押角駅

押角駅

[1] 押角駅 (おしかどえき)

39.7239166666667 141.693130555556

Webページ

[2] 押角駅 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%8A%BC%E8%A7%92%E9%A7%85

押角駅(おしかどえき)は、かつて岩手県宮古市和井内にあった、東日本旅客鉄道(JR東日本)岩泉線の駅。同線の廃線により2014年(平成26年)3月31日限りで廃止となった。

[3] バイクで旧岩泉線を訪問してみる・その3(押角峠と押角駅) - きたへふ(Cチーム)のブログ, , http://blog.goo.ne.jp/cars-kitahefu/e/137169b32383c53e9febe80a0645f429

【記事作成日:2014/5/4、現地訪問日:2014/4/26】

このエントリでは、

バイクで旧岩泉線を訪問してみる・その1(横浜→茂市駅まで)

バイクで旧岩泉線を訪問してみる・その2(茂市駅→岩手和井内駅まで)

の続きとして、今回の岩泉線沿線見学ツアーのハイライトである

秘境駅の押角駅とその前後の押角峠(酷道340号線)をバイクで

訪問したときの状況を記載します。

旧岩泉線 茂市駅から岩泉駅まで (クリックでgoogle mapの元データへ)

A…茂市駅

B…岩手刈屋駅

C…中里駅

D…岩手和井内駅

E…押角駅

:

かつてこの間に宇津野駅あり(廃駅)

:

F…岩手大川駅

G…浅内駅

H…二升石駅

I…岩泉駅

1. 岩手和井内駅から押角駅まで

岩手和井内駅から押角までの地図(抜粋)

31押角峠スタート

茂市駅から和井内の集落を過ぎるまでの道は、

一部狭いところはあったもの、ごく普通の

一般的な生活道路という感じでした。

ところが押角峠に近づいてからは、道幅は狭くなり、

一気に酷道色が強くなってきます。

32路肩注意

ヘマをするとガードレールのない川底にドボンです。

33路肩と崖

路肩のガードレールはあまり役に立っているとは思えず、

網タイツ(←正確にはタイツではない)を被せられた山肌も

今にも崩れ落ちてきそうです。

34役に立っていないガードレール

特にガードレールは、あちこちでぶつけられており、

バイクが路肩に落ちてしまう程のスペースが空いている

個所もちらほらと見つかりました。

35雪崩

川の向こうの岩泉線の線路を見ると、雪崩で線路が

埋まっちゃっている状態でした。

この日の岩手は20℃を越える暖かい日で、茂市からは

バイクの上着(3シーズンジャケット)を脱いでおり、

中のインナーも脱ごうかどうか迷うぐらいの暖かい

天候だったのですが、山間部ではまだこれだけ雪が

残っていることに驚きました。

36刈屋川沿いの風景

刈屋川はイワナやヤマメ、鮎などが釣れる清流で

釣り人には人気のところだそうです。(要日釣券)

37国道340号のおにぎり

そろそろ押角駅に近づいてきました。

38押角駅入口の標識

そしてついに目的地である押角駅に到着です!

2. 押角駅付近を散策し

[4] 岩泉線 - Wikipedia, , http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B2%A9%E6%B3%89%E7%B7%9A

岩泉線(いわいずみせん)は、かつて岩手県宮古市の茂市駅と同県下閉伊郡岩泉町にある岩泉駅を結んでいた東日本旅客鉄道(JR東日本)の鉄道路線(地方交通線)である。

茂市駅で山田線から分岐していた、第二次世界大戦中に耐火煉瓦の原料となる耐火粘土の輸送のために建設された路線で、日本国有鉄道(国鉄)時代に特定地方交通線第2次廃止対象線区に選ばれていた[1]が、並行する道路が整備されていなかったため、代替道路未整備を理由に名松線[注釈 1]とともに廃止対象から除外された[2]。2010年7月31日に発生した土砂崩れによる脱線事故のため、以来全線で運休になっていたが、2012年3月30日にJR東日本は鉄道での復旧を断念し、バスによって輸送を継続したいという方針を発表し[3]、2013年11月8日に廃止届が提出され[4]、2014年4月1日に廃止された[5][6]。

歴史[編集]

全通までの経緯[編集]

岩泉線の歴史は、1922年に公布された改正鉄道敷設法の別表第8項に掲げる予定線として「岩手県小鳥谷ヨリ葛巻ヲ経テ袰野[注釈 2]付近ニ至ル鉄道及落合付近ヨリ分岐シテ茂市ニ至ル鉄道」と規定されたものに端を発する[8]。この予定線は、袰野で三陸海岸沿いに走る別の予定線「岩手県久慈ヨリ小本ヲ経テ宮古ニ至ル鉄道」(別表第6項)[注釈 3]に接続するものであった[8]。

この予定線は直ちに建設に着手される見込みはなかった[8]が、第二次世界大戦に入ると、小本川上流で耐火煉瓦の原料となる耐火粘土が採掘されることから、これを輸送する路線として山田線茂市駅から浅内駅に至る鉄道路線が着工されることになった[7][注釈 4]。

この路線は小本線と称し、まず1942年6月25日に茂市駅から岩手和井内駅までの区間が開業した[8]。次いで岩手和井内駅から押角駅までの区間も1944年7月20日に開業した[2]が、この時点では岩手和井内駅以遠の区間は貨物輸送のみであった[2]。その先も浅内駅までの延長工事が進められていた[2]が、第二次世界大戦中には開通せず、耐火粘土は索道によって押角駅まで運ばれていた[2]。また、木材輸送も行われていた[8]。

終戦後も工事は継続され、押角トンネルが貫通した出口に宇津野駅を設け[2]、1947年11月25日に押角駅から宇津野駅までの区間も開業[8]、これと同時に岩手和井内駅か

[5] バイクで旧岩泉線を訪問してみる・その1(横浜→茂市駅まで) - きたへふ(Cチーム)のブログ, , http://blog.goo.ne.jp/cars-kitahefu/e/3cebc2cb868747f350b8f18e6082777e

【記事作成日:2014/4/29、現地訪問日:2014/4/26】

1. はじめに

ブログ主は鉄ヲタ(乗り鉄)でバイク乗りで酷道マニア(見習い)という

“逸般的”な趣味を持っているのですが、そんな私は言わずもがな

鉄道趣味のジャンルの一つである“秘境駅”も好きだったりします。

※ 正確に言うと秘境駅のある路線に乗りに行くのが好きなんですが。

そういう私が心底残念で心残りに思っていることが1つあります。

それは岩手県を走るローカル線である岩泉線に乗れなかったことです。

岩泉線は1日3往復ぐらいしか運行されず、途中には全国最強クラスの

秘境駅とされる押角駅を有する、秘境駅マニアであれば絶対に

知っておかねばならない、超絶ローカル路線です。

(詳細はWikiPediaの岩泉線の項参照)

そんな私も岩泉線に乗りに行く気は満々で、2010年の夏休み

(18きっぷのシーズン)にでも乗り行くつもりだったのですが、

その矢先の2010年7月31日に発生した土砂崩れと脱線事故から

立ち直ることができず、その後バス代行が続いた上で、

2014年3月31日で正式に廃線になってしまいました。(つД`)

廃線までに岩泉線には乗れなかったのですが、それでもまだ

岩泉線の名残があるうちに現地を訪問したいと思い、

今回は一泊二日の強行日程ながら、横浜から岩手まで

バイクで現地を訪問してみることにしました。

今回はそのときの記録をブログに残したいと思いますが、

写真が多くてページが重たくなってしまうことから

4つのエントリに分けて記載したいと思います。

その1: 横浜から茂市駅まで (←このページ)

その2: 岩手刈屋駅から岩手和井内駅まで

その3: 押角駅と押角峠

その4: 岩手大川駅から岩泉駅まで

2. 岩泉線の概要(地図)

岩泉線は、盛岡と宮古市(実際にはその先の釜石まで)を結ぶ

山田線の途中駅である茂市駅から岩泉駅までを結ぶ路線です。

起点の茂市駅のある山田線ですら超ローカル路線なのに、

ましてや、そこから過疎の山の中に延びていく盲腸線である

岩泉線はとんでもない超絶ローカル路線となります。

旧岩泉線 茂市駅から岩泉駅まで (クリックでgoogle mapの元データへ)

A…茂市駅

B…岩手刈屋駅

C…中里駅

D…岩

[6] バイクで旧岩泉線を訪問してみる・その2(茂市駅→岩手和井内駅まで) - きたへふ(Cチーム)のブログ, , http://blog.goo.ne.jp/cars-kitahefu/e/cc3daf4d9e2b4320c4dda48271a440e1

【記事作成日:2014/5/3、現地訪問日:2014/4/26】

このエントリでは、

バイクで旧岩泉線を訪問してみる・その1(横浜→茂市駅まで)

の続きとして、岩手県の旧岩泉線の茂市駅から

岩手和井内駅までの訪問記を記載します。

旧岩泉線 茂市駅から岩泉駅まで (クリックでgoogle mapの元データへ)

A…茂市駅

B…岩手刈屋駅

C…中里駅

D…岩手和井内駅

E…押角駅

:

かつてこの間に宇津野駅あり(廃駅)

:

F…岩手大川駅

G…浅内駅

H…二升石駅

I…岩泉駅

茂市駅から岩手和井内駅までの地図(抜粋)

1. 岩手刈屋駅に行ってみる

00 茂市駅付近より国道340号の北上開始(岩泉まで45km)

盛岡と宮古を結ぶ幹線道路である国道106号線より、

北上山地を縦に貫く国道340号線に入って岩泉方面へ

北上を開始します。

01岩手刈屋駅・分岐

国道から横道に入ります。

02岩手刈屋駅・駅舎

駅舎はこんな感じでした。

03岩泉茂市線バス時刻表

鉄道としての岩泉線は無くなりましたが、

同じ区間を走る路線バスは存在するので、

駅舎はバスの待合室として使われていました。

04岩手刈屋駅・駅舎(ホームから)

味のある風景です。

05岩手刈屋駅・茂市側

花壇があって綺麗な花が咲いていました。

06注意看板

残念ながら、列車はもう来ることはありません。(つД`)

07岩手刈屋駅・岩泉側

線路沿いに大きな桜の木があったのですが、

満開でとても綺麗な状態でした。

08岩手刈屋駅近くの別のバス停

風雨をしのげる小さな待合室がイイ感じです。

続けて隣の中里駅に向かいます。

2. 中里駅に行ってみる

09刈屋踏切1

岩手刈屋駅から中里駅までは線路沿いの道を進んだところ

途中に踏切を発見しました。

10刈屋踏切2

踏切では道路両端の線路側にトラロープが張られていて

線路内には立入禁止の状態になっていました。

11途中の橋

橋については両端の入口に柵が設けられて、

簡単に立入できないようになっていました。

12お寺の近くの踏切

この踏切もトラロープが張られて、

立入禁止の状態になっていました。

13線路を塞ぐ枯れ枝

日々のメンテナンスがされないと、やっぱり

こんな感じにな

[7] バイクで旧岩泉線を訪問してみる・その4(岩手大川駅からと岩泉駅まで) - きたへふ(Cチーム)のブログ, , http://blog.goo.ne.jp/cars-kitahefu/e/b89eb7fa72711ac77d4995b3d5035142

【記事作成日:2014/5/3、現地訪問日:2014/4/26】

このエントリでは、

バイクで旧岩泉線を訪問してみる・その1(横浜→茂市駅まで)

バイクで旧岩泉線を訪問してみる・その2(茂市駅→岩手和井内駅まで)

バイクで旧岩泉線を訪問してみる・その3(押角峠と押角駅)

の続きとして、今回の岩泉線沿線見学ツアーの最後となる

岩手大川駅の手前から終点岩泉までをバイクで訪問したときの

状況を記載します。

旧岩泉線 茂市駅から岩泉駅まで (クリックでgoogle mapの元データへ)

A…茂市駅

B…岩手刈屋駅

C…中里駅

D…岩手和井内駅

E…押角駅

:

かつてこの間に宇津野駅あり(廃駅)

:

F…岩手大川駅

G…浅内駅

H…二升石駅

I…岩泉駅

1. 雄鹿戸トンネル先から岩手大川駅まで

雄鹿戸トンネルから岩手大川駅までの地図(抜粋)

60岩泉町へ突入

雄鹿戸トンネルを抜けると岩泉町に入ります。

61押角峠の下り

岩泉町側の道は、それ程険しくはありませんでした。

62岩泉線の高架橋

高いところを岩泉線が走っています。

列車から見る眺めはきっと良かったんだと思います。

岩泉線に乗れなかったことが、本当に残念です。

63高架橋にも柵

なお、こうしたところにもしっかり柵が張られて

立入近似状態になっていました。

64県道171号線との分岐点

T字路型の交差点に到達します。

岩泉駅方面は右側ですが、岩手大川駅は左にあるので

一旦左方面へ寄り道します。

65落石注意

なお、ここから岩泉側は「この先5km付近まで落石に

特に注意して通行してください」との警告がありました。

66大川駅分岐

県道171号線から駅の方の道に入ります。

67あじのある大川駅と小中学校の案内板

イイ感じです。

68大川駅&トイレ

いかにも田舎の駅舎といった感じです。

69大川駅・右側

何といっていいのか分かりませんが、なんとなく

学校の花壇の先に駅があるような感覚でした。

70大川駅・茂市側

大川駅のホームから見た線路の風景は、

すでに廃線が進んでいるなぁ〜といった感じでした。

71大川駅・岩泉側

岩泉側も同様です。

72なくなっている駅名標

この駅も看板がなくなって枠だけになっています。

続け

[8] 岩泉線 - アンサイクロペディア, , http://ja.uncyclopedia.info/wiki/%E5%B2%A9%E6%B3%89%E7%B7%9A

茂市駅という、すでにど田舎の山田線の駅から出発し、岩泉に向けて行く岩泉線である。

そもそも、岩泉の観光地へは盛岡からバスで行くのがセオリーで、わざわざ岩泉線を使って行くのはよほどのマニアである。利用客は人の他、山の動物たちの割合も高い。

JR東日本では岩泉線と山田線に限り、山の動物の利用が認められている。運賃は子供料金と同額であるが、なぜか山の動物たちは金をきちんと払う。それでもこの路線は大赤字垂れ流し路線である。何せ、いわてはいない駅からは人の利用もあまりなく、携帯電話の電波もFOMA以外はほとんど届かないのだ。

岩泉駅へは、岩泉高校生なる学生が利用している。朝夕の一往復はともかく、残りの2往復はもはやネタ運転である。

ところがこの路線は、鉄道教徒の目に留まるようになり、いまや利用客の過半数は鉄道教徒である。特に、押角駅は“秘境駅”として聖地のひとつとなっており、90%以上の利用者が鉄道教徒とする説まであるほどである。

鉄道教徒のほか、押角トンネル(1914.7hyde)など、1000hydeを超える長大トンネルが多数あり戦争中の混乱期に建設されたことから心霊マニアも多数みかける。路線最長のトンネルは現在全長2000hydeとされているが、後述の通り、その調査は頓挫している。

訪問者からは、あんなに開業時はワイワイ騒がれてたのに、今じゃ閑散してるため、別名・祝い済み線と言われる。

[編集] 岩泉線の存続経緯

もともとは、もっと先の龍泉洞が通じているとされる小本あたりまで延びる予定だった。ところが、色々と事情があって頓挫(理由は後述)。結局岩泉止まりに終わった。しかも、国鉄末期に廃線になるはずなのに、「沿線道路が狭隘である」などとクレームがあり残った。……運が良いやつめ。

かつては鉱山鉄道として繁栄しており、旅客ゼロでもなんともなかった。今は通学生のほか観光客輸送が主力となっている。龍泉洞は日本の三大洞窟としてスペランカーたちの人気を集める一大観光スポットである。環境保護のため、龍泉洞内への自動車乗り入れは、マイカーは論外として観光バスすら禁止されており、岩泉線だけが唯一のアクセス方法となっている。さっき少し触れてみたように、小本までの岩泉線延伸計画もあったが、洞窟内の探索中にコウモリの糞に当たった国鉄関係者が死亡し、現状では盲腸線となっている。終点で降りる際は、

[9] 国道352号線(樹海ライン)で新潟・福島県境を越えてみる - きたへふ(Cチーム)のブログ, , http://blog.goo.ne.jp/cars-kitahefu/e/3428ba6d5f73c255166699b3849ff7fd

【現地訪問日:2013/10/13、記事作成日:2013/12/23】

私はここ2年程、春〜秋のツーリング時季は実家の都合や

仕事の関係で頻繁に九州を往復していたので、大好きな

長距離の日帰りツーリングに行くことができていない状況でした。

しかしそうした中でも「時間が出来るようになったら行きたいなぁ」と

以前から常々思っていたところが2個所ありました。

1つが国道152号線(浜松側)を走破すること、

もう1つが只見線&田子倉湖沿いの国道252号線と、

奥只見湖沿いの国道352号線を走破することです。

前者の国道152号線については9月の3連休に走ってきたのですが

(詳細は国道152号線を浜松から北上してみるのエントリ参照)、

今回は10月の体育の日の3連休を利用して、途中1泊しながら

横浜→郡山(一泊)→会津若松→只見(田子倉湖)→魚沼市→奥只見湖

→檜枝岐村→南会津→鬼怒川温泉/日光→鷲宮(温泉)→横浜という

経路でツーリングに出かけてきました。

このエントリでは、昼飯ポイントだった魚沼市の道の駅ゆのたにから

檜枝岐村までの“樹海ライン”と呼ばれる区間の国道352号線を中心に

今さらではありますが今年最後のエントリとして、このときの

走行記録をブログに残していたいと思います。

1. はじめに(樹海ラインについて)

国道352号線 道の駅ゆのたに(A)→国道121号線合流点(I)まで

(クリックでgoogle mapの元データに飛びます)

まず初めに、樹海ライン付近の地図と概要について紹介します。

樹海ラインは新潟県の魚沼市(旧小出町)から枝折峠(しおり峠)を

通って著名な観光地である奥只見湖を抜け、尾瀬の北側の入口となる

檜枝岐村を通って、福島県の南会津地方に抜けるルートです。

ちなみにこのルートは、近年までバイクの走行が禁止されていました。

1998年のツーリングマップルより(枝折峠付近) …クリックで拡大

「眺望抜群の峠だが二輪は通行禁止 許せん!国道だぞ!」という説明が

書かれています。

1998年のツーリングマップルより(新潟・福島県境) …クリックで拡大

「県境より6km先の新潟県側は二輪車通行禁止」と記載されています。

また、この道は国道でありながら洗い越しと呼ばれる

小川が道路を横切っ

[10] 道路レポート, , http://yamaiga.com/road/r340_osikado/main4.html

押角峠を越えた私は、究極の秘境鉄道岩泉線の、その究極たる由縁を見せ付ける光景に出会う。

今回は、その場面だ。

<地図を表示する>

JR押角駅 駅前

押角峠から続く急なくだりが一段落する場所が、峠の名の元となった押角地区である。

ここは、現在では集落も消え去り、無人の地区であるが、それでも駅が存在している。

その名も、押角駅。

じつはここ、その方面(?)では有名な秘境駅なのである。

私は、事前情報がなかったので、何気なく「凄いところに駅があるなー」と思って立ち寄ったのだが、帰宅後に調べてみると、ネット上には多数この駅についてのレポートが存在していた。

国道には、一応駅のあることを知らせる青看が設置されているが、上の写真の通り、大変に目立たない。

しかも、速度を出していれば、たとえ標識に気が付いたとしても、どこが入り口なのかさえ分からないであろう。

上の写真にもその入り口は映っているが、お分かりいただけるだろうか?

ボケッとしていたら、絶対に気が付かない駅なのである。

入り口に立って、駅のあるほうを見ても、そこには駅らしい物は何も見えない。

そのかわり、車数台が駐車できる草むら(駅前駐車場である)と、その奥に線路に向かう階段が見える。

線路があるから、駅もそこにあるのだろうか?

あまりに不案内なので、これは保守用の道なのではないかという不安を感じた。

よく工事現場なのでの足場に用いられる、鉄パイプで補強された幅50cmほどの歩道橋で、刈屋川を渡る。

欄干は片方しかなく、酔っ払いなどはまず間違いなく落ちる。(付近に酔える店など一切ないが)

当然、ノーマライゼーションなどという物は、全く考慮されていない。

狭い橋から、狭くて急な10段の階段に繋がっている。

この階段も、工事用の足場のような物で補強されており、元々の橋と思しき朽ちた材木は足元に散乱している。

この橋と階段で、既に岩泉線の主要な利用者である年齢層の大半は、乗車を諦めることだろう。

履歴

[13] この記事はSuikaWiki Worldに作成されました。 に最終更新されました。 https://world.suikawiki.org/spots/23438054527374753

メモ