新義州

新義州

[1] 新義州

Webページ

[2] 中朝友誼橋 - Wikipedia, , https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E6%9C%9D%E5%8F%8B%E8%AA%BC%E6%A9%8B

Cho-Chung uŭikyo

Amnokkang ch'ŏlkyo

Jo-Jung uuigyo

Amnokgang cheolgyo

中朝友誼橋 (ちゅうちょうゆうぎきょう)は 中華人民共和国 遼寧省 丹東市 と 朝鮮民主主義人民共和国 平安北道 新義州市 を結ぶ 橋 で、中国側の正式名称は 鴨緑江大橋 で [1] 、以前このように呼ばれていた時代もあった。 鴨緑江 に架かる全長946.2 m 、橋脚12の 橋 である。下流側を 鉄道 、上流側を 道路 が通る 鉄道道路併用橋 である。

1990年 10月 に中朝両国の合意に基づき現在の橋の名前となる。鴨緑江大橋(中国側)・鴨緑江鉄橋(朝鮮側)などとも呼称される。 アジアハイウェイ1号線 の一部となっている。

概要 [ 編集 ]

橋の上には 道路 や 線路 ( 単線 )が通っており、有効な出入国書類( パスポート や ビザ 、 中朝辺境地区出入境通行証 など)があれば、 自動車 や鉄道で中朝国境を行き来できる。なお原則、 歩行者 が歩いて橋を渡ることはできないため、後述の タクシー を利用することになる。

中朝友誼橋を通る鉄道には 旅客列車 ( 北京 - 平壌 間の 国際列車 、列車番号:(中) K27/K28 (朝)6/5又は丹東 - 平壌間)が毎日定期運行(朝鮮行きは朝、中国行きは夕)されており、 貨物列車 も毎日運行されている。時刻表上で所要10分である。ただし丹東・新義州両駅では入国審査・税関検査などのための停車時間が非常に長い。

また、中朝双方の 税関 には国境間のみ営業を許されている特別な乗り合いタクシーがあり、 行商人 や旅行者が利用することができる。政治的な事情、特殊な事情がない限り、双方の 国境 は 国慶節 や 旧正月 の時期でも完全に閉鎖されるということはなく、土日も含め、 中国標準時 の8時頃から17時頃( 平壌時間 +30分)まで開いている。

[3] 北朝鮮に列車で入国してみたら「期待を裏切らない風景」が待っていた, , http://sekaishinbun.net/2014/06/04/north-korea-entrance/

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北朝鮮こと 朝鮮民主主義人民共和国 。 近くて遠い国として日本で報道されるのは核開発や拉致問題、貧困に喘ぐ一般市民達ばかり。 でも実際ってどうなんだ? そんな疑問を解消すべく、潜入調査してきました。 これから6 回に渡って北朝鮮ツアーを紹介していきます。

北朝鮮は中国からツアーで行ける

ご無沙汰しています。旅するライター 三矢 です。

僕が参加したツアーは、中朝国境の街・ 丹東 にある旅行代理店に依頼しました。事前にメールで必要事項を送付し、VISAや電車の手配をしてもらいます。 

当日朝8時、旅行代理店に赴きます。こちらが今回依頼した代理店 丹東金華国際旅行社 。

ここで当日ツアー代金を支払います。

日本円で 135,000円 を中国元で支払います。僕が参加したときのレートだと7,900元。 ​ ぐぬぬ…大金……。なお、代理店のHPによると参加者を10人以上集めれば一人当たり90,000円になるようです。

ここで北朝鮮のビザが渡されます。

思っていた以上にしっかりしているやんけ……。

上画像の左下は入出国日なのですが 102と言う数字 は 西暦ではない北朝鮮独自の暦 のようです。

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北朝鮮行きの電車

それではいよいよ代理店の人に連れられて北朝鮮への電車の出発点、丹東駅に向かいます。

こちらが丹東駅ホーム。

行きの電車は快適な 一等寝台 です。 初めて一等寝台に乗車しましたが、一度乗ってしまうと苦行のような中国のハードシート(硬座と呼ばれる)に乗るのが、これまで以上に苦痛になる危険を感じました。節約旅行ではまず乗ることのないのがこの一等寝台です。

丹東駅を中国時間朝10時に出発した電車は、発車してすぐに中朝国境に架かる鴨緑江大橋を渡ります。

車窓からは朝鮮戦争時代にアメリカ軍により爆破され橋脚しか残っていない橋が見えます。

いよいよ北朝鮮に入国

橋を渡ってまず見えるのが遊園地の廃墟。期待を裏切らない演出に胸が高鳴ります。

橋を渡るとそこは北朝鮮側の国境の街 新義州 です。

中国と北朝鮮は時差が1時間あるのでここで時計の針を一時間後ろに戻します。

厳格な荷物検査

新義州ではパスポートコントロールに加え、厳格な荷物検査が行われます。 まず乗客はパ

[4] 『北京→平壌 26時間列車の旅』北朝鮮の旅行記・ブログ by きょーそさん【フォートラベル】, , https://4travel.jp/travelogue/10007641

北京から陸路ピョンヤンへひとり旅をしました。 寝台で同室になった漢族・朝鮮族のおばちゃんたちとすっかり仲良くなれたおかげで、楽しく思い出深い旅になりました。 開発が進んでいない分だけ水や空気が綺麗だったのが印象的でした。

出発当日、在北京朝鮮領事館でビザを受け取りました。右下水色がビザに相当する「観光証」、左下が領収書。上は中露独3ヶ国語表記の列車チケット。

北京站(えき)。この旅の模様は私の日記 http://www.kyoso.com/nikki/040812.html にも載せてあります。

私が乗った平壌行き国際車両です。丹東止まりの国内車両に連結されていました。

出発。

コンパートメントで同室になったおばちゃんたち。左の2人は北京人、右奥の人は遼寧省の朝鮮族で、北朝鮮に食品を売り込みに行く商務旅行だと言っていました。隣の部屋の4人のおっちゃんたちは彼女らの同僚で、この7人とは本当に色んな話をしました。 日中は32度もあったのに、窓は全開せずオンボロ扇風機は耳元でうるさい、と少々辛い環境でした。

宵越しなんだし食堂車か駅売りぐらいあるだろう(実際長い旅ではお弁当買ったことあったので)という甘い考えでヒマワリの種と干し果物だけ持ち込んだら、朝鮮側に出境するまで壊れた給湯器しかなかったのでした。気の毒に思ってくれたおばちゃんたちが、マントウや胡瓜やトウモロコシ(韓国や在中朝鮮族はオクススといいますが北ではカンネンギと言うと教えられました)をくれました。おばちゃん、ありがとう。

そうこうしてるうちに夜になって、まあ中国なんでいつものように賭けトランプが始まります。 僕らのコンパートメントの隣からは北朝鮮の人たちだったのですが、彼らも部屋でトランプをしていました。ただ、26時間の間彼らが外国人(私以外は全員朝鮮人か中国人だと中国人の車掌さんが言ってました)と挨拶や会話をするというシーンは勿論見かけませんでした。

中国側の国境の街、丹東。

丹東站。国内線の車両はここで切り離されます。ここで朝ごはんを食べられるかと思って売店や食堂を探したのですが、カップラーメンしかありませんでした・・・

中国側での出境審査です。女性の検査官が僕らのパスポートとビザとチケットを持って行っちゃったので、中国人のおっちゃんたちが不安げに文句を言っていました。

このときの出境検査は予定の倍以上の

[5] 中朝国境に橋・鉄道が次々…中国が「開放」促す : 北朝鮮 : 特集 : YOMIURI ONLINE(読売新聞), , http://www.yomiuri.co.jp/feature/20080115-899562/news/20131017-OYT1T00241.htm

中国が中朝国境で、北朝鮮と結ぶ道路や鉄道の整備を相次いで進めている。

2月の北朝鮮による核実験以降、両国関係は冷え込んだが、建設の推進に影響は見られない。背景には、対北朝鮮貿易の活発化による国境地帯の経済発展と、経済的結び付きを強めて北朝鮮に「改革・開放」を促すという二つの狙いがある。

中朝貿易の拠点丹東市で11〜14日、中朝合わせて600社以上が参加する見本市が開かれた。会場には、同市が整備中の「貿易区」の模型が置かれていた。「新しい橋が完成すれば、丹東は中国東北部で最大規模の物流拠点になる。ぜひ投資の検討を」と係員が訴える。

「新しい橋」とは、丹東の中心部から約10キロ・メートル離れた地点に建設中の「新鴨緑江大橋」(長さ3026メートル)だ。来年中に完成予定で、高速道路と直結し主要貿易港・大連に接続する。22億元(約352億円)の投資額は中国側の負担とされる。現在の中朝友誼(ゆうぎ)橋は1車線しかなく、地元の中朝貿易商は「片側2車線の大橋が開通すれば貿易量は格段に増加する」と断言する。

丹東市は開通後の経済効果を見込み、既に貿易区を含む大規模な開発事業を進める。最終的に人口40万の新都市が誕生する構想だ。

吉林省琿春(こんしゅん)市でも、1億5000万元(約24億円)を投資し、国境橋の架け替え工事が年内に始まる予定だ。橋は、北朝鮮・羅先(ラソン)市の羅津(ラジン)港につながる幹線道路の一部。内陸の同省は、同港を活用した貿易拡大を成長戦略の要に位置付け、図們(ともん)と同港間でも道路と鉄道の整備が進む。

2月の核実験後、中国は税関検査を厳格化、金融制裁も実施した。中国税関総署の統計では、今年上半期の中朝貿易額は前年比5・8%減だった。ただ、7月は前年より13・8%、8月は22・1%増えている。(遼寧省丹東 蒔田一彦)

[6] 韓国鉄道の旅臨津江駅と臨津閣, , http://www.geocities.jp/tabinosyasoukara/dmz2.html

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臨津江駅

かつては、ソウルと中国国境の新義州を結んでいた京義線は、朝鮮戦争により北は 開城 、南は 汶 山 で分断されます。それから45年を経た2000年に、太陽政策を掲げた当時の金大中韓国大統領と北朝鮮の金正日

総書記の間で行われた南北首脳会談によって、分断された南北の京義線の再連結に合意します。

韓国側は2001年に 汶 山駅から−雲泉駅− 臨津江駅 (イムジンガン)まで6.0kmが、2002年には 民間人出入り統制線 となっている 臨津江 (イムジン河)を渡り、南北軍事境界線の両側に幅2kmずつ設けられている非武装中立地帯(DMZ)の 都羅山 まで3.7kmが延長されました。

2003年には南北のレールがつながったものの列車の運行については膠着状態が続き、試運転の後に韓国側から南北共同開発の北朝鮮開城工業団までの間で貨物列車の運行を開始したのは、この地を訪問した翌年の2007年のことです。

通勤列車は、ソウルから1時間余りで 汶 山駅に到着し、大半の乗客はここで下車してしまいます。係員が乗ってきて、車内の清掃し、シートをソウル向きに転換して行きます。

残ったわずかな乗客を乗せて列車は復活区間に入ります。ここから先は単線です。やがてホーム片面だけの駅、臨津江に到着します。ここから先の 民間人出入り統制区域 に入るには、臨津江で一旦下車して、ホームにあるDMZツアーのカウンターでパスポートを見せて

チケット購入(1200円ぐらいだったと思います。安い!)の手続きをする必要があります。

臨津江駅で受け付けるDMZツアーの1回の定員は180人だそうですが、この列車から降りた乗客は50人に満たない人数でした。

臨津閣

次の列車まで、1時間10分の待ち時間を利用して、臨津江駅のすぐ北にある 臨津閣 (イムジンガッ)に向かいます。ここは、北朝鮮の手前の許可なく自由に出入りできる最後の地点です。

かつて京義線を走ったのでしょう、蒸気機関車と2両の客車が 北に向かって 保存されています。ハングルは読めませんが、英語で書かれた“LET

THE IRON HORSE RUN AGAIN”( 鉄馬を再び走らせたい )の文字に、韓国の人々の統

履歴

[8] この記事はSuikaWiki Worldに作成されました。 に最終更新されました。 https://world.suikawiki.org/spots/24795567329365659

メモ