日本では岩泉線と山田線に限り、山の動物の利用が認められている。運賃は子供料金と同額であるが、なぜか山の動物たちは金をきちんと払う。それでもこの路線は大赤字垂れ流し路線である。何せ、いわてはいない駅からは人の利用もあまりなく、携帯電話の電波もFOMA以外はほとんど届かないのだ。

岩泉駅へは、岩泉高校生なる学生が利用している。朝夕の一往復はともかく、残りの2往復はもはやネタ運転である。

ところがこの路線は、鉄道教徒の目に留まるようになり、いまや利用客の過半数は鉄道教徒である。特に、押角駅は“秘境駅”として聖地のひとつとなっており、90%以上の利用者が鉄道教徒とする説まであるほどである。

鉄道教徒のほか、押角トンネル(1914.7hyde)など、1000hydeを超える長大トンネルが多数あり戦争中の混乱期に建設されたことから心霊マニアも多数みかける。路線最長のトンネルは現在全長2000hydeとされているが、後述の通り、その調査は頓挫している。

訪問者からは、あんなに開業時はワイワイ騒がれてたのに、今じゃ閑散してるため、別名・祝い済み線と言われる。

[編集] 岩泉線の存続経緯

もともとは、もっと先の龍泉洞が通じているとされる小本あたりまで延びる予定だった。ところが、色々と事情があって頓挫(理由は後述)。結局岩泉止まりに終わった。しかも、国鉄末期に廃線になるはずなのに、「沿線道路が狭隘である」などとクレームがあり残った。……運が良いやつめ。

かつては鉱山鉄道として繁栄しており、旅客ゼロでもなんともなかった。今は通学生のほか観光客輸送が主力となっている。龍泉洞は日本の三大洞窟としてスペランカーたちの人気を集める一大観光スポットである。環境保護のため、龍泉洞内への自動車乗り入れは、マイカーは論外として観光バスすら禁止されており、岩泉線だけが唯一のアクセス方法となっている。さっき少し触れてみたように、小本までの岩泉線延伸計画もあったが、洞窟内の探索中にコウモリの糞に当たった国鉄関係者が死亡し、現状では盲腸線となっている。終点で降りる際は、

[12] 京都駅 - Wikipedia, , http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%AC%E9%83%BD%E9%A7%85

日本有数の観光都市である京都市の玄関となる駅であり、東海道新幹線の全列車が停車するほか、JRには北陸・山陰・関西空港・南紀方面、近鉄には奈良・橿原神宮・伊勢志摩など、各地を結ぶ特急列車が発着する。JRについては在来線特急の発着種類が日本一多い駅である(後述)。観光客はもちろん、京都市内あるいは各線乗換利用の通勤通学客も多く、1日平均の乗降人員が各社合計で63万人を超える日本でも有数のターミナル駅である。第1回近畿の駅百選に選定された。

乗り入れ路線[編集]

以下の合計4社局が乗り入れている。

JR西日本 : 在来線各線 - アーバンネットワークエリアに属し、合計5方面の列車が発着する。東海道本線と山陰本線には同社による独自の路線愛称が付けられている。

東海道本線 - 当駅の所属線となっている[1]。滋賀県方面は「琵琶湖線」、大阪方面は「JR京都線」の愛称で案内されている。

1駅隣の山科駅から分岐する湖西線の列車もすべて当駅へ直通している。

山陰本線 - 当駅が起点。園部駅まで「嵯峨野線」の愛称で案内されている。

奈良線 - 正式な起点は反対側の木津駅だが、列車運行上は当駅が起点となっている。

JR東海 : 東海道新幹線 - 全種別全列車が停車する。

近畿日本鉄道 : 京都線 - 当駅が起点。当駅と奈良とを結ぶ路線であり、JR西日本の奈良線と競合関係にある。

京都市交通局 : 京都市営地下鉄烏丸線 - 駅番号として「K11」が付与されている。

JR西日本・JR東海の駅は特定都区市内制度における「京都市内」の駅であり、運賃計算の中心駅となっている。

当駅は、地上の駅に近鉄京都線が発着し、地下の駅に近鉄から京都市営烏丸線へ直通する列車が停車するため、地上と地下に同じ事業者・同じ路線の車両が停車する。

JR線、地下鉄線、近鉄線を区別するために、近鉄線は「近鉄京都駅」、地下鉄線は「地下鉄京都駅(烏丸線京都駅)」と呼ばれることが多い。

乗車カード対応[編集]

JR西日本の駅はICOCA、近鉄と地下鉄の駅はPiTaPaおよびスルッとKANSAI対応各種カードの利用エリアに含まれており、それぞれ相互利用可能な各カードにも対応している。JR東海の東海道新幹線の駅では、乗客が上記のカードのみを利用して自動改札機を利用することはできないが、新幹線の磁気乗車券や、EX-ICカードを在来線用

[13] 細長すぎる大阪市領土と古墳カーブの謎 - デイリーポータルZ:@nifty, , http://portal.nifty.com/kiji/150312192969_3.htm

さて、参道から南西に7km弱行ったところ、堺市の西区上野芝町の住宅街に唐突な曲線の道がある。

これがなんと、前方後円墳の名残なのだ。

[14] 大阪市立大学と杉本町駅 前編ー大阪市大とは【昭和考古学】 - 昭和考古学とブログエッセイの旅へ, , http://parupuntenobu.hatenablog.jp/entry/osaka-city-university-history

阪和線 に 杉本町 という駅があります。

これといって強烈な特徴もない駅ですが、この駅には副駅名というサブの駅名が付けられています。

その名前は、 大阪市立大学 前 。

もう知ってるし~という地元大阪人にとっては、何をいまさらという当たり前の事実ですが、 杉本町駅 は 大阪市立大学 の最寄り駅として知られています。

電車と校舎のツーショットが撮れるほど、目の前にあると言えばあるのです。

前編と後編に分かれる「市大と 杉本町駅 シリーズ」の今回の主役は、この 大阪市立大学 となります。

「市大」は今は 北九州市立大学 や 広島市立大学 などがありますが、私にとっての市大はここなので、クセでどうしても 「市大(いちだい)」 と入力してしまうのです。訂正するのが面倒くさいので、以下 大阪市立大学 は「市大」とします。

大阪市立大学 の歴史

商業の都大阪には、江戸時代から町人のための学校が数多く開かれていました。有名どころは 福沢諭吉 などが在籍していた『 適塾 』ですが、裕福な商人が金を出し合って授業料は無料という塾も多数ありました。

そこで学ぶものは観念論的なものではなく、基本的な道徳を除けば実務的な商売のことがほとんど。これが 大阪市 大を生み出した種とも言えなくもありません。

時代は明治になり、財界人の手によって 明治13年 (1880)に私立の大阪商業講習所が誕生します。これが市大の直接のご先祖様です。

明治32年 (1899)、日本初の「市立」高等教育学校として「大 阪高 等商業学校」と発展させ、商業の高等教育機関としての土台が出来上がります。

そして 昭和3年 (1928)に 大阪商科大学 が誕生します。

大阪商科大学は 東 京商 科(現 一橋大学 ) 、 神戸商科(現 神戸大学 経済学部) と共に「三商大」と呼ばれ、今でも「 旧帝国大学 」のように 「 旧三商大 」 と呼ばれ、スポーツの交流も行われています。

戦前は学歴はもちろん、出身大学での給料格差がふつうに存在していました。これを差別という人もいますが、差別でも何でもなくこれが当時の常識だったのです。

財閥系だと、旧商科大学卒の初任給は東大・京大経済学部卒と同格か、5円ほど下な程度。同じ大学でも早稲田・慶応卒は20円近くも格下、表現は悪いがほぼ虫けら扱い。これは他の 旧帝大 の初任給より高く、給料から見

[15] 大阪珍登山紀行-蘇鉄山と天保山 - 昭和考古学とブログエッセイの旅へ, , http://parupuntenobu.hatenablog.jp/entry/sotetsuyama-mount-tenpo

大阪は平野が南北に伸びる、比較的平らな土地ですが、一方で 兵庫県 以外の県境がすべて山でもあります。 大阪で有名な山の一つに、 金剛山 があります。大阪の小学校では耐寒登山で真冬の 金剛山 に登るのが儀式になっているのですが、最近はミリオタや二次元好きの間で、戦艦『金剛』の命名山になったところとして有名になったそうな。 標高1000mちょっととは言え、 金剛山 も立派な山ですが (地元の人はサンダルで登るらしいけど) 、大阪にある山はこれだけではありません。他 都道 府県にあれば、たぶんネタにもならない、大阪にあるから輝ける名山ならぬ 「珍山」 もあったりします。 大阪人なら、タイトルで「ああ・・・」とすべてを察するでしょう。

1.蘇鉄山

大阪の 堺市 に、 「大浜公園」 という比較的大きい公園があります。 元々ここは江戸時代のお台場から始まり、明治以降は水族館や海水浴場、 スーパー銭湯 のご先祖様と言える「潮湯」という温泉娯楽施設がありました。 娯楽が少なかった戦前においては、浦安の ネズミーランド に匹敵した自称「東洋一」の総合レジャーランド、かつリゾート地。夏になると関西中から観光客が殺到していました。 しかし残念ながら、 松尾芭蕉 の「つわものどもが夢のあと」が身にしみるほど、現在はその片鱗すら見当たりません。 大浜公園については、別記事で詳しく書こうと思います。なので、今回は軽くスルー。

こんなところにも、実は山があります。

蘇鉄(ソテツ)が植えられていることから、長年 「蘇鉄山」 と呼ばれている山です。

ここが山の入口です。

険しい山道を登り、

よっしゃ、頂上まで登ったで~!

さて、麓から頂上までに要した時間はというと!

「分」ではありません、 「秒」 です。 それもそのはず、蘇鉄山の標高は 6.97m 。センチに直すと 697cm 。

え!?それは山なんか!?うちのマンションの方が『高い』やんか!PVが集まらんからってついにタイトル詐欺か!? まあまあ、落ち着いて話を聞きましょう。

頂上(とおぼしき所)には、このような印があります。これを 三角点 といいます。 三角点とは、測量の時の基準となるポイントのことで、一等~四等に分かれています。 蘇鉄山の三角点は 「一等三角点」 ですが、これは測量の際にもっとも重要な土台となるもので、意図的に破壊すると2年以

[16] 大阪市:都市計画道路 天王寺大和川線 (…>都市計画道路>主要事業), , http://www.city.osaka.lg.jp/kensetsu/page/0000010519.html

阪神高速道路大阪泉北線の廃止に伴い新設される都市計画道路「天王寺大和川線」は、大阪南部の主要ターミナルである天王寺から大和川を結ぶJR阪和線の横を縦断する延長約5.5km、標準幅員29mの南北の街路です。 本路線を整備することにより、JR阪和線各駅のアクセス機能が強化されるとともに、従来の阪和線により分断されていた地域ネットワークの強化のほか、広幅員の街路であることから、延焼遮断帯機能などの防災空間機能を向上させることができることや、さらに、本路線の沿道には、親水空間に特色のある桃ヶ池公園、長池公園および長居公園があり、それら沿道の公園とネットワーク化を図り、地域のアメニティ機能の向上を図るなど、様々な機能が融合した新しいタイプのみどり豊かな街路として整備する予定です。 本路線については、平成16年3月に都市計画決定を行い、平成20年度から平成23年度の間、『風かおる“みち”』をコンセプトに、 地域協働の取り組み(天王寺大和川線検討会議、天王寺大和川線みち・みどり会議の開催) により、整備計画の策定を進め、平成25年3月には、その会議の検討の成果として、地域、専門家、行政の3者が共有する天王寺大和川線の整備イメージ 「地域協働でまとめた天王寺大和川線の基本計画検討案」 をとりまとめました。その後、この基本計画検討案をもとに関係者と協議のうえ、行政にて基本設計案を作成し、平成28年8月には、市民のみなさまのご理解を得るべく、 事業説明会 を開催し、基本設計案( 「大阪都市計画道路天王寺大和川線基本設計(平成28年8月)」 )を説明しましたが、市民のみなさまから様々なご意見が寄せられたため、現在(平成29年11月時点)、整備内容について関係者と協議を行っているところです。今後、協議の結果によっては、基本設計案(「大阪都市計画道路天王寺大和川線基本設計(平成28年8月)」)を変更する場合があります。 なお、本路線の沿道に建物の建築を予定されている場合や、詳細についてお知りになりたい場合は、建設局道路部街路課(電話:06-6615-6753)までお尋ね下さい。

履歴

[17] この記事はSuikaWiki Worldに作成されました。 に最終更新されました。 https://world.suikawiki.org/spots/24795567362748156

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