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前回は、旧都道開通以前の道(部分)を紹介した。
今回からは、前回の訪問から1年後の2009年3月に、お馴染みスイッピ氏と共に訪れたときのことをレポートしていく。
スイッピ氏はこの探索の1週間後にはブログにてレポートを公開されていたのに対し、私ときたら公開まで4ヶ月以上開いてしまった。
いよいよ旧都道のレポート…と行きたいところだが、もう一つだけ読者様に見ていただきたいものがある。
今回は、この赤い円の範囲内をレポートしたいと思う。
ここは(現)日原トンネルの西側坑口附近である。
左の橋は「登竜橋」といい、現道はそのまま長さ凡そ1100mの日原トンネルの中へと続いている。
さて、写真の右側奥に青い道路標識が見て取れるだろう。
その道路標識が旧道のものであるのは、云うまでもない。
トンネルと旧道の分岐というものは、トンネルの坑口のごく近くにあるのが一般的なのだが(峠道などは除く)、
この日原トンネル新旧道分岐地点は、この写真を撮っている所なのである
とはいっても錆びた道路標識の方向には道は無く、数十メートルの虚空がただ続いている。
そしてその数十メートルの隔たりを経て、さらに奥へと道が続いている。
実は、嘗てはこの隔たりに橋(旧・登竜橋)が架かっていたのである。
この路肩の不自然な出っ張りは、嘗ての旧登竜橋の橋台だったのだ。
恐らく現日原トンネルを掘るに当たり、旧登竜橋の向きではルート設定に差支えがあったことから、
真っ直ぐ山に向かって新橋を作り、旧道へと向かう旧橋は落とされたのであろう。
橋が消えてしまったから、旧道へのアプローチは出来ないのだろうか?
そんなことは無く、ここにはこの旧登竜橋が出来る「さらに前の時代の道」が存在するのだ。
その道はこの写真の地点から左に分かれ、素直に山をトラバースし、トンネルの直前で現道と交差して
そこから旧道へと向かっているのである。この旧旧道のお陰で我々は旧道に進むことが出来るのだ。
さて、「路肩の不自然な出っ張り」を良く見ると、これまた古い手すりが存在する。
はてさてこの階段、一体何処に続いているのだろう…。
明らかに低い手すりと急傾斜の階段に、足を踏み外せば軽症では済まないなと思いつつ、我々は階段を降り始めた。