75分に及ぶ地底探索によって、我々3人は大都市の地下を1km以上移動していた。
地上に出ると雨が降っており、泥と土臭さが身に沁みた身体をゆっくりとではあるが洗い流そうとしてくれた。
周囲は公園で、テニスに興じる学生達の活気ある掛け声が我々の元にも届いてきた。
しかし、我々は半ば途方に暮れていたのであった。
もと来た穴に戻るのはゴメンだ。
しかし、置き去りにしてきた車へ戻るには、隧道を行くよりも遙かに長い4km近い道のりに耐えねばならない。
雨もさることながら、この泥まみれの身体で仙台駅付近の繁華街を通ることには躊躇いを禁じ得ない。
単純にめんどくさいというのもあるが…。
そんな一行のピンチを救ってくれたのは、仙台在住のオブローダー、はくちょう氏だった。(→氏のサイト『はくちょうnoお部屋』)
彼は、元々この日の探索に途中から合流する予定ではあったのだが、地下にいた我々と連絡を取るのに苦労していた。(洞内で細田氏が通話していた相手も、実は彼だった。)
だが、地上へ戻った我々の求めに応じ、彼は愛車を駆って我々を運んでくれたのである。
しかし…この時の我々3人は、“ただの人”ではなかった。
この汚れぶりである。
それを、幾らビニール袋を座席に敷いたとはいえ… 乗せてくれてありがとうございました!!
そんなわけで、はくちょう氏を加えて4人となった一行は、出発地点に戻った。
先ほど行き残してしまった“壁の向こう”を探索するべく、再び坑口へ向かう。
時刻は午前10時を少しまわっていた。
そして、戻ってきた。
この“樫の木おじさん”へ。
心霊系サイトなどでも、この場所は何かと曰くありげに紹介されたりしているが…気持ちがよく分かる。
なんというか、まあ、お地蔵さんもたくさん集まっているし、一種異様な雰囲気はある。
そして、この穴。
髑髏の眼窩のように見えはじめるともう、それ以外に見ることは不可能だ。
しかし、我々はあくまで冷静でいなければならない。
このような穴は、ざっと見た感じでも周囲に10くらいはありそうだった。
これらの穴の存在も、心霊スポットのように捉える人々にとっては、先ほどまでの水路隧道と同一視または混同されることがあるのだろうが、実は無関係である。
これらの小穴は横穴墓と呼ばれる、古代の墓穴遺跡なのである。
近くにあった案内板