【位置図(マピオン)】
房総にありふれたものといえば、隧道だ。
それも、手掘りによって造られた、いわゆる素掘隧道。
とてもありふれたものではあるが、その発見がいつだってオブローダーに新鮮な興奮を与えてくれるのも事実である。
ここにまた一つ、私を夢中にさせた1本の隧道情報が存在する。
それは右の地図中のどこかにあると思われたが、当然のように描かれてはいない。
最新の地理院地図にも、115年前の地形図(チェンジ後の画像)にも、ここには掲載しなかったその他の全ての地形図にも、描かれたことがないのである。
この舞台の名は、 針ヶ谷坂 (はりがやさか)という。
千葉県のほぼ中央、房総丘陵のただ中に、人口約7000人を抱える長生郡長柄(ながら)町はある。
昭和30年に長柄、日吉、水上という三つの村が合わさって誕生したこの町は、旧村の境界の多くが丘陵の尾根であったことから、町内に多くの峠道がある。
針ヶ谷坂もそのひとつで、旧日吉村の針ヶ谷と旧長柄村の長柄山の間を隔てる、標高おおよそ100mの峠で、現在は一般県道147号長柄大多喜線が越えている。
標高が示す通り、さほど大きな峠ではないが、何度も改良されてきた長い歴史を持つ。
この “針ヶ谷坂の隧道” を私が知ったのは、文献調査の成果だった。
『長柄町史』(長柄町役場/昭和58年発行)に、この隧道のことが出ていたのだ。
そのひとつは、次のような記述である。
(イ) 針ヶ谷坂 明治16年2月着工。
○総工費 1736円40銭5厘
その内訳 ○1480円82銭8厘 (延長521間4尺1寸(約938m)の坂道を切下げ、 トンネル と排水溝をつくる。人足5231.15人、1人25銭。石工432.6人、1人40銭の賃金である)
○25円57銭7厘 (略 …杉丸太や木柵などの構築費 )
○230円 (略 …土地買上代 )
これは現在の道路より東側の泉谷を通り、 トンネル をぬけて権現森の東中腹を通って長柄山に至るもので、 トンネルは現存し、子供達が「こうもり」をとりにいったりしていた。 一部は農道として利用している。
廃道および 廃隧道の存在を窺わせる記述キター!!
上記記述は、明治15年と16年に当時の長柄・上埴生両郡(現在の長生郡や茂原市など)が、郡の事業として区域内の重要な坂道の改修を相次いで着工