椿原ダム

椿原ダム

[1] 椿原ダム

36.31252021 136.89717923

Webページ

[3] 道路レポート 国道156号旧道 内ヶ戸歩危, , http://yamaiga.com/road/r156_utigato/main.html

本編は国道156号に関する当サイト最初のレポートであるので、まずこの路線の全体像について、簡単に記しておきたい。

一般国道156号は、岐阜県岐阜市と富山県第二の都市である高岡市を結ぶ、全長213kmあまりの路線である。起点である岐阜市から長良川沿いを北上し、郡上市ひるがの高原附近で中央分水嶺を越え、庄川沿いを高山市荘川、白川村、南砺市五箇山、砺波市庄川などを経由し、日本海岸の高岡へ達するのである。

列島を横断する幹線国道のひとつだが、深い谷間やダム湖の水面を縫って走る風光明媚さや、合掌造り民家が世界遺産となっている白川郷や五箇山、国立公園の白山一帯を沿道とすることから、「飛越峡合掌ライン」の愛称のもと観光路線としても知られる。

しかし地形の険しさと冬期の積雪の多さから、改良の遅れた路線でもあり、昭和54年に岐阜〜富山県境の「飛越七橋」と呼ばれるバイパスが開通するまで、この区間は冬期5ヶ月間通行止めになっていた。

また、落石や土砂崩れによる通行止めも珍しくなく、路線番号にかけた「イチコロ」線という有り難くないあだ名で呼ばれた。

この路線が国道の指定を受けたのは昭和28年で、当初は二級国道「岐阜高岡線」といった。また、全線を自動車が通れるようになったのは昭和29年である。

特に北半分を占める庄川沿いの車道建設は、関西電力などによる庄川電源開発の進展とともに、地元補償や工事用道路として進められたもので、最も古い小牧堰堤(小牧ダム)は昭和5年の完成と、国内でも有数の歴史を誇る。

オブローダー的視座に立ったときのこの道は、旧道の多い道であるといえる。

昭和20年代までに一旦完成した国道と、昭和54年に改めて「全線開通」と盛んに喧伝された路線とでは、随所でルートが変わっている。もっとも、経由地が変わるほどの大きな違いはなく、あくまでも区間旧道を多く持つということである。しかし、小規模の旧道は沿道集落や施設を持つことも少ないから、必然的に廃道となった部分が多いのも特徴である。

そんなわけで、地図を眺めるだけで“たまらなかった”この国道156号の「旧道巡り」を、平成21年4月30日に、「越中第一次探索」の4日目行程として、自転車を用いて行った。

この日に巡った旧道は、庄川が砺波平野へ流れ出る地点にある富山県砺波市庄川から、南砺市五箇山の県境を経て岐阜県白川村の中心部まで

[4] 道路レポート 国道156号旧道 内ヶ戸歩危, , http://yamaiga.com/road/r156_utigato/main1.html

2009/4/30 15:06 【現在地】

現国道156号が、椿原ダム湖右腕の「馬狩谷」を跨ぐ地点に、ランガー形式の椿原橋が架かっている。

そしてその100mほど上流には、カンチレバー(ゲルバー)形式の旧橋が現存している。

いまからそこへ向かう。

約30年前に旧道となった道は、両側からかなり雑草の侵入を許しているものの、それでも軽トラ1台分の舗装路面は確保されていた。

クルマでは通り抜けられないこの道に、これだけの路面が維持されているのは、やはり旧橋の魅力のなせるわざか?

現道から100mほどしか離れていないので、いとも容易く旧橋に到着した。

当然のように柵がされているが、「立入禁止」の表示はない。

柵の簡単さもあって、あくまで「車両進入禁止」のような印象を受けた。

遠目に見るより塗色の剥げが著しい鉄の矩体へ入り込む前に、挨拶代わりの親柱チェックである。

それはなぜか一本だけしか残っていなかった。

やや大ぶりな親柱に填め込まれていた銘板には、「昭和二十八年三月竣功」と刻まれていた。

それは、椿原ダム竣功の年と同じである。

ダムの水面上にあることからも予想できたとおり、この旧橋はダム建設とともに生まれたのである。

そして、これが白川村と富山方面を結ぶ、第一世代の自動車道であった。

それより古い…つまりダムに沈んだ道については、ダムの水位が高く痕跡を見出すことは出来ないが、明治20年代に「白川街道」として、荷車が通れる程度の道が存在していたことが、「白川村誌」に知られる。

[7] 国道156号旧道 内ヶ戸歩危 - 轍亡き路へ - Yahoo!ブログ, , http://blogs.yahoo.co.jp/suisin_train/25183596.html

ものすごい余談ですが、このレポ書いているのは大学のテスト2時間前(しかも課題がまだ終わっていない状態)から書いてます…w

歩危。

その昔、通行することがとても危険だとされた場所のことを指す。

白川の三大歩危とされるのは福島・下田、そして今回レポをする内ヶ戸の3つである。

本来であれば、福島・内ヶ戸・下田と3つすべてを制覇するつもりで居たのだが天気は御母衣ダムに差し掛かったところで殴りつけるような雨に変わった。

この時点で福島歩危の攻略は見送りとなった。

…まぁ福島歩危は過去に1度散策したことがあるため(レポはこちらでも、跡地のほうでも公開はしていない)また次回に取っておいた。

続いて比較的距離の近い内ヶ戸と下田の2つだが、こちらもあいにくの雨で見送ろうとしたが、せめて内ヶ戸を行ける所までとして、心ない折り畳み傘とせめてもの救いとして長靴を穿いて雨の中出陣した。

この道のレポは先駆者さんが居る。大体どこもそうなのだが、ここはかのプロオブローダーのヨッキれんさんが挑んでご自身のHPでレポを公開している。

私は高3の夏までは道への興味は全くなく、ただの鉄ちゃんであったことはこのレポを読んでいる一部の方は知っていると思う。その後、ニコ動で「酷道」の走破動画を見て「酷道」の分野に足を踏み入れ「道」の楽しさを知った。

その後ヨッキれんさんのHPに出会い、廃道の世界へのめり込んだというわけである。

そこでこのレポを読んで、この橋に一目惚れしたわけである。

降りしきる雨の中現れた一本の橋。

名を馬狩橋という。

この橋は「カンチレバートラス橋」、または「ゲルバートラス橋」と呼ばれる特殊な構造をしている。

構造についてはうまく説明できる自信がないのでWikipediaを参照していただけるとありがたいです…

とりあえず真ん中が浮いているということだけ言っておきます(謎

[8] 国道156号線旧道-内ヶ戸廃隧道, , http://usa-nekosando.pupu.jp/miti_utikato.t.html

【国道156号線旧道-内ヶ戸廃隧道】

岐阜県の北側、白川村の合掌集落で有名な白川郷。その北側には、数多くの旧道が存在します。

今回はその内の一つ、「内ヶ戸第一号・第二号隧道」を探索して来ました。

青字…ラピスのコメント ■黒字…作者のコメント

雪が降る前に北の方の物件を見てみようと

まずは飛騨白川郷を探してみました。

地形図で見てもそれらしい道が沢山あります。

これはぜひ行ってみなくちゃ♪

ちょっと遠いので

1〜2箇所ぐらいしか見れないけど、

さっそく早起きして出発だ!

まずは地図で位置を確認→■周辺図■

最初に来たのは国道156号線の長大トンネル

「新内ヶ戸トンネル」横にある2つの隧道です。

これはそのトンネルを

目的の隧道の反対側から見たもの。

少し写ってる赤い橋は「椿原橋」です。

今立ってる場所の後ろには、

「旧・椿原橋」があります。

そちらもイイ雰囲気ですが、

今回は隧道のレポートに専念します。

旧道はちょっと荒れた感じで、

微妙に廃道みたいな雰囲気もあるけど、

道は結構きれいになってます。

左に見える、椿原ダムのダム湖と

その向こうの紅葉した山がとても綺麗です。

なんて歩いていると、

間もなく最初の隧道

「内ヶ戸第二号隧道」が見えて来ました。

路面はさらに整備されてきて、

落ち葉などを掃除した跡もありました。

[9] 2白川郷の地名呼名 | 白川郷の歴史と文化や旅行と見どころ, , http://cloud-line.com/travelshirakawagou/history20/

白川郷の歴史と文化や旅行と見どころ The history, culture and a travel, and highlight of Shirakawa-go

岐阜県大野郡白川村 境川 白川村の北端と越中(富山県)の国境に「境川」という川が流れていたのである。 小白川地区 白川村の北端に「小白川」地区があったのである。 打越峠 小白川地区の山から西に通じる峠が「打越峠」であった。この打越峠北の尾根上に小白 川砦があったのである。 籠の渡し小白川 小白川と越中(富山県)を結ぶ国境の境川という川に「籠の渡し小白川」があったので ある。 小白川砦 小白川の打越峠北の尾根上に「小白川砦」があったのである。 加須良地区 椿原地区から西の山奥に「加須良」地区があったのである。白川郷の北海道といわれた 秘境が「加須良集落」で、山々に囲まれた全くの別天地でした。加須良地区には外部から の電話、電気は引線されておらず、昭和43(1968)年の離村するまで電気は自家発電?(谷 川を利用した水力発電)の生活であった。昭和42(1967)年に離村。 加須良川 加須良集落から、椿原の北の庄川まで流れたいたのが「加須良川」であった。「加須良集 落から加須良川沿いを下って椿原北まで通じる道」(距離約6km)は、近代の道で昔はあり ませんでした。加須良川沿いに、加須良林道が昭和36(1961)年に完成してようやく「自 動車が」加須良集落まで入れるようになったのであった。 蓮如峠 加須良地区から南南東に「蓮如峠」があった。昔は、蓮如峠→加須良集落→越中(富 山県)桂集落→加賀(石川県)に抜ける道があったのである。1469~1486年(文明年間) 蓮如上人が白川郷加須良集落を訪れ、蓮受寺に休泊されたという言い伝えからこの「横谷 峠~蓮如峠~加須良集落」へ通じる道が古くからあったことが分かるのである。 芦倉地区(庄川の東、右岸に位置する) 椿原地区 籠の渡し椿原 椿原集落と芦倉集落の庄川に「籠の渡し椿原」があったのである。 有家ヶ原地区(庄川の東、右岸に位置する) 内ヶ戸地区 椿原ダム建設により昭和13(1938)年までに離村、水没したのであった。 内ヶ戸歩危 内ヶ戸集落の北と南に「内ヶ戸歩危」があったのである。迂回路は内ヶ戸集落から西に 山を越えた、馬狩谷沿いを通行してい

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[11] この記事はSuikaWiki Worldに作成されました。 に最終更新されました。 https://world.suikawiki.org/spots/23438054529039031

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