岬先端にそびえ立っているのは五葉松を形どったという明治百年記念展望塔。
自転車を降り、そのてっぺんまで登ってみた。
風がだいぶ強くて高所恐怖症ぎみの私は少しヒヤヒヤしたが、そこから見る東京湾の眺めは最高だ。
前方遠くに第一海堡、第二海堡が浮かんでいる。
ちょっと驚いたのは、現在の地図上では繋がっていない筈の岬の先端から第一海堡の間が、干潮のせいなのかほぼ陸続きになっていた事だ。
北側の海岸が埋め立てられ、その分、少し南からの砂の流れに押し寄せられたような格好で、岬と海堡の間を繋ぐような湾曲した浅瀬が形成されていたのだ。
振り返って今来た道の方を遠望してみると、緑に覆われた細長い岬の両側に白い波が打ち寄せている。
軍用軌道はあの真ん中あたりを通っていたわけだな、等と想像をたくましくしながら眺める景色に興味は尽きない。
ほんとうは、お握りでも買って来てこの展望台で食べようかと考えていたのだが、実行に移さずに良かった。
景色はいいが思いのほか高所感があって風も強く、私にはとてもそんなのんびり出来る場所じゃない。
第一、物見客が次々やって来るこの狭い場所でお弁当を広げるのは、少々… いや、かなりひんしゅくものだろう。
階段を下り、再び自転車に跨ってコースを折り返す。
途中で左手に富津岬荘の看板があったので、そこを目印として建物脇から海岸へと抜け出した。
裏手に築堤状の砂利道があるが、地図を重ね合わせてみると、どうもここに本線から分岐する形で引込線が引かれていたようなのだ。
昭和に入ってからの事だが、フランスから列車砲が一門だけ輸入されて陸軍の「九〇式二十四糎列車加農」(加農はカノン砲の事)となり富津岬で性能テストが行なわれたというので、ひょっとするとこのあたりに留置されていたのかも知れない。
列車砲というのは、鉄道貨車の荷台に超大型の大砲を設置した移動式の兵器である。
道路よりも重量物を運ぶのに適した鉄道の長所を利用した武器だが、反面、線路の無いところへは持って行けないという短所がある。
この、日本で唯一だった列車砲、結局この地で性能試験が行なわれただけで国内では実戦に使われず、太平洋戦争開戦前後に遠く満州の地へ運ばれて行ったという。
引込線跡の海岸側先端あたりには、砂に埋まった鉄人28号の頭のような建物が、今でも海の方を向いてひっそりと残っている。
これは一見トーチカのよ