東佐野駅

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[2] 天王寺駅の怪と現代に残る阪和電鉄の遺構 後編【昭和考古学】 - 昭和考古学とブログエッセイの旅へ, , http://parupuntenobu.hatenablog.jp/entry/%E9%98%AA%E5%92%8C%E7%B7%9A%E5%A4%A9%E7%8E%8B%E5%AF%BA%E9%A7%85%E3%81%AE%E8%AC%8E

普段から使っている人には、普段すぎて何の不思議も感じなさそうな駅にも、さりげなくミステリアスな歴史が詰まっていることがあります。

前回はその前哨戦として、大阪の JR阪和線 天王寺駅 を紹介しました。

parupuntenobu.hatenablog.jp

前哨戦にしてはやたら長くて、読む方は辛かったと思いますが、今回は本題の本丸に突入し、遺物を「発掘」していこうと思います。

・・・大丈夫です。後編は前編のように長くはありません、たぶんね(笑

阪和電気鉄道時代の 天王寺駅 ホーム

まずその前に、 阪和線 が「阪和電気鉄道」だった頃の、 天王寺駅 のホーム配置から説明しないといけません。

まずは今の 天王寺駅 ホームを。 大阪環状線 や 関西本線 ( 大和路線 )のホームは関係ないのでモザイクをかけ、 阪和線 のホームだけ表示しました。上の①~⑨番線がそれです。

阪和電鉄当時のホームの基本構造はこの通りです。これを 『図①』 とします。

ホームの基本構造は、変わっていないと言えば変わっていないのですが、ホームは今より少なめです。 図の上の広いホームが今の3番線~4番線ホーム、下のホームが同じく5番線と6番線と解釈下さい。

で、この図に当時の線路の配線を描くと、

こんなふうになります。これを 『図②』 としておきます。 阪和電鉄時代のホームの大きな特徴は、

「乗車専用ホーム」

「降車専用ホーム」

に分かれているところです。 「乗車専用ホーム」と「降車専用ホーム」は今の鉄道でもあるにはあるのですが、昔の分け方は今とは少し違っていました。

阪和電鉄の「乗車」「降車」は、ホームの縦割の構図になっています。 文字で説明すると、 天王寺駅 に入った電車は、まず 「降車ホーム」 で止まり、乗客を下ろします。

乗客を下ろした空の電車はホームの奥に入り、 「乗車用ホーム」 で乗客を乗せる。

という仕組みです。

上の図でわかる通り、阪和電鉄の 天王寺駅 のホーム番号の割り振りは、

乗車用ホーム:奇数

降車用ホーム:偶数

と分けられていました。

これは何も、阪和電鉄独特のやり方ではありません。

当時の関西の私鉄ターミナル駅では珍しくないことで、昔の京阪のターミナル駅であった 天満橋駅 や、 近鉄 の上 本町駅 も同じやり方でした。

阪和電鉄は京阪系列の会社だったので、親会社に倣って同じ仕組

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[3] この記事はSuikaWiki Worldに作成されました。 https://world.suikawiki.org/spots/24795567362748019

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