西之島新島

西之島新島

[1] 西之島西之島新島 (にしのしましんとう)

27.2458333333333 140.877777777778

Webページ

[2] 西之島新島 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E4%B9%8B%E5%B3%B6%E6%96%B0%E5%B3%B6

西之島新島(にしのしましんとう)は、1973年に小笠原諸島で形成された陸地(島)。西之島隣接海域で発生した火山の噴火によって形成された。当時は「新島ブーム」とマスコミに報道され、大きな話題となった。後に西之島と接合し、ひとつの島となった。行政区画は、東京都小笠原村。 なお、このように既存の領海内に自然現象で新たに島が出現した場合は、国際法上自動的に領海の所属国に帰属し、「先占(実効支配)」の必要性はない。西之島新島の場合も自動的に日本の領土として認定されている。

[3] 西之島 - Wikipedia, , http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E4%B9%8B%E5%B3%B6

西之島(にしのしま)は、小笠原諸島の島(無人島)。1973年に付近の海底火山が噴火し、新島(西之島新島)が誕生、後に西之島と接合し、一体化した陸地となった。そのため、現在の「西之島」の呼称は、西之島新島とあわせた陸地全体を指す。行政区画は、東京都小笠原村。

地理[編集]

東京の南約1,000km、父島の西約130kmにある。火山列島(硫黄列島)と同一火山脈に属し、付近は海底火山活動が活発である。西之島火山体は海底から計測すると比高4,000mにもなる大火山であるが、海面に出ているのはその最上部にすぎない。

1973年から1974年にかけての噴火により新島ができるまでの西之島(旧島)は、面積0.07km²、東西650m、南北200mの細長い島だった。現在は、噴火とその後の侵食と堆積によって新島と一体化。1970年代は、新島と旧島に挟まれた「コ」の字型の湾をもつ島だったが、堆積作用によって、1982年には湾口が閉じて完全に一体化。円形の島になった。なお、1999年時点での新島部分の面積は、0.25km²。

現在は新島と旧島は完全に一体化している。島の周囲は波の浸食を受けて断崖となっており、上陸は難しい。

自然[編集]

西之島は海洋島であり、噴火後まだ時間が経過していないため、植物相は貧弱でスベリヒユ、オヒシバ、イヌビエ、グンバイヒルガオ、ハマゴウ及びツルナの6種しか確認されていない[1]。これらの多くは、種子の海流散布を行う植物である。アカオネッタイチョウやアオツラカツオドリ、オオアジサシ、オーストンウミツバメ、カツオドリ、オナガミズナギドリ、セグロアジサシなどの12種類の鳥類の生息、そのうち9種類の繁殖が確認されている[1]。その他にはアリやクモ、カニの生息が確認されている[1]。このため、2008年8月1日に国指定西之島鳥獣保護区(集団繁殖地)に指定されている(面積29ha、全域が特別保護地区)。

歴史[編集]

西之島に井戸水はない上に農耕にも適さないため、遭難船の漂着者を除いて、人が居住していた記録はない。ただし、西之島に産出しない半深成岩でできた、石の面に見える長さ23cmの石が、東海大学の調査隊によって採取されている[2]。

約1000万年前 - 火山活動により島が誕生。

1702年 - スペインの帆船ロザリオ号が発見し、「ロザリオ島」と命名。

1801年 -

[4] kaiyo 18西之島, , http://www1.kaiho.mlit.go.jp/GIJUTSUKOKUSAI/kaiikiDB/kaiyo18-2.htm

"父島西方約130kmにある無人島で,南北約650m,幅約200m,島頂は中央部付近(27°14.8'N,140°52.5'E,25m)で,全体として平低な安山岩質の島(SiO2 58〜60%)である. 1973年,西之島至近の海底で有史以来噴火記録のない西之島火山が活動を開始し,新島を形成した.その後新島は西之島と接続し新島の大半が波浪による侵食を受けその一部が現存する.1999年1月現在の新島の面積250,100m2,標高15.2m.新島からシソ輝石普通輝石安山岩,カンラン石単斜輝安山岩が採取されている.SiO2 58.4〜58.9%, Na2O 0.41〜0.42%, K2O 1.12〜1.16%."

[5] 幻想諸島航海記/日吉沖ノ場(南日吉海山), , http://homepage3.nifty.com/boumurou/island/08/hiyosiokinoba.html

南硫黄島南東海上・1977年1月

1977(昭和52)年1月9日(日)。

前年2月に突如発覚して日本を震撼させ、ついには田中角栄元首相の逮捕にまで至ったロッキード事件が、依然として政財界を揺さぶり続け、また、新聞の社会面では、新宿の「火曜日の放火魔」や、青酸入りコカコーラによる無差別殺人事件が世を騒がせていた頃のことである。

この日午後2時半頃、海上保安庁水路部に、日本航空オペレーション・センターより、「午前11時5分頃、羽田発グアム行日航941便の清水靖司機長が、南硫黄島南方の太平洋上で、新島の誕生が推定される変色海域を見た」という旨の報告が入ってきた。

日航・清水靖司機長の話 問題の海域は海面が明るい黄緑色で、周りの深いブルーの海とはっきり違ってみえた。最初に陣内健次副操縦士がみつけ、私も含め乗員三人が確認した。晴れてはいたが、薄くもやがかかった天候で、高度も一万メートルあり、細かいことはわからなかった。この海域では海底火山の活動が活発ときいていたので、もしやと思い、日航のオペレーションを通じて海上保安庁に連絡した。 (『朝日新聞』1977年1月10日附朝刊「新島?変色水域を発見」)

この変色水域は直径約10kmに達していたという。清水機長はその位置を「北緯23度54.06分・東経142度18.07分」と報告している。この報告を信じるならば、問題の海域では水面のごく近くで海底火山の活動が起きており、すでに新島を形成している可能性もある、ということになる。だが、海上保安庁水路部では当初、この報告に少々疑問を抱いていた。というのも、該当位置は伊豆諸島・火山(硫黄)列島からマリアナ諸島へと続く火山帯からは外れており、その上、2000m以上の深海であって、もし海底火山が存在していたとしても、その活動が水面に現れることはまずありえないからである。

しかし、翌10日午前3時に海上保安庁羽田航空基地を飛び立った観測機YS-11A・LA701は、午前6時40分に現地に到着し、変色水域が確かに存在していることを認めた。ただし、その位置は北緯23度30.4分、東経141度54.3分で、最初の通報位置からは南西に約60kmもずれていた。火山列島の南端である南硫黄島からさらに南南東に約90km、東京からは約1400kmの地点である。観測の結果、この海底火山は、新島形成まではいかないも

[6] 元の西之島、大部分埋まる 噴火、新島確認から1年:朝日新聞デジタル, , http://www.asahi.com/articles/ASGCF5RPFGCFULBJ017.html

小笠原諸島の西之島近くの海上で、海底火山の噴火による新島が見つかって間もなく1年。西之島とくっついた後も拡大を続け、元の西之島は西岸中央の一部を残して溶岩で埋まっていた。13日、朝日新聞社機から確認した。

海上保安庁が新島を確認したのは昨年11月20日。東京から南へ約1千キロ離れた小笠原諸島の父島の西約130キロにある西之島近くで、直径約200メートルの島を見つけた。流れ出た溶岩が海底を埋めて島の面積を広げ、12月25日には約500メートル離れた西之島とつながった。

海上保安庁によると、新しくできた島の部分は今年10月16日時点で1・85平方キロ、発見当時の0・01平方キロから185倍になった。元の西之島の部分と合わせた島全体の面積は東京ドームの約40倍にあたる1・89平方キロで、噴火前の8・6倍という。

本社機に同乗した東京大地震研究所の中田節也教授(火山学)は「噴火は数年単位で続き、島の拡大も当面続くだろう」と語った。(北林晃治)

履歴

[13] この記事はSuikaWiki Worldに作成されました。 に最終更新されました。 https://world.suikawiki.org/spots/22776855933399166

メモ