主郭にたつ城址碑
里見氏の支城、後に土気城主酒井氏により落城し酒井氏の支城となる
所在地
千葉県茂原市本納字本城山(蓮福寺の裏山)
蓮福寺:本納3101、電話0475-34-5996
形状
平山城
現状・遺構等
現状:蓮福寺、墓地、山林
遺構等:曲輪、土塁、空堀、狼煙台、抜穴、石碑、説明板
満足度
★★☆☆☆
訪城日
2008/09/02
歴史等
本納城は室町末期、享禄2年(1529)に構築されたと伝えられるが、地の利を生かした要害堅固な山城であった。
永禄の頃、黒熊大膳亮景吉という武将がこれに拠って24郷を治め武威を誇っていたが、本納城は房州里見の支城であるため、
長南武田の進攻に備え、佐矢止砦、壇上砦を強化していた模様である。
永禄7年(1564)国府台合戦ののち、房州里見の傘下を離反した 土気城 主酒井胤治の軍勢に急襲され、
永禄12年(1569)3月28日落城、城主景吉は切腹したと記録されている。
その後、土気方から城代家老板倉右衛門がきて統治したが、天正18年(1590) 小田原城 落城後、
徳川傘下の旗本知行地となり廃城となる。
本・中・下城址削壁、抜穴、袋狭間、狼煙台址等々、中世山城の遺構を多く今にとどめている貴重な城址である。
『蓮福寺駐車場脇説明板等より』
現況・登城記・感想等
蓮福寺から本納小学校一帯にかけての裏山が本納城址である。下から見上げると、さほど高くもなく険しいようには見えない山だ。
山の中腹から山麓にかけては段郭のようになっている。中腹部分は、その郭跡を利用した大規模な墓地になっている。また。
山麓部分も蓮福寺から下へと段郭のような地形になっており、往時は居館が建っていたのであろうと思われる。
中腹部分の墓地から主郭にかけては、山林になっており、わずかな距離ではあるが、結構深い堀底道を登って行く。中でも、最後、
主郭へ上がるところの切通しは、両脇の高さが4mほどはあり、見応えがある。
主郭は約40×35m(とは言いながら、長方形ではなく雑形?であるが)ほどの広さで、主郭への虎口方面(北側)を除き、周りは急崖(削壁)
になっている。比高約40mほどで、それほど高くはないが、眼下に拡がる南房総方面の眺望は素晴らしい。
主郭から、北東方面と北西方面には、尾根を利用した細長い郭が続き、その側面も怖いほどの急崖(削壁)になっ