蒲蒲線

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[1] 蒲蒲線

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[2] 800mをつなぐ「蒲蒲線」に期待が集まるワケ (東洋経済オンライン) - Yahoo!ニュース, , http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20160202-00103050-toyo-bus_all

JRの蒲田駅と、京浜急行電鉄の京急蒲田駅。約800m離れたこの2駅が鉄道で結ばれていたら、羽田へのアクセスも便利になるのに、と思う人も多いはずだ。 【詳細画像または表】 鉄道での羽田空港へのアクセスは、従来からあった東京モノレールに加え、1998年に京急が羽田空港に本格的に乗り入れるようになり、充実するようになった。しかし、京急を利用する場合でも、都区内西部から羽田空港へのアクセスにはいったん品川駅に出ることが必要で、遠回りしなければならない。

■ 蒲蒲線計画とは?

そんな中で注目を集めているのが、JR蒲田駅と京急蒲田駅を結ぶ路線「蒲蒲線」計画だ。現在、JR蒲田駅の地上に乗り入れている東急多摩川線の新たな駅を地下に設け、そこから地下路線で京急蒲田駅までをつなぐ。国の交通政策審議会が2015年度内にまとめる答申にこの蒲蒲線計画が盛り込まれるかどうかが、東京都大田区の大きな関心事となっている。

JR蒲田駅と京急蒲田駅を結ぶメリットは何だろうか。蒲蒲線が開通すれば、東急東横線・東京メトロ副都心線を介して、新宿や渋谷エリアからはもちろん、東急線各線を中心とした東京23区西部から羽田空港へのアクセスが大幅に向上する。

また、副都心線は西武池袋線・東武東上線と直通運転を行っていることから、埼玉方面からの利便性向上も期待できる。今は京急の品川やモノレールの浜松町までいったん出なくてはならないが、蒲蒲線によってその必要がなくなり、首都圏各地と羽田空港を結ぶ新ルートが生まれるのだ。

現在の羽田空港へのアクセスは、鉄道では東京モノレールと京急空港線の2路線だが、羽田空港の国際化が進展し、発着枠が拡大していくなかで、新しいアクセスルートの必要性も高まっている。

JR東日本にも羽田空港への新路線の計画がある。そんな中で、空港と都内のほか、神奈川県内や埼玉県内とのアクセスも改善できる蒲蒲線は、整備する距離は短くてすむ割に、効果の大きい路線だ。

蒲蒲線計画では、蒲田駅に東急多摩川線の地下駅を新たにつくり、そこから京急蒲田駅の地下までを結ぶ。東急線と京急線は線路の幅が異なるが、大田区独自の計画では、線路幅の違う区間でも直通できる「フリーゲージトレイン」で京急に乗り入れ、そのまま空港まで結ぶという。京急線へのフリーゲージトレインによる乗り入れが難しいとしても、京急蒲田駅の地下まで路

[3] 「蒲蒲線」実現へ ラッピング電車を運行 NHKニュース, , http://www3.nhk.or.jp/news/html/20151220/k10010347351000.html

羽田空港へのアクセス向上が期待される東京・大田区の蒲田にある2つの駅を結ぶ、通称「蒲蒲線」の整備に向けて、実現への機運を高めようというラッピング電車の運行が始まりました。

大田区の松原忠義区長は「『蒲蒲線』は首都圏全体にとってとても大事な路線になると思うので、なんとしても実現させたい」と話していました。「蒲蒲線」を巡っては国土交通大臣の諮問機関が首都圏で整備すべき鉄道網の在り方を検討していて今年度末に答申が出される予定です。

[4] 2つの蒲田駅結ぶ蒲蒲線 事業化目指し三セク設立へ | NHKニュース, , http://www3.nhk.or.jp/news/html/20170412/k10010946181000.html?utm_int=all_side_ranking-access_005

東京・大田区は、蒲田にある2つの駅を結ぶ、通称、蒲蒲線の整備構想について、国から前向きな評価が示されたことを踏まえ、今年度中に整備主体となる第三セクターの設立を目指すことになりました。

[5] 東京)蒲蒲線「2020年の開業めざす」 大田区長訴え:朝日新聞デジタル, , http://www.asahi.com/articles/ASH1M5HZCH1MUULB003.html

京急蒲田駅と東急蒲田駅をつなぎ、羽田空港と渋谷方面を直結する新線「蒲蒲(かまかま)線」について、地元の大田区は19日、東京五輪開催時の2020年中の暫定開業を目指す方針を明らかにした。両鉄道は線路幅が違うため、現在走行実験中のフリーゲージトレイン(軌間可変電車)の導入を求めていく。

区内であった整備促進区民協議会で説明があり、松原忠義区長は「東京圏全体に貢献する事業。実現には大田区だけでなく沿線の自治体の力が不可欠だ」と述べ、幅広い協力を訴えた。

羽田空港と結ぶ京急蒲田駅と、渋谷方面につながる東急蒲田駅との間は約800メートル離れている。このため、区西部の田園調布や世田谷区方面から鉄道で羽田空港に向かうには、複数回の乗り換えを要する。

[6] 都が新しい地下鉄構想 臨海部発と品川発の2路線:朝日新聞デジタル, , http://www.asahi.com/articles/ASH7B5F07H7BUTIL02T.html

東京都は10日、「将来的に整備を検討すべき鉄道路線」として、人口増が進む臨海部と都心部を結ぶ地下鉄と、リニア中央新幹線のターミナル駅になる品川駅から北に延びる地下鉄の2路線を新たに盛り込んだ構想を発表した。

都はこれまでに5路線を「優先的に検討すべき路線」として中間まとめを出している。今回新たに示した2路線を含む14路線を「検討すべき」路線として7月下旬の国土交通省の交通政策審議会に提案する。

臨海部の新線は中央区の銀座周辺と江東区の有明地区を結ぶ想定。2020年の東京五輪・パラリンピック開催には間に合わないものの、都は五輪開催で人口や交通量の増加が見込まれると説明する。19年度からバス高速輸送システム(BRT)を運行させる予定だが、さらに輸送力や定時性に優れた地下鉄新線が必要と判断したという。

また品川駅から北への新線構想では、東京メトロ南北線の白金高輪駅などへの延伸を検討。リニアや山手線新駅などで品川周辺の事業集積が進むと見込む。

優先すべきだとする5路線は、東京8号線延伸(東京メトロの有楽町線豊洲―半蔵門線住吉間)▽JR羽田アクセス線(田町付近―羽田空港など)▽都営大江戸線延伸(光が丘―大泉学園町間)▽多摩都市モノレール延伸(上北台―箱根ケ崎、多摩センター―町田間)。検討すべきだとする14路線は、2新線のほか、JR中央線の複々線化や、新空港線「蒲蒲線」など。(上沢博之)

[7] ブラタモリで東京駅の地下にトンネル発見 ※ネタバレあり #未成道 #ロリ鉄 #東京駅 #ブラタモリ (2ページ目) - Togetterまとめ, , http://togetter.com/li/849555?page=2

どうも昭和40年代は幹線道路の交差点付近でアンダーパス空間の確保を行政指導されていたようで、記憶の中では港北NT各地(未完)や横浜市営地下鉄高島町駅(完成)とか。本件の委託工事で国鉄が営団に引き渡した構造物一式のうち、道路分は建設省(国道1号だから国だよね?)に行ったのだろうか。

[8] 改良進む首都高C2、でも渋滞は終わらない? その先にある新たな懸念 | 乗りものニュース, , http://trafficnews.jp/post/49335/

首都高のC2中央環状線で改良が進み、ある地点では渋滞が劇的に緩和されました。また今後、抜本的な対策も予定されています、が、その先には新たな懸念も。利便性の高いC2ですが、その渋滞、果たしてどうしたらよいのでしょうか。

板橋JCTで行われた最も手軽な 渋滞 対策 この2016年2月4日(木)、 首都高 C2中央環状線内回りの板橋JCTで車線運用が変更されました。

板橋JCTの上段では、C2内回り(2車線)と5号池袋線上り(2車線)が合流します。しかし、合流部である板橋JCT~熊野町JCT間の約1kmは3車線しかないため、5号線上り(平日平均4万5150台、2014年度調査)より交通量の少ないC2内回り側(同2万7660台)の車線を、合流前に1車線へ絞っていました。それが今回の変更により、合流部分で徐々に絞る形になったのです。

C2内回りからの合流が2車線になった板橋JCT(画像出典:首都 高速道路 )。 C2内回りは、板橋JCTを先頭に渋滞が恒常的に発生していましたが、この改良により交通流量が大幅に増え(恐らく5割前後の向上)、渋滞は劇的に緩和されました。感覚的には8~9割の減で、「ほとんど渋滞しなくなった」といえます。

首都高速 道路 株式会社によると、今回の車線運用変更は「できることはやってみよう」という試みのひとつとのことです。車線運用の変更 工事 は、ほぼ路面ペイントの更新だけ。費用もほんのわずかで済み、うまく行かなければ元に戻すのも容易ですから、確証はなくても可能性があれば積極的にいろいろ試してみるべき、最も手軽な渋滞対策なのです。

ただ、それだけなら「めでたしめでたし」ですが、片方の流れが良くなったということは、もう片方に負担が来ているということ。2月4日以降、5号線上りの渋滞量は若干増しているように感じます。午前中の上り渋滞ピーク時、これまで高島平付近までだった渋滞末尾が、戸田南付近まで数km伸びたようです。2~3割の増でしょうか。

[10] 改良進む首都高C2、でも渋滞は終わらない? その先にある新たな懸念 | 乗りものニュース, , http://trafficnews.jp/post/49335/2/

想像しなかった現象が起きているC2 しかし今回の変更による 渋滞 量の変化は、現時点では算出が難しいといいます。

「2015年3月のC2品川線の開通によって、 首都高 全体の交通量が2%前後増えています。その交通量増加分が、板橋JCTの渋滞にどの程度影響を与えたのか算出するのは難しく、純粋に車線運用変更の影響を抽出することは困難です」(首都 高速道路 株式会社)

通常、首都高で交通量が2%増加すると、それだけで渋滞量は2割ほど増加します。つまり、5号線上りで渋滞量が2~3割増えていたとしても、それが車線運用の変更によるものか、首都高全体の交通量の増加によるものか、判定できないということです。

3月下旬は、1年で最も渋滞が増える時期のひとつ。そのとき、5号線上りの渋滞が美女木JCTを超えるようだと、外環道にも渋滞が伸びることになり、影響が大きくなるといえるでしょう。

ただ板橋JCTに関しては、抜本的な対策が進んでいます。現在、板橋JCT~熊野町JCT間の拡幅 工事 が進捗中で、2年後の2018年3月までには、合流部が3車線から4車線に増やされる予定です。

試験的に2車線へ変更されたC2内回りの板橋JCT(2016年2月、清水草一撮影)。 これは、16年前に出版した拙著『首都高はなぜ渋滞するのか!?』で最も声高に主張した改良であり、それが実現するのは首都高研究家として大きな喜びです。

ただ、16年前には想像しなかった現象も起きています。C2内回りの山手 トンネル における自然渋滞です。

[12] 新大宮バイパスに敗北 孤立した関越道、その未来は | 乗りものニュース, , http://trafficnews.jp/post/40376/2/

関越へ繋がる予定だった幻の「10号練馬線」 『首都 高速道路 公団三十年史』によれば、5号線の延伸は「単に新大宮バイパスの交通を都心、副都心(池袋)に流すことばかりでなく、東京都の都市計画事業のひとつである板橋トラックターミナルあるいは高島平に建設される大住宅団地といった大規模な交通発生源に対処することであった」とあります。この頃の 首都高 は、都が中心になって建設中の都市内高速 道路 で、地域的な交通の流れが重視されていたのです。

1973(昭和48)年、東京川越道路は、ようやく関越 自動車 道という名の国土開発幹線自動車道(つまり高速道路)に昇格しました。この昇格には、1972(昭和47)年に首相に就任した田中角栄氏の力があったといわれています。また角サンは、「関越道をまっすぐ目白御殿まで繋げろ!」と言ったという都市伝説もありますが眉唾です。

1969年の「大都市幹線街路調査報告書」では「延伸追加線」とされていた10号練馬線(画像出典:高速道路調査特別委員会)。 首都高には、もともと「10号線」という計画がありました。これも当初は関越道に直接接続するものではなく、終点は練馬区上石神井2丁目。現在の早稲田大学高等学院付近で外環道と接続する構想でした。

その後、関越道が徐々に延伸されるにつれ、70年代のどこかの時点で、この10号線は「練馬線」という名称になり、文京区関口(現在の早稲田出口)で5号線から分岐して、神田川上や目白通りを進んで関越道に直結する計画に変更されました(10号線は現在は晴海線の名称)。

これが実現すれば、目白御殿のすぐ裏へ本当に関越+首都高が繋がる形になったわけですが、こんな接続をしたら5号線の大 渋滞 は必至。そこで、やはり以前から計画にあった内環状線に直結させて……という紆余曲折があったものの、内環状線建設の見通しもまったく立たなくなり、着地点を失った練馬線は漂流を重ね、現在の“完全お蔵入り状態”になったのです。

[14] 品川駅前には、なぜ「家電量販店」がないのか | 鉄道ビジネス | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準, , http://toyokeizai.net/articles/-/110952

新宿や池袋のような、利用者の多い都市部の駅には「ヨドバシカメラ」「ビックカメラ」といった都市型の家電量販店がある。例えば世界一の利用者数を誇る新宿駅は、JR東日本だけでも一日の乗車人員が約74万8000人(2014年度)に達し、京王や小田急、東京メトロなども合わせると、非常に多くの人が毎日この駅を使用していることがわかる。

そんな新宿駅には、東口と西口それぞれに「ヨドバシカメラ」「ビックカメラ」がある。そして、ヤマダ電機の都市型店舗「LABI」も新宿駅の東西にある。

都市型家電量販店は、ターミナル駅の近くに店を構え、多くの利用者を集めている。しかし、そういった家電量販店が充実していない駅も東京都内にはある。東京駅と、品川駅である。東京駅にはヤマダ電機の「Concept LABI TOKYO」しかなく、品川駅にはゼロである。

今後発展する品川は…

品川駅は、JR東日本の乗車人員が1日当たり約34万2000人(2014年度)、JR東海の乗車人員が3万3000人(同上)、京浜急行の乗降客数が一日約26万人(2013年度)という大きな駅である。東海道新幹線のサブターミナルである一方、羽田空港へのアクセス駅でもあり、今後はリニア中央新幹線のターミナルとしてもさらに発展していく駅だ。

そんな品川駅には、今のところ都市型家電量販店が存在しない。各社はなぜ出店しないのだろうか。

[15] 品川駅前には、なぜ「家電量販店」がないのか | 鉄道ビジネス | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準, , http://toyokeizai.net/articles/-/110952?page=2

ヨドバシカメラは「長い年月のあいだ、品川地域とは縁がなかった。今後も品川出店の予定はない」。ビックカメラは、「当社の出店においてターミナル駅ということは意識しており、『駅前×大型×都市型』のコンセプトで今まで出店しております。ただ、具体的な場所に対する言及は致しかねます」という。ヤマダ電機はお隣の大井町には店舗を持つが、品川駅にはない。

現状では、ヨドバシカメラなら新宿や秋葉原、ビックカメラなら有楽町や新宿・渋谷・池袋にいくしかない。まだまだリニア中央新幹線開業までは時間があるが、駅周辺の再開発が本格化する今後、変化は起こるだろうか。

東京駅、ヤマダ電機の挑戦

一方、東京駅の八重洲口には2015年に、ヤマダ電機の「Concept LABI TOKYO」という店が開業した。東京駅は、JR東日本の乗車人員が1日当たり41万8000人、JR東海の乗車人員が9万3000人という駅で、東海道新幹線をはじめ、東北(含む山形・秋田)・上越・北陸の各新幹線の始発駅である。同駅にはかつて「さくらや」があったものの、2010年に閉店し、それ以降家電量販店は存在しなかった。

では、なぜヤマダ電機は東京駅前に店をつくったのか。ヤマダ電機によると、東京駅は「交通の要衝であり、日本の表玄関として海外の方々にも知名度が高い場所」。そこで「日本だけではなく全世界に向け、最先端の情報を発信する」ためにこの店を開いたという。

ビジネスマンやOLといった層、「周辺の有力な百貨店を訪れる富裕な層」といったいままでになかった顧客層を開拓するだけではなく、「インバウンド需要や新幹線の利用客を中心とした出張、国内外への旅行者によるアウトバウンド需要まで取り込んでいける」との狙いだ。

しかし、実際の店舗に行ってみると、一般的な都市型家電量販店と比べて品揃えは若干少なめの感がある。

それについて同社は「(Concept LABI TOKYOは)一流メーカー各社の最新製品やサービスを、ライフスタイルとともに提案する新しい店舗」であり、「他の量販店でも味わえない日本が誇る最先端の家電製品とサービスをワンストップで体感できる、前例のない店づくり」をしていると説明する。そして「日本に限らず、世界の家電流通業界のあり方、既成概念を覆していく店舗である」とし、「他社様との店舗の比較は不可能」と述べている。

従来型の都市型家電量

[17] 西武新宿駅はなぜ遠いのか 幻の東口乗り入れ計画 |エンタメ!|NIKKEI STYLE, , http://style.nikkei.com/article/DGXNASFK2103N_S2A121C1000000

日本一のターミナル、新宿駅。JRや私鉄、地下鉄が集結するこの駅で、ひときわ離れているのが西武新宿駅だ。なぜ、一路線だけ離れているのか。調べてみると、過去に何度か乗り入れ計画があったことがわかった。新宿の私鉄を巡る秘話を追った。 ■西武新宿からJR、乗り換えに6~9分

西武鉄道の黄色い電車を降りて駅ビルから外に出ると、JR新宿駅が遠くに見えた。JR改札までゆっくり歩いて6分ほど。人混みの程度や信号によってはもっとかかるかもしれない。 乗り換え検索サイト、「駅探」で調べてみると、西武新宿駅からJR新宿駅までは徒歩7分。「ナビタイム」では8分、「ヤフー!ロコ」では9分だった。駅探では分速60メートルで計算しているといい、乗り換え距離は420mということになる。 なぜこれほど遠いのか。西武鉄道に聞くと「昔のことでよくわからない」とのこと。同社には社史がなく、過去のいきさつについては伝わっていないようだ。

何か手掛かりがないか。「鉄道未成線を歩く 私鉄編」(JTBキャンブックス)などの著書がある鉄道愛好家の森口誠之さんに尋ねたところ、西武鉄道の常務がかつて鉄道雑誌のインタビューで詳しく語っていることがわかった。 図書館で入手したその雑誌、「鉄道ピクトリアル」の1992年5月号増刊「特集 西武鉄道」では西武鉄道の長谷部和夫常務(当時)が興味深い話を披露している。一部を引用しよう。 ■西武新宿駅は仮の駅だった 「西武新宿は当初仮駅だったのです」 長谷部氏によると、西武新宿駅はひとまず仮駅として設置し、駅前整備を待って国鉄新宿駅まで延長する計画だったという。 西武新宿駅が開業したのは1952年(昭和27年)。まずは現在の場所に簡単な駅舎ができた。この辺りには戦前、西武軌道という路面電車があり、新宿駅東口まで延びていた。国鉄への乗り入れは、この軌道跡を利用することになっていた。

履歴

[20] この記事はSuikaWiki Worldに作成されました。 に最終更新されました。 https://world.suikawiki.org/spots/23438054547867730

メモ