牛渕隧道

牛渕隧道

[1] 牛渕隧道

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[2] ミニレポ第239回 菊川市の『初代』牛渕隧道 , , http://yamaiga.com/mini/239/main.html

【周辺図(マピオン)】

ミニレポ第206回 で、静岡県菊川市の市道沿いにぽっかり口を開けている、 牛渕隧道 という廃隧道を取り上げた。

道路トンネルの古い教科書みたいな姿をしたコンクリートブロック造りの古隧道で、右書の扁額に「 昭和六年十二月竣功 」の文字が刻まれていたため、昭和6(1931)年竣工と判明した。

探索中、隧道の東口前(右の写真の矢印の位置)に「 隧道之碑 」と題された立派な記念碑を見つけていたが、漢文で書かれていたため現場では内容を確認せず、碑面の撮影をして写真だけ持ち帰った。

帰宅後に解読を試みると、碑文は次の通りであった。

隧道之碑

牛淵隧道係于明治二十五年之開鑿爾来従経

年所修繕費漸如行人危険亦伴之放不乎有■

者胥謀建新道開鑿之計而成者即此隧道也明

治四十三年十二月起工明治四十四年十二月

竣工所要費額壱千八百拾七円也于茲記其来

歴併録関係者之氏名以為記念

発起者

後藤平作 内田金作 内田良平

内田久七 後藤治作 近江虎蔵

内田牛松 後藤梅吉 加藤儀平

後藤傳次郎 後藤善作 後藤勇八

石工 (2名 …略)

土工 (2名 …略)

大正元年八月一日 六郷村牛淵区

【書き下し文】

牛淵隧道ハ明治二十五年ノ開鑿ニ係リ

爾来経年ニ従リ修繕スル所ノ費(つひえ)漸加シ行人ノ危険モ亦之ヲ伴フ

是ニ於テ有■者胥ヒ謀リ新道開鑿ノ計ヲ建テヽ成スハ即チ此ノ隧道ナリ明

治四十三年十二月起工明治四十四年十二月竣工所要費額壱千八百拾七円ナリ

茲ニ其ノ来歴ヲ記シ併セテ関係者ノ氏名ヲ録(しる)シ以テ記念ト為ス

【意訳】

牛淵隧道は明治25年の開鑿で作られたもので、以来経年により修繕費が次第に増加し通行人の危険も伴うようになった。そこで<有■者>が協議し、新道開鑿の計画を建てて完成させたのが、この隧道である。明治43年12月に起工し、44年12月竣工、要した費用は1817円であった。ここにその来歴を記し、関係者の氏名を併記して記念とする。

牛渕(淵)隧道は明治25(1892)年に開削されたが、老朽化により通行が危険になったため、明治44(1911)年に新隧道が開削された。そのことを記念して大正1(1912)年に建立されたのが、この「隧道之碑」だった。

現在ある牛渕隧道よりも古い初代の牛渕隧道が存在したことを明かす衝撃的な内容だったが

[3] ミニレポ第206回 菊川市の牛渕隧道, , http://yamaiga.com/koneta/koneta_206.html

【周辺図(マピオン)】

静岡県の中西部、掛川市や菊川市などがある大井川と天竜川の両下流部に挟まれた丘陵地は、県内の隧道多産エリアとなっている。例えば関東の房総半島や三浦半島、或いは九州の国東半島など、全国区の名だたる“隧道王国”には及ばないものの、中部エリアでは最大の多産地と言えるだろう。当サイトでも、変わり種の こんな隧道 を以前紹介しているが、もちろん氷山の一画であった。

なぜこの辺に隧道が沢山あるかという問いは重要だが、今回は肩肘張らないミニレポである。とりあえず物を見て頂きたい。

紹介するのは、菊川市にある 牛渕隧道 である。

市役所がある街の中心地から1〜2kmの近場にあり、現在の地図には“如何にも旧トンネル”といった感じで慎ましげに描かれている。

ここはとても気軽に訪れる事が出来る、夕暮れ前の時間埋めにも最適な探索対象だった。

2015/3/9 16:26 《現在地》

さて、雨の日の少しだけ憂鬱な夕方にやって参りました、牛渕隧道が地図に描かれている峠。

峠と言っても相当に気軽なもので、広く切り開かれた切り通しと麓の高低差は20m程度かな。

この道の路線名は知らないが、普通に生活道路として利用されているから、菊川市道なのだと思う。

…お分かりいただけました?

もう、お目当ての物は、見えていますですよ。 にぱー。

う〜〜ん、 お手軽だ!

でも、なかなか年季の入った佇まいが、ここからでも見て取れるぜ。

こいつは、ただの時間潰しや数稼ぎという気持ちで当たるには、勿体ない逸品だろう。

胸に熱いものを感じた私は、濡れた体の不快さも忘れて、案外に深そうな闇へ歩み寄った。

おうふ!

こいつは、ますます侮れねーゾ。

見所は年季の入った坑門だけではなく、

古隧道の箔付けに一役買う重要定番アイテムが、

勢揃いじゃないか!

それ即ち、

お地蔵 と、

記念碑 だ。

こいつは捗る!

しばしばこのように隧道前で見かける地蔵と記念碑は、共に思いを託された石という共通点を持ちつつも、異なる目的で存在している。

前者は、往来の安全を願うという他者に対する「優しさ」によるもので、道路や隧道と同じように敢えて功績を誇らない、無記名の精神によるものだろう。

後者は、隧道という利便を今日に与えてくれた先人に対する「感謝」と、それを子々孫々に伝えてゆきたいという「

[4] ミニレポ第239回 菊川市の『初代』牛渕隧道 , , http://yamaiga.com/mini/239/main2.html

16:43 《現在地》

リベンジ果たす初代隧道の発見はとても嬉しいし、それが開口していたことも、喜ぶべきことだろう。遺構の現存度という意味で。

しかし、悩ましくもあった。

正直、もっと遙かに開口部が狭かったり、明らかに水没していたりしていたら、「入らない」ではなく、「入れない」という表現を使えるので、残念ではあっても悩ましいということはない。だがこれは、物理的に入ろうと思えば入れちゃうぎりぎりのラインである。だから悩ましい。

とにかく、ひたすら気持ち悪い坑口だ。

まだ外にいるというのに薄暗いし、穴に風が感じられないし、狭いし、土だし、濡れているし、狭いし、全身汚れるだろうし、狭い。

狐狸の棲家そのもので、人の居るような空間ではない。廃道には美しかったり爽快だったりするところもあるが、ここはひたすら地味で土まみれだ。

絶対に人気の探索スポットにはならないだろう。

まずは穴の前に這いつくばって、両手で掲げたカメラで穴の中を覗いてみた。

この行為をした時点で、一線は越えた。

もう着衣の腹側は濡れた土まみれである。

そうまでして (←でも入口に立ったに過ぎない) 覗いた穴の内部は、この手の埋もれかけた坑口のご多分に漏れず、下り坂だった。

しかし、普通の坂道は立って歩くものだが、ここは屋根のある滑り台だ。 …ビルのダストシュートにはもっと似ているが。人間が入ってはいけない匂いがプンプンする点も。

それでも、奥の方には立ち上がれそうなくらいの広い空間の存在が感じ取れた。

中が広いと分かると、俄然、探索の意欲は刺激された。

人間ボッシュートされてきます。

さすがに頭から潜り込んでクマでも潜んでいたらシャレにならないので、セオリー通りに足からいく。

まさに滑り台のようだ。これで腹も背中も全面的に土まみれ。夕方の僅かな探索だけで、こんなに汚れることができるというのが、廃道の凄さ。オブローダーの洗濯場は土の匂いが絶えないのである。

チェンジ後の画像は、胸まで穴にくわえ込まれた状況で撮影した、名残りの空だ。地上だというのに、まるで地底のように薄暗い場所だというのが、よく分かると思う。そのうえ、耳元でさっきからヤブ蚊がうるさいことこの上なかった。この点でだけは、早く穴の中に入りたいと思ったほどだ。

こうして私は、念願の(?)初代隧道の内部へ侵入を果たしたのであった。

履歴

[5] この記事はSuikaWiki Worldに作成されました。 に最終更新されました。 https://world.suikawiki.org/spots/25645855941279130

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