秋町隧道

秋町隧道

[1] 秋町隧道

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[2] "はずれルート"庄川林道(岩瀬秋町線)と秋町隧道 - Frost Moon Project, , http://www16.atpages.jp/rayna/Report/akimachi01/

"はずれルート"庄川林道(岩瀬秋町線)と秋町隧道 - Frost Moon Project

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「はずれルート」庄川林道(岩瀬秋町線)と秋町隧道

「はずれルート」庄川林道(岩瀬秋町線)と秋町隧道

庄川林道(岩瀬秋町線)は御母衣ダム建設を機に開設された林道で、

昭和48年(1973年)頃まで木材の運搬に利用されていました。

しかし、「トンネルが陥没して不通となり」、廃道化、今に至ります。

陥没したトンネル「秋町隧道」の坑口は殆ど埋もれ、内部は水没しており、通行は不可能です。

秋町隧道の先にある巨大廃橋「六厩川橋」は、

多くの同業者達を魅了しますが、この庄川林道以外の「森茂林道」「六厩林道」も同様に廃道であり、

アクセスが非常に困難な物件であります。

今回は"秋町隧道までは比較的良好"な庄川林道経由での六厩川橋攻略を目指しました。

秘密道具

[3] 秋町隧道: 林道・ダム・鉱山の勝手な記録, , http://netishim.seesaa.net/article/137703020.html

9月から休み無く出勤したつけが回ってきて、 最近では週休3日制です。 今日(12月9日)も代休が取れました。 おととしに、再会できなかった秋町隧道を見に行こう かと思いました。 それと、以前、Bandlover様より、山の東向こうにも トンネルが有り・・ とお教え頂いていたので、うまく いけばそれも・・・と思いました。でもそれは実現でき ませんでした。 95年に秋町隧道に行った時の記憶がすごく曖昧 で、確認したいという気持ちもあります。 写真(銀塩)と8mmVTRを探しても秋町隧道の 南西側坑口しかみつかりません。 私の記憶だと、95年に行った時はこうです。 ・秋町隧道 南西側坑口には 御母衣右岸側の林道 を通り、すぐ前の広場まで車で横付け出来た。 ・森茂峠を通って森茂へは、車で行けたが、その先は 足のすくむような崖下まで道が崩落していて、歩いて でも行けそうになかった。 ・六厩川沿いの林道では、途中から歩いて六厩川橋 まで行けたが、六厩川橋を渡った先から道が無くな っていて、秋町隧道の北東側坑口には行けなかった。 で、問題は、この六厩川橋のそばにある隧道ですが、 全く記憶に無いんです。有ったら写真ぐらい残っていて もよさそうなものを・・・・ でもBandlover様のおおせのように、地図には描かれて ますね。 今年は暖冬で、いまだに雪が積もっていません。 (11月2日に有峰で雪にあたったのみです。) ひょっとしたら、御母衣もそんなに積もっていない のでは無いかと思い、来てみました。 国道から御母衣の右岸側へ入る分岐です。 雪が全くありません。これは予想外でした。 道中は、さらにこんなに良い感じ。 この前の夏とはえらい差です。スズメバチの心配も 無さそう。 車で行ける終点から延びている林道もくっきり 見えています。 あそこも後で行ってみることにします。 白山方面は・・・ これは当然雪が積もっています。 さすがだ・・・ 荒廃した川に岸もはっきり。 やはり来る季節は間違えてはいけないのですね。 おなじみの場所に車を置きまして、 防寒対策バッチリにして、歩きはじめます。 08年8月10日の同じ場所です。 まったく草の量が違いますよ。 簡易ゲートの場所。 去年とは看板の配置がちょっと変わっています。 車を通す為に外した、ということなのでしょう。 この道、一応現役な

[9] 道路レポート 岩瀬秋町線 (御母衣湖右岸道路), , http://yamaiga.com/road/akimati/main3.html

2009/11/22 9:22 【現在地】

ゲートはないが、通行止めの表示がなされた所を過ぎると、荘川営林署の専用林道となる。

しかし、ここから見える範囲はこれまで同様穏やかな雑木林の道であり、乗車のまま進むことが出来る。

隧道までの残距離はおおよそ500m。

確かに2.5km手前から廃道になりはしたが、事前情報のほど荒れていたとは思われない。

正直なところ少々拍子抜けもしたのだったが、よく考えればまだまだ先は長いのである。六厩川橋を渡りきるまでは油断出来ない。

それに、ここまで来ればむしろ“別の興奮”が、ヒタヒタと張り付いてきた。

既に360度の視界から湖の姿は消え、前面は秋町半島付け根の山影に塞がれた。

まだ坑門自体は見えないが、その所在と彼我の距離は、ほぼ明らかである。

間もなく現れるだろう秋町隧道の南口については、事前調査で視覚的情報を一切得られなかった。

つまりは、初見。

10年前には(バイクで)辿り着きがたかったほどの場所であり、その後も恐らく訪れた人は限られていたらしい。

はたして隧道は正しく開口し、そして、貫通しているのか…。

前方の峠は見上げるほど高く、他に道もない。

もし隧道が通り抜けられなければ、そのときはたぶん、撤収…。

いよいよ荒れてきた急坂を、自転車を押し上げるようにして進む。

緊張と興奮のない交ぜになった複雑な感情は、焦燥感に近いものがある。

秋町の分岐を過ぎて、明らかに廃道上の藪は深くなった。

草藪だけでなく潅木が育ち、流れ込んだ瓦礫が山を成していた。

…これから先、このレベルの廃道が何キロも続くのだとしたら…。

隧道を抜けた先こそ、本当の地獄なのかも知れない…。

そんなことを思った。

あ?!

…いや…、見間違いか?

でも、確かに何かが見える。

そこにあるのは、

秋町隧道ではないのか?

夏場なら、絶対この位置からは見えないだろう、コンクリートの構造物。

気になりすぎるその正体は、10m進んだところで完全に明らかとなった。

9:32 【現在地:11km地点】

心臓バクバク!

これが、待望の秋町隧道の南口。初見。

岩瀬の国道分岐地点から、ちょうど11km地点。

うち廃道分は約3km。

所要時間は2時間半。

想定より少しラクな道だったが、隧道直前の状況だけは別物だった。

そして、この坑口の有様も…

[10] 道路レポート 六厩川橋攻略作戦, , http://yamaiga.com/road/morimo/main11.html

14:07

苦心惨憺のすえ、森茂林道を踏破して六厩川橋へと到達。

最大の目的であった渡橋も無事果たされた。

その時点で時刻は14時を少し回っていた。

真夏ならばまだまだ宴もたけなわと言ったところだが、残念ながらこの時期はもう日暮れを意識して行動しなければならない時刻である。

3時間後には、ほとんど灯り無しでは行動できないくらい暗くなっているはずなのだから。

というわけで、ここは左岸の土を一蹴りだけして引き返し、すぐさま脱出路の六厩川林道へ向かう

べきだったのかもしれないが、

もう二度と来れないかも知れない(というか、来ることは出来ても、そのためには自分の体をまた沢山動かさなきゃならない)この場所を、もう少しだけ味わい尽くしたい思いが勝った。

何かと言えば、秋町隧道である。

一昨日の探索で踏破を断念した秋町隧道の北口から、この六厩川橋までの距離は約1.5km、往復で3km。

ここまでに要した時間を考えれば、この3kmは決して小さな数字ではなかったが、最悪六厩川橋付近で夜明かしする事になろうとも、この区間だけは今回やってしまいたかった。

この写真は、森茂林道の最後の大崩壊地点で撮影していたものだが、六厩川橋から御母衣湖畔の崖を経て秋町隧道までは、このくらいの距離感である。

1.5kmも無さそうだが、山腹の蛇行に少し道が折り畳まれているのでこの距離がある。

この景色を見ながら、秋町半島の意外な高さに恐れ感じたことをよく覚えている。

でも、通り抜けられない隧道だと知っているのに、そこへ行かなければ気が済まないのだから、なお怖ろしいのは自分の“オブ欲”だった。

ここで秋町隧道まで足を伸ばしたのは、完全に欲である。

「良くないなぁ」とは思いながら、抑制できなかった。

だが、前進を決めた私の心は一時的に、とても晴れやかだった。

これさえ終えれば、後は何も思い残すことはない。

これで全てを終えて下山出来れば、どれほどの達成感を味わえるだろうかと、捕らぬ狸の何とやら。

…この時間、この季節、この天気、この場所、この孤独、どれを取っても重苦しい。

努めて明るい思考で行こうというのは、意識せずとも自衛的にそうなったのだ。

秋町隧道へ出発進行!

対岸でまず出迎えてくれたのは、それぞれ100トン以上はありそうな2基の巨大アンカー。

道はこのビルディングのよう

[18] 村道を往く(第三回) - ポンコツラビリンス - Yahoo!ブログ, , http://blogs.yahoo.co.jp/boro_sabi_tour/15171143.html

A君は『倒木と蔦を利用して、イカダ作って水没隧道を渡ろう!』とか、ファンタジープランを練っている(汗)

[20] 艨艟ノ棲処−森茂林道と秋町隧道, , http://moudou.hatagashira.com/moudou/motercycle/kdx/kdx_touring_report/20100504_kdx_morimoakimachi/20100504_kdx_morimoakimachi.html

地図で見て、昔からとても魅力的に思っていた御母衣ダム周辺の林道。マシンと時間がなかなか合わず、何年も行こうと思っていて実現しなかったのだが、実は昨年、ようやくに走ってきた。

で、だ。御母衣ダム周辺林道のどこへ行こうかと思っていたかというと、まずはここ。 地図を左上から右下へ横切る細い線は尾根上を走る林道で、これは関係ない。問題は右上から左下へ、途中で切れている道だ。古い地図(といっても平成の始め頃まで)には、この部分に隧道があるのだ。未舗装(たぶん)林道の先に現れる謎の隧道。なんかもう、想像するだけでワクワクしてくる。

加えて、その地図を更に左上へ辿ると、川を渡るところに橋が架かっているのが分かると思う。

だがしかし。橋へ至る左下からのルートは、件の隧道のところで切れている。そして橋の右(東)から来るルート、上(北)から来るルートは、いずれも途中で林道が終わり、細い線(徒歩道)となっている。

どう?ドキドキしてきたでしょ。

こうなってくると、廃(?)隧道

と橋をこの目で確かめたくなるのは人情というもの。で、さっきも言ったように、行たのである。

だがしかし、その結果はレポートにまとめる程の成果も得られず、分かりやすく言えば「惨敗」である。南から廃隧道を目指したルートは、激藪のためKDXどころか徒歩でも進めず。東から橋を目指したルートは、途中で路盤が消失(落ちて)していた。やむなく再挑戦の時期を狙っていたのだが、その間に、こっちのサイトで先を越されてしまっていた(一時期、アムンゼンに先を越されたスコットのような気持ちだったのは事実である)りして、ややテンションは下がり気味だった。

しかし持つべきものは友である。昨年の状況を聞いたリターンライダーKDX氏が、是非行きたいという。ならばと今年、再挑戦してみることにしたのである。

さて、廃隧道と橋へのアプローチだが、昨年は南からの六厩林道、そして御母衣湖沿いの秋町林道のコースを取った(両方とも失敗したが)ので、今年はまだ走ったことのない東からのアプローチ、森茂林道を通ることにした。

さて、途中は飛ばして森茂林道の入口がここである。延長は15km(!)とある。これがここから橋までの距離なのだ。

急勾配の九十九折れを10分ほど上がって行った先に森茂峠がある。峠の祠はきちんと清掃されているところから、それなりに

[21] 毎日ボンクラな毎日です, , http://weinzel.web.fc2.com/log1110-1112.htm

2011年10月〜2011年12月の日記 トップへ

2011-12-31

・あっという間に

今年ももう終わりですね。1年間の体感速度が年々速くなっている気がしますよ。今年を振り返ると、やっぱり登山に関してはあんまり登れてなかったですね。その分1回の登山が濃かった気はしますが。

スカイラインは走行距離18万キロを超え、来年車検ですがまだまだ乗る感じで。

そういえば今年はiPhone買ったのが大きいです。電池が持たないのが弱点ですが、DropBoxやFieldAccessなど、素晴らしいアプリもそうですが、iPhoneが自宅の無線LANに繋がると撮った写真が自動的に自分のPCに入ったり、とにかくスマートです。もっと使いこなしたいですね。

ちなみに、自分のおもちゃのつもりで買ったタブレットPCは…

文字通り甥っ子のおもちゃと化しました。

2011-12-30

・登り納め

さて、今年最後の登山は大文字山です。当初は去年同様に御来光を拝むつもりでしたが、色々あって6時45分銀閣寺付近の駐車場からスタート。まぁ天気が曇りなのでどのみち見れなかったっぽいですが。

近所の適度な散歩コースなのか、この時間に下ってくる人が結構多いです。7時20分、大文字焼きの火床に到着。

京都市内が一望出来ます。雲りっちゅうか雪が降っていますけど。

7時45分、山頂着。

う〜ん、相変わらず見えませんな。いまいちスッキリしませんが、まぁ、こんな時もあるさー。

せっかくたくさんルートがあるのに同じ道で帰るのも何ですし、かといって南に下りすぎると車まで戻るのが大変なので、一つ下の霊鑑寺に出るルートで帰ります。登りの道はトレッキングコースっぽいですが、こっちはやっぱりマイナールートらしく、普通の登山道のような感じです。市街地に出たら、哲学の道をちょいと歩いて9時前にゴール。

今回の行程図。やっぱり便利なアプリだな。

2011-12-23

・NETSUKE #001-044

前の携帯と比べて、iPhoneは横幅は広いのですが厚みが薄いのでポケットへの収まりは意外と良いのです。しかし幅の広さと、ストラップが付けられないことも相まって、電話が鳴ってもなかなか取り出せないこともしばしば。

そこで…

コネクタの横のネジを利用してストラップを付けられるアクセサリ。

1800円と高い

[22] 岐阜荘川村 六厩川 - たまにへこむ日記, , http://d.hatena.ne.jp/sed/20051010/1128960751

岐阜荘川村 六厩川

自転車 | 01:12

先週富山から「週末どう?」と電話が来たので、はくたかに乗って富山襲来。ちょっと金使いすぎ。

岐阜・御母衣(みぼろ)湖の東にある六厩(むまや)川を上流から御母衣ダム東岸に出る計画。総勢3名。ツーリングマップルは「がんばれば通れそう」みたいなコメントになっているが、ゲートを突破して 3km ほどで完全に廃道化、崩落倒木多数、4時間近くひたすら担ぎあり薮漕ぎありで、何とか六厩川橋到達(写真) ここから御母衣湖への道がさらにひどいことになっており、御母衣湖へ抜けるトンネルに達することができず*1、六厩川橋から 3km 地点で日没。「今日中に到達することは不可能」と判断しビバークすることに。シュラフがないのでひたすら薮を刈って毛布代わりにして就寝。

翌日全く同じ道を六厩に向け6時間かけて何とか退却。片道 15km 程度の道に丸二日を要する凄まじい企画になってしまった。遭難しないで済んだだけでもハッピーでしょう。ちょっとやりすぎた。反省。

結局、六厩川橋 〜 御母衣湖東岸を結ぶというトンネルは実在するのか、御母衣湖東岸は果たしてどこまで走れるのか、わからないまま退却したため、かなり心残りがある。近くに高速道路も走っているというのに、信じがたく荒廃した道。奥飛騨にはまだこの類の道が沢山あるようで、少し不気味な感じもします。

追記。

以下のページによれば、御母衣湖東岸 〜 六厩川橋間のトンネルは入り口が完全に埋まっているらしい。

http://doya.sytes.net/keiryu/m/7-1/7-1.html

国土地理院・1/50000の地図では御母衣ダム湖東側湖畔に沿って、森茂川の流れ込みあたりまで通じる道路が記載されていますが、この道路はすでに昭和45年頃から隋道が埋まっているため車は通れません。今は完全に土砂に埋没してしまい人も通れなくなりました。

1997年に突破した写真というのもあるのだが…。

http://www.geocities.jp/tdr2508401965/4a20a20s4.html

■ コース

10/9

六厩 R158 分岐付近 (0:15) 林道ゲート (0:30) 担ぎ開始部

(4:30) 六厩川橋 (3:00) 秋町隧道付近? 日没

10/10

秋町隧道付近 (2:00) 六厩川橋 (4:00) 担ぎ

[23] 秋町隧道と 六厩川橋 2, , http://www.geocities.jp/tdr2508401965/4a20a20s3.html

秋町隧道と 六厩川橋 2

昔の道路と 森茂川が 御母衣ダム湖水に 流れ込む 合流

橋が 見えた

橋に 近づいた

六厩川橋と 橋から西を見る

未完成

秋町隧道と 六厩川橋 3

六厩川橋 画像 音声

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[25] 秋町隧道と 六厩川橋 1, , http://www.geocities.jp/tdr2508401965/4a20s2.html

秋町隧道と 六厩川橋 1

岐阜県の真ん中より 西北に 御母衣ダムがある そのダム 東に

廃村になった 部落 森茂がある。 そこから 森茂川沿いに

西へ 行くと 六厩川橋 秋町隧道トンネルがある。

森茂川沿いの土砂崩れの道

1998年 平成10年 10月10日(土 体育の日)

森茂川 南 林道の 土砂崩れの地点から 西へ 歩いて

約3km進んだ 秋町隧道トンネルを 目指した。

今年の 第3回 9月 三重 和歌山ツーリングは 2台無事に スケジュールを

消夏できた。 その2日後 9月17日(火)あたりから 天候は 曇りの日が

20日ぐらい 続いた。 ほんとうに 毎日毎日 ぐずついて 曇りか 雨ばっか

だった。 10月上旬に なったら こんどは 暑い日ばかり 半袖で過ごす日が

続いた。 10月6日(火)あたりに ようやく朝方 冷え込むように なった。

それまで 掛け布団は 薄い夏用のだったが 9日(土)に ようやく 分厚い

掛け布団に かえた。 ほんとうは 9月26日(土)に 冒険を 予定していたのに。

10月9日(金)仕事を終え 家に着き 玄関のカギを開ける前に 東側に

しまってあった バイクを 押し出した。 エンジンをかけてみる。 かかった。

すぐにエンジンを止める ひと安心。 家ん中に入り 洗濯 夕食 風呂を すませて

録画してあった 秋の踊る大走査線SPを見る。 PM9:20ごろ 電話が鳴った。

出ると いつも上機嫌のD氏からだ 画面見とった? って、 こちらは めずらしく

F2 F3の電源が切ってあった。 んにゃ、 これから M氏の 誕生日会やるから

こんかね? って、 うちはもう パジャマだった。 結局行くと 返事をした。

ちゃっと 着替えて ここ2〜3ヶ月電源が入れてある 携帯を持って スプリンターの

ドランクから 6MのANTをだして 家を出た。 途中 姫を乗せて ファミレスへ

向かう。 着き駐車場へ いんちき止めして 店内へ入る。 レジ前で ローカルらは

空席待ちをしていた。 D、M、E、姫、H、そしてP氏 だが空席待ちを していたのは

P氏ではなかった。 人 間違いだった。 P氏は 来ていない。 計5人。

ようやく 席に着き ピザ 大盛りポテト ケーキ ドリンク注文、 のち 各

[26] にしみやうしろ仮駅 荘川営林署林鉄六厩川線~その2~, , http://nishimiyaushiro.blog18.fc2.com/blog-entry-181.html

謎の多く雲を掴むような荘川営林署の森林鉄道ですが具体的な資料も得ています。 それは名古屋営林局が毎年まとめていた統計資料。 毎年度の事業に関する損益計算書、貸借対照表などでめちゃくちゃ堅そうな資料だなあ・・・と敬遠する人が多そうですが、各営林署ごとの森林鉄道(林道事業)の数や距離、1954(昭和29)年度以降は林業機械数一覧があって林鉄の車両数も載ってます。 新規建設区間の距離や保線工事を行った距離の一覧までも載っており(但し距離だけでどこの区間かは分からない^ ^;)色んなことが読み取れます。 というわけで荘川営林署の林鉄関係を抜き出すと・・・ 1965(昭和40)年度まで路線としては存在してますが、実際の林鉄としての使命はダム工事中の1959(昭和34)年度中には終わっていたことが分かります。 電源開発の御母衣ダム建設の補償として代替林道が建設されて林鉄は撤去されました。 その林道も今は結構は移動になった部分があり、かつて六厩川、森茂線分岐点付近の上に架かる「六厩川橋」や「秋町隧道」が廃道ファンには人気なようで・・・(うちは流石にそんなおっそろしいとこまでは行きませんよ~ ^ ^;) 荘川村の住民も反対運動では「死守会」とまで称し強固な反対をしていましたが、電源開発が誠意ある態度を示し円満解決したことは「荘川桜」のエピソードで有名ですね。 合掌造りの村の片隅を林鉄が走っていた風景も画像記録として残っていたら良いのですが。

履歴

[28] この記事はSuikaWiki Worldに作成されました。 に最終更新されました。 https://world.suikawiki.org/spots/23438054529288228

メモ