若郷

若郷

[1] 新島若郷 (わかごう)

34.4149574704436 139.279410839081

Webページ

[2] 若郷村 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8B%A5%E9%83%B7%E6%9D%91

若郷村(わかごうむら)とは、東京都大島支庁管内にかつて存在した村である。新島村の地名として現存する。

[3] 道路レポート 東京都道211号若郷新島港線, , http://yamaiga.com/road/tpr211/main12.html

現在地は、「 東京都 新島村 若郷 」。

この短い地名にも、この地が歩んできた本土とは少しだけ違った“日本史”が、しっかりと刻み込まれているという話をしたい。

少し探索の本編からは脱線するが、お時間を下さいな。

まずは、「新島村」なのに、その前に「○○郡」がないことに気付く。

これは伊豆諸島や小笠原諸島の島々に共通する特徴だが、近世以前より今日まで郡に所属したことがない。

例えば近世には伊豆国や駿河国に所属していたが、その際も「伊豆国新島」などと呼ばれていた。

そして明治11年に全国の郡名を改めた郡区町村編成法が成立した際も、新島を含む一部島嶼地域への適用が見送られたことで、郡名を得る機会を失った。

このような政治的な“仲間はずれ”が公然となされた理由はなんだったのか。

それは、伊豆諸島は人口の多さから考えて一郡にまとめざるを得ないが、それぞれの島が海で隔てられていて交流(交通)もほとんど無いことから、どこに郡役所を置くとしても役場所在地以外の島が不便になりすぎるという判断だったのだ。

当時の郡は、現在の名前だけの郡とは違って、県と町村の間に入る確然たる行政組織であっただけに、こうした配慮がなされたのだった。

しかし、このように郡区町村編成法から除外され、さらにその後釜となる明治21年の市制および町村制からも除外となった伊豆諸島は、同じように除外されていた沖縄などの島嶼地域と共に長らく地方政治上の冷遇を託つ事となった。

これらの島々では近世同様に世襲制の名主が都府県の監督(明治33年には郡制に準じる扱いとして大島島庁が設置され、大正9年に新島はその管轄下となった)を受けつつ村政を受け持ったほか、住民の代表(議員)を選挙し国政に参加させる可能性さえも否定されていた。(同時に地方税制度も施行を見送られたため、近世までの厳しい“年貢”の取り立てからは解放された)

ちなみにこのことと関連して、新島村には大字というものも存在しない(新島村「大字若郷」ではない)。

都市部を中心に従来の大字を廃止して、「○○町」などへと改名するケースはよくあるが、新島村には最初から大字が存在しなかった。

これも大字というものが、市制や町村制を施行した際に従来の村名(いわゆる藩政村)を残すために編み出された制度だったことによる。

本土の人々が明治の初期に政治参画を求めて自由民

[15] 伊豆諸島 新島町巡り 新島編 | 雑記 | ^迷走局 <電脳神奈川県民は眠らない>, , http://wander-dept.net/article/13_niijima/niijima.html

伊豆諸島 新島町巡り 新島編

10分ほどで連絡船が新島港(前浜港) に到着しました。

無料巡回バス『ふれあいバス』で若郷地域に向かう

連絡船にしきを降りた港の直ぐ先に、市営の無料バスが待っていました。

乗車料は無料で、にしきの到着時間に合わせてあります。

若郷地域に向かう、平成新島トンネルを通過します。

平成16年04月23日に開通した、約2400mのトンネルです。

徒歩・自転車の通行が禁止されているため、車・バイクなどを利用する必要があります。

若郷会館(旧若郷小学校)

平成19年03月に廃校された旧若郷小学校です。今は、「若郷会館」として地域の総合施設として利用されており、管理人さんもいます。

中にはトレーニングルームや、図書館、そして小学校時代の記念品の数々が展示されている部屋がありました。

また芸術イベント等、様々な催しに利用されています。

学校の奥に見える崖は、平成12年に発生した地震によって崩れるような被害が発生したそうです。

中は総合施設ということで、図書館・記念館・トレーニングルームなどが用意されています。

昼食

ファミリーマートダイエイにて、天丼を購入。

若郷港は商業施設が皆無で、食事はこちらでしか調達できません。

他にも、親子丼などを作ってくれるようです。

若郷前浜海岸

若郷前浜海岸を、本町方面に歩きます。途中から消波ブロックの生産施設となっていました。

かなり巨大なもので、これらをつり下げるクレーンや、コンクリート型も相当な大きさでした。

若郷港(渡浮根港港)

海岸を歩くと、港が見えて来ました。道が断絶された際は、この港から本町へ向かう船便があったようです。

この日は誰も居ませんでしたが、魚を上げる施設や多くの船がありました。

若郷渡浮根展望台

若郷渡浮根展望台

淡井浦海岸

展望台から歩いて30分。淡井浦海岸に到着しました。

港の反対側に位置するこの砂浜は風景が素晴らしく、サーファーにも人気があるそうです。

漁船に乗っていた漁夫が白衣を着た人魚に引き込まれたという伝説があるのは別として、この付近は神社の聖域であるため禁漁区に指定されているようです。

新島ロラン局

スケジュール上断念した新島ロラン局を見る事ができました。アンテナは高さ200mもあるのですが、本町方面からだと山に隠れてしまい発見しにくくなっています。

ロランCは海上航行用に作ら

[16] 新島の観光 前浜・間々下海岸 海水浴場 - 新島 | トラベル - [ありの木], , http://www.arinoki.com/travel/niijima/page06.shtml

前浜海岸~間々下海岸を歩く

前浜海岸~間々下海岸は、島の西側に位置する海岸です。前浜には、客船が入港する新島港(前浜港)もあり、新島の玄関口となっています。

本村集落の目の前に位置する前浜海岸。

本村集落の目の前にある前浜は、夏場、海水浴客で賑わいます。

また、前浜から少し南に行ったところには、湯の浜露天温泉があります。こちらは、24時間無料で入浴できます(水着着用)。ただし、コインロッカーとシャワーの利用で各100円必要なのでご注意ください。

古代ギリシャをモチーフにした建物で、式根島の大自然の温泉とは違い、フナムシの心配なく入浴できます。

海岸の岩場に造られた無料の露天温泉。

前浜港に行ってみると、さるびあ丸が停泊していました。さるびあ丸は、約5,000トンの貨客船で、新島・神津島航路のほか、八丈島航路にも就航しています。

前浜港にさるびあ丸が停泊していた。

前浜港の旅客ターミナル。

鳥ヶ島

間々下海岸の目の前にそびえる島は、鳥ヶ島と呼ばれ、かつて、向かいの石山のコーガ石を運び出すためのロープウェイの基地があったそうです。

階段があるので登ってみました。

かつて索道施設があった鳥ヶ島。

鳥ヶ島は、意外と標高があり、下を眺めてみると、身震いするほどの落差です。

周囲を見回してみると、確かに、石垣やコンクリートの遺構があり、何らかの施設があったことが想像できます。

石垣や建物の基礎が遺る。

間々下海岸から眺める夕日は絶景。

間々下海岸から見る夕日は絶景でした。夕日を背景にして見る地内島もなかなか美しいです。

[17] 新島, , http://homepage2.nifty.com/lj37/page080.html

東京の島巡りシリーズ第三弾は伊豆諸島新島村に属する当然新島です。

式根島の回で若干触れていますが、東京の島々の中でも大島、八丈島に次ぐ第三の人口を有する島ですが、その名のとおり地形的には新しい、文字通りの「新島」なのです。

それゆえ、地形的にも他の島とは違った名所があり、新島ならではのところが多くあります。

新島へのアクセスもやはり東海汽船の大型客船が基本で(10時間40分)、それ以外の航路として、同じ東海汽船の超高速ジェット船(2時間35分)、下田から神津島−式根島−新島−利島を渡る神新汽船の「あぜりあ丸」(4時間)などがあります。

新島には空港があって、調布飛行場から新中央航空が1日4往復が就航しており、主力路線となっています。

新島線に就航しているのは、「Fairchild Dornier」社製の「Do228-212」(通称ドルニエ)です。

大島や神津島にも就航している「アイランダー」と同じプロペラ双発機で航続距離はあまり変わりませんが、乗客数も巡航速度も倍程あります。

ドルニエの特徴は、写真でわかるとおり機内空間を最大限に生かした四角い機体ですが、そのせいで客室の与圧ができず、高高度を飛べないのが難点です。

また主翼は先端を斜めに切り落としたような「TNT翼」と呼ばれるもので、そのシンボルマークである、「トビウオ」によく似た翼形状です。

[18] 廃線レポート 神津島の石材積出軌道, , http://yamaiga.com/rail/kouzusima/main.html

… お は よ ー ご ざ い ま す ……。

よく眠れなかった。

昨夕、日が暮れる前に海岸の真新しいウッドデッキの下を一夜宿に定めた私は、潮騒と柔らかな砂の背心地には満足したものの、午前2時頃から降り始めてしまった大粒の雨と、朝方から急激に騒ぎ出した風のため、眠れぬ夜明けを過ごしていた。

ウッドデッキを伝う雨は最初テントの外壁を濡らし、それから内壁、寝袋の外、内の順に次第と浸潤して、朝4時の私は既に身体の大半を湿らせていた。

乾ききれなかった昨日の汗も混じっていただろうが、快眠とはかけ離れた… まさに野宿であった。

時間がなかなか進まなかったが、空に薄明かりを感じると同時にテントを出て、携帯コンロで朝飯のカップ麺を食べてから、探索の荷造りをした。

テントなど、探索に使わないアイテム(デカリュック)はここへ置いて行く。

島を離れる前には回収するが、こいつらを持ち歩くと移動だけで疲れるし、身軽な状態で探索をしたかった。

この雨では、島の人が海水浴場に下りてきてウッドデッキの下を覗くことも無いだろう。

午前5時04分、前浜海岸を自転車で出発。

まずは、すぐ近くの神津島(こうづしま)港へやって来た。

ここは私と東京の自宅を結ぶ窓口だったが、この時間は船の待合所も閉まっていて、人影は全くなかった。

埠頭を叩く雨の飛沫が、地面に押し付けられるように躍っている。

それほど海から吹き込む風は強かったが、その割に波は妙に落ち着いていた。

これなら帰りの船も予定通り迎えに来てくれるだろうか。

出発前に見た週間予報だと、今日まで晴れると言っていたはずだが、現実は雨だった。

それもかなり本格的な雨である。

加えて、南西の風が相当に強まっていた。

現状を説明したい。

今日2013年4月2日は、私の最初の離島探索の3日目、かつ最終日だ。

そしてそれと同時に、この島で朝を迎えた人生最初の日でもある。

だがこの島は、そんな記念日にも試練を与える心づもりらしかった。ありがたいことである。

今回の離島探索では、初日の新島で素晴らしい廃道と戯れたが、2日目にそこから15km南南西に浮かぶ神津島へ船で移動してきた。

そして着くなりこれまた途轍もない廃道と出会った。

(↑この廃道は2014年3月4日発売の『廃道ビヨンド』で紹介したい)

今の私の気分が優れないのは、雨のた

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[21] この記事はSuikaWiki Worldに作成されました。 に最終更新されました。 https://world.suikawiki.org/spots/23438054527904281

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