本納城

本納城

[1] 本納城

Webページ

[2] 上総 本納城(茂原市)/登城記|タクジローの日本全国お城めぐり, , http://castle.slowstandard.com/10kanto/14chiba/post_716.html

主郭にたつ城址碑

里見氏の支城、後に土気城主酒井氏により落城し酒井氏の支城となる

所在地

千葉県茂原市本納字本城山(蓮福寺の裏山)

蓮福寺:本納3101、電話0475-34-5996

形状

平山城

現状・遺構等

現状:蓮福寺、墓地、山林

遺構等:曲輪、土塁、空堀、狼煙台、抜穴、石碑、説明板

満足度

★★☆☆☆

訪城日

2008/09/02

歴史等

本納城は室町末期、享禄2年(1529)に構築されたと伝えられるが、地の利を生かした要害堅固な山城であった。

永禄の頃、黒熊大膳亮景吉という武将がこれに拠って24郷を治め武威を誇っていたが、本納城は房州里見の支城であるため、

長南武田の進攻に備え、佐矢止砦、壇上砦を強化していた模様である。

永禄7年(1564)国府台合戦ののち、房州里見の傘下を離反した 土気城 主酒井胤治の軍勢に急襲され、

永禄12年(1569)3月28日落城、城主景吉は切腹したと記録されている。

その後、土気方から城代家老板倉右衛門がきて統治したが、天正18年(1590) 小田原城 落城後、

徳川傘下の旗本知行地となり廃城となる。

本・中・下城址削壁、抜穴、袋狭間、狼煙台址等々、中世山城の遺構を多く今にとどめている貴重な城址である。

『蓮福寺駐車場脇説明板等より』

現況・登城記・感想等

蓮福寺から本納小学校一帯にかけての裏山が本納城址である。下から見上げると、さほど高くもなく険しいようには見えない山だ。

山の中腹から山麓にかけては段郭のようになっている。中腹部分は、その郭跡を利用した大規模な墓地になっている。また。

山麓部分も蓮福寺から下へと段郭のような地形になっており、往時は居館が建っていたのであろうと思われる。

中腹部分の墓地から主郭にかけては、山林になっており、わずかな距離ではあるが、結構深い堀底道を登って行く。中でも、最後、

主郭へ上がるところの切通しは、両脇の高さが4mほどはあり、見応えがある。

主郭は約40×35m(とは言いながら、長方形ではなく雑形?であるが)ほどの広さで、主郭への虎口方面(北側)を除き、周りは急崖(削壁)

になっている。比高約40mほどで、それほど高くはないが、眼下に拡がる南房総方面の眺望は素晴らしい。

主郭から、北東方面と北西方面には、尾根を利用した細長い郭が続き、その側面も怖いほどの急崖(削壁)になっ

[3] 本納城 余湖, , http://otakeya.in.coocan.jp/info01/honnou.htm

本納城(茂原市本納字本城山)

*参考資料 「長生の城」(小高春雄) 関連サイト 埋もれた古城

本納城は、 JR本納駅の西700mほどの所 にあり、蓮福寺の背後の高台やそこから派生する痩せ尾根を広範囲に取り込んだ城郭で、この地域に多い痩せ尾根城郭の典型的な形式を取っている。

城は大きく分けて3つの区画に分類できる。

(1)本城山の主郭は長軸40mほどの雑形の郭である。kの主郭部分を中心として、北西に派生する2の郭、3の郭、北東に派生する4の郭あたりが、城の中心となる部分であろう。主郭部に上る道には大規模な切通しが掘られており、強い防御意識を感じさせる。それぞれの郭の面積はそれほど広いものではないが、削崖はとても鋭い。遠くから見ると、それほど高くも険しくも見えない山なのだが、実際は、側面直登はほとんど不可能な厳しい山である。

また、麓には蓮福寺のある高台があり、ここにも居館的な施設があったかもしれない。

(2)蓮福寺の東側の台地上も墓地となっているが、ここにもいくつかの郭が形成されている。中心となるのは5の郭で、墓地となっているために、かなり改変されている可能性があるが、70m×20mほどはあり、城内で最大の郭である。5の郭の先には堀切があり、また側面には腰曲輪が配置されている。腰曲輪は(あ)の辺りで、一部横堀状になっている部分もある。さらに進むと6の郭があり、そこでまた堀切によって区画され、ここまでを1つの区画と考える。

(3)本納小学校よりもさらに北東先端の部分は右衛門郭と呼ばれている。7の堀切の下の部分から東側に進んだ所である。本納小学校の真上は山がかなり削り取られている。ほとんど山頂付近まで削られてしまっているので、尾根は非常に細くなっている。その上ここには笹が繁茂しており足元がよく見えない。うっかり足を滑らすと、小学校の所まで滑落してしまう。かなり危険な場所である。この部分、もとはもう少し広い郭であったのかもしれない。

その先に(い)の堀切があり、そこから先が右衛門郭といわれる部分となる。この堀切も取り付くのが難しい城塁なのだが、ここを上るとすぐにまた一段高くなっている。その先が8の郭である。さらに進むと9の郭もあるが、基本的に痩せ尾根上なので、細長くのびた郭となっている。先端の方には、塚状の高まりが1つある。この辺りは、笹藪もあるのだが、

履歴

[4] この記事はSuikaWiki Worldに作成されました。 に最終更新されました。 https://world.suikawiki.org/spots/24343926367111874

メモ