浅間山

浅間山

[1] 浅間山

Webページ

[2] 浅間山が初冠雪 - NHK 首都圏 NEWS WEB, , http://www3.nhk.or.jp/shutoken-news/20161101/4059491.html

前橋地方気象台は1日、浅間山が初冠雪を観測したと発表しました。 群馬県と長野県の県境にある標高2568メートルの浅間山は1日午前9時すぎ、山頂付近に雪がうっすらと積っていることが確認され、前橋地方気象台は、「浅間山の初冠雪を観測した」と発表しました。 浅間山の初冠雪は、去年より14日早く、平年より4日遅いということです。

[3] 道路レポート 林道鹿曲川線, , http://yamaiga.com/road/kakumagawa/main7.html

2015/4/23 9:59

出発から5時間近くも要したが、今私は約6kmの鹿曲川林道閉鎖区間を走破し、八ヶ岳連峰蓼科山北側の標高1750mという高所に辿り着いた。

長く続いた渓谷の眺めから一転して眼前に展開したのは、空を間近に感じる高原と、その一角に聳え立つ幾つものマンション的な高層建築物だった。

今回の探索において私の「見たい!」の筆頭にあった「仙境都市」の下の端に、遂に辿り着いたのだ。

右図は最新の地理院地図だが、この「都市」に所属するとみられる無数の建物が、かなり広い範囲に描かれている。

その中で最も標高の高いものは、 標高2000mの計曲線 (太い等高線)より上にまで及んでいる。

これは実に驚くべきことで、参考までにわが国の47都道府県のうち、標高2000mよりも高い地点を有しているのは16都道県しかない。

もちろん、「都市」を名乗ってはいても、これが一般的な意味での都市とは違うだろうということは私も勘付いていた。

これは、いわゆる別荘地というものに違いない。

そこにこれを経営している企業が付けた名が、仙境都市というのである。

住所としての地名は、佐久市大字春日字富貴の平というそうである。

だがそれを差し引いても、人がある程度まとまって定住している土地としての標高の高さや、都市を名乗っている事実という二点については、やはり特筆ものだと私は思う。

それでは本編の終盤戦、私が生まれてはじめて踏み込んだ仙境都市の実態を見て貰うことにしよう。

うん、大丈夫。 さすがに酸素は薄くないな。

…そんなことを冗談で考えたが、帰宅後に念のため 調べてみる と、実際はだいぶ薄かった(苦笑)。おそらくは地上の80%くらいしかなかったのである。2割も少なければ体に全く影響が無いことは無いだろう。

オブローダーは登山家ほど高所には慣れていないので、この後で私が妙に疲れやすく頻繁に休息していたのは、そのせいだったのかも知れないし、単純に疲れる行程だっただけかもしれない。

鹿曲川林道の通行封鎖バリケードを越えたことで、ここは普通に解放されている区間であるはずだが、今のところ人や車に出会う事は起きていない。

林道もまだ終わってはおらず、約1.5km先の蓼科スカイライン合流地点まで続いている。

傍らには現代的な電信柱が現れ始め、「都市」に居るということを感じさせた

[5] 飯豊山 - Wikipedia, , https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A3%AF%E8%B1%8A%E5%B1%B1

概要 [ 編集 ]

磐梯朝日国立公園 内に位置し、可憐に咲く 高山植物 が有名で、 日本百名山 のひとつに数えられている。飯豊連峰の最高峰は、標高2,128 mの大日岳である [2] 。

飯豊山は、 福島県 と 新潟県 そして 山形県 三県の 県境 にあるが、南東麓の福島県側から山頂を経て御西岳に至る登山道付近のみが 福島県 喜多方市 になっており、山頂付近は喜多方市である [3] 。理由は、明治期に廃藩置県後飯豊山付近が 新潟県に編入 されたが、 飯豊山神社 宮とする福島県側の猛烈な反対運動により、参道にあたる登山道および山頂を再び福島県にすることで決着した結果である [3] 。そのため、福島県の県境がいびつな結果になっている [4] 。

山名の由来 [ 編集 ]

飯豊山の名の由来には諸説あり、確定していない。 福島県 会津 地方では「いいとよさん」とも呼び、雪化粧した山容が飯を豊かに盛った様子に見えることから、この名がついたとされる [5] 。 陸奥国風土記逸文 には飯豊山の名の由来について、以下の2つの伝承が記されている( 飯豊青皇女 の項目も参照のこと)。

飯豊(いいとよ)を歴史的仮名遣いで表記すると、「いひとよ」となる。「いひとよ」とは 古代日本語 で フクロウ をさす言葉であり、それが語源であるという説もある。他にも、山麓に温泉(湯ノ平温泉)があることから「湯出(ゆいで)」が変化したものだとする説がある [6] 。

飯豊連峰の主な山 [ 編集 ]

大日岳 (2,128 m) :飯豊連峰の最高峰 [2]

飯豊山 (2,105.1 m) :飯豊本山であり、飯豊山神社が置かれている

北股岳 (2,024.9 m) :晴れた日には日本海が望める

烏帽子岳 (2,017.8 m)

御西岳 (2,012.5 m)

三国岳 (1,644 m)

地蔵岳 (1,539 m)

山岳信仰 [ 編集 ]

652年 ( 白雉 3年)、知同和尚と 役小角 が開山したとされる古い 山岳信仰 の場である。飯豊山大権現を祀る 修験 の場として栄え、 江戸時代 初期までには修験道の 修験者 が多く訪れた。 元禄 期以降は修験色は弱まり、稲作信仰、成人儀礼、死者供養などを中心とする庶民信仰の形態に移行した。

また、 明治 初年の 神仏分離 によって 飯豊山神社 となり、地域住民から崇敬された

[6] 隧道レポート 針ヶ谷坂の明治隧道捜索, , http://yamaiga.com/tunnel/harigaya/main2.html

さて、現地探索だ。

もちろん、時期は冬を選んだ。緑濃い房総の探索は、冬を選ぶのがセオリーだ。

今回の探索の最終目標は、『長柄町史』に存在が示唆されていた “針ヶ谷坂隧道”(仮称)の発見 にあるが、出発前に穴が空くほど町史を眺めても在処を突き止められなかったので、ピンポイントに探すことはできない。

また、私がこの針ヶ谷坂を訪れるのは今回が初めてで土地鑑もないので、まずは地図にある道を辿りながら、周囲の地形の機微を観察してみることから始めよう。

基本的に古い時期の道路ほど単純なルーティングであることが多く、地形を見れば自然と道や隧道の在処が絞られてくることが多いと思う。

広大な山域から見つけるのは困難だが、たかだか100mほどの峠なら、このような半分行き当たりばったりでもなんとかなることを期待している。

具体的な作戦としては、机上調査によって推定された「近世以前からの道」(左図の緑線のルート、以下「古道」)を辿ってみることにした。

この道に隧道があるわけではないようだが、町史に「 現在の道路より東側の泉谷を通り、トンネルをぬけて権現森の東中腹を通って長柄山に至る 」や「 明治16年泉谷の先にトンネルをほり、権現森の南に出るものに改め 」といった記述があるので、とにかく「泉谷(いずみやつ)」という場所は隧道に近いらしい。

「泉谷」は現在の地理院地図には記載がないが、旧地形図では古道が通る谷にその名が注記されている。

……「泉谷」が怪しいぞ。 取り調べだ!

2018/2/25 14:45 《現在地》

午後3時前の探索スタート。なんでオメーは探索の開始時刻がいつもおせーんだよというツッコミを受けそうだが、忙しいんだよ探索で! 本日はこれが自転車を車から降ろして臨む4箇所目の探索箇所であった。時間があまりないので(常套句)、案ずるより易く隧道が出てくることを願うばかりである。

ここは長柄町針ヶ谷の県道13号(県道147号重複)上で、目の前にある何気ない脇道(矢印)が、針ヶ谷坂を越える 古道の入口 である。

2車線の県道はこのまま直進し、200mほど先にある大きな青看がある三差路を右折すれば、針ヶ谷坂を越える県道147号の「千葉」方面へ。左折は県道13号の「市原」方面となる。

この景色だけを見れば、現県道は昭和以降の新道のような雰囲気だが、明治36年の地形図に

履歴

[12] この記事はSuikaWiki Worldに作成されました。 に最終更新されました。 https://world.suikawiki.org/spots/24343926371317473

メモ