渋谷川

渋谷川

[1] 渋谷川 (しぶやがわ)

Webページ

[2] 渋谷川 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B8%8B%E8%B0%B7%E5%B7%9D

渋谷川(しぶやがわ)は、東京都渋谷区の宮益橋(穏田川・宇田川合流点)から天現寺橋までの2.6kmを流れる二級河川。渋谷区と港区の境界である天現寺橋(笄川合流点)から浜崎橋先の河口までの4.4kmは古川(ふるかわ)と名前を変える。

[3] 渋谷川暗渠、2度めの移設 : 東京の水 2009 fragments, , http://tokyoriver.exblog.jp/21602941/

諸般の事情で半年以上更新が滞ってしまいましたが、ぼちぼち再開していこうと思います。久々の記事は、最近一部で話題となっている、渋谷駅前の渋谷川暗渠のお話を。 +++++++++++++++ 渋谷川やその水系の暗渠については、本サイトのもととなった1997年版の「東京の水」でとりあげ、その後2005年の「東京の水 2005 Revisited」でも詳細に辿った。また、暗渠本「東京「暗渠」散歩」でも1章を割いて記した。そんな風に個人的に馴染み深い水系だ。 一方で、近年のブラタモリや「アースダイバー」、地形ブームなどで、渋谷駅前、稲荷橋の下で暗渠区間から姿を現す渋谷川は、今や「暗渠」の代名詞とも言える風景として知られるようにもなった。 下の写真は2005年撮影の、渋谷駅南側のビルの谷間を流れる渋谷川。水はほとんど流れていない。

■渋谷川の暗渠の中 2013年夏、テレビ番組の撮影で、この渋谷川の暗渠の中に少しだけだが潜入する機会があった。3月に東急渋谷駅が地下に移設され、6月には駅周辺の再開発事業計画が正式決定、いよいよ駅前の再開発が本格的に始まる時期。これを逃すともう中に入る機会は訪れないかもしれない、ということもあり引き受けた案件だった。 長靴を履き、稲荷橋の暗渠開口部脇から護岸を川底へと降りる。

最初の写真でご覧のとおり、通常このあたりはほとんど水が流れていない(その理由は後述)のだが、この時は水かさが10cm以上はあった。前日の大雨の影響もあるだろうが、川底には藻も繁殖していて最近恒常的に水が流れていることを示している。渋谷駅周辺の工事の影響で地下水や漏水が出ているのだろうか。

[105] 【渋谷駅東口】封印されし“渋谷川”の蓋が開けられたと好事家の間で密かに話題 - NAVER まとめ, , http://matome.naver.jp/odai/2139070950965824001

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[106] 【渋谷駅東口】封印されし“渋谷川”の蓋が開けられたと好事家の間で密かに話題 - NAVER まとめ, , http://matome.naver.jp/odai/2139070950965824001?page=2

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[107] 東急電鉄が渋谷川を再生 渋谷駅南側、憩いの場に :日本経済新聞, , http://www.nikkei.com/article/DGXNASFB01046_R00C13A2L82000/

東京急行電鉄は渋谷駅南側の再開発に合わせ、渋谷川を人々が憩える水辺に再生する。現在の渋谷川は雑居ビルや東急東横線の線路に挟まれて人が立ち寄れず、水質も悪い。東急電鉄など地権者が老朽化した川沿いのビルを撤去して広場や遊歩道を設ける。東京都と連携して川の水質も改善して「オアシス」をつくり、渋谷駅南側の街を活性化する。

[108] 東京の水 2005 Revisited:原宿村分水(6)代々木小学校南の暗渠 - livedoor Blog(ブログ), , http://blog.livedoor.jp/tokyowater/archives/27334604.html

[[[渋谷川水系]]]

[渋谷川上流・宇田川概要]

[渋谷川中流・下流(古川)概要]

[笄川概要]

[鮫河/桜川概要]

[渋谷川流域全体標高図]

【渋谷川上流(穏田川)】

ー[全記事]|

[鳥瞰図]ー

┣玉川上水余水

┣原宿村分水(代々木川)

┃┗明治神宮北池からの小川

┗明治神宮南池からの小川

┗明治神宮東池・東郷神社からの小川

【宇田川】

ー[全記事]|

[鳥瞰図]ー

┃┣上原支流

┃┣西原支流

┃┣富ヶ谷支流

┃┗神山支流

┣河骨川

┣初台川

┗神泉・松濤支流〜三田用水神山口分水

【渋谷川中流】

ー[全記事]|

[鳥瞰図]ー

[目黒台地(三田用水)からの川]

┣鉢山口分水

┣猿楽口分水

┗道城口分水

[青山台地の川と湧水]

いもり川

笄川

┣長者丸支流

┣根津邸支流

┣蛇が池支流

┣龍土町支流

┣高樹町支流

┗豊分支流

【渋谷川下流(古川)】

ー[全記事]|

[鳥瞰図]ー

[白金台の川と湧水]

┣三田用水白金分水/自然教育園からの川

┣旧白金三光町支流

┗玉名川

[麻布台の川と湧水]

┣有栖川宮記念公園

┣旧本村町支流、釣堀

┣旧宮村町支流とがま池

┗薮下〜麻布十番の支流(赤羽川)

【鮫河/桜川】

ー[全記事]

桜川

┣鮫河橋谷(四ッ谷)

┣千日谷(信濃町)

┣清水谷(紀尾井町)

┣太刀洗川(赤坂)

┗弁天池、もみじ谷(芝)

※青字は今後公開予定

[[[神田川水系]]]

[弦巻川・水窪川概要]

【弦巻川・水窪川】

ー[全記事]ー

・弦巻川

・水窪川(東青柳下水)

[127] 六本木、麻布十番、元麻布の川跡(1)がま池からの流れ : 東京の水 2009 fragments, , http://tokyoriver.exblog.jp/13955876

六本木、麻布十番、元麻布の谷筋の水を集めて流れて古川(渋谷川)に注いでいた小川の痕跡を再訪してきました。東京の水2005revisitedで、5年前にすでに詳しく記事にしていますが、なかなか面白いエリアですので、最新の写真をメインに2005年の写真、1997年の写真も織り交ぜて、何度かに分け、再度紹介してみます。六本木のところは、先日ちょうどブラタモリ最終回でも取り上げられていました。 ==================================================== まずは元麻布2丁目の「がま池」から流れ出していた小流を追ってみよう。 麻布十番から枝上に分かれる谷の一つに、有栖川宮記念公園の南側、谷頭の窪地には江戸時代より有名な「がま池」(「蝦蟇ケ池」)が残っている。「がま池」の名は、池に棲んでいた大きなガマガエルに由来するとされており、いくつか伝説が残っている。がま池の由来やその変遷については、こちらのサイトが詳しい。 明治時代の地図には、大きな池の姿が描かれている。この時点で池の広さは1600平方メートル。池の北側からは川が流れ出し、北側の谷へと続いている。

「五千分の一東京図測量原図 東京府武蔵国麻布区永坂町及坂下町近傍(明治16年)」より 現在の池の姿は、googlemapの空中写真で確認できる。池の広さはおよそ600平米。池の北側が埋め立てられ、池の上にせり出すかたちでマンションが建っている。中島はおそらく明治の地図に描かれているのと同じものだ。どんな旱魃の時でもかれたことがないと言われた池の湧水も、1990年代に入るとほとんど枯渇してしまい、現在は、循環水で水面を維持しているようだ。

大きい地図はこちら 現在、住宅街の道路端と、とあるマンションの玄関脇にがま池の説明版が掲示されているものの、先のマンションの中庭となっていて、入ることはおろか見ることもできない。マンション入り口の看板には池を公開している旨書かれているが、聞いてみたところ公開していないとの回答。5年前に訊いたときにも、一時的に取りやめているといっていたが・・・現在のマンションは2002年に建替えられたもの。その際は建設業者が池の公開を約束したというが、どうも有名無実になっているようだ。 池の周囲も住宅に囲まれていて、その姿を見ることは不可能だったのだが、数年前に池

[128] 六郷土手の 止め天神 « 庵魚堂日乗, , http://tanken.life.coocan.jp/weblog2/?p=326

多摩川にかかる六郷橋です。

海から約6キロ。きょうはこの周辺を特にあてもなく探検です。

六郷橋のたもとに祀られている北野天神社、通称“止め天神”。

徳川将軍・吉宗の落馬をすんでのところで止めたことからこの名前になったという由緒のある社です。

将軍が毎週元気に暴れることができたのは、この天神様のおかげだったわけですね。

さて参拝。 ちょ、ちょっと待った。

境内に置かれていた石橋の欄干。

サイズからして、もう少し内陸を流れていた六郷用水に架かっていたものでしょう。‥‥多摩川に架けるにはちょっと小さい(笑)

大田区内には、かつて六郷用水の周辺で収穫された野菜などを洗っていた「洗い場」の名残りが各所にあり、南六郷には「河原橋下洗い場」という名前が残っています。

ネットを検索すると、境内にあるこれが「踏み石」と説明されているのがいくつか見つかりますが、どう見ても石橋の欄干です。

用済みになった欄干がなにかの成り行きで奉納されここに置かれたもので、もともと踏み石なわけではないはずですが。

止め天神の狛犬。

躍動感ある阿形と、静かに構える吽形。動と静の対比が際立つ姿です。

その近くに保存されているのが、かつて多摩川に架かっていた旧六郷橋の遺構。

大正十四年から昭和五十九年まで使われていたもの。

立派な姿です。

[137] 東急東横線代官山~渋谷間地下化工事(2009年3月21日取材) - Reports for the future ~未来へのレポート~, , http://mirai-report.com/blog-entry-88.html

去る、2008年6月14日、小竹向原~渋谷間に東京メトロ副都心線が開業しました。この副都心線は3年後の2012年より、渋谷から東急東横線へ直通する計画となっており、現在東横線代官山~渋谷間の地下化及び急行・特急停車駅のホーム延伸(10両化)が進められています。本記事では前者の地下化工事に関してレポートしたいと思います。(なお、 本記事は今年3月下旬時点の情報を基に作成しているため、さらに工事が進んだ現在とは異なっている個所が多々あります 。ご了承ください。) 写真1枚目:唐突にレールが終わる副都心線渋谷駅の南端。3年後の今頃は、ここから「元町・中華街行き」の列車が発車していくはずだ。(2008年7月6日撮影) ■地下新線の計画 東横線代官山~渋谷間の線路位置。黄色の線が現在線、赤色の線が地下新線(一部現在線と重複している)を示す。 (C)国土交通省 国土情報ウェブマッピングシステム カラー空中写真データ(平成元年)に筆者が加筆 地下化されるのは東横線代官山駅の渋谷寄りから先の区間です。平面上のルートは代官山駅から、並木橋(八幡通り)付近までは現在線の直下を通り、その後S字カーブを描きながら民有地を横切り、明治通りの地下に入ったのち、既開業部分である副都心線渋谷駅の南側に接続します。現在線はJR山手線を越えると急カーブで進路を東から北へ変えていますが、地下化後も急このカーブは残ることになります。 地下新線のトンネル断面と工法 一方、縦方向のルートは代官山駅の中ほどから線路は徐々に高度を下げ、渋谷1号踏切の直前で地下に入り、そのまま渋谷川と交差するまで下りが続いたのち、わずかに水平な区間を経て勾配上にある副都心線渋谷駅に接続します。この水平部分は駅入口の分岐器(ポイント)を設置するスペースであると思われます。使用される工法は代官山駅東側の地下入口からJR山手線の交差部分までが開削工法、そこから渋谷駅手前の水平部分までがシールド工法、そこから副都心線渋谷駅までが開削工法となっています。 このうち、シールド工法については鹿島建設と川崎重工が共同開発した「 アポロカッター工法 」が使用されます。この「アポロカッター工法」は長方形に近い2つのシールドトンネルが一体化した構造で、従来の正円形のシールドトンネルと比較して掘削断面を削減することが可能です。掘削はシールドマシンの先端

[141] @nifty:デイリーポータルZ:ダンボールで渋谷駅の地下地図を作る, , http://portal.nifty.com/kiji/130510160573_3.htm

1枚1枚はがしてゆけば階層構造がわかる。わかる。わかるのだがちょっと地味である。

ゴミではないが、端材っぽい。進化はしたがまだ「これ捨てておきましょうか」と言われかねない。そこでこのようなパーツを作った。

[142] 大谷口すり鉢エリア① マチュピチュ編: 暗渠さんぽ, , http://kaeru.moe-nifty.com/ankyo/2010/02/post-2ec0.html

やっと、大谷口に行けました。 ここは、去年ある方から教えていただいた場所です。すり鉢的には有名な場所なのかもしれませんが、私にとってはかなり魅力的でありながら、自力で辿りつくのは難しい情報だったと思います。

ある方、というのは、偶然にお会いした、河川・暗渠好きの方で、私が荒木町のすり鉢が良かったという話をしたら、大谷口を教えてくださいました。私より年若ながら、東京の地形のことをよく知っている人で、「若いのに、すごいなぁ」なんて感心した覚えがあります。

あちこちとさんぽしてきましたが、板橋はなかなか遠い印象がありました。が、ようやっと。大山の駅を降ります。以前、日大病院にお見舞いに行く機会が何度かあり、通るのはそれ以来です。大山の商店街を見るのは、サンドウィッチマンがM1取ったとき以来なので、これまたやや久しぶり。

そういえば以前大山のアーケードを歩いた時は、厚底ブーツを履いていました・・・ずいぶん前のことですね。あの頃は厚底なんて「全然」疲れませんでしたが、今じゃ数メートルで疲れるでしょうね、きっと。バランスだって、取れないかも。

アーケードを抜けると、「ハンサムらーめん」。うわぁw。・・・いや、でも、「ハンサム」という単語がむしろ新しく感じます。 その隣に材木屋さん。ここらへんたしか、千川上水が通っていたと思いますが、上水沿いにある材木屋さんって、どういうことなんでしょう。尾根沿いのわりかしまっすぐな運びやすい道があったということなのでしょうか。

さて、今回の第一の目的は「すり鉢を堪能する」なのですが、大谷口すり鉢エリアを通過するらしい、石神井川の支流をも堪能する予定です。

そこで、その水源といわれる大谷口1丁目のほうに向かいます。日大病院の脇を通過。 そしたら、もう無いものだとおもっていた、給水塔が見えました。リニューアルされていたんですねぇ。あたらしいけど、カタチは昔のものと同じなんですね。かわいいよなあぁ、あの帽子。

そして水源はこの近くみたいなのです。

もう遺構も、暗渠くささも何もない、きれいに舗装された道や、比較的新しい家が立ち並び・・・

でもこの道は、なんとなくあやしい。水源から、ここを流れ、すり鉢に向かうのでは・・・なんて、なんのあてもないのに勝手に妄想です。

その怪しい道の向い、コンビニの脇から北に向かおうとすると、おもむろにガックン!!と急降下し

[143] 大谷口すり鉢エリア② 風呂釜支流(仮)編: 暗渠さんぽ, , http://kaeru.moe-nifty.com/ankyo/2010/02/post-7a01.html

前回の続き、大谷口から石神井川に注いでいた支流を、河口から遡ります。

河口近く、最初の道路はちょっと広めの立派なものでした。 道沿いにあった、ちょっと惹かれる一角。食堂と、むかし本屋さんだったらしき店。

てくてく。あまり川らしさが無い道だったので、ほんとにここで良いのかなあ、とちょっと疑わしく思っていたところに、公園がありました。見てみると、「さくらづつみ公園」!

堤!? 立派めの桜がいっぱいありました。桜堤、なんて場所があったのだとしたら、なんだかすてきですね。

そしてその先の流路はあてずっぽうです。なんとな~~く歩いていくと、いきなり出現しました!

車止め×コンクリ蓋の完全体が!!

わーーー!やったぁ、なぜだかすっごくウレシイ! 初めて歩く、板橋の蓋暗渠です。

よく見ると、コンクリ蓋のサイドに、穴が開いてます。それから、ひとつひとつの奥行が、杉並のソレよりもずっと長いです。

まあ、杉並の中でも規格が違うことはあるのかもしれないですが、それにしても、「おお、なんだか蓋が違うぞ」というのが第一印象でした。

さて、支流を遡ります!

すっごいワクワクします~。

いままで辿ってきた暗渠とのもうひとつの違いは、圧倒的な私有地感、でしょうかw こういう物置がどっかり置いてあったり、所狭しと植木?があったり、いろいろ、いろいろ・・・

なかでもスゴかったのは、これ。

お風呂の浴槽・・・ですよねぇ。 でもって、タイヤですよねぇ。半分はプランター・・・?

でも浴槽があったのはここだけじゃなくて、この先にも、いくつもあったんです。ベビーバスも、何個も・・・w ベビーバスには雨水が溜められていたりして、用途はさまざまなのかもしれませんけど、ともかく風呂釜の多いこと!・・・てなわけで、ここは「風呂釜支流(仮)」と名づけることにいたしましたw

もすこし先には、こんなガタガタ・エリアが。

ぱっと見はちょっと怖いですが、歩いてみるとべつにガタガタ動くわけではなかったです。 スキマから底を見ようとしましたが、微妙に見えませんでした。(・・・おそらく、水は流れていないようでした)

かなりワンダーランドな風呂釜支流(仮)蓋暗渠部分でしたが、全長は短いものです。

そろそろ終焉・・・の前に、なんだか意味不明な場所でクライマックスですwなんだか色々なもんが釣り下がってます・・・

・・・罠? 罠なのか・・・?

[144] 小さすぎる公園めぐり(渋谷・新宿・池袋方面) - デイリーポータルZ:@nifty, , http://portal.nifty.com/kiji/131115162364_1.htm

3年前、自宅の近所でものすごく小さい公園を見つけた。あまりの小ささに驚き興奮して、いろいろ調べたらほかにもものすごく小さい公園があるらしいことを知り、いくつかの公園をめぐった記事を書いた。

その後、いろんな場所でものすごく小さい公園を見つけ、小さすぎる公園見たい欲が燃え上がった。そこでふたたび、小さすぎる公園を探して歩き回った。

今回は東京でも有数の繁華街を抱える渋谷区、新宿区、豊島区である。

[145] 昭和記念公園内を歩く: 暗渠さんぽ, , http://kaeru.moe-nifty.com/ankyo/2009/11/post-6d40.html

ふたたび、立川周辺です。と、いっても、このときは、たんにコスモスを鑑賞し、公園で昼ビールでも飲んで癒されよう、という目的で昭和記念公園に行きました。

そう、「今日は暗渠抜きよ」みたいなかんじで・・・。

ちなみに昭和記念公園っていうと地下シェルター説が気になりますが・・・そして中央線のここらへん、軍事萌えが活性化するエリアなんですが・・・

ふつうに公園日和を楽しんでいて(ふつうの公園日和の写真は割愛w)、そういえばここって川が流れていたな、と、川のほうへ行ってみることに。

残堀川(狭山池を水源とし、立川にて多摩川と合流する)。開渠が公園をぐるうっと通っています。ま、それはそれで。

で、ふと、川のすぐ脇に側溝が走っていることに気づきました・・・。わああ、こんなのあったんだ・・・!

見下ろすと、わりときれいな水がなみなみと流れています。ちょっと、うれしくなるほどに。 周囲の景色とあわせると、暗渠っぽいふんいきを醸し出しているのに、暗渠ともいいがたい。しかし開渠とも言いがたいぞ。なんと呼んだらいいのかな・・・そうしたら、連れのひとが、「半渠」と表現してくださるではないですか。ナイスネーミング!

ちなみに、横を流るる(はずの)残堀川はこうです。のぞきこんだら、カラッカラでした。

このカラッカラ、と、横の半渠のなみなみ、の対比が興味深すぎます。いったいなぜこんなことが・・・?半渠の水は、いったいどこから、どこへ・・・?

もう気になって仕方が無いので、追いかけてみることにしました(トイレ休憩もはさみつつw)。

途中、こうやってコンクリ蓋の終点があって、でもそれを我慢して遡ると、また出現して・・・の繰り返し。しばし黙々歩きます。

昭和記念公園、何度も来ているのに、こんな側溝知らなかった・・・当然といえば当然かもしれないけど。芝生でねころんだり、花見でどんちゃんやったり、それで帰るだけだと、この端っこをひっそり通っている流れには出会えないわけです。

突如、開渠になります。

サイクリングコースのすぐ脇だからでしょうか、とつぜん綺麗に整備されています。今までの、端っこボウボウ未整備地帯からすると、面食らうほどに。

そして、立て札が出現。 「立川分水は、1737年(元文2年)に玉川上水から水を分けました。水道施設が広まったため生活用水に使われることはなくなりましたが、現在も農業用水として利

[146] 小沢川支流を歩く 蛇窪支流(仮): 暗渠さんぽ, , http://kaeru.moe-nifty.com/ankyo/2010/06/post-26c2.html

久しぶりの杉並、久しぶりの小沢くんです。実は本流歩きのときに見つけた小沢川支流を、1ブロックだけ歩いてあとは見つからないとか言ってあきらめていました。そして後日、杉並区史跡散歩地図でその上流部の流路があることに気付いたのですが、たぶん痕跡などなかろう、と、後回しにしていました・・・。わたしのこの、1ブロック無かったらあきらめるクセ/少し知っている場所だと何もなさそうだと決めつけるクセ、は、いかんですね。時々出てしまいます(たぶん持久力が無いので自分エコに走るんじゃないかと・・・)。

しかし、何かあるかもしれないじゃないか!そんなわけで始まる、東高円寺スタートの、小沢川支流さんぽ。 青梅街道沿いに、鰻屋さん”小満津”(元は京橋に在ったらしい老舗、なかなか美味しいです)が移転してきてました。ほんの数メートルの距離にあった、以前の店舗は一体?と見に行きましたら、散歩かふぇなるものができてました。うーん、気になるネーミング。さんぽ好きにはたまらん内容ですし!このときは開いてなかったので、ぜひ開店時に行ってみたいです。

さて青梅街道から、南方向へと。杉並区と中野区の区境あたりに、”蛇窪””清水窪”などと呼ばれた場所があり、そこから小沢川の支流は始まっているようです。 それらしき場所の近くにはまず、クリーニング屋さんが2軒。こちらは残念ながら廃業されてるのでしょうか・・・

クリーニング屋さんの少し東に、杉並区史跡散歩地図で暗渠ラインが引いてある地点があります。それが、ここ。・・・あああ!この場所、そういえば道路の感じにちょっと違和感持っていたんだった~・・・車の奥に鬱蒼とした緑が見えると思いますが、もうめちゃくちゃ川跡っぽいです。早くあそこを見に行きたい! しかし家・家・家でなかなか近寄れません。ぐるぐる探していると・・・、

ぶっほー!!

・・・なんと見事なバランスのおうち!!すごいインパクトです。。

って、建物に気を取られている場合ではありません。まさにその家の真横を、支流が走っているのでした!!

さいわい駐車場があるので、落ち着いて絶景を眺めることができます。

見てください、この壁を。その向こうに生い茂る草たちと、暗渠のにおいを。

上流の方向を見ます。このように、ちょっとした崖になっています。いかにも湧水があったような感じです。

その崖下がこう。駐車場の壁と、茶色のフェンス

[147] マセ口川ピクニック: 暗渠さんぽ, , http://kaeru.moe-nifty.com/ankyo/2013/04/post-77da.html

肌寒かったり、雨ふりだったり。そんな日が続きますが、春らしい記事をふたつ、書こうと思います。ひとつめは、暗渠と開渠のピクニックのおはなし。

行先は、調布にあるマセ口(ませぐち)川。 これが正式名ですが、最初に「ませろ」と読んでしまったため、またそのほうが呼びやすいため、わたしは普段は「ませろがわ」と呼んでいます。 だから現地でも声に出して「ませろがわ」、と連呼するわけですが、それが聞こえてしまった地元の方がもどかしく思っているかどうかは、知りません。

以前、秋にマセ口川の水源を見に来たことがありました( ゲゲゲの湧水前編 )。また別件で調布を歩いていたときにマセ口川の脇をたまたま通り、「春にピクニックに来たらよさそう!」と、思っていたのでした。

そして、待ちに待った春がやってきました。

マセ口川の水源は、都立農業高校神代農場の敷地内。普段は入ることができません。 その、水源のある谷戸はかつてまるまる池で、池の谷とも呼ばれていました。いまでも湧水が豊富で、おそろしく澄んだ水を使い、ワサビ、ニジマス、ヤマメなどが育てられています。

ここは農場のすぐ下流側で、ここなら普段から一般人が出入りできます。

農場内を流れる澄んだ水を思い出しながら、フェンスに近づいていくと・・・なんと、湧水がはみ出ているではありませんか。

きれい・・・。

そしてはみ出ていた湧水は、農場の田んぼを通ってくる流れとここで合わさり、一度地下の管渠におとされ、地面の下にくぐるようです。

でも、その落とされたすぐ先にも浅い凹みがあって、あちこちからじゅくじゅく、じゅくじゅくと水が湧いていました。

みごとな湿地。自然のままの姿です。 ここも”神代農場南側斜面”という、調布の湧水点のひとつとして挙げられています。

この、はみ出し湧水と、じゅくじゅく湿地がいっぺんに見られる場所に、自分たちだけが立っている。すてきなお庭に居るような・・・。まだ朝でしたが、あまりの気持ちの昂りに、おもわず、乾杯 。(まだ咲いていませんでしたが、ここには桜の木まであるのです!)

この場所、豊水期に行かれたえいはちさんが 記事 にしていますが、やはり春とは水の量が違いますね (しかし暗渠写真の撮り方がものすごく被っていて、おもしろかったです)。

じゅくじゅく湿地のおわりには、橋のようなものがありました。 橋?の先で中央自動車道をくぐり、

[148] 宇田川 - Wikipedia, , http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%87%E7%94%B0%E5%B7%9D

河川名 [編集]

現在の東京都渋谷区内をかつて流れていた川。

同区代々木四丁目、初台、西原、大山町、上原あたりに複数の源頭をもち、一帯の田畑を潤していた。一部には北を流れる玉川上水からの漏水・盗水があったかともいう。童謡『春の小川』の題材となったことで知られる河骨川は、そうした支流のひとつであった。各支流は代々木八幡宮の南麓あたりでひとつに合流し、現在の井の頭通りにほぼ沿って南下、渋谷駅のすぐ北(宮益橋)で渋谷川に注いでいた。東京オリンピックを前に暗渠化され、現在は下水道(宇田川幹線)として用いられている。最下流の流路は西武百貨店渋谷店A館とB館の間に埋設されている。→ 渋谷川、穏田川も参照のこと。

渋谷駅西口の繁華街を擁する宇田川町の名は、上記宇田川の流路にあったことに因む。宇田川町は渋谷区の行政地域のひとつ。

現在の東京都港区内、日本赤十字社本社付近から浜離宮庭園南西端付近にかけて、東西を結んでいた500メートルほどの水路の名。 

一帯はかつて宇田川町と呼ばれ、同名の電停もあった。

神奈川県横浜市泉区から戸塚区にかけて流れる川。 

旧称村岡川。治水に尽力した宇田某の功により、大正時代に改称したという。戸塚区俣野町にて境川にそそぐ。

宇田川 (鳥取県) - 鳥取県米子市を流れる二級河川、流域に多くの湧水がある。水の郷百選「水と緑と史跡のまち」の中核をなす河川。

その他 [編集]

宇田川氏に由来する日本人の姓のひとつ。宇田川で始まる記事の一覧も参照のこと。

旧宇田川家住宅 - 千葉県浦安市にある史跡。

宇田川石油株式会社-茨城県土浦市に本社を置き、石油製品の販売(ENEOS)を主力とし、自動車の販売、損害保険代理業、飲食店経営などの事業を行う企業。 

関連項目 [編集]

宇田川で始まる記事の一覧

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[149] , , http://www3.ocn.ne.jp/~zeon/machi/ogawa/ogawa.htm

童謡「春の小川」は、代々木山谷(現在の渋谷区代々木5丁目あたり)を流れていた河骨川の情景を歌ったものである。水生植物のコウホネが群生していたことから河骨川の名がついたという、かつての清流は、いまや下水道幹線として暗渠化されている。春には岸辺に咲いたスミレやレンゲが咲き競い、メダカが群れ泳いだというが、その姿を偲ぶ術もない変わり果てた姿である。

筆者は歴史的発展を安直に否定する風潮に反感を覚える歴史家ではあるが、春の小川の変わりようだけは、負の文化遺産として紹介しなければなるまい。

また、「春の小川」の歌詞までが文部省(当時)によって改竄されたうえで音楽教材になっているとは、本当に河骨川も浮かばれない思いであろう。

人々は、自らの行いに恐怖すべきである。

[150] 迷宮・渋谷駅の構造を模型で展示 通勤経路を一目で :日本経済新聞, , http://www.nikkei.com/article/DGXNASFK1302L_U3A810C1000000/?df=2

地下鉄副都心線・東横線ホームから延びるエスカレーターは、幅が狭く行列が起こりやすい。模型をみると、乗り換えのボトルネックになっていることがよく分かる

[151] 玉川上水 - Wikipedia, , http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8E%89%E5%B7%9D%E4%B8%8A%E6%B0%B4

『玉川上水起元』(1803年)によれば、承応元年(1652年)11月、幕府により江戸の飲料水不足を解消するため多摩川からの上水開削が計画された。工事の総奉行に老中で川越藩主の松平信綱、水道奉行に伊奈忠治(没後は忠克)が就き、庄右衛門・清右衛門兄弟(玉川兄弟)が工事を請負った。資金として公儀6000両[2]が拠出された。

幕府から玉川兄弟に工事実施の命が下ったのは1653年の正月で、着工が同年4月、四谷大木戸までの本線開通が11月15日とされるが、1653年2月10日着工、翌年8月2日本線開通とする史料もある[3]。

羽村から四谷までの標高差が約100メートルしかなかったこともあり、引水工事は困難を極めた。当初は日野から取水しようとしたが、開削途中に試験通水を行ったところ“水喰土”(みずくらいど; 浸透性の高い関東ローム層)に水が吸い込まれてしまい、流路を変更(「かなしい坂」参照)。2度目は福生を取水口としたが岩盤に当たり失敗した。こうした事情を受けて、総奉行・松平信綱は家臣の川越藩士安松金右衛門を設計技師に起用。安松は第1案として「羽村地内尾作より五ノ神村懸り川崎村へ堀込み-」、第2案として「羽村地内阿蘇官より渡込み-」、第3案として「羽村前丸山裾より水を反させ、今水神の社を祀れる処に堰入、川縁通り堤築立-」を立案した。

この第3案に従って工事を再開し、約半年で羽村・四谷大木戸間を開通し、承応2年(1653年)11月に玉川上水はついに完成。翌承応3年(1654年)6月から江戸市中への通水が開始された[4]。しかし、工費が嵩んだ結果、高井戸まで掘ったところでついに幕府から渡された資金が底をつき、兄弟は家を売って費用に充てたという[5]。

庄右衛門・清右衛門は、この功績により玉川姓を許され、玉川上水役のお役目を命じられた。

なお、玉川上水の建設については記録が少なく、よく分かっていないことも多い[6]。安松金右衛門については三田村鳶魚の『安松金右衛門』に詳しく記されている。

給水地域[編集]

玉川上水の給水地域は『御府内備考』に簡略で分かり易く説明されている。

玉川上水 (中略)今、此上水、流末広大にして四谷・麹町より御本城へ入、西南は赤坂・西の久保・愛宕下・増上寺の辺、これ松平豊後守屋敷の辺、金杉左右海手すべて北手、南東方は外桜田・西丸下・大名小路一円、虎御門外、数寄

[152] 渋谷駅周辺の都市計画が決定…鉄道3社、渋谷駅周辺最大級のビルを建設へ (レスポンス) - Yahoo!ニュース, , http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130617-00000057-rps-bus_all

渋谷駅周辺の都市計画が決定…鉄道3社、渋谷駅周辺最大級のビルを建設へ

レスポンス 6月17日(月)23時59分配信

原宿方面から見た再開発完成後の渋谷駅周辺のイメージ。山手線渋谷駅の両脇に東棟(左)と西棟(右)、その中間に山手線の線路を覆う形で中央棟を設ける。

東京都は6月17日、渋谷駅周辺の都市計画を決定した。これにより同駅周辺の再開発計画は具体化の段階に移行。JR東日本と東京急行電鉄(東急)、東京地下鉄(東京メトロ)の3社は、渋谷駅周辺では最大級となるビルを建設する。 《画像:都市計画図やイメージパースなど》 今回、都市計画が決定したのは「渋谷駅地区駅街区開発計画」「渋谷駅地区道玄坂街区開発計画」「渋谷駅南街区プロジェクト(渋谷3丁目21地区)」の3事業。「駅街区」の事業主体はJR東日本と東京急行電鉄(東急)、東京地下鉄(東京メトロ)の3社で、「道玄坂街区」は道玄坂一丁目駅前地区市街地再開発準備組合、「南街区」は東急がそれぞれ事業主体となる。

渋谷駅地区駅街区では3棟のビルを設ける。JR渋谷駅の東側に高さ約230m、地上46階、地下7階の東棟を、西側に高さ約76m、地上13階、地下5階の西棟をそれぞれ建設。東棟と西棟の間には、現在の山手線の線路とホームを覆う形となる高さ約61m、地上10階、地下2階の中央棟を設ける。

また、各施設と東西駅前広場を結ぶ自由通路の拡充や、多層構造となっている各施設をエレベーターやエスカレーターで結ぶ縦軸空間、駅街区と宮益坂上方面、道玄坂上方面をつなぐ歩道橋(スカイデッキ)を整備。災害発生時の帰宅困難者を受け入れる一時滞在機能なども整備する。

敷地面積は約1万5300平方m、延床面積は約27万平方mで、渋谷駅周辺地区で最大級となるオフィス(貸床面積約7万平方メートル)と商業施設(店舗面積約7万平方メートル)を併せ持つ。東棟は2020年、中央棟と西棟は2027年の開業を予定している。

渋谷駅南街区では、3月16日の地下化により使用を中止した東横線の旧・渋谷駅と線路跡地を活用する。敷地面積は約7100平方m、延床面積は約11万7500平方mで、高さ約180m、地上33階、地下5階のビルを建設する。

また、国道246号をまたぐ東横線の高架橋を、駅街区と南街区を結ぶ歩行者デッキとして再利用し、旧・渋谷駅を象徴していたカマボコ屋根や目

[153] 迷宮・渋谷駅の構造を模型で展示 通勤経路を一目で :日本経済新聞, , http://www.nikkei.com/article/DGXNASFK1302L_U3A810C1000000/

9つの路線が乗り入れ、地下5階から地上3階まである渋谷駅。そんな複雑な「迷宮」渋谷駅の構造を模型でチェック――。東京・渋谷でユニークな展示が行われている。

田村准教授らが制作した100分の1スケールの渋谷駅。右上が井の頭線、その下側に見える広場がスクランブル交差点。左上がJR埼京線で、その手前が山手線。左手前がヒカリエ方面となる

渋谷マークシティWEST4階にある「クリエーションスクエアしぶや」で開催中の「渋谷駅体得展」では、渋谷駅の100分の1スケールの模型「渋谷駅2013」を展示している。制作したのは渋谷駅のスペシャリストとして知られる昭和女子大学環境デザイン学科の田村圭介准教授と同大学の田村研究室だ。

[154] 首都圏の主要道路の変遷メモ, , http://anond.hatelabo.jp/20140309230249

■首都圏の主要道路の変遷メモ

明治~現代の各時代の古地図が見れるサイトを見つけて、古地図&道路フェチとしましては、むさぼるように見入ってしまいましたとさ。

■今昔マップ on the web 首都圏編

で、主要道路がこれまでどんな変遷をたどってきたのか、知ることができた内容をメモ代わりに。

なお、情報源はこの今昔マップが主で、一部ウィキペディアからの情報で補足しているが、事実と異なる記述があったらご容赦。

自分の興味地域は、東京南部~神奈川なので、以下はそのエリアについてのみ。

【おもな放射道路編】

東海道(国道1号・15号)

日本橋~品川区間。

1900ごろ時点で現在の国道15号と同じルート。市電も敷設されていた。八ツ山橋が現在の道路形状になったのは1960ごろ。

品川~横浜間。

京急本線が1900ごろ時点ですでに敷設されているが、道路は現在の旧東海道のみ。

六郷橋は1900ごろ時点ですでに架橋されていた。

現在の国道15号品川~大森町駅間が開通したのが1930ごろ。川崎~新子安区間は1920ごろ。

横浜~平塚。1900ごろ時点で、おおよそ現在の旧東海道あるいは東海道に沿ったルート。

1900ごろ時点で、現在の横浜駅付近は鉄道以外は海で、当時の横浜駅は現在の桜木町駅付近にあった。

生麦~保土ヶ谷区間は、1930ごろには現在のルートになり、当時市電が走っていた。横浜駅も現在の位置へ移動。

狩場IC付近が現在のルートになったのは1960ごろ。

藤沢バイパス開通は1960ごろで、それまでは神奈川県道30号および藤沢本町駅付近を通るルートだった。

平塚駅付近の現ルートができたのは1960ごろで、それまでは旧道ルート。(現ルートの国道指定はタイミング遅れて1980ごろ?)

なお、1900ごろ時点で、浜離宮~平和島駅間は現在の山手線・京急本線がほぼ海岸線で、以東はその後の埋立地である。

現在の国道1号日本橋~横浜駅間について

日本橋~五反田間は、中原街道の原型として1900時点でおおよそ既にあった。

三田~高輪台駅区間は、1900ごろ時点では細い道しかなく、1930ごろまでにかけて大きな道として開通した。

ちなみに、三田慶應のT字路ができたのが1940ごろ、白金高輪駅から古川橋方面の区間が開通したのが1960ごろ。

なお、日本橋~札の辻と魚藍坂~五反田には市電が走っていた。

[155] 東急玉川線 - Wikipedia, , http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E6%80%A5%E7%8E%89%E5%B7%9D%E7%B7%9A

下記のデータは特記なければ路線廃止時点(溝ノ口線については大井町線編入前)のもの。

路線距離(営業キロ):

玉川線:渋谷 - 二子玉川園間 9.1km

砧線:二子玉川園 - 砧本村間 2.2km

溝ノ口線:二子読売園 - 溝ノ口間 2.1km

軌間:1372mm

駅数:(起終点駅含む)

玉川線:15駅

砧線:5駅

溝ノ口線:4駅

複線区間:

玉川線:全線

砧線:なし(全線単線)

溝ノ口線:二子 - 溝ノ口間

電化区間:玉川線・砧線・溝ノ口線とも全線(直流600V)

閉塞方式:スタフ閉塞(砧線)

歴史[編集]

玉電(玉川線)は、1896年(明治29年)、玉川砂利電気鉄道により、二子多摩川付近の砂利を東京都心に輸送することを主目的として、東京市麹町区の三宅坂と玉川の間の路線開設が出願されたことを起源とする。1902年(明治35年)に渋谷 - 玉川間の軌道敷設が許されると、1903年(明治36年)玉川電気鉄道が設立され、1907年(明治40年)、玉川電気鉄道の手により渋谷 - 玉川間が開業した[1]。

玉川から運んできた砂利を都心に輸送するため、渋谷では、都心に線路を伸ばしていた東京市電と軌道が接続され、渋谷には砂利運搬車両の留置線も設置された。1922年(大正11年)、玉川電気鉄道により渋谷 - 渋谷橋の間に天現寺線が開通すると、玉川線と天現寺線は直通運転された。 1924年(大正13年)には玉川 - 砧(のちの砧本村)間に砧線が開業し、二子橋の上流にあたる大蔵付近(東京府北多摩郡砧村)の砂利の輸送を開始した。このように、砂利輸送を主目的とした性格から、「ジャリ電」と呼ばれることもあった。関東大震災後の市内補修の砂利運搬には威力を発揮した。

玉川電気鉄道は路線を拡張してゆく。1925年(大正14年)、三軒茶屋-下高井戸間に下高井戸線(のちの世田谷線)を開業。1927年(昭和2年)には天現寺線渋谷橋より中目黒に至る中目黒線を、同年溝ノ口線(玉川 - 溝ノ口)を開業した。溝ノ口線の開業時には、多摩川を渡る二子橋の建設費の一部を玉川電気鉄道が負担し、二子橋は橋の中央に線路が敷設された形態の道路・軌道の併用橋となった。

1934年(昭和9年)、二子橋より下流での砂利採取が全面禁止され、さらに玉川電気鉄道の経営権が東京横浜電鉄や目黒蒲田電鉄を経営していた五島慶太らに移って以降は、

[156] @nifty:デイリーポータルZ:市街地で分水嶺を探す, , http://portal.nifty.com/2011/06/16/b/

分水嶺とは水系と水系の境界線、つまりその場所に降った雨がどの川に流れてどの海に注ぐのか、というエリアの境目である。

たとえば日本列島の中心部分には太平洋と日本海の分水嶺が縦断していて、同じ山でも雨や雪が降った場所によって、流れ着く先が太平洋か日本海かに変わるのだ。

そこまで大げさでなくても、川が2本流れていればその間のどこかに分水嶺があるはずだ。それがたとえ山の中じゃなくて住宅街であっても。

(萩原 雅紀)

東京の水系事情

東京には大きく分けて荒川と多摩川という2つの大きな川が流れていて、それぞれが東京湾に注いでいる。都心部だとさらに渋谷川とか目黒川とかの水系もあるけど、東京の大部分はほとんど荒川水系か多摩川水系と言っていい。

[157] JR渋谷駅:「新南口」改札閉鎖へ 埼京線ホーム北側移動 - 毎日新聞, , http://mainichi.jp/select/news/20150905k0000e040178000c.html

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JR東日本は渋谷駅改良工事に伴い、南端の改札「新南口」を閉鎖する方向で東京都渋谷区と調整している。新南口は埼京線ホーム南端付近にあるが、このホームを北に約350メートル移設するため。駅の再開発は拡張が普通で、改札が消える事態は珍しいという。改良工事の起工式は7日に行われる。

渋谷駅は南北に長いすり鉢状地形の底にあり敷地が狭い。これまで東京メトロ銀座線ホームが、隣り合う山手線と東急東横線の上にあるなど、各線のホームを立体パズルのように組み合わせてきた。

新参の埼京線ホームは1996年3月、山手線と東横線の間にスペースがなく苦肉の策で山手線ホーム南の貨物駅跡地に設置され、2001年4月に新南口も誕生した。

この結果、新南口から山手線ホーム北端付近にある「ハチ公口」まではホーム二つ分、歩いて10分近くもかかる状態になった。埼京線や同じホームに止まる湘南新宿ラインの利用客には、前後の新宿駅や恵比寿駅で山手線に乗り換えて便利な改札を目指す人もいる。

状況は渋谷駅と周辺の再開発で変わる。東横線ホームが13年3月に地下化された。これによって銀座線ホームを東側に移し、東横線ホーム跡地に埼京線ホームを移設することになり、JRにとって20年来の課題だった利便性向上が実現する。

一方で現在の埼京線ホームを通路として残すのは難しいという。通勤で新南口を利用する東京都北区、団体職員、曽野聡さん(48)は「飲食店も結構あり、埼京線を使う私には便利で愛着もある。ちょっと残念」。近隣の飲食店も客足が遠のくのではと不安がる。

閉鎖は埼京線ホーム移設が完了する20年春以降の予定。渋谷区は国道246号のすぐ南で線路を東西にまたぐ自由通路を造り、JRに改札を設けてもらう構想を抱く。区の担当者は「周辺地域全体の利便性は確保される」と話す。【本多健】

[158] 東横線・副都心線直通工事(2)渋谷~代官山間(2013年2・3月取材) - Reports for the future ~未来へのレポート~, , http://mirai-report.com/?no=1243

東急東横線・東京メトロ副都心線直通開始に向けた準備の最終レポートの続きです。第2回目の今回は 渋谷~代官山間の地下化区間、代官山駅の切替工事に向けた準備の状況、地下化に合わせて開催される各種イベントの予定 などについてお伝えしてまいります。工事の概要などについては 前回の「(1)新・渋谷駅」の記事 をご覧ください。 ▼関連記事 東急東横線・東京メトロ副都心線直通工事(2013年1月2日取材・地上部分) (2013年1月15日作成) 東急東横線・東京メトロ副都心線直通工事(2012~2013年取材・地下部分) (2013年1月18日作成) 東急東横線・東京メトロ副都心線直通工事(2012~2013年取材)&再開発の現状 (2013年1月19日作成) ■直通・切替準備が完了!(つづき) 渋谷~代官山間地下化工事の概要と副都心線渋谷駅の状況はこちら ●渋谷~代官山間 左:渋谷川に並行する東横線高架橋。トンネルはこの直下にある。 右:山手線の交差部分は軌道の復旧が続いており、徐行がかけられていた。2013年2月9日撮影 ※クリックで拡大 地下化後のシールドトンネルは 並木橋付近から現在線の高架橋直下 に入ります。シールド区間は地上掘削はありませんが、掘進の際沈下などが予想されるため工事に先立つ2009(平成21)年頃に 鋼材や地盤改良などにより高架橋が補強 されています。また、JR山手線の交差部分から先は地上を切り開いてトンネルを建設するため、 線路が鋼材により仮受け されています。トンネル内の工事は完了しており、1月調査時から変化があったのはJR山手線の交差部分のみです。山手線の軌道は 地下の掘削の際橋梁構造に変更 されていましたが、工事が終了したため 元のバラスト軌道に戻す 作業が行われています。2月はじめの調査時は山手線外回りで復元作業が行われており、軌道がまだ安定していないため 45km/hの徐行制限 が設けられていました。 ●代官山駅 2013年3月10日の代官山駅 代官山駅構内でも15日終電後の切替に向けた準備が大詰めを迎えています。3月10日の調査時は ホーム床面に15日切替時の切断位置を示すマーキングが書き込まれた ほか、駅内外を分ける柵も以前より背の低い簡易的なものに交換されました。なお、15日当日は朝から切替工事に向けた準備が行われるため、 ホーム渋

[159] 「ポケモンGO」を遊んでいたら、ポケモンの出現位置から渋谷の隠れた川が見えてきた | 面白いアプリ・iPhone最新情報ならmeeti【ミートアイ】, , http://i.meet-i.com/?p=173951

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「ポケモンGO」を遊んでいたら、ポケモンの出現位置から渋谷の隠れた川が見えてきた

2016/07/28 16:50

正確に言うと、今現在のポケモンの出現状況がわかる外部サイトを見ていた時です。ミートアイのある渋谷周辺でいいポケモンがいないかと見ていたら、綺麗にポケモンの出現位置が並んでいるところがあります。

渋谷のセンター街を駅から奥へそのまま進んでいったところですね。地図を引いてみると如何に綺麗に並んでいるかもわかります。

最初はただ繁華街なのでそれに合わせて配置されているのかと思ったのですが、なんだか違和感が。そう何故か居るのがほとんど「みずタイプ」なんですね。ある程度時間を置いてもその傾向は変わらない模様。

ポケモンでは昔からその場所の性質に合ったポケモンが出現します。それは「Pokémon GO」でも同じ。もちろん現実とリンクしているGOでは本当に川や海に行かないとみずタイプが絶対に居ない、とかになると楽しめないので100%ではありませんが、それなりに現実に沿ったポケモンが出るようになっています。その方が見つけやすくもありますからね。

で、何故こんな都会の繁華街のど真ん中にみずタイプが出現するのかというと…正解はここに川があるからです。

コイツ何言ってんだ、とお思いかもしれませんが本当です。実は渋谷には暗渠化された(地下に埋められた・隠された)川が走っているんですね。以前話題になったのを思い出したので調べたらすぐ出てきました。左が「PokéVision」、右が渋谷の暗渠地図です。

どうです、見事に一致してるでしょう。

そう、この一見繁華街にそって現れたポケモンは人の流れに合わせられたのではなく、地下の川に沿って配置されていたんですね。川の名前は「宇田川」。渋谷の中でも聞いたことがあるであろう地域名「宇田川町」の宇田川です。本当に川があったんですね。

「Pokémon GO」は遡ればGoogleマップやそのデータを元に作られています。そこから地図の表面上の部分だけでなく”見えない部分”まで考えてそれに合ったポケモンが配置されてるって凄くないですか?もちろん今回の発見はただの偶然という可能性もゼロではありませんが。

ひょっとして日本中、世界中でこんな風に「Pokémon GO

[160] 並木橋あたりの旧東横線の橋脚 - 3 slides, , http://3slides.hatenablog.com/entry/2017/06/28/233817

まだ残ってました。完全に風景をぶったぎる存在でよい。

ちかよって、じっくり眺めると、いろいろ見所があります。

この 渋谷川 に沿ってくねくねと走り、渋谷駅にすべりこんでいたのでした。もう昔の話。

人気コンテンツだけにいろいろ記事がありますが、以下のがよかったです。

1番線:学んでみよう「東横線渋谷駅」と「東急東横店」のヒストリー|SPECIAL||渋谷文化プロジェクト

Nikon D700 + Ai Nikkor 50mm F1.4S

宇田川

宇田川

河骨川

河骨川

笄川

笄川

いもり川

いもり川

履歴

[162] この記事はSuikaWiki Worldに作成されました。 に最終更新されました。 https://world.suikawiki.org/spots/22776855933271792

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