凛太郎ブログ別館・西宮史跡探訪サイトです。主として自転車を足に、西宮の歴史の香りを探して歩きました。元サイクリスト、でも今はギア無しチャリ。
項目は現代まで書き終えましたので、一応「中締め」ということにさせていただきます。ただし、時々加筆修正は致します。
全50話の目次は トップページ にありますので、参照していただければ幸いです。
まずは辰馬家の洋館から。
旧辰馬喜十郎住宅
明治21年築です。明治時代に「ハイカラ」という言葉が誕生したらしいのですが、これぞハイカラですね。今では、県指定文化財となっています。
明治になって、文明開化の波がどっと西宮にも押し寄せてきます。そんなあれこれを、ちょっと考えつつめぐってみました。
文明開化といえば、何といっても陸蒸気。
日本の鉄道は明治5年の新橋〜横浜間の開業が広く知られていますが、それに次いで明治7年に大阪〜神戸間が開業しています。これが関西最初の鉄道です。
地図を見るとわかるのですが、この鉄道、東西一直線に敷かれています。ことに西宮市内は、完全に真っすぐです。 さすが官設鉄道。当時のお国の仕事には、用地買収だの何だのは関係なく一気呵成に築かれたのでしょう。このために大塚古墳が壊され封土を剥れ線路の盛土になったという 話 を聞いています。
この鉄道、大阪と神戸の間には、最初は駅が一箇所しかありませんでした。それが西宮駅です。あとは、尼崎も芦屋も灘も止まりません(その後神崎、住吉駅が出来ますが、開業時は西宮だけ)。
西宮駅
当時の駅の位置は、宮っ子の記事 ぶらりわが街<用海> によりますと、現在地よりさらに東寄りだったようです。駅名も「西ノ宮駅」。西ノ宮のノが外れたのは最近です。
駅の場所は池田町ですけれども、現在の西宮市域図を広げますと、市の中心に存在します。僕が西宮市に住み始めた頃は、そりゃ当然のことやろ、と思っていたわけですが、こうして歴史に少し興味を持つと「あれ?」と思うのですね。明治7年ですと、この場所は西宮町の外れです。駅のすぐ東側はもう津門村です。そして北側は芝村に接しています。合併後は偶然にも市域の中心になったわけですが、開業時は市街地から遠く離れた場所と想像されます。まわりは田んぼでしょう。
北にあるのはしょうがない。鉄道が阪神間一直線ルートをとったために西宮の都合など考えてくれていな