新大阪駅

新大阪駅

[1] 新大阪駅

Webページ

[2] レイル・ストーリー10 - 新大阪駅の謎, , http://www.ne.jp/asahi/mulberry/mt/rail10/shinosaka.html

新大阪駅の謎

昭和39年10月1日、「夢の新幹線」と謡われた東海道新幹線が開業した。大阪のターミナル駅である新大阪駅は大阪駅併設とならなかったが、これは戦前の 弾丸列車計画 を生かしたためだった。しかし新大阪駅に最初に名乗りを挙げたのは国鉄(現在のJR)ではなく地下鉄だった。

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地下鉄1号線(現在の御堂筋線)梅田-新大阪間が開業したのは昭和39年9月24日のことで、何と新幹線よりも7日早かったのだ。

この区間は中津までは地下を走ってくるが、その先は600m近くの坂を一気に上って高架線となり、途中で新淀川を渡る。ただしこの橋は既に昭和10年に地下鉄と道路の併用橋として既に着工されており、昭和14年に戦争の影響で工事は中断されたが一部は出来上がっていた。現在の橋は当時の計画構造とは変わってはいるが、既に出来ていた橋台や橋脚などを補強・嵩上げして現在も使用しているという。

そして地下鉄1号線新大阪駅建設が決まったのは実に戦時中の話で、昭和18年1月21日の事だった。新幹線の先駆ともいうべき、あの「弾丸列車計画」の駅が今の新大阪駅の近く(東淀川駅付近)に作られることになったのを受けたものだったが、現在の地下鉄御堂筋線新大阪駅の建設が決まったのがこんな早い時期だったとは驚きだ。

地下鉄の新大阪駅は新幹線ホームの西寄りの一つ下の階に直交する形で作られたが、当時用地買収が進まず現在の駅の南半分での暫定開業だった。それもホームの長さが足りず、西中島南方寄りに仮設の板張りホームを繋げていた。最新の技術を誇る新幹線の真下に、まさかの板張りホームとは情けない話だが、駅の北半分が予定通り出来上がるのは昭和45年2月24日の新大阪-江坂間の開業時、つまり大阪万博直前まで待たなければならなかった。

ただし、新たな大阪の「顔」としての新大阪駅の誕生とあって、戦前に地下鉄各駅から撤去されていたエスカレーターが、この駅から復活したという。今は線路の両脇に新御堂筋が走っているが、1号線の新大阪開業時にはまだ出来てもおらず、車窓は全く違っていた。

地下鉄御堂筋線新大阪駅は、西中島南方寄りに板張りで延びていた

完全な形ではなかったものの地下鉄駅が開業し、7日後にはめでたく新幹線を迎え本格開業した新大阪駅ではあったが、ずっと後に妙な事態を巻き起こすことになる…。

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昭和62年4

[3] 大阪環状線 - Wikipedia, , http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E9%98%AA%E7%92%B0%E7%8A%B6%E7%B7%9A

大阪環状線(おおさかかんじょうせん)は、大阪府大阪市内の大阪駅 - 西九条駅 - 天王寺駅 - 京橋駅 - 大阪駅間を環状に結ぶ西日本旅客鉄道(JR西日本)の鉄道路線(幹線)である。

「大阪環状線」の呼称が指す区間は典拠や目的により、次のように使い分けられている。

『JR 線路名称公告』や『JTB時刻表』では、大阪環状線は大阪駅を起点・終点とする21.7kmの路線であり、今宮駅 - 天王寺駅間2.2kmは関西本線との重複区間となっている。

民営化時に当時の運輸省に提出された事業基本計画、国土交通省監修の『鉄道要覧』および、JR西日本が発行している「データで見るJR西日本」では、大阪環状線は天王寺駅 - 新今宮駅間20.7kmの路線で、新今宮駅 - 天王寺駅間1.0kmは関西本線であり、今宮駅 - 新今宮駅間1.2kmは関西本線との重複区間となっている。

運行管理や旅客案内、『JR時刻表』での大阪環状線は、天王寺駅 - 大阪駅 - 天王寺駅となっている。

JRが旅客営業規則第78条第1項第1号に規定する電車特定区間の「大阪環状線内」は、大阪環状線(大阪駅 - 天王寺駅 - 大阪駅)のほか、桜島線(JRゆめ咲線)全線と関西本線(大和路線)天王寺駅 - JR難波駅間が含まれる。この区間内を相互発着する場合は運賃計算などに関する特例が適用される。

以下、特記がない限りは 1. に従って記述する。なお、大阪をはじめとする近畿地方においては、当路線を単に「環状線」と呼称する場合も多く、本項でも一部でそのように表記している。

概要[編集]

大阪市の都心部外周部を環状運転している環状線であり、JR西日本のアーバンネットワークの中心路線として機能している。ラインカラーは赤(■)で、大阪のダイナミズムをイメージしている。路線記号は O [1]。

大阪環状線は、東海道本線と関西鉄道(のちの関西本線)を連絡する東側の城東線、旧淀川の右岸を走る北西側の西成線の一部(元の西成鉄道の桜島線以外の区間)、南側の関西本線と貨物線の一部を、戦後の高度経済成長期に西側の臨海部に新線を造って接続したものである。成立時点ですでに内側に適当な用地がなかったこともあり、環状線内を横断・縦断する地上路線は存在しない。大阪市営地下鉄は従来から地下を横断・縦断しており、地下鉄以外でもJR・私鉄ともに地下区間により横断

[4] 新青森駅に物申す! 先日、青森空港から降り新青森駅に行こうと思ったらバスで青森... - Yahoo!知恵袋, , http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1174080266

fpnyb573さん

新青森駅に物申す!

先日、青森空港から降り新青森駅に行こうと思ったらバスで青森駅まで行きそこから特急に乗って新青森駅まで行きました。はじめてだったのでバタバタして疲れたと同時に不便

だと思いました。青森空港から新青森駅をバスかモノレールか電車で結ぶなどしてほしいです。そうじゃなきゃ初めて青森行った観光客はわからないと思います。そしてひとつ疑問に思った事があります。新青森駅について改札入る前に飲み物でも買おうと思ったら店も販売機もありませんでした。なんでだろう?と思いました。せっかく新青森駅開業なんだからもっと交通の便を良くしたりもっと盛り上がった方がいいかなと思いました。なんか新青森駅が閑散としていてびっくりしました。皆さんの意見聞かせて下さい!

[5] 京都駅 - Wikipedia, , http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%AC%E9%83%BD%E9%A7%85

日本有数の観光都市である京都市の玄関となる駅であり、東海道新幹線の全列車が停車するほか、JRには北陸・山陰・関西空港・南紀方面、近鉄には奈良・橿原神宮・伊勢志摩など、各地を結ぶ特急列車が発着する。JRについては在来線特急の発着種類が日本一多い駅である(後述)。観光客はもちろん、京都市内あるいは各線乗換利用の通勤通学客も多く、1日平均の乗降人員が各社合計で63万人を超える日本でも有数のターミナル駅である。第1回近畿の駅百選に選定された。

乗り入れ路線[編集]

以下の合計4社局が乗り入れている。

JR西日本 : 在来線各線 - アーバンネットワークエリアに属し、合計5方面の列車が発着する。東海道本線と山陰本線には同社による独自の路線愛称が付けられている。

東海道本線 - 当駅の所属線となっている[1]。滋賀県方面は「琵琶湖線」、大阪方面は「JR京都線」の愛称で案内されている。

1駅隣の山科駅から分岐する湖西線の列車もすべて当駅へ直通している。

山陰本線 - 当駅が起点。園部駅まで「嵯峨野線」の愛称で案内されている。

奈良線 - 正式な起点は反対側の木津駅だが、列車運行上は当駅が起点となっている。

JR東海 : 東海道新幹線 - 全種別全列車が停車する。

近畿日本鉄道 : 京都線 - 当駅が起点。当駅と奈良とを結ぶ路線であり、JR西日本の奈良線と競合関係にある。

京都市交通局 : 京都市営地下鉄烏丸線 - 駅番号として「K11」が付与されている。

JR西日本・JR東海の駅は特定都区市内制度における「京都市内」の駅であり、運賃計算の中心駅となっている。

当駅は、地上の駅に近鉄京都線が発着し、地下の駅に近鉄から京都市営烏丸線へ直通する列車が停車するため、地上と地下に同じ事業者・同じ路線の車両が停車する。

JR線、地下鉄線、近鉄線を区別するために、近鉄線は「近鉄京都駅」、地下鉄線は「地下鉄京都駅(烏丸線京都駅)」と呼ばれることが多い。

乗車カード対応[編集]

JR西日本の駅はICOCA、近鉄と地下鉄の駅はPiTaPaおよびスルッとKANSAI対応各種カードの利用エリアに含まれており、それぞれ相互利用可能な各カードにも対応している。JR東海の東海道新幹線の駅では、乗客が上記のカードのみを利用して自動改札機を利用することはできないが、新幹線の磁気乗車券や、EX-ICカードを在来線用

[6] 梅田駅 - Wikipedia, , http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A2%85%E7%94%B0%E9%A7%85

この項目では、大阪市北区にある阪急、阪神、大阪市営地下鉄御堂筋線の駅について説明しています。

同地に存在したJR貨物の貨物駅については「梅田信号場」をご覧ください。

大阪市営地下鉄谷町線の駅については「東梅田駅」をご覧ください。

大阪市営地下鉄四つ橋線の駅については「西梅田駅」をご覧ください。

かつて同名を称した福岡県田川郡大任町にあった駅については「大任駅」をご覧ください。

このページの一部を「梅田駅 (阪神)」、「梅田駅 (阪急)」、「梅田駅 (大阪市営地下鉄)」に分割することが提案されています。

議論は「このページのノート」を参照してください。なお、分割を行う際には履歴不継承にならないように注意してください。(2015年2月)

[7] 大阪国際空港 - Wikipedia, , http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E9%98%AA%E5%9B%BD%E9%9A%9B%E7%A9%BA%E6%B8%AF

大阪国際空港付近の空中写真。(1985年撮影の6枚から合成作成)。

国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真) を基に作成。

撮影時点では、後年に供用開始された新 管制塔 やW9高速脱出 誘導路 はまだ存在していない

大阪国際空港 (おおさかこくさいくうこう、 英 :Osaka International Airport)は、 大阪市 の北西13 kmの 大阪府 豊中市 、同 池田市 、 兵庫県 伊丹市 にまたがる 会社管理空港 である。 大阪空港 (おおさかくうこう)あるいは 伊丹空港 (いたみくうこう、 英 :Itami Airport)の通称でも知られる。かつては名実ともに 国際空港 であったが、現在は日本の国内線の 拠点空港 (基幹空港)として運用されている。近隣の 関西国際空港 ・ 神戸空港 とともに 関西三空港 のひとつである。

概要 [ 編集 ]

敷地は、 大阪府 の 豊中市 と 池田市 及び 兵庫県 伊丹市 の2府県3市にまたがり、空港ターミナル及び事務所は豊中市に、滑走路は池田市と伊丹市にまたがる。 [2] 、 空港ターミナルビル 、 大阪モノレール線 大阪空港駅 、 エプロン 付近で府県・市の境界が複雑に入り組んでおり、各市の 飛地 も無数に存在する( #空港建設以前 を参照)。 警察署 は 大阪府警豊中警察署 と 兵庫県警伊丹警察署 の両者が常駐し、他の旧第1種空港にあるような 空港警察署 は設置されていない。

大阪市 ・ 神戸市 ・ 京都市 などからなる 京阪神都市圏 のほぼ中心に位置するために、利便性が高く( #交通 を参照) 関西圏 の国内線の基幹空港として利用されている。また、 オフィス街 へのアクセスの良さから、特に ビジネスマン の需要が高くなっている [3] 。国際線は1994年9月3日まで発着していたが、翌9月4日に開港した関西国際空港に移転した後は就航していない。施設規模は、関西国際空港の開港前は関西地方で最も大規模な空港であったが、現在は関西国際空港の方が大きい [注 1] 。2010年3月現在、当空港を利用した国際運航は、 中古 機体の売却による フェリーフライト や外国 要人 の 専用機 など、非営業用の発着が中心である。

正式名称の大阪国際空港の他に、一般的に 大阪空港 (おおさかくうこう、英: Osaka Air

[8] 浜松駅 - Wikipedia, , https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%9C%E6%9D%BE%E9%A7%85

概要 [ 編集 ]

静岡県の西部の 政令指定都市 である浜松市の中心駅であり、 東海道新幹線 と在来線の 東海道本線 が乗り入れている。近隣にある 遠州鉄道 の 新浜松駅 と合わせて、県西部(遠州地域)の拠点駅としても機能している。

新幹線は、 東京 - 岡山 間(一部、東京 - 名古屋・新大阪間)の「 ひかり 」が毎時1本と、各駅停車の「 こだま 」が毎時2本停車する。また朝・夜に当駅発着の「こだま」が1.5往復(上り2本、下り1本)設定されている( 2014年 3月15日現在)。「 のぞみ 」は停車しない。一部の「ひかり」は上下とも当駅で「のぞみ」の通過待ちをする。

在来線は、日中は静岡方面が毎時4本(掛川行1本 [1] ,静岡以東行3本)、 豊橋 方面が毎時3本運転されている。また通勤客向けに当駅と 静岡 ・ 沼津 間を結ぶ ホームライナー が設定されている。特急列車は、寝台特急の「 サンライズ瀬戸 」「 サンライズ出雲 」の下り列車が停車するのみである。

歴史 [ 編集 ]

年表 [ 編集 ]

1888年 ( 明治 21年) 9月1日 - 鉄道院(のちの 鉄道省 → 日本国有鉄道 〈国鉄〉)による浜松 - 大府間の官設鉄道線開通により、その終端駅として開業。

1889年 (明治22年) 4月16日 - 官設鉄道が静岡まで延伸し、新橋までの既存線と直結。途中駅となる。

1895年 (明治28年) 4月1日 - 線路名称制定。東海道線( 1909年 に東海道本線に改称)の所属となる。

1926年 ( 大正 15年) 12月12日 - 駅舎を洋風の近代的建物に改築(2代目)。

1945年 ( 昭和 20年) 6月10日 - 空襲により2代目駅舎焼失。

1948年 (昭和23年) 10月15日 - 木造2階建の3代目駅舎完成。

1964年 (昭和39年) 10月1日 - 東海道新幹線が開業。乗換駅となる。

1971年 (昭和46年) 4月26日 - 貨物取扱業務の一部を新設の 西浜松駅 に移管。

1976年 (昭和51年) 10月1日 - 貨物の取扱を全廃。

1979年 (昭和54年)10月15日 - 東海道本線の高架化完成。これにより駅は東海道線から離れて設置された新幹線ホームと一体化し、利便性が向上。

1980年 (昭和55年)10月1日 - 新幹線「 ひかり

[9] 梅田 - Wikipedia, , http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A2%85%E7%94%B0

梅田(うめだ)とは、大阪市北区にあるJR大阪駅や梅田駅を中心とした一帯の地域名称。日本を代表する繁華街の一つである。JRの他、阪急電車、阪神電車、地下鉄の駅があり、ホテル、百貨店、事務所ビル、歓楽街などが集積している。

梅田から南へ4km程度離れた難波を中心とした一帯を「ミナミ」と呼ぶのに対し、梅田周辺を「キタ」といい、大阪はもちろん、日本を代表する繁華街である。

[編集] 概要

大阪市北区梅田は、JR大阪駅とその南側一帯の町名であるが、梅田の名称はJR大阪駅の東側や北側の駅名・ビル名・店舗名など広い地域で使われており、西日本最大の繁華街として知られている。その規模は総売上高は全国で新宿に次いで2位、百貨店面積では日本一となっている。

この地域にはJR大阪駅のほか、阪急および阪神の梅田駅、市営地下鉄梅田駅・東梅田駅・西梅田駅、JR北新地駅が立地しており交通の要衝となっているほか、百貨店・ホテル・オフィスビルなどが林立している。主要道路の下にはホワイティうめだ・ディアモール大阪といった地下街があり、隣接ビル地下にある商業施設群のほか、堂島地区の「堂島地下センター」とも結合しており、あわせて一大地下街を形成している。

2013年現在、新しい百貨店の開業、再開発地区の完成予定もあり、至る所で建設工事が行われている。この開発にまつわる諸問題については大阪2011年問題も参照。

梅田にあるビルはハービスOSAKAの190mが最も高いが、北方向に位置する大阪国際空港(伊丹空港)の着陸進路にあたることから航空法による高さ規制がなされており、同法第49条による制限表面により梅田周辺では200mを超えるようなビルの建築は困難である。なお、制限表面は伊丹空港からの半径16.5kmまでは50m離れるごとに1m緩和されるため、梅田でも北側の方が制限がより厳しくなっている。

[編集] 歴史

江戸時代以前は下原と呼ばれる低湿地帯で、泥土を埋め立てて田畑地を拓いたことから「埋田」と呼ばれ、後世になって字面が悪いので産土神である綱敷天神社や露天神社に縁のある梅の字を埋田に当てて「梅田」となったと言われている。 [1]

1764年、曾根崎新地から北へ伸びて梅田墓地(現大深町・梅田貨物駅)へ至る「梅田道」が開かれたが、周辺は田畑ばかりの「ドタ」と呼ばれる寂れた土地で、西成郡曾根崎村の一部にすぎなかった

[10] 新青森駅 - Wikipedia, , http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E9%9D%92%E6%A3%AE%E9%A7%85

概要[編集]

青森県の県庁所在地・青森市の新幹線における玄関口であり、現時点で日本最北端の新幹線停車駅でもある。

本駅に乗り入れる路線は東北新幹線と、在来線の奥羽本線の2路線である。東北新幹線は本駅が終点である。奥羽本線においては、青森信号場とを結ぶ貨物支線が本駅から分岐している。また、2015年(平成27年)度に部分開業が予定されている北海道新幹線の起点となる。

日本国有鉄道(国鉄)時代の1986年(昭和61年)11月1日に奥羽本線の中間駅として設置されたが、当初から新幹線駅と接続することを前提としていた。先行して在来線が開業したのは東北新幹線の盛岡駅以北の建設遅れで地元住民の不満が高まっていたため、これを解消する狙いもあって関連事業の一環としての駅設置となった[1]。新幹線開業までは単式ホーム1面1線の無人駅であり、かつては普通列車の一部も通過していた。

設置から24年後の2010年(平成22年)12月4日に東北新幹線八戸駅 - 本駅間が延伸開業されたことにより同新幹線が全線開業するとともに、東北地方6県の県庁所在地すべてに新幹線(法規上は在来線であるミニ新幹線も含む)が開通した。目的が達成された本駅は、青森市の新たなターミナル駅としての役割を担うようになった。

新幹線開業によって在来線も島式ホーム1面2線となり、八戸駅に代わり北海道連絡特急である「白鳥・スーパー白鳥」の本州側の始発駅となった。なお同じく北海道連絡の急行「はまなす」は本駅には乗り入れず従来通り青森駅発着となるが、新幹線との乗り継ぎ割引は適用となる(ただし「あけぼの」には乗り継ぎ割引は適用されない)。また臨時寝台特急「トワイライトエクスプレス」「日本海」以外の全旅客列車が停車するほか、青い森鉄道線から定期列車2往復と、臨時快速「リゾートあすなろ下北」(野辺地駅より大湊線直通)2往復がそれぞれ乗り入れを開始した[2]。

なお青森市の代表駅は隣の青森駅で、それゆえ東北6県の県庁所在地では唯一代表駅と新幹線駅が別になっている[3]。市内の新幹線駅の位置においては1974年(昭和49年)から、本駅のある石江地区への新駅設置を推す国鉄と青森駅併設を推す青森市の間で対立が続いていた。青森駅に併設した場合スイッチバックが必要[4]で、将来北海道新幹線に直通させる場合速達性が失われることもあり、国鉄側は当初から新

[11] 東北新幹線新青森開業が青森で盛り上がらない理由。(その2) - とれいん工房の汽車旅12ヵ月, , http://d.hatena.ne.jp/katamachi/20110111/p1

鉄道関係の時事ネタを紹介するブログです。趣味の外縁部に転がっている、生活には役に立たない情報を中心に語ります。廃線、未成線、LRT、鉄道旅行、鉄道史、駅、遊覧鉄道、鉄道マニア、鉄道本書評、海外の鉄道、奥祖谷観光周遊モノレール、宮脇俊三、種村直樹、今里筋線、阪急新大阪線、三江線、西武線、マンガ、アニメ、読書...etc。

「鉄道未成線を歩く」など同人誌3点をただいま書店販売・通販中。http://d.hatena.ne.jp/katamachi/20121228/p1参照。

■[鉄道系 ヒマネタ] 東北新幹線新青森開業が青森で盛り上がらない理由。(その2)

前回、「東北新幹線新青森開業が青森で盛り上がらない理由。(その1)」でいろいろ書いた話の続き。

青森駅近くの繁華街の飲み屋で晩飯を食べていたら、いろんな地元の人から声をかけられたんだけど、青森県内が東北新幹線新青森開業で盛り上がっていない……という話を散々聞かされた。

新聞報道だと、

特急時代と新幹線時代を比べて18%、900人/日しか増えなかった

八戸開業時には55%、3500人/日も増えたのに……

というのが新幹線利用の実際の数字。

新幹線利用者数の伸び悩みの理由を3点ほど紹介してみます。

青森駅→東京駅の所要時間。実は17分しか変わらない

まず、青森駅を朝一番に出て東京都内に午前中に到着する時間をシミュレートしてみよう。

1998年10月 東北新幹線盛岡終点時(秋田新幹線開業後)

▽青森5:24〜はつかり2号〜7:38盛岡7:46〜やまびこ10号〜10:36東京

2010年11月 東北新幹線八戸開業

▽青森5:52〜特急つがる2号〜6:48八戸6:55〜はやて6号〜9:51東京

2010年12月 東北新幹線新青森開業

▽青森6:09〜普通〜6:14新青森6:31〜はやて12号〜9:51東京

2010年12月 日本航空便

▽青森6:50〜7:25青森空港8:25〜日本航空1200便〜9:45羽田空港10:01〜浜松町〜10:32東京

と、ここ十数年の新幹線の時刻&直近の飛行機利用の時刻を書き並べてみた。

それぞれの所要時間だけを比べると

1998年10月東北新幹線盛岡終点時点 5時間12分

2010年11月東北新幹線八戸終点時点 3時間59分

2010年12月東北新幹線新青森開業時点 3時間42分

<参考>飛行

[12] 赤川仮橋(大阪城東貨物線淀川橋梁)戦争の爪痕を残し本日80年の歴史を閉じる 10/31|きんぱこ(^^)v, , http://ameblo.jp/tasogarekinnosuke/entry-11564309879.html

(追記あり)

平成25年10月31日(木)24時 つまり本日

この赤川仮橋が閉鎖されます。

(大阪市にリンク)

大阪の淀川の名物でもあったこの橋ですが、本日の24時で閉鎖となるそうです。

興味がある人で、渡ったことが無かった人、写真を撮っておきたい人は仕事が終わった後にでも撮りに行っておいたらどうでしょう。

近辺に最寄りの駅はないですが、近い駅としては阪急京都線上新庄、地下鉄今里線だいどう豊里駅、地下鉄谷町線の都島駅からなら毛馬(けま)方面へのバスに乗ったほうがいいと思います。桜ノ宮高校の傍です。

この鉄橋がなくなるのではなくて、下の写真の右側の歩道が鉄道線路に戻って複線になると言うことなのですが、こんな鉄橋はとても珍しいのです。

淀川に架かる多くの橋の中に、塗装が剥げかけた古い鉄橋があります。

城東貨物線淀川橋梁

通称

赤川仮橋

昭和4年に開通して80年間、どれだけ沢山の人々がこの橋を歩いて渡ったことでしょう。

初めて御覧になられる人のために、上の写真で少しご紹介させていただきます。

「赤川仮橋」は御覧のように単線の線路と、歩行者と自転車だけが通れる歩道の鉄橋です。

位置は下の地図をご覧ください(赤い線が淀川を渡るところ、右側)

意外と知ら無い人も多いのですが、この鉄橋と単線の鉄道は勿論JRの物ですが、線路の横にある古い歩道は大阪市がJRから借りている木製の歩道なのです。

この線路は城東貨物線と呼ばれて、久宝寺から吹田までの貨物専用線として単線のまま使われてきたみたいです。

下の画像は昔の赤川仮橋が乗っていますのでリンクを貼らせていただきました。

(クリックリンク)

戦時中も生き残った鉄橋ですが、その跡も残っています。

グラマンなどの機銃掃射の後が残っていたり、下の画像のようにB29から投下された爆弾の穴が今でも残っており、淀川のあちこちには丸い池が残っています。通称「爆弾池」。

赤川鉄橋の川下にあった爆弾池は削り取られて残っていませんが、戦後に出来た菅原城北大橋の川上には今でも数個の爆弾池が残っています。(赤い〇のエリア)

2013年の2月にも、少し川下の長柄橋川上で不発弾が撤去されました。

戦時中は、空襲の中を僅かな家財道具と子供を引いて、この赤川鉄橋を必死になって渡って逃げたのでしょうね。

鉄橋を渡ろうとしたときに、B29やグラマンの襲撃に遭った人は

[13] 東京駅 - Wikipedia, , http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E9%A7%85

東京の表玄関とも言うべきターミナル駅で、プラットホームの数は日本一多く、在来線が地上5面10線と地下4面8線の合計9面18線、新幹線が地上5面10線、地下鉄は地下1面2線を有しており、面積は東京ドーム約3.6個分に相当する。赤レンガ造りの丸の内口駅舎は辰野金吾らが設計したもので、1914年に竣工、2003年に国の重要文化財に指定されている。「関東の駅百選」認定駅でもある。

当駅にはJRの新幹線と在来線各線(後述)、東京メトロの丸ノ内線が乗り入れている。丸ノ内線の駅には「M 17」の駅番号が与えられている。また、当駅を発着するJR線と東京メトロ大手町駅間との連絡運輸は東西線のみ行われている[2]。

JRの駅に乗り入れている路線は、正式な路線名称上は、新幹線が東海道新幹線と東北新幹線の2路線、在来線が東海道本線・東北本線・総武本線・京葉線の4路線であり(詳細は路線記事および「鉄道路線の名称」を参照)、東海道本線を当駅の在来線における所属線としている[3]。管轄会社は東海道新幹線がJR東海、東北新幹線がJR東日本となっている。これら各路線はすべて当駅を起点としており、当駅構内にはこれら各線の0キロポストが設置されている。ただし旅客案内では後述の運転系統名称が使用される。「東北(本)線」は案内上では上野駅発着の長・中距離列車を意味するため、当駅では現在用いられていない。なお中央本線についてもかつては当駅が正式な起点であったが、当駅 - 神田間における東北本線との二重戸籍区間を解消するため、JRへの移行に伴い中央本線は神田駅が起点とされた。ただし、現在でも0キロポストは設置されている。

運転系統では、JR東日本の新幹線ホームには、以下の路線の列車が乗り入れている。

東北新幹線

上越新幹線 : 大宮駅から東北新幹線に乗り入れている。

長野新幹線 : 長野駅 - 高崎駅間は北陸新幹線を、高崎駅 - 大宮駅間は上越新幹線をそれぞれ走行し、大宮駅から東北新幹線に乗り入れている。

山形新幹線 : 新庄駅 - 福島駅間は奥羽本線を走行し、福島駅から東北新幹線に乗り入れている。

秋田新幹線 : 秋田駅 - 大曲駅間は奥羽本線を、大曲駅 - 盛岡駅間は田沢湖線をそれぞれ走行し、盛岡駅から東北新幹線に乗り入れている。

また在来線に関しても多岐にわたる運転系統が発着する。これらの在来線各線のうち

[14] 品川駅 - Wikipedia, , http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%93%81%E5%B7%9D%E9%A7%85

構内の中央に位置し、山手線、京浜東北線、東海道線、横須賀線のホームがある。島式ホーム7面14線と単式ホーム1面1線で構成され、西から1番線 - 15番線と並ぶ。東海道線は5・12番線が本線である。京浜急行電鉄と1・2番線ホームの間には山手線の留置線が数本ある。また、東海道下り本線にある電留線(札の辻群線3~22番)や洗浄線(白金群線)などは当駅構内の所有である。よって、本線からの到着以外のルート構成は品川駅にある高輪信号所が扱っている。

改札内コンコースは、駅の北側と南側にそれぞれ東西に伸びるものがある。中央にある改札外のコンコースで分断され、直接にはつながっておらず、両コンコース間をホームや改札を通らずに行き来することはできない。

南側の改札内コンコースの西側には京急のきっぷうりばや京急連絡改札口があり、京急の下りホームに直結している。構内には駅ナカ商業施設として「ecute 品川」と「ecute 品川サウス」がある。かつて当駅にはチップトイレが存在していた(2011年5月30日現在)。便器の一部に温水洗浄便座が使用されている。

1番線の東京寄りに、山手線の0キロポストがある。

9・10番線は臨時ホームであり、東海道線が早朝・深夜に設定している当駅発着の列車が臨時ホームを使用している他、当駅終着の「湘南ライナー」も到着する。時折行われるジョイフルトレインなどの鉄道車両の展示イベントの他、東海道線や横須賀線のダイヤ乱れ時にはこのホームが使用され、湘南新宿ラインが大崎駅ではなくこのホームに発着する事もある。団体列車などの臨時列車の発着にも使われる。この付近では現在、東北縦貫線(宇都宮線・高崎線・常磐線)直通列車用折り返し設備の工事が行われている。15番線が完成するまでは横須賀線の早朝始発電車も臨時ホームから発車していた。[要出典]

臨時ホームの駅名標は、両隣の駅が川崎駅・新橋駅と東海道線に準拠した表示になっている。また、下り方は東海道線以外に横須賀線(西大井方面)・山手貨物線(渋谷・新宿方面)の発着が各番線で可能である。

戦前、国鉄では品川 - 東京間に複線を増設し、京浜東北線の一部と横須賀線を走らせる「京浜急行線計画」が存在していた。その計画では、1番線が山手線内回り、2番線が山手線外回り、3番線が京浜東北線北行、4番線が「京浜急行線」北行、5番線が京浜東北線南行、

[15] 駅の写真コレクション (10) 姫路市に残る大将軍駅とモノレールの遺構 - 写真20枚 | マイナビニュース, , http://news.mynavi.jp/column/station/010/

今回紹介するのは駅跡の写真。姫路市のJR姫路駅・山陽姫路駅から西へ500mほど歩いた場所に、駅と一体化したアパートが建っており、ここがかつて姫路モノレール大将軍駅だった。ただし、この駅が実際に営業したのはわずか2年ほどだという。姫路モノレールも開業から8年後の1974年に休止し、1979年に廃止された。

営業休止から40年を経ても大将軍駅跡は現存し、一部区間でレールや橋脚も残る。終着駅の手柄山駅跡にオープンした「手柄山交流ステーション」では、姫路モノレールの車両も見ることができる。なお、大将軍駅跡の建物については、現行の耐震基準を満たさないことから、2015年5月以降に解体・撤去される予定と報じられた。

[16] 新幹線、目前で消えた「東北―東海道」直通計画 :日本経済新聞, , http://www.nikkei.com/article/DGXNASFK2903Y_Z20C14A1000000/

「新幹線の謎と不思議」(東京堂出版)、「JR崩壊」(角川書店)などの著書がある鉄道ジャーナリストの梅原淳さんは、東京駅の歴史をひもとく。 「1971年に東北新幹線が計画された際、在来線の12~15番線を転用することにしました。ところが75年の山陽新幹線開業で、新大阪駅で相互乗り入れする東海道新幹線の需要も増え、当初東北用としていた14・15番線を東海道に回したのです」

16・17番線ホームは在来線の転用ではなく、18・19番線ホームとともに64年の東海道新幹線開業にあわせて造られた。もともと東京駅止まりなのでカーブする必要はない。 これに対して14・15番線は東北新幹線用に在来線ホームを北側に延ばして造った。その先に延びてくる東北新幹線の線路につなげるには、ホームの一部を曲げるしかなかったのだ。 ところで話はそれるが、14・15番線は東北新幹線用に改修されるまで長らく在来線(東海道本線)が使っていた。さらに歴史をさかのぼると、そもそも新幹線のために確保された場所だった。 その名も弾丸列車。東海道新幹線のベースとなった戦前の計画だ。東京から大阪を経て下関を結び、その先は朝鮮半島、中国大陸までもつなぐ構想だったという。日本坂トンネルなど一部は工事が行われ、東海道新幹線でも使われた。ルートも多くは踏襲された(日本国有鉄道東京幹線工事局編「東海道新幹線工事誌」)。

[17] 都構想で「西成」の地名が消える? 大阪No.1ディープ地域の今後は - コラム - Jタウンネット 大阪府, , http://j-town.net/osaka/column/gotochicolumn/203595.html

大阪府と大阪市の二重行政を解消しよう――橋下徹大阪市長が唱える「大阪都構想」。住民投票で賛成票が1票でも上回れば、現行の大阪市の24区は5区に再編される公算だ。

その中で、(都構想自体への賛否はひとまず置くとして)気になる話が出てきた。橋下市長が2015年4月9日、都に移行することのメリットを同市浪速区の街頭で訴えた中で「おそらく西成という名前は消えると思います」と述べたのだ。

デイリースポーツオンラインが報じたところによると、都構想の説明会で市民の意見を聞いて回ったところ、西成区では「名前を消したい」という意見が多数であるためだと同市長が説明したという。

大阪駅や新大阪駅周辺も「西成」だった

西成=日雇い労働者の集まる街というイメージが強い。大阪出身者に尋ねても「行かない」という声はよく耳にする。「消したい」と答えた人は、そうしたネガティブなイメージを払しょくしたいという思いがあるのだろうか。

ところが名前の由来である西成郡は、西淀川区・淀川区・東淀川区・此花区・福島区・北区・港区・西区・中央区・大正区・浪速区・西成区に広がっていた。

大ざっぱにいって大阪市の北部と西半分が「西成」だったのだ。

上の地図を拡大すると――福島駅との中間に西成郡役所がある。大阪駅周辺は1897年の第1次拡張で市域に編入されたが、その前は西成郡曾根崎村だった。その名残りということか。

本来であれば郡内に移設すべきところ、役所をそのままにしておいたということは――西成郡全域を大阪市に編入することは既定路線だったのかも。

ちなみにJR大阪駅とユニバーサル・スタジオ・ジャパン(USJ)の最寄り駅を結ぶ桜島線(愛称は「ゆめ咲線」)の前身は西成鉄道という私鉄だったし、淀川に架かる淀川大橋の前身は「西成大橋」だった。これだけ見たらキタこそ西成の本流と言えそうだ。

[18] 整備計画8_箕面船場駅周辺のまちづくり計画/箕面市, , https://www.city.minoh.lg.jp/kitakyu/new_kitakyu/seibikeikaku/machi_senba.html

更新日:2014年2月12日

整備計画8_箕面船場駅周辺のまちづくり計画

船場地域においては、鉄道の延伸により“物流のまち”から“人流のまち”へと転換させていくことを念頭に置きながら、特別業務地区として発展してきたまちの特性を活かし、繊維卸商団地の再整備を中心に、新たな企業誘致によるまちの活性化をめざします。

船場団地の再整備との連携

大阪船場繊維卸商団地協同組合では、北大阪急行線延伸を契機に再整備を進めるべく、平成24年5月に「船場団地再整備マスタープラン(案)」を策定し、土地区画整理手法による土地の集約や企業誘致について検討、関係者との協議等を進めているところであり、市は、このマスタープランと連携しながら、団地組合と協力してまちづくりの検討を進めています。

船場団地全体(約50ha)をまちづくりの検討区域としつつ、(仮称)箕面船場駅の東側5.7haを駅周辺整備地区と位置付けて、鉄道の延伸と同時期のビルドアップをめざしており、現在は、その中核となる施設について具体化を進めている段階にあります。

延伸線は、約2.5kmの間に千里中央、箕面船場、新箕面の3駅が存在するエリアとなることから、3駅周辺がそれぞれ異なる個性を持ち、集客を競いつつ広域的な人流を生み出していく必要があります。

こうした中、船場地域においては、保健医療・スポーツなどの健康機能と公共ホールなどの文化機能を備えた複合施設を産学官協働で整備し、文化と健康をキーワードにした高品質な都市空間を創出するとともに、空き倉庫や空きビルなどの既存リソースも活用して新産業を集積するなど、まち全体のリノベーションをめざす構想が動き出しています。

船場地域のポテンシャル

船場地域は、ビジネス拠点として必須となるアクセス性において、北大阪急行線の延伸により高いポテンシャルを有することになります。

まず、核となる新たな施設は、新駅の出口に直結することが可能で、鉄道駅から徒歩0分という地の利を得ます。

また、新大阪駅から電車で15分、伊丹空港から電車で18分、関西国際空港から電車で64分と、国内・国外を問わずどこからでもスムーズなアクセスが可能です。

さらに、平成28年度開通予定の新名神高速道路のインターチェンジからも車で8分の場所に位置しており、元々物流のまちとして整備されてきた地域内の良好な道

[19] 北大阪急行延伸区間を歩く(その1) : 北摂の混沌, , http://blog.livedoor.jp/bunchousann/archives/2830271.html

駅名標に、出資会社にして筆頭株主の阪急電鉄の香りが漂う。 大阪市営地下鉄御堂筋線は、中津駅を出ると地上区間に入り、新御堂筋の中央部を道路に挟まれる形で北上する。北急はその延長線上にあるので、これも新御堂筋の中央部を北上するのだが、終点の千里中央駅が近づくと地下区間へ入り、やや東側にカーブして商業施設の直下にある駅へすべりこむ。 ここから北上するにあたっては、再び新御堂筋のほうへ向きを変えねばならない。そのため、千里中央駅の車止めは、あらかじめ西側に湾曲した形状になっており、将来の延伸に対応した構造になっていた。構想によれば、この先にY字型の引き上げ線が設けられるようである。

ではこのまま掘り進めていけばいいのかというと、そうはいかないようである。 既に述べたように、千里中央駅一帯は商業施設が立ち並んでいる。また、新御堂筋と中央環状線がクロスする交通の要所でもあるために、住宅地もあって、その駅前は北摂エリアでも随一の賑わいを見せている。ここを起点に多くのバス路線が設定されていて、今回延伸する箕面方面にも多数のバスが走っている。 北急延伸に際して、工事上の大きなネックになると言われているのが、これらの建物である。

[27] 新御堂筋 - Wikipedia, , http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E5%BE%A1%E5%A0%82%E7%AD%8B

新御堂筋 (しんみどうすじ)は、 大阪府 の北部を南北に貫く 幹線道路 ( 国道423号 )、 地域高規格道路 であり、 北摂地区 の大動脈である。

全国屈指の 交通 量を誇る 道路 であり、西日本では首位。 新御堂 (しんみどう)、 新御 (しんみ)と略される。陸上距離は 大阪市 北区 西天満 - 箕面市 白島までが最長距離で16.22kmである。上り線も同様である。

大阪市内の幹線道路は筋もしくは通で呼ぶ慣例( 大阪市内の筋・通一覧 を参照)があるが、大阪市外にまで伸びている唯一の例である。( 中央大通 も東大阪市の区間でも呼ばれることがあるが、正式に表記されていない。)

構想自体は現在の 御堂筋 がまだ完成していない時点からあり、 1926年 の高速鉄道(地下鉄)計画では御堂筋線が江坂付近まで予定され [1] 、 1932年 (昭和7年)の大阪市第二次都市計画事業の中では「北野豊津線」という路線が予定されていた [2] 。戦前の時点では 新淀川 に架ける 新淀川大橋 [注釈 1] の 地下鉄 部分の橋脚が完成していたが、資金難と 太平洋戦争 勃発で工事は中止。戦後の 1961年 ( 昭和 36年)に 東海道新幹線 の終点が工事計画地上の 新大阪駅 に決定したのに伴い工事が再開。 1964年 (昭和39年)にまず地下鉄部分と、新淀川大橋の上流部分(南行車線)が開通 [1] 。新淀川大橋の残りの下流部分(北行車線)が 1970年 (昭和45年)の 大阪万博 開催前の 1969年 (昭和44年)に供用開始。大阪市( 国道1号 交点)から 千里ニュータウン を経由し箕面市萱野( 国道171号 交点)を結ぶ大阪府道大阪箕面線が全面開通した。

1982年 (昭和57年) 4月1日 、国道に昇格した。その後、国道423号は、 大阪府道9号箕面池田線 交点(白島)まで延伸され、2007年5月30日には 箕面有料道路 (箕面グリーンロード)も開通したが [注釈 2] 、通称名としての「新御堂筋」としては、どの部分までを指すか、統一された認識は定まっていない。箕面有料道路が開通後は、白島2丁目交差点から北の本線(有料道路)部分は 掘割 となっている。また白島2丁目交差点は「白島南ランプ」として立体交差化される計画がある。(坊島4丁目交差点~大阪府道9号箕面池田線交点(白島)間は、

[28] 京浜東北線 - Wikipedia, , https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%AC%E6%B5%9C%E6%9D%B1%E5%8C%97%E7%B7%9A

京浜東北線 (けいひんとうほくせん)は、 埼玉県 さいたま市 大宮区 の 大宮駅 から、 東京都 千代田区 の 東京駅 を経由して 神奈川県 横浜市 西区 の 横浜駅 を結ぶ 東日本旅客鉄道 (JR東日本)が運行する 電車線 の 運転系統の通称 である。大宮駅 - 東京駅間は 東北本線 の、東京駅 - 横浜駅間は 東海道本線 の一部である。

運行形態は横浜駅 - 磯子駅 - 大船駅 間の 根岸線 と一体であり、合わせて 京浜東北・根岸線 と呼ばれる場合もある。以降、必要に応じて根岸線区間も含めた大宮駅 - 大船駅間の状況について記す。

概要

京浜東北線は、 東京 の 電車特定区間 内の運転系統( E電 )の一つであり、東京の 都心 を南北に縦貫し、北は 埼玉県 さいたま市 、南は 神奈川県 横浜市 ・ 鎌倉市 まで結んでいる。 ラインカラー は スカイブルー ( ■ )で、車両の車体帯の色や駅施設などにおける案内に使用されている。

1914年 (大正3年) 12月20日 の 東京駅 開業と同時に「 京浜線 」として 東海道本線 東京駅 - 高島町駅 (現存せず)間で開始された電車運転が起源であり、その後北は 東北本線 大宮駅、南は 根岸線 大船駅まで運行区間が延伸されて 1973年 (昭和48年)に現在の運行形態となった。 2014年 には運行100周年を迎えた。

「京浜東北線」の名称は、その運行区間である東 京 と横 浜 間を結ぶことに拠る『京浜』と、東北本線の 電車線 であることに拠る「東北」からなる(名称の経緯は「 #歴史 」節も参照)が、これは旅客案内上の通称であり、正式な線路名称は東京駅 - 横浜駅 間が東海道本線、東京駅 - 大宮駅 間が東北本線、横浜駅 - 大船駅間が根岸線である。一般的には運営事業者(JR東日本)はもとより、 国土交通省 や関係する各鉄道事業者、 マスメディア などが『京浜東北線』の名称を使用するため、この名称が定着している。

長い間東京の中心部を南北に縦断し埼玉県域と神奈川県域を結ぶ唯一の鉄道運行系統であったが、 2001年 の 湘南新宿ライン 運行開始、東京都心の地下鉄線と郊外の鉄道各線との直通運転実施 [注 1] 、さらに 2015年 に東北本線と東海道本線間の中距離電車の相互直通運転( 上野東京ライン )が開始されたこと [1

[29] 「抜本的に改良する」 渋谷駅、“不便”の汚名返上なるか | 乗りものニュース, , http://trafficnews.jp/post/41291/

東急東横線が地下に潜り、「乗り換えが不便」という声も多い渋谷駅。その状況を解消すべく行っている動線改良工事の内容を7月2日、東急電鉄が発表しました。「継ぎ接ぎだらけ」ともされる渋谷駅を、同社は「抜本的に改良する」といいます。

不便な渋谷駅を解消する「3つのアプローチ」 2013年3月16日に、東急東横線のホームが地上2階から地下5階へ潜った渋谷駅。これにより東横線とJR山手線などとの乗り換えが複雑で時間を要するものになり、東急電鉄によると「地下に潜ったことで、どこを歩いているのか分かりづらい」という声が一番多く寄せられているそうです。

利用者からの不満が多い渋谷駅の乗り換えについて、その問題を解消すべく現在行っている工事の概要を2015年7月2日(木)、東急電鉄が発表しました。

そこで「乗換の不便さを解消する3つのアプローチ」として挙げられたのは、「ヨコ移動」と「タテ移動」、「ゆとりの歩行空間」です。

渋谷駅の動線改良計画。埼京線や銀座線のホームが移動し、縦方向の動線がエスカレーターなどで整備される。 「ヨコ移動」は「駅の改良工事」です。2021年度には、東京メトロ銀座線のホームがJR渋谷駅と渋谷ヒカリエのあいだ付近へ移転する予定です。またJR埼京線・湘南新宿ラインのホームも、山手線の隣へ移動させる計画が進行中。これによって各線のホームが近くなり、利便性の向上が見込まれます。

「タテ移動」は「アーバンコア設置」です。渋谷ヒカリエに見られるような、エレベーターやエスカレーターによって多層な都市基盤を上下に結び、人々を誘導するものが「アーバンコア」とのこと。エレベーターやエスカレーターを活用し、「タテの動線」が分かりやすく、より便利になるよう整備されます。

「ゆとりの歩行空間」は「東口地下広場」です。東急線の宮益中央改札付近からJR駅方向へ、およそ1600平米の地下広場が誕生。動線が横方向に広がり、人が滞留できることから、駅の動線に「ゆとり」が生まれるといいます。

[30] 「抜本的に改良する」 渋谷駅、“不便”の汚名返上なるか | 乗りものニュース, , http://trafficnews.jp/post/41291/2/

継ぎ接ぎだらけの渋谷駅、具体的にどう変わる? これによって渋谷駅での乗り換え所要時間は、具体的にどう変わるのでしょうか。

東横・副都心線とJR線(左)、銀座線(右)の乗り換え動線改良後の平面図と断面図(画像:東京急行電鉄(株)提供)。 東急電鉄によると、まず東横線・東京メトロ副都心線とJR線の乗り換えについて、現在は約3分半を要するものが約2分まで短縮されるといいます。いま、この乗り換えでは階段とエスカレーター1基しかなく、経路も複雑ですが、階段のほか新たにエレベーターと5基のエスカレーターを設置。東横線・副都心線のヒカリエ前改札がある地下3階とJR線改札のある1階が直結され、ベビーカーや車いすでの移動もしやすくなるそうです。このエスカレーター設置は2019年度が予定されています。

東横線・副都心線と銀座線の乗り換えについては、現在の約4分から約2分半まで短縮されるとのこと。銀座線のホームが東へ移動するため、明治通りをまたぐことなく乗り換え可能になります(各所要時間は通常時、歩行80m/分、エスカレーター30m/分で算出)。

東急電鉄広報部の森さんは、改良後も混雑時はこの数字より所要時間が長くなる可能性があるものの、むしろそうした混雑時こそ現状から大きく改善され、改良の効果が発揮されるといいます

「継ぎ接ぎだらけで分かりづらい」という声も多いという渋谷駅。東急電鉄は、今回の工事でそれを「抜本的に改良する」と話しています。

【了】

Writer: 恵 知仁

鉄道ライター、イラストレーター。

鉄道関係の書籍、絵本などの制作や「東海道新幹線 開業50周年記念サイト」の記事執筆、北近畿タンゴ鉄道の車両デザインなどに関わる。子供の頃からの旅鉄&撮り鉄で、日本国内の鉄道はJR・私鉄の全線に乗車済み。

[31] 北陸新幹線 敦賀~大阪ルート案を初提示 NHKニュース, , http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160126/k10010386791000.html

北陸新幹線の福井県の敦賀から大阪までのルートについて話し合う与党の検討委員会が開かれ出席したJR西日本の真鍋精志社長は、新たなルートの案として福井県小浜市付近を通り、京都駅を経由して新大阪駅に至るルートを初めて示しました。

26日は敦賀から大阪までのルートについて議論する与党の検討委員会が開かれ、運行主体となるJR西日本の真鍋社長とJR東海の担当者が出席し意見聴取が行われました。 この中で、検討委員会で案の1つとして上がっている、滋賀県長浜市から米原で東海道新幹線と合流する「米原ルート」について、JR側からは「ダイヤが過密になることや運行システムなど技術的な問題がある」として否定的な考えが示されました。 そのうえで真鍋社長は、福井県小浜市付近を通り京都駅を経由して新大阪に至る新たなルート案を初めて示しました。 これまで委員会で検討されていた「小浜ルート」は小浜市から京都駅を経由せず新大阪に至るものでしたが、真鍋社長は「北陸から京都までの旅客が多い」などとして、京都駅を経由すべきだという考えを示し、小浜市と京都駅の間の経路は、「まっすぐ直線上に行くのがよい」と述べました。 与党の検討委員会では、来月関西と北陸の経済界や京都府と京都市から意見聴取を行ったうえで議論を進め、ことし5月中に複数のルートに絞り込んで国に対し各ルートの調査を指示することにしています。

[32] 北陸新幹線 小浜・京都ルートで事実上の決着 | NHKニュース, , http://www3.nhk.or.jp/news/html/20161214/k10010806671000.html?utm_int=all_side_ranking-social_005&nnw_opt=ranking-social_a

北陸新幹線の福井県の敦賀から大阪までのルートを検討してきた与党の委員会は14日、福井県小浜市を通って京都駅に南下する「小浜・京都ルート」が適切だとする報告をまとめました。これによりルートの絞り込みは「小浜・京都ルート」で事実上、決着しました。

[33] 天王寺駅の怪と阪和電気鉄道の歴史 前編【昭和考古学】 - 昭和考古学とブログエッセイの旅へ, , http://parupuntenobu.hatenablog.jp/entry/%E9%98%AA%E5%92%8C%E9%9B%BB%E6%B0%97%E9%89%84%E9%81%93%E3%81%A8%E5%A4%A9%E7%8E%8B%E5%AF%BA%E9%A7%85

天王寺駅 の謎

好奇心のアンテナを限度いっぱいに広げていると、身近な場所や物でもさりげなく「???」と思う謎があったりします。

そして、それそれを掘り下げてみると、意外なものが見つかったりすることがあります。

例えば、大阪にある JR阪和線 の 天王寺駅 。

阪和線 の 天王寺駅 は、他のJRの路線とは少し離れた所に位置しています。

そもそも、

「同じJRなのに他の路線とホームが違うの?」

という疑問を持たれてもおかしくないですが、その答えは簡単。 ここは元々阪和電気鉄道(以下阪和電鉄)のターミナル駅として作られたもので、当時は私鉄なので別でした。もちろん、当時は駅舎も違いました。

今でも私鉄のターミナル駅のような、終端式のホームが私鉄時代の面影を残しています。

ここのホームには、気付くことはほとんどない、ちょっとした謎が隠されています。

これは、7~8番ホーム。

これは今は降車専用になっている5~6番ホームです。 カメラマンの腕が悪いせいでわかりにくいですが、この2つのホームを比べてみたら、なんだか変なんです。

そう、 7~8番ホームと比べて5~6番ホームの幅が異様に広い ということ。 これは、毎日この駅を使っている人でも意識しません。逆に、毎日使ってるからこそ気付かない、このアンバランスさは何か。

そしてもう一点。

これは7番ホームから和歌山の方向を写したものですが、 途中でレールがグニャッと不自然に曲がっています。 まっすぐにした方が効率が良いのに、何でわざわざこんな非効率な曲がり方しとるんやろ?

こう書くとなんか不思議に思いません? 俺はごっつい不思議に思うんですけどね(笑

で、思っ たこ とは、

「こんな非効率な曲がり方には、何らかの理由があるに違いない!」

という謎。 そこで、名づけて 「 天王寺駅 の怪」 を解明すべく、 GWのヒマつぶしに 調査することにしました。

伝説の私鉄、阪和電気鉄道

本題に入る前に、 阪和線 の前身、阪和電鉄のことを説明しないといけません。

JR阪和線 は大阪の 天王寺駅 と 和歌山駅 とを結ぶ路線で、今は 関西空港 へのアクセスラインとしても知られとります。

しかし、ここが元々は私鉄だっ たこ とは知っていても、 京阪電鉄 の系列だったって知る人は、毎日通勤通学で使っとる人でも知っている人は少ないと思います。 今は「 おけい

[34] さよなら天六阪急ビル - 十三のいま昔を歩こう, , http://atamatote.blog119.fc2.com/blog-entry-270.html

さよなら天六阪急ビル 今年解体の噂がある天六阪急ビルの近くに行ったのですが、 テナントの移転が始まっているようです。周辺も合わせてうろうろしてきました。 天六阪急ビルの裏にあったビルの解体が始まっていました。 ここも阪急不動産の土地のようです。 ビルの裏にあるツタも今年で見納めです。 ビルの周りには移転の張り紙が…。 2階以上のテナントも全て移転していました。 解体の目安は、ギリギリまで移転しないであろうりそな銀行の移転が参考になります。 7月13日(月)に新店舗での営業になっていますので、 ここでの営業は7月10日(金)までになるのかな? ということは、早ければ7月後半に解体の準備が始まる可能性があります。 (追記) 7月1日に寄ってみたのですが、 阪急ファミリーストアは 閉店の動きがまったくありませんでした。 いつまで営業するんだろう? (追記2) 8月28日にも寄ってみましたが、 阪急ファミリーストアの閉店の動きは まだありませんでした。 天六阪急ビルの西隣の地域も建物の立ち退きが進んでいます。 どうなっちゃうんだろう? 見慣れた街並みがどんどん変わっていっちゃいますね。 どうなっちゃうの? ちょっと複雑な思いです。 ここは天六阪急ビルの丸一屋さん。 いつも賑わってるけど、ぎりぎりまで営業するのでしょうか。 裏の交番。ツタのからみ方がいいんです。 天六名物の けつねうどん! け です^^ ところで、 この天六阪急ビルをご存知ない方にちょこっと補足を。 昭和35年頃「昭和の大阪」より ← amazonにリンクしてます。 元々この建物は新京阪電鉄のターミナル、天神橋駅でした。 線路が高架だったので、2階が駅のホーム、1階が改札口だったようです。 昭和44年(1969)の地下鉄堺筋線の開業でターミナルビルの役目を終えています。 この角度で見ると、ホームが並んでいるように見えますね。 (これは以前撮った写真。けつねうどんの看板がみえます) 高架線路がなくなっているので想像しにくいですが、 なんとなくターミナル駅に見えてきたでしょ^^ ただ、手前の坂道と左の壁は後で無理矢理作っている感じがします…。 駅の名残をいろいろ探してみましたが、 柱とか天井の色がはがれかけている感じが 昔の駅を想像させてくれます。 左の壁はおそらく後で作った壁なんじゃないかな。 柱と天井がなんと

履歴

[35] この記事はSuikaWiki Worldに作成されました。 に最終更新されました。 https://world.suikawiki.org/spots/24795567405125053

メモ