常磐線

常磐線

[1] 常磐線 (じょうばんせん)

Webページ

[2] 常磐線 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B8%B8%E7%A3%90%E7%B7%9A

常磐線(じょうばんせん)は、東京都荒川区の日暮里駅から千葉県北西部、茨城県、福島県の太平洋側を経由して宮城県岩沼市の岩沼駅までを結ぶ東日本旅客鉄道(JR東日本)の鉄道路線(幹線)である。 列車運行上の常磐線は、東北本線区間の上野駅 - 日暮里駅および岩沼駅 - 仙台駅間を含めた、東京都台東区の上野駅から宮城県仙台市青葉区の仙台駅までである。 また、運転系統上の「常磐線」は、中距離列車や特急列車などの列車系統のみを指し、取手駅以南の複々線区間を運転する電車系統の快速電車・各駅停車とは区別される。本記事での運転系統としての記述は主に前者について取り上げる。 東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)による被害と、それに起因した福島第一原子力発電所事故による警戒区域・帰還困難区域設定のため、発生した2011年3月11日以来広野駅 - 原ノ町駅間および相馬駅 - 浜吉田駅間が運休となっている。

[3] 京浜東北線 - Wikipedia, , https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%AC%E6%B5%9C%E6%9D%B1%E5%8C%97%E7%B7%9A

京浜東北線 (けいひんとうほくせん)は、 埼玉県 さいたま市 大宮区 の 大宮駅 から、 東京都 千代田区 の 東京駅 を経由して 神奈川県 横浜市 西区 の 横浜駅 を結ぶ 東日本旅客鉄道 (JR東日本)が運行する 電車線 の 運転系統の通称 である。大宮駅 - 東京駅間は 東北本線 の、東京駅 - 横浜駅間は 東海道本線 の一部である。

運行形態は横浜駅 - 磯子駅 - 大船駅 間の 根岸線 と一体であり、合わせて 京浜東北・根岸線 と呼ばれる場合もある。以降、必要に応じて根岸線区間も含めた大宮駅 - 大船駅間の状況について記す。

概要

京浜東北線は、 東京 の 電車特定区間 内の運転系統( E電 )の一つであり、東京の 都心 を南北に縦貫し、北は 埼玉県 さいたま市 、南は 神奈川県 横浜市 ・ 鎌倉市 まで結んでいる。 ラインカラー は スカイブルー ( ■ )で、車両の車体帯の色や駅施設などにおける案内に使用されている。

1914年 (大正3年) 12月20日 の 東京駅 開業と同時に「 京浜線 」として 東海道本線 東京駅 - 高島町駅 (現存せず)間で開始された電車運転が起源であり、その後北は 東北本線 大宮駅、南は 根岸線 大船駅まで運行区間が延伸されて 1973年 (昭和48年)に現在の運行形態となった。 2014年 には運行100周年を迎えた。

「京浜東北線」の名称は、その運行区間である東 京 と横 浜 間を結ぶことに拠る『京浜』と、東北本線の 電車線 であることに拠る「東北」からなる(名称の経緯は「 #歴史 」節も参照)が、これは旅客案内上の通称であり、正式な線路名称は東京駅 - 横浜駅 間が東海道本線、東京駅 - 大宮駅 間が東北本線、横浜駅 - 大船駅間が根岸線である。一般的には運営事業者(JR東日本)はもとより、 国土交通省 や関係する各鉄道事業者、 マスメディア などが『京浜東北線』の名称を使用するため、この名称が定着している。

長い間東京の中心部を南北に縦断し埼玉県域と神奈川県域を結ぶ唯一の鉄道運行系統であったが、 2001年 の 湘南新宿ライン 運行開始、東京都心の地下鉄線と郊外の鉄道各線との直通運転実施 [注 1] 、さらに 2015年 に東北本線と東海道本線間の中距離電車の相互直通運転( 上野東京ライン )が開始されたこと [1

[4] 末続駅 - Wikipedia, , http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%AB%E7%B6%9A%E9%A7%85

駅周辺[編集]

国道6号

ラーメンショップ久ノ浜店

歴史[編集]

1947年(昭和22年)6月1日 - 開業。

1976年(昭和51年)4月 - 簡易委託化。

1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化に伴い、東日本旅客鉄道の駅となる。

1993年(平成5年)10月 - 無人化。

2011年(平成23年)

3月11日 - 東日本大震災(福島第一原子力発電所事故)により休止。

4月21日 - 周辺の屋内待避命令を解除。当初、当駅は営業再開の対象外となっていた。

8月1日 - 代行バス運行開始。ただし駅には乗り入れず、「ラーメンショップ久ノ浜店」前の臨時バス停で乗降する。

10月10日 - 当駅への列車の停車が再開。これに従い、代行バスは運行終了[1]。

その他[編集]

映画『釣りバカ日誌8』では当駅がロケ地として使用された。

当駅と隣の久ノ浜駅との間には旧線で使用していたトンネルの廃墟がある。

末続地区には小学校がないため、近隣の小学生は朝夕に久ノ浜駅との間で列車通学をする。

隣の駅[編集]

東日本旅客鉄道

■常磐線

久ノ浜駅 - 末続駅 - 広野駅

脚注[編集]

[5] 逢隈駅 - Wikipedia, , http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%80%A2%E9%9A%88%E9%A7%85

歴史[編集]

1960年(昭和35年)10月1日 - 日本国有鉄道の逢隈信号場として開設。

1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により、JR東日本に継承。

1988年(昭和63年)8月2日 - 駅に昇格、逢隈駅開業。

2003年(平成15年)10月26日 - ICカード「Suica」サービスが開始。

2011年(平成23年)9月26日 - 岩沼駅信号設備火災に伴い、構内の信号設備が使えないため、当駅 - 岩沼駅間で当駅を出入口とするスタフ閉塞式を施行。運転要員が臨時配置された。

駅構造[編集]

島式ホーム1面2線を有する地上駅である。簡易自動券売機および簡易Suica改札機を備えた無人駅である(ホームに入る踏切の手前にプレハブの建物があり、管理駅の岩沼駅から駅員が派遣されることもある)。

当駅は線形改良で出来た駅でもあり、下り線は右手に折れて本線に戻るが、用地はそのまま直線になっており、これが旧線である。岩沼方から来る新線はこの駅では上り線となって、本線になる。

のりば[編集]

[6] , , http://www.geocities.jp/pf60g180/TK25.html

ある日、“金山隧道”を検索していたら、福島県の相双建設事務所の書いた興味深い論文に遭遇した。

論文の「はじめに」ということで、以下の内容が綴られていた。

「役割を終えた鉄道の跡を訪ねる旅が、近年ひそやかな人気になっている。調べてみると、本県にも「常磐線旧線」「好間炭鉱専用鉄道」「川俣線」「日中線」「日本硫黄沼尻鉄道」などの廃線跡がある。文献を読むと、相双管内にある「常磐線旧線」の「隧道群」は、明治時代のトンネル技術が原形に近い形で、表情の異なるトンネル群として残されており、その中でも「金山トンネル(1646

m)」は、1000 �b級のものが明治20 年代の終わりから30 年代の初めにかけて一般化しつつあった中でも、特に長いものであったことが知られている。

経済産業省では、我が国の産業の近代化に大きく貢献した遺産を、地域活性化にも役立つものとして、平成19年4月に近代化産業遺産として認定を行っており、本県関係では「赤煉瓦製造関連遺産(喜多方市)」「常磐炭坑関連遺産(いわき市)」が認定されている。このうち、いわき市では、これらの遺産を観光資源として活用し、地域づくりに活かそうとする試みが始まっている。そこで、当研究においては、「常磐線旧線隧道群」が近代化産業遺産に匹敵するものではないかと考え、その土木技術的価値を検証し、今後、当地域の歴史を後世に伝える貴重な地域資源として活用できないかを検証することとした。」

要するに、その辺にゴロゴロしている遺構(常磐線廃隧道)を観光資源に生かせないかということを、お役人が真剣に考えたのだ。 現地調査もやっていて面白い。 でも藪も切り開いた後だから、本当の苦労は判らなかったことだろう。

話が進展するかしないか、今後を見守ることとする。

論文は福島県建設協会のホームページに掲載されていたものと思われるが、現在はリンクが切れているようだ。

[22] 新橋駅 - Wikipedia, , https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E6%A9%8B%E9%A7%85

新橋駅 (しんばしえき)は、 東京都 港区 にある、 東日本旅客鉄道 (JR東日本)・ 東京地下鉄 (東京メトロ)・ 東京都交通局 ( 都営地下鉄 )・ ゆりかもめ の 駅 である。

所在地は、ゆりかもめの駅が 東新橋 一丁目、その他の駅が 新橋 二丁目となっている。

乗り入れ路線 [ 編集 ]

当駅には以下の4社・局の路線が乗り入れている。なお、地下鉄各線とゆりかもめの駅には 駅番号 が付されているため、それも併せて記す。

JR東日本 : 各線(後述)

東京メトロ : 銀座線 - 駅番号「 G 08 」。

東京都交通局(都営地下鉄) : 浅草線 - 駅番号「 A 10 」。

ゆりかもめ : 東京臨海新交通臨海線 - 当駅が起点。駅番号「 U-01 」。

JR東日本の駅に乗り入れている路線は、線路名称上は 東海道本線 1路線のみである(詳細は路線記事および「 鉄道路線の名称 」参照)が、運転系統としては以下の4系統が停車し、それぞれ専用の線路が割り当てられている。旅客案内でも以下の系統名で案内されている。

東海道線 : 列車線を走行する東海道本線の 中距離電車

京浜東北線 : 電車線を走行する東海道本線・ 東北本線 の近距離電車

山手線 : 電車線を走行する 環状路線

横須賀線 : 地下線を走行。 大船駅 まで東海道本線( 品鶴線 経由)、同駅より線路名称上の横須賀線に入る

また、 特定都区市内 制度における「 東京都区内 」および「 東京山手線内 」に属する。

歴史 [ 編集 ]

JR東日本 [ 編集 ]

1872年 10月14日 ( 明治 5年 9月12日 )、当駅 - 横浜駅 (現・ 桜木町駅 )間に日本初の鉄道が正式開業する際に起点駅として開設された( 日本の鉄道開業 を参照)。なお、1872年 6月12日 (明治5年 5月7日 )に品川駅 - 横浜駅間は仮開業していた [1] 。

その後、 1889年 (明治22年) 7月1日 には 東海道本線 が 神戸駅 まで全通し、国土の重要幹線に於ける東京側の ターミナル駅 として、 東京駅 の開業まで重要な役目を担うこととなった。 1900年 (明治33年)に 大和田建樹 が作詞した「 鉄道唱歌 」では、 「汽笛一声新橋を はや我汽車は離れたり 愛宕の山に入りのこる 月を旅路の友として」 と歌われた。

現在の駅は2

[23] 東北旅行(東北本線大沢田トンネル付近)⑥:しゅうちゃんのお出かけ日記:So-netブログ, , http://sl-taki.blog.so-net.ne.jp/2008-02-02

今日は東北旅行(青森から一ノ関へ)からの続きで(昭和40年8月11日)一ノ関~有壁間にある大沢田トンネル付近(一ノ関側)で撮った画像を見てください。 一ノ関機関区を後にしてD62の走行写真など撮るため、ミヤコバスに乗って約5㌔程で鬼死骸という怖いバス停名で降りました。と思っていますが今一?です。 大沢田トンネル付近は下り線と上り線が離れており、トンネルも独立しています。真夏のムンムンした蒸し暑い日の撮影だった様な記憶があります。 かなり古い時代には、ここから東側へ数キロの所に旧線があって勾配が16%以上の峠越えをしていました。トンネルをサミットとする峠は、かなりの難所だったそうです。有壁峠、有壁隧道と言っていました。

左側下り線、右側上り線です。丁度列車同しのすれ違いですね。架線が既に引かれていましたがまだ電車や電機等の運用はしていませんでした。

上りD624+C58(多分)の重連で50両近い貨物を引いてきました。

後方補機が付く場合も有ったんですね。補機はC58303でした。

上り特急「つばさ」通過して行きました。この前に特急「はつかり」が来るのですがフイルムに写っていないので、きっと撮り損ねたのでしょう。

下りC619牽引普通列車青森行きと思います。

上りC6128牽引の列車ですが列車名は不詳です。旧国道4号線をくぐり、大沢田トンネルに入ります。その上から撮影しています。

下りD624牽引貨物列車

DD51が牽引する上り優等列車上野行きですが、急行「みちのく」?急行「ひめかみ」?それとも何だろうなぁ。

下り急行「あけぼの」は仙台始発(13時50分)、横黒線(現在は北上線)、奥羽本線経由で青森行き(21時53分着)の運転でした。 客車、貨物を牽引は殆ど蒸気機関車でD62、D51、C61、C60、C58、それとDD51など、多彩な顔ぶれだったんですね。 最後の撮影はフイルムを見ると、上りC61が引く荷物列車が写っています。何時頃でしょうね。 この後、一ノ関駅までは5㌔程あるので多分バスで戻り次の目的地、3度目の夜行列車でまたまた北上し青森行き23時01分の普通列車を待ちます。駅舎の時計はまだ18時15分です。(前回の東北旅行(一ノ関)に駅舎の画像を載せています)。気長に待っていた様ですね。

ここで撮影した一ノ関機関区とD62の画像は下記の「なめくじ会鉄道写真館」のホ

[24] 八高線 - Wikipedia, , https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AB%E9%AB%98%E7%B7%9A

八王子駅 - 高麗川駅間 [ 編集 ]

中央本線 上りホームの反対側1番線から 八王子駅 を発車すると、右手に 横浜線 が分岐し 京王線 を跨ぐ。左へカーブし中央本線から分かれ、 浅川 を渡り、 国道16号 ( 八王子バイパス )を跨いで勾配を上っていく。 国道20号 (甲州街道)を潜って巨大な倉庫や工場の林立する 北八王子駅 に到着する。北八王子を発車すると勾配を下り、 中央自動車道 を潜ると間もなく 小宮駅 に到着し、勾配を下りながら 1945年 に 八高線列車正面衝突事故 のあった 多摩川橋梁 にかかる。多摩川両岸に向き合う 東京都下水道局 の二つの 下水処理場 を右手に見ながら鉄橋を渡ってしばらく直線に進むと 青梅線 を跨ぎ、青梅 電留線 、 米軍横田基地線 、 保線 基地などを大きく抱き込む形で左にカーブし、右手から 西武 拝島線 が寄り添ってきて 拝島駅 に到着する。

拝島駅を出るとすぐ国道16号の武蔵野橋を、 五日市線 、青梅線とともにくぐり、両線を左に分けながら住宅街の間のゆるい勾配を直線で上り、 東福生駅 に到着。東福生駅 - 箱根ケ崎駅間の路線は 横田基地 拡張にともない付け替えられたが、基地を完全に迂回したわけではなく、駅を出るとしばらく基地内の住宅やスーパーマーケットの間を走る。基地内を出て右に並行していた国道16号が、 瑞穂バイパス となり下をくぐって左に分かれていくと、コンクリート壁の間を抜ける。この部分は 滑走路 からすぐの延長線上にあり、未電化時代は トンネル となっていた部分である。これは昔、 飛行機 からの部品落下などが時おりあったためだが、飛行機の安全性向上もあり、電化の際に 架線 を張る邪魔になるため上部が取り壊された。 新青梅街道 を跨いですぐに、 箱根ケ崎駅 に到着。箱根ケ崎駅は拝島方面からの折り返し列車もある。以前は待避線もあったが撤去された。

箱根ケ崎駅を出ると、かつては本線の右側を複線のように貨物線が並走していた。撤去された現在は草に覆れ面影が乏しい。ゆるい登り勾配を進むと、瑞穂バイパスの跨線橋をくぐる。ここで、八王子駅から当線の左右を並行して走ってきた国道16号と一旦別れ、 川越市 までは、当線と 川越線 とは全く別ルートを走る。 埼玉県 入間市 に入り、 狭山茶 の 茶畑 の中を走り標高158メートルの八高線最高

[25] @nifty:デイリーポータルZ:「どこまで東京?」, , http://portal.nifty.com/2011/04/22/a/3.htm

どうだ、この広大な東京は。

みなさんに投稿してもらうための投稿フォームには、ぼくが「まあ、みんなここまでぐらいを選ぶだろう」と予想した駅名を選択肢として用意しているのだが、それら選択肢ではものたりない、という方もいらっしゃるかと思い、自由記述欄も完備した。

で、この林さん、その自由記述欄を最大活用。せっかくなので選んだいただいた駅名を挙げてみよう。

中央線-青梅線:八王子

西武池袋線:所沢

小田急線:町田

京王線:八王子

田園都市線:南町田

東横線:元町・中華街

東海道線:戸塚

東武東上線:川越

京浜東北線:大宮

京成-伊勢崎線:春日部

常磐線:我孫子

総武線:千葉

京葉線:蘇我

大胆すぎる。蘇我て。千葉県民のぼくもさすがにそれはどうかと。さらに我孫子て。だいたいみんな「我孫子」って読めないでしょ。

みれば林さん、出身地といちばん長く住んでいる場所がいずれも兵庫県。みなさんの投稿を見てみると、首都圏にお住まいでないかたの東京は広がる傾向にある。いや、それにしても大胆すぎる。春日部て。

さらにびっくりなのがコメント。

『東京から電車で出て、立っていても疲れないぐらいまでは東京』

いや、これらどの駅もずっと立ってるのはつらいと思う。林さん、タフすぎる。

独創的な東京

「ひとつとして同じ東京はない」と書いたが、みなさんの投稿を見れば見るほどその思いは強くなる。とくに独創的な「ここまで東京」を見てみよう。

なんだろうこの自由奔放さは。はじめて見たこんなかたち。こういう方がいらっしゃると、ああこのプロジェクトやって良かったなあと思う。まあ、好きではじめたことなんだけど。

ほんと、まともな回答がほとんどない!(褒め言葉です)すばらしすぎるので各線見てみよう。

中央線→吉祥寺

京王線→武蔵野台

小田急線→町田

田園都市線→渋谷

東横線→綱島

東海道→品川

京葉線→新木場

総武線→小岩

常磐線→上野

京成-伊勢崎線→町屋

京浜東北線→上野

東武東上線→朝霞

西武池袋線→練馬

中央線は吉祥寺っていう順当なつかみから始まったかと思えば、いきなり京王線が武蔵野台っていうしぶいところを見せつける。田園都市線がなんと渋谷!という大胆さで度肝を抜いておいて、小田急線は町田。この緩急はすごい。

そして急転直下、東横線がまさかの綱島。しぶい。関係ないけどあ

[29] 東京から一番近くて田舎っぽい雰囲気ふんだんにある場所教えろ!:哲学ニュースnwk, , http://blog.livedoor.jp/nwknews/archives/4908067.html

1: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2015/07/17(金) 16:52:59.468 ID:28m9ILEp0.net

[31] 千葉県松戸市 狭い交互通行カルバート・幸谷第2ガード ( その他趣味 ) - 埼玉発 おとなの小探険 - Yahoo!ブログ, , http://blogs.yahoo.co.jp/takaratta1152/40934598.html

千葉県松戸市新松戸 JR常磐線と武蔵野線の乗換駅・新松戸から程近い場所だ。

この路面表示にただならぬ「匂い」を直感的に感じた。

[32] 創業期の鉄道, , http://uub.jp/hmt/hmt36.html

日本の鉄道創業 140周年を機会に、hmtマガジン 鉄道特集号 を作ることにしました。 最初の特集は 「創業期の鉄道」 と題して、1872年6月12日の品川−横浜間仮開業の記事から 同1872年10月14日【注1】に 明治天皇を迎えて行なわれた 新橋−横浜間開業式の記事へと 進めようと思いました。 【注1】日付について 「10月14日」は、ご存知「鉄道の日」ですが、政府が好んで使う「太陽暦換算」です。当時使用されていた暦(太陰太陽暦)では明治5年9月12日になります。品川仮開業日は明治5年5月7日です。 しかし、品川仮開業時【注2】の本格的記事は見当たらず、いきなり本開業の記事 [80065] [49808] から始めます。 【注2】品川〜横浜(現・桜木町)間仮開業時 所要時間は35分というから、意外なスピードに驚きます。但し新橋まで開通して途中駅に停車するようになったら53分。 [39140] [80065] には、公文録付属の「新橋横浜間鉄道之図」(国の重要文化財指定)、本営業に先立つ工部省布達 「汽車運転之時限並賃金表」、それに明治天皇の御案内役を勤めた 山尾庸三の伝記も リンクしてありますから、ぜひ リンク文書も御覧ください。 山尾の伝記には、工事中の明治4年8月に、早くも木戸孝允・大隈重信の試乗があり、11月には鉄道反対論の大久保利通も試乗した結果、双手を挙げて鉄道賛成に転じたというエピソードも綴られています。 [49808] には、開業時の終点であった(初代)横浜駅(現・桜木町駅)が記されており、両ターミナルの位置から「市街地に入れない」鉄道の問題点に触れています。この問題については、特集: 市街地乗り入れに成功した鉄道 を御覧ください。 明治5年の京浜間に続いて開業した鉄道は、明治7年の阪神間であり、この時の仮開業達も [80065] にリンクしました。 阪神間鉄道が大津まで延びた後は、とりあえずは水運が使える 琵琶湖を挟んで 長浜から大垣への 中山道鉄道 になりますが、この鉄道建設の起点が 日本海の港湾 金ヶ崎とされたのは 建設資材輸送があるためです。 そして中山道鉄道の東側も、半官半民の日本鉄道によって建設が開始されました。最初は資材輸送に隅田川の舟運も使われましたが、本格的には 品川−赤羽間の支線により 横浜港からの鉄道輸送を可能とする体制 を取

[33] 岩泉線 - アンサイクロペディア, , http://ja.uncyclopedia.info/wiki/%E5%B2%A9%E6%B3%89%E7%B7%9A

茂市駅という、すでにど田舎の山田線の駅から出発し、岩泉に向けて行く岩泉線である。

そもそも、岩泉の観光地へは盛岡からバスで行くのがセオリーで、わざわざ岩泉線を使って行くのはよほどのマニアである。利用客は人の他、山の動物たちの割合も高い。

JR東日本では岩泉線と山田線に限り、山の動物の利用が認められている。運賃は子供料金と同額であるが、なぜか山の動物たちは金をきちんと払う。それでもこの路線は大赤字垂れ流し路線である。何せ、いわてはいない駅からは人の利用もあまりなく、携帯電話の電波もFOMA以外はほとんど届かないのだ。

岩泉駅へは、岩泉高校生なる学生が利用している。朝夕の一往復はともかく、残りの2往復はもはやネタ運転である。

ところがこの路線は、鉄道教徒の目に留まるようになり、いまや利用客の過半数は鉄道教徒である。特に、押角駅は“秘境駅”として聖地のひとつとなっており、90%以上の利用者が鉄道教徒とする説まであるほどである。

鉄道教徒のほか、押角トンネル(1914.7hyde)など、1000hydeを超える長大トンネルが多数あり戦争中の混乱期に建設されたことから心霊マニアも多数みかける。路線最長のトンネルは現在全長2000hydeとされているが、後述の通り、その調査は頓挫している。

訪問者からは、あんなに開業時はワイワイ騒がれてたのに、今じゃ閑散してるため、別名・祝い済み線と言われる。

[編集] 岩泉線の存続経緯

もともとは、もっと先の龍泉洞が通じているとされる小本あたりまで延びる予定だった。ところが、色々と事情があって頓挫(理由は後述)。結局岩泉止まりに終わった。しかも、国鉄末期に廃線になるはずなのに、「沿線道路が狭隘である」などとクレームがあり残った。……運が良いやつめ。

かつては鉱山鉄道として繁栄しており、旅客ゼロでもなんともなかった。今は通学生のほか観光客輸送が主力となっている。龍泉洞は日本の三大洞窟としてスペランカーたちの人気を集める一大観光スポットである。環境保護のため、龍泉洞内への自動車乗り入れは、マイカーは論外として観光バスすら禁止されており、岩泉線だけが唯一のアクセス方法となっている。さっき少し触れてみたように、小本までの岩泉線延伸計画もあったが、洞窟内の探索中にコウモリの糞に当たった国鉄関係者が死亡し、現状では盲腸線となっている。終点で降りる際は、

[34] 陸羽東線 - Wikipedia, , http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%99%B8%E7%BE%BD%E6%9D%B1%E7%B7%9A

陸羽東線(りくうとうせん)は、宮城県遠田郡美里町の小牛田駅から山形県新庄市の新庄駅までを結ぶ東日本旅客鉄道(JR東日本)の鉄道路線(地方交通線)である。「奥の細道湯けむりライン」の愛称が付けられている。

路線データ[編集]

管轄(事業種別):東日本旅客鉄道(第一種鉄道事業者)

区間・路線距離(営業キロ):小牛田駅 - 新庄駅 94.1 km

駅数:27(起終点駅含む)

陸羽東線に限定した場合、起終点駅(小牛田駅は東北本線、新庄駅は奥羽本線の所属[1])が除外され、25駅となる。

軌間:1,067 mm

複線区間:なし(全線単線)

電化区間:なし(全線非電化)

閉塞方式:特殊自動閉塞式(軌道回路検知式)

運転指令所:小牛田CTC

最高速度:

小牛田駅 - 鳴子温泉駅間 95 km/h(キハ110系またはキヤE193系気動車列車時に限る。それ以外は85 km/h)

鳴子温泉駅 - 新庄駅間 85 km/h

最急勾配:18.2 ‰(鳴子温泉駅 - 赤倉温泉駅間)

新庄駅から南新庄駅の南側付近までは奥羽本線と並行して線路を敷設している。複線路線のように見えるが、奥羽本線は山形新幹線走行のため標準軌に改軌しており、双方の線路は完全に独立している。なお、改軌以前も単線並列となっていた。また陸羽東線は非電化のため、陸羽東線側の線路には架線はない。南新庄駅も地図上は奥羽本線上にあるように描かれているものもあるが、奥羽本線には南新庄駅はなく、陸羽東線上だけにホームが設けられており同線の列車のみ停車する。1915年の陸羽東線開業以来このようになっているが、1944年から1960年の間は陸羽東線の線路を撤去し奥羽本線と共用していた。ただし、1960年の増設線路はもともとは奥羽本線用に増設したものを、戦前のように陸羽東線が使うことに決定したものである。

全線が大都市近郊区間の「仙台近郊区間」で、小牛田駅・古川駅・鳴子温泉駅でICカード乗車券「Suica」が利用可能である[2]。

全区間が仙台支社の管轄である。国鉄時代は前述の奥羽本線との並行区間については、同線と同様に秋田鉄道管理局の管轄だった。

運行形態[編集]

各臨時列車については「#過去の観光臨時列車」を参照

基本的に普通列車のみの線内運転で、系統としては鳴子温泉駅を境に東西に分割されているが、少数ながら全線を通して運転される列車も設

[35] 有楽町駅 - Wikipedia, , https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%89%E6%A5%BD%E7%94%BA%E9%A7%85

乗り入れ路線 [ 編集 ]

JR東日本の各線(後述)と、東京メトロの 有楽町線 が乗り入れている。

JR東日本の駅に乗り入れている路線は、線路名称上は 東海道本線 1路線のみである(詳細は路線記事および 鉄道路線の名称 参照)が、当駅には 電車線 を走る 京浜東北線 電車および 山手線 電車のみが停車し、旅客案内では「東海道(本)線」は使用されていない。かつ、昼間時は京浜東北線の電車がすべて快速運転するため、山手線の電車のみ停車する形になる。また、当駅はJRの 特定都区市内 制度における「 東京都区内 」および「 東京山手線内 」に属する。 日本国有鉄道 (国鉄)が運営していた1954年から1956年までは 常磐線 からの電車が朝夕の通勤時間に当駅まで乗り入れたことがある [1] 。

東京メトロの駅には「 Y 18 」の 駅番号 が付されている。また 日比谷駅 とは地下通路で連絡しており(改札内では連絡していない)、東京メトロの 日比谷線 ・ 千代田線 、 東京都交通局 の 都営地下鉄 三田線 との乗り換え駅になっている。

歴史 [ 編集 ]

駅名である有楽町の地名は、この辺りに 織田信長 の弟である 織田長益 (有楽斎)の邸宅跡地があったことに由来している。

JR東日本 [ 編集 ]

1910年 ( 明治 43年) 6月25日 - 国有鉄道 東海道本線の駅として開業。 旅客駅 で、当時から京浜電車(後の京浜東北線)のみ停車した。

1945年 ( 昭和 20年) 1月27日 - 太平洋戦争 中の 空襲 で中央改札口が大破し、駅員9名と 旅客 87名の計96名が死亡。

1972年 (昭和47年) 3月15日 - 荷物 取り扱いを廃止。

1987年 (昭和62年) 4月1日 - 国鉄分割民営化 により、国鉄の駅はJR東日本が継承。

1988年 (昭和63年) 3月13日 - 京浜東北線の快速運転開始に伴い、日中は同線が通過するようになる。

2001年 ( 平成 13年) 11月18日 - ICカード Suica 供用開始。

2014年 (平成26年) 8月30日 - 山手線ホーム(2番線と3番線)においてホームドア稼働開始。

東京メトロ(日比谷駅を含む) [ 編集 ]

1964年 (昭和39年) 8月29日 - 帝都高速度交通営団 (営団地下鉄)日比谷線の日比谷駅が開業

[36] 新小平駅 - Wikipedia, , https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E5%B0%8F%E5%B9%B3%E9%A7%85

駅周辺 [ 編集 ]

西武多摩湖線 青梅街道駅 - 東へ約700m。正式な乗換駅には設定されていないが [2] 、武蔵野線が事故等で運転を見合わせている際は、振替乗車票を持って青梅街道駅から乗車するよう指示される。一方、 西武新宿線 ・ 拝島線 の 小平駅 は2.5kmほど離れており、乗換駅ではない。

小平郵便局

ゆうちょ銀行 小平店

小平警察署

小平市中央図書館

津田塾大学

国際ビジネス専門学校

国際パティシエ調理師専門学校

小平市立小平第十五小学校

国立精神・神経医療研究センター

第一屋製パン 本社・小平工場

平櫛田中彫刻美術館

石塔が窪

青梅街道 ( 東京都道5号新宿青梅線 )

鎌倉街道

府中街道 ( 東京都道16号立川所沢線 、 東京都道17号所沢府中線 )

小平グリーンロード

歴史と文化の散歩道 府中国分寺コース

小川用水

玉川上水

バス路線 [ 編集 ]

東行(駅東側青梅街道上)

梅70系統 ( 都営バス ): 柳沢駅 、 小平駅 行

寺64・寺64-1 ( 西武バス ): 国分寺駅 北入口行・循環

系統番号なし 「出入庫線」(西武バス):小平駅南口行

西行

梅70系統(都営バス): 青梅車庫 、大和操車所行

系統番号なし「出入庫線」(西武バス): 小平営業所 行

北行(駅西側青梅街道上)

銀河鉄道バス (ぎんてつ): 明法学院 行・循環(2014年3月25日より 休止中 [14] 。新小平駅始発停→ 小川駅 ・ 明治学院 経由。休校日運休、学校行事に応じて増発)

1991年10月の水没事故 [ 編集 ]

経緯 [ 編集 ]

この年は8月から記録的な長雨が続いており、近接する 所沢 アメダス の積算降水量 [15] は8月が394mm(観測史上8月として6位)、9月が447mm(観測史上4位、9月として2位)であり、10月も台風21号の接近に伴い活発化した前線により事故前日で既に200mmを超えていた。

このため、9月半ばにはホーム北(新秋津側)の壁面から地下水が噴出し始め、10月11日朝から接近した台風21号による大雨(所沢の24時間積算雨量95mm)により23時45分頃 [16] ホーム北側と線路を含むU字形構造全体が120mにわたって最大1.3m隆起 [注釈 2] し、擁壁継目には最大70cmの開口部が生じ、土砂混じりの地下水が大量(復旧時の計測で

[37] 廃線跡訪問記 : 日光鋼索鉄道線(馬返-明智平) その1, , http://blog.livedoor.jp/dob_hp3/archives/3034472.html

●データ 【所在地】栃木県日光市 【運営キロ】1.2Km 【開業】1932年(昭和7年)8月28日 【廃止】1970年(昭和45年)4月1日 【魅力】赤城登山鉄道同様、距離的には僅かですがこれを鵜呑みにしては いけません。厳しい傾斜や悪路が待ち受け、野生動物にも注意が必要です。 【訪問日】10.07.17 ●栃木県日光市へやって来ました。日光と言えば世界遺産にも 登録されていることから世界的にも有名な観光地です。 しかし私の目的は当然このようなものではなく(爆)、 この地にあった鋼索(ケーブル)鉄道の探索にやって来ました。 前回訪れたケーブル軌道探索(赤城登山鉄道)では 酷い目に遭ったために、今回はキッチリと予習をして参りました。 ということで「今回は大丈夫だろう」と思いきや・・・またしてもトラブル発生。 ケーブル軌道探索、恐ろしや。。。ではドゾ〜 まずは位置確認から参りましょう。画像にはありませんが、左手には 華厳の滝や中禅寺湖があり、右手約7km先には日光東照宮があります。 出発地点、「明智平駅」へとやって来ました。実はこの「明智平駅」という 駅名は現在も「明智平ロープウェイ」の駅名として存続しています。 その「明智平ロープウェイ」の「明智平駅」です。距離は300m、その間に 86m上昇します。ちなみに「鋼索鉄道線」は1.2kmで、430m上昇します。 では本題へ参りましょう。「レストハウス」の裏手へ回ると・・・ で、デターーー!!! 「日光鋼索鉄道線」の「明智平駅」の登場です! それにしてもまず最初に思ったことは、「ナンだよ、この角度わ・・・」 「赤城登山鉄道」でも見た筈でしたが、やっぱケーブル関連はスゲェや。 とりあえず周辺を探索します。こちらはホーム下の突き当たり部分。 つまりレストハウスの下の部分です。中央の施設は何でしょうね。 同場所で今度はそのまま振り返ります。この感じってスキーの ジャンプ台を想像させますねー。モチロン行ったことなんかないけどw ちなみにジャンプ台の角度は35度だそうな。ひょっとして同じくらい?^^; 廃線跡はその角度のまま「森のトンネル」の中へと続いています。 今度はホームを下から撮影します。先端部にはこの傾斜に対しては 少々心許ないかなと思われる壁と、その外側には階段が見られます。 正面から撮影。左の白い棒は読み取れるかとも思

[42] @nifty:デイリーポータルZ:「どこまで東京?」, , http://portal.nifty.com/2011/04/22/a/

「はじめて上京してきたときは、びっくりした。東京ってテレビで見るような高層ビルばかりのところだと思ってたから」という話をきいたことがある。

ぼくは東京のお隣、千葉県の出身なので、東京にもなんてことない住宅街や畑が広がっていることは知っていた。が、そういう「いかにも東京」のイメージもなんとなくわかる。

実際の行政界の「東京」と、いかにも東京だよなー、と思う「イメージ上の東京」は異なる。たとえばぼくは立川より西は東京とは思えない(立川以西の方、すみません)。

みんなが「どこまで東京と感じるか」を調べてみよう。

(大山 顕)

千葉県とはいえ日常的に東京で遊び、働いて20年あまり。もちろん行政界的にどこまでが東京かは知っている。が、どこまで東京と「感じるか」はべつだ。以下にその感じを書き下してみよう。

東側

葛西は東京じゃない

でも葛西臨海公園は東京

小岩は東京だよなー

でも金町って東京じゃない気がする

綾瀬、微妙。

北側

赤羽とか高島平とかの団地知識のおかげで実際の東京境界にけっこう忠実な自分に気がついた

でもひばりヶ丘は東京じゃない

小平も東京じゃない

西側

東京は立川まで

府中本町は東京じゃない(たぶん武蔵野線のイメージ→「埼玉に行く線」)

南側

やっぱり多摩川って言われると東京じゃない

小田急線は下北沢までが東京(!)これはこの線に関してぼくが全く疎いから。世田谷代田って、もう東京な気がしない。

でも溝の口は東京

武蔵小杉も東京な気がした。なぜだ。

そして蒲田は断固東京じゃない。

とはいえ、羽田はやっぱり東京だ

千葉っ子なので、西側のことがよくわからない。小平って何。(小平の方、すみません)

で、みんなにも「どこまで東京?」をきいてみよう、と投稿してもらってまとめるサイトを作ってみた。その名も『どこまで東京?』だ。

インターネットって素晴らしい。こういうことのために開発されたんじゃないと思うけど。

自分がやったように、みなさんに地図に線を引いてもらうのは難しいだろうと思ったので、JR私鉄各線の駅名を挙げ、何駅までを東京だと感じるかを選んでもらうやり方にした。東京の鉄道の多くは郊外に向かって放射状にのびているので、つごうがよい。こういうことのために放射状にしたわけじゃないと思うけど。

西方面は「中央線-青梅線」「京王線」「小田急線」、南西方面は「田園都市線」「東

[43] 奥羽本線 - Wikipedia, , http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A5%A5%E7%BE%BD%E6%9C%AC%E7%B7%9A

起点である福島駅から米沢駅までの区間はいわゆる峠越えでも名高い板谷峠を越える。後節でも触れているが、ここは蒸気機関車時代からの難所であり、電化・高速化および標準軌化によるミニ新幹線が直通運転されるようになった後も、冬季は雪害による遅延や運休が生じやすい。米沢駅から秋田駅まではほぼ奥羽山脈の西側に沿う様な形で進路をとる。途中、山形駅までは蔵王連峰の山々、山形駅から先はしばらく月山の山を望みながら北上する。秋田駅から男鹿線と分岐する追分あたりまでは海こそ見えないが日本海沿いを通り、東能代駅まで八郎潟の東岸を通る。東能代駅から進路を東にとり大館駅を過ぎると再び奥羽山脈に沿う形で北上し矢立峠を越える。越えた後は弘前駅・浪岡駅などの津軽平野の中を西側に岩木山を望みながら走り青森駅へと至る。

運行形態[編集]

路線名称としては1つであり、かつては寝台特急「あけぼの」、急行「津軽」など、全線通しで運転する列車も存在したが、山形新幹線・秋田新幹線開業とそれに伴う一部区間の標準軌への改軌により、従来の1,067mm軌間専用車両で運転される優等列車は、1999年12月4日の山形新幹線新庄駅延伸に伴うダイヤ改正で「こまくさ」が快速列車に格下げ(2002年12月1日ダイヤ改正で廃止)になって以降は秋田駅以北のみの運転となり、普通列車も運行系統としては以下の4つの区間に分かれている。

福島駅 - 新庄駅間[編集]

詳細は「山形新幹線#運行形態」および「山形線#運行形態」を参照

山形新幹線「つばさ」が走行する区間である。板谷峠という難所が途中に存在する。新幹線からの直通列車を走らせるために標準軌に改軌されている都合上、この区間を走行する車両を新庄駅以北へと運転することは不可能になっている。また、この区間の在来線普通列車は「山形線」の愛称が付けられ、奥羽本線の他区間と区別されている。運行形態は基本的に福島駅 - 庭坂駅・米沢駅間、米沢駅 - 山形駅間、山形駅 - 新庄駅と3つの区間に分けて運転されている。

新庄駅 - 大曲駅間[編集]

山形・秋田県境の辺境区間で、普通列車や快速列車のみが設定されているが、かつては他区間と同様に昼夜問わず優等列車が運転されていた。新庄駅 - 秋田駅間を直通する普通列車に加え、院内駅・湯沢駅・横手駅 - 秋田駅間・新庄駅 - 真室川駅間の区間列車が設定されており、1

[44] JR東が北関東と羽田空港を直結 冨田社長、新線乗り入れ構想表明 - MSN産経ニュース, , http://sankei.jp.msn.com/economy/news/140110/biz14011008040002-n1.htm

JR東日本は9日、現在、検討を進めている東京都心と羽田空港を結ぶ新路線が実現した場合、平成26年度末に開業する東北縦貫線(愛称・上野東京ライン)と接続して、北関東の主要都市から羽田空港に直接乗り入れを可能にする方針を明らかにした。冨田哲郎社長が産経新聞のインタビューに応じ、表明した。 冨田社長は上野東京ラインの開業により、今は上野止まりの宇都宮線や高崎線、常磐線が、東海道線と直通運転できるようになると説明。その上で「(上野東京ラインを)羽田空港と結べば、(北関東の)宇都宮や高崎、水戸から直通で羽田空港に入れる。輸送ルートの大きな変革になる」と強調した。 都心と羽田空港を結ぶ新路線は、現在は一部休止中の東海道貨物線を活用し、JR田町駅付近から東京湾岸を通る貨物線の区間を旅客線に切り替え、羽田空港に乗り入れるルートが浮上している。冨田社長は「これからの日本経済、東京という都市にとって、重要なルートになる」と述べ、国や東京都、地元自治体の協力を得る考えを示した。 ただ新路線は、羽田空港の地下に新たな路線を敷設する必要があり「工事の難易度は相当高い」という。技術的な建設の可否や工事費用、需要予測などを踏まえ、「あまり時間をかけずに結論を出したい」と述べた。 また冨田社長はJR東日本の子会社が浜松町-羽田空港間で運行する東京モノレールは、新路線の開業後も存続する考えも示した。

[45] 品川駅 - Wikipedia, , http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%93%81%E5%B7%9D%E9%A7%85

構内の中央に位置し、山手線、京浜東北線、東海道線、横須賀線のホームがある。島式ホーム7面14線と単式ホーム1面1線で構成され、西から1番線 - 15番線と並ぶ。東海道線は5・12番線が本線である。京浜急行電鉄と1・2番線ホームの間には山手線の留置線が数本ある。また、東海道下り本線にある電留線(札の辻群線3~22番)や洗浄線(白金群線)などは当駅構内の所有である。よって、本線からの到着以外のルート構成は品川駅にある高輪信号所が扱っている。

改札内コンコースは、駅の北側と南側にそれぞれ東西に伸びるものがある。中央にある改札外のコンコースで分断され、直接にはつながっておらず、両コンコース間をホームや改札を通らずに行き来することはできない。

南側の改札内コンコースの西側には京急のきっぷうりばや京急連絡改札口があり、京急の下りホームに直結している。構内には駅ナカ商業施設として「ecute 品川」と「ecute 品川サウス」がある。かつて当駅にはチップトイレが存在していた(2011年5月30日現在)。便器の一部に温水洗浄便座が使用されている。

1番線の東京寄りに、山手線の0キロポストがある。

9・10番線は臨時ホームであり、東海道線が早朝・深夜に設定している当駅発着の列車が臨時ホームを使用している他、当駅終着の「湘南ライナー」も到着する。時折行われるジョイフルトレインなどの鉄道車両の展示イベントの他、東海道線や横須賀線のダイヤ乱れ時にはこのホームが使用され、湘南新宿ラインが大崎駅ではなくこのホームに発着する事もある。団体列車などの臨時列車の発着にも使われる。この付近では現在、東北縦貫線(宇都宮線・高崎線・常磐線)直通列車用折り返し設備の工事が行われている。15番線が完成するまでは横須賀線の早朝始発電車も臨時ホームから発車していた。[要出典]

臨時ホームの駅名標は、両隣の駅が川崎駅・新橋駅と東海道線に準拠した表示になっている。また、下り方は東海道線以外に横須賀線(西大井方面)・山手貨物線(渋谷・新宿方面)の発着が各番線で可能である。

戦前、国鉄では品川 - 東京間に複線を増設し、京浜東北線の一部と横須賀線を走らせる「京浜急行線計画」が存在していた。その計画では、1番線が山手線内回り、2番線が山手線外回り、3番線が京浜東北線北行、4番線が「京浜急行線」北行、5番線が京浜東北線南行、

[46] 日光市 - Wikipedia, , http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E5%85%89%E5%B8%82

古くは鎌倉時代以降、日光権現を祀る山々が知られるようになり、江戸時代に徳川家康および徳川家光の廟地となって以来、日光東照宮の門前町として参拝客で賑わった。以後「日光を見ずして結構と言うこと莫れ」という言葉で日本中に観光地・景勝地として知られるようになった。

明治時代に入ると、海外でも景勝地として知られていた日光東照宮や中禅寺湖、日光湯元温泉、藤原などを外国人が訪れるようになり、外国人に対応した宿泊・滞在施設が整備され、国際観光都市としての体裁が整えられていった[1][2]。

2006年3月20日に今市市、(旧)日光市、足尾町、藤原町、栗山村が新設合併し、現在の日光市が発足した。市役所本庁は旧今市市役所(今市本町)であり、日光市長は今市市長が務めている。面積は栃木県はおろか、関東地方全体でも最大で、全国の市では岐阜県高山市と静岡県浜松市に次いで全国第三位となる、栃木県全体の約22%を占める広大な面積を有している。「四季の彩りに風薫るひかりの郷」を掲げ、国際観光都市としての振興を図っている。

市内の観光地・景勝地としては、旧日光[3]の日光の社寺や、エリアとしての日光[4]の日光連山(男体山、大真名子山、小真名子山、女峰山、赤薙山、太郎山など)、中禅寺湖、華厳滝、竜頭滝、戦場ヶ原、湯滝、湯ノ湖や日光湯元温泉、そして行政地域としての現日光市域の鬼怒川温泉、川治温泉、湯西川温泉、鬼怒沼湿原、龍王峡、足尾銅山などがある。1999年には「日光の社寺」が世界遺産に登録された。

また、建築家(丹下健三、芦原義信、隈研吾、アントニン・レーモンド等)による近・現代建築が多数存在する地域でもある。

地理[編集]

栃木県の北西部に位置する。

従来の「日光」市街は、鬼怒川支流の大谷川中流に在る渓谷の左右河岸、標高600メートル前後の平坦地に形成されている。大谷川をさらに遡ると馬返に達し、ここで平坦地は終了する。馬返の西側は峻険地で、いろは坂を境としてその西側に堰止湖である中禅寺湖沿岸部に標高1,200メートル前後の平坦地が存在するほか、やはりかつての堰止湖で現在は戦場ヶ原と呼ばれる湿原である標高1,400メートル前後の平坦地、さらに同じく堰止湖である湯ノ湖沿岸部に標高1,600メートル前後の平坦地が存在する。

気候[編集]

年間降水量は1,600 - 2,100mm程度で、うち約2/3は6

[47] 田町の車両基地移設が完了、山手線新駅いよいよ|日経BP社 ケンプラッツ, , http://kenplatz.nikkeibp.co.jp/article/const/news/20131116/640429/?P=1

JR東日本は11月23日未明から24日午前10時20分ごろまで、約34時間かけて品川駅付近で線路切り替え工事を実施。切り替え後、品川─田町駅間にある車両基地(旧田町車両センター)を廃止し、その東側に新設した車両基地の一部使用を開始した。

線路切り替え工事のために、東海道線は東京─横浜間で23日終日と24日午前10時20分ごろまで運休した。23日は祝日だったとはいえ、工事のために終日運休したのは異例。横須賀線も24日初電から10時20分ごろまで、発着駅を新宿駅または大崎駅に変更した。特急も一部運休したり、発着駅を変更したりした。

品川駅の横浜方で実施した線路切り替え工事の様子。23日午前9時すぎ、水平30t吊りの鉄道クレーンを使って、新しい分岐器を設置した(写真:ケンプラッツ)

実施した工事の内容は次のとおり。同社によれば、全体で約1400人の作業員を動員した。

品川駅の横浜方で、東海道線7〜12番線と横須賀線13〜15番線の計9線分の駅進入・進出ルートを変更する大規模な配線改良を実施した。鉄道クレーンを2台使って、品川駅の東京方で組み立てた分岐器を横浜方に運搬し、6組の分岐器を新設し、5組の分岐器を撤去した。

車両基地の東京方では、分岐器1組を撤去し、新車両基地と東海道線の上り線を接続した。

切り替え工事完了後、新車両基地とともに、改修した品川駅の9、10番線の使用も開始。一方、7、8番線の使用を停止した。

旧車両基地跡地に新駅なるか

[50] オバマが決めた!東京の「主要駅」 - デイリーポータルZ:@nifty, , http://portal.nifty.com/kiji/140502164005_3.htm

まあ当然東京駅のコインロッカーは使用中止だったが、面白いのは貼り紙だ。

貼り紙の書式が駅によって違うのだということにここで気がついた。各駅で作っているのだろう。JR東日本で一括してプリント、じゃないんだ、と分かって面白かった。

そして上の謎のマーク!これがあったのは東京駅だけだった。なんだろう。

「東京駅は確かめなくてもいいか」なんてうそだった。降りた甲斐があった。何ごとにも発見がある。

さて、そして次は神田。ここも当然使えないでしょう。と思ったら!

品川から東京までで「主要」じゃない扱いをされているのが田町だけだったので、田町かわいそうー、って思ってたが、神田さんが主要じゃないってんだったらしかたあんめぇ。

思わず似非江戸っ子口調になるぐらい驚きだった。神田がねえ。

以前西村さんが「APEC特別警戒で駅のゴミ箱はどこまで封鎖されているのか?」という記事を書いていたが(われわれ地図好きは似たようなことをやっているのだなあ、といま思った)、彼も「東京駅の隣なのに神田が警戒されていない!」と驚いていた。

神田、実力者ながら気さくで偉ぶらないナイスガイ、といったところか。さすが江戸っ子!(なにが)

この先は、ぼくが思った通りの展開だった。予想では

・秋葉原はもちろん使用中止

・その後は上野以外、池袋まで「主要」じゃない

だ。このあたりの駅を愛するユーザーのみなさんには申し訳ないが、なんせ山手線の上の方はとんとなじみがなく、個人的な印象では「主要」じゃないのだ。オバマもきっと鶯谷とか駒込を「主要」にはしないだろう。

そして現にそのとおりだったし。

[51] 東京五輪前に暫定開業見込み:都心〜羽田が20分! JR東日本が新路線3ルートを発表 - Business Media 誠, , http://bizmakoto.jp/makoto/articles/1408/20/news042.html

JR東日本は、東京オリンピック開催による利用者増加に備え、都心と羽田空港を結ぶ「羽田空港アクセス線構想」を発表した。東京、新宿、新木場の各駅と羽田を結ぶ3ルートで、それぞれ所要時間は既存路線の半分程度になる見込みだ。

JR東日本は8月19日、東京都心と羽田空港を結ぶ「羽田空港アクセス線構想」の概要を発表した。東京、新宿、新木場の各駅から羽田へ乗り換えなしで行ける3ルートの整備などが柱。羽田への所要時間は20分前後と、現在の半分程度に短縮される。全面開業は東京五輪開催後の2020年代半ばとなる見通しだが、一部ルートは五輪前の暫定開業が可能か検討している。

休止中の貨物線や使われていないトンネル、鉄橋を活用して3ルートを整備。東京貨物ターミナルから羽田の国内線ターミナルまでは地下線を建設し、地下駅となる羽田空港新駅を設ける。総事業費は約3200億円を想定し、JR東日本は今後、国や東京都と負担割合を協議する。

羽田への所要時間は、東京からは現在の28〜33分が約18分、新宿からは41〜46分が約23分、新木場からは41分が約20分になる。都心と羽田を結ぶ鉄道網には京浜急行電鉄とJR東日本傘下の東京モノレールがあるが、新線が全面開業すれば羽田への鉄道輸送力は現状より約8割増強されるという。

一方、新木場と羽田を結ぶルートは使われていない鉄橋などが活用できるほか、羽田空港新駅の手前に暫定駅を設置するなどして、五輪前の暫定開業も検討している。今回の構想は羽田の国内線ターミナルまでの計画だが、JR東日本の大西精治・投資計画部担当部長は「(さらに先にある)国際線ターミナルへの延伸は当然検討すべき課題」と述べた。

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羽田空港への鉄道整備計画が活発だ。JR東日本は貨物線を使う都心アクセス路線を計画。政府は都営浅草線の新線を構想し、東急蒲田駅と京急蒲田駅を結ぶ路線計画もある。しかし、どれも東京オリンピックに間に合いそうにない。そこで杉山氏が提案するのは……。

「上野東京ライン」成功のカギは、品川駅が握っている「上野東京ライン」成功のカギは、品川駅が握っている

JR東日本は上野駅と東京駅を結ぶ4つ目の路線を「上野東京ライン」として2015年3月に開業する。従来上野駅止まりだった東北本線(宇都宮線)、高崎線、常磐線の列車

[52] 杉山淳一の時事日想:都心〜羽田「JR東日本の羽田新線」、新案で再浮上する「やっかいな問題」 (1/6) - Business Media 誠, , http://bizmakoto.jp/makoto/articles/1408/22/news017.html

1967年東京都生まれ。信州大学経済学部卒。1989年アスキー入社、パソコン雑誌・ゲーム雑誌の広告営業を担当。1996年にフリーライターとなる。PCゲーム、PCのカタログ、フリーソフトウェア、鉄道趣味、ファストフード分野で活動中。信州大学大学院工学系研究科博士前期課程修了。2008年より工学院大学情報学部情報デザイン学科非常勤講師。著書として『知れば知るほど面白い鉄道雑学157』『A列車で行こう9 公式ガイドブック』、『ぼくは乗り鉄、おでかけ日和。 日本全国列車旅、達人のとっておき33選』など。公式サイト「OFFICE THREE TREES」ブログ:「すぎやまの日々」「汽車旅のしおり」、Twitterアカウント:@Skywave_JP。

2014年8月19日、JR東日本が休止貨物線を再利用した新路線(以下「羽田アクセス線」と呼ぶ)の概要を正式に発表した。東京貨物ターミナルから羽田空港まで新しいトンネルを掘るという。これには心底から驚いた。これは再利用どころか、本気の新線計画だ。

都心〜羽田が20分! JR東日本が新路線3ルートを発表(関連記事参照)

JR東日本の羽田アクセス線構想は、当初より「貨物線の有効活用」が前提と思われた。だから鉄道ファンだけではなく、この計画に関心を持つ多くの人々は「東京貨物ターミナルから既存の東海道貨物支線のトンネルを使い、天空橋付近で分岐して国際線ターミナル、国内線ターミナルへ向かう」と予想していた。建設コストを考えれば、新規のトンネルは短い方がいい。

なぜ、いま「羽田空港関連の鉄道建設」が盛り上がっているのか(関連記事参照)

左:羽田アクセス路線の構想について、当時の報道各社の発表をまとめた当初の予想図。一部報道に「東京テレポートから新トンネル建設」とあったため、東京テレポートからJR東日本の色の線を引いていた(7月18日掲載の記事から一部修正して再掲) 右:一方、8月19日のJR東日本の発表を受けて羽田アクセス線を再作図した。東京貨物ターミナルと羽田空港は新しいトンネルで結ぶ計画だ(作図:筆者)

しかし、この予想には心配もあった。既存の貨物列車との兼ね合いだ。東京貨物ターミナルから羽田空港島を通り、川崎貨物ターミナルまでの路線は「東海道本線の貨物支線」である。「2014JR貨物時刻表(鉄道貨物協会刊)」によると、日中の運行本数は少な

[53] 杉山淳一の時事日想:都心〜羽田「JR東日本の羽田新線」、新案で再浮上する「やっかいな問題」 (2/6) - Business Media 誠, , http://bizmakoto.jp/makoto/articles/1408/22/news017_2.html

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JR東日本は、東京オリンピック開催による利用者増加に備え、都心と羽田空港を結ぶ「羽田空港アクセス線構想」を発表した。東京、新宿、新木場の各駅と羽田を結ぶ3ルートで、それぞれ所要時間は既存路線の半分程度になる見込みだ。

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今後の首都圏での新線計画を運輸政策審議会答申第18号に基づいて予想する連載の最終回(全5回)。北総鉄道を延伸し、成田空港へ接続させる計画や、ゆりかもめ、多摩都市モノレール、千葉都市モノレールといった新交通の延伸計画を今回は紹介する。

鉄道と街はどのように変化するのか――渋谷と大阪に注目する

渋谷駅と大阪駅の周辺が変化しつつある。両駅とも駅前再開発が進んでいて、今後も商業施設やホテル、オフィスビルなどが建ち並ぶ予定だ。しかしこうした開発は、

[57] 荒川 (関東) - Wikipedia, , http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8D%92%E5%B7%9D_%28%E9%96%A2%E6%9D%B1%29

歴史[編集]

荒川は、江戸時代初期以前は現在の元荒川の川筋を通っていた。つまり関東平野に出たのち東へ下り、武蔵国・下総国境付近(今の越谷市・吉川市周辺)で南流していた利根川と合流、そこから合流と分流を繰り返しながら江戸湾(現在の東京湾)に注ぐ川だった。「荒」という名の通りの暴れ川でしばしば川筋を変え、下流域の開発も遅れていた。本流が今の綾瀬川を流れていた時代もあるが、戦国時代に水路が掘られて東の星川に繋がれ、綾瀬川と分流した[2]。

利根川東遷事業[編集]

1629年(寛永6年)に関東郡代の伊奈忠治らが現在の熊谷市久下で河道を締切り、和田吉野川の河道に付け替えて入間川筋に落ちるようになった。元の河道は、熊谷市で荒川から離れて吉川市で中川と合流する元荒川となっている。同時期の工事で利根川は東に瀬替え(利根川東遷事業)して古利根川流路から江戸川の流路を流れるようになった。付け替え後の荒川(元の入間川)は、下流で現在の隅田川の河道を通っていた。この部分は流速が遅く、台風で大雨が降るとしばしば溢れて江戸の下町を水浸しにした。明治時代の調べでは、大雨の際、熊谷市と川口市で最高水位に達する時刻の差が48 - 60時間あった[3]。洪水が人や家を押し流すことはないが、浸水による家屋と農作物の被害は深刻であった。しかし、荒川の舟運にとってはこの瀬替えによって水量が増えたことにより物資の大量輸送が可能となり、交通路としての重要性を高めた[4]。

荒川放水路[編集]

荒川放水路(あらかわほうすいろ)は、荒川のうち、岩淵水門から、江東区・江戸川区の区境の中川河口まで開削された人工河川を指す。途中、足立区千住地区、および墨田区・葛飾区の区境を経由し、全長22 km、幅約500 mである。1913年(大正2年)から1930年(昭和5年)にかけて、17年がかりの難工事であった。

計画に至る過程[編集]

明治43年(1910年)8月5日ごろから関東地方では長雨が続き、11日に房総半島をかすめ太平洋上へ抜けた台風と、14日に甲府から群馬県西部を通過した台風が重なり、荒川(現隅田川)を含む利根川や多摩川などの主要河川が軒並み氾濫し、死者769人、行方不明78人、家屋全壊2,121戸、家屋流出2,796戸に上る関東大水害が発生した。利根川左岸上五箇・下中森の破堤により群馬県邑楽郡一帯に被害が集中したほ

[58] 始発で寝過すと、4県むこうへ連れてかれる!宇都宮駅の告知が恐怖 - えん乗り, , http://ennori.jp/2663/ueno-tokyo-line-does-not-allow-oversleeping

「ここは栃木県宇都宮市にある宇都宮駅です。始発列車で寝過ごした場合、静岡県熱海市の熱海駅まで連れていかれます」。そんなコメントとともに、Twitter のユーザーが投稿した写真が話題を呼んでいる。

JR 東日本の東北本線(宇都宮線)では、3月14日から宇都宮駅の始発列車が5分早まり、4時37分発となる。行き先も従来の東京・上野駅から変更。なんと、静岡・熱海駅になるのだ。

うっかり終点まで寝過そうものなら、栃木県から茨城県、埼玉県、東京都、神奈川県を経て静岡県まで運ばれてしまう。朝の8時20分に温泉街で茫然と目を覚ますはめになりかねない。

どうしてこうなるかというと、JR 東日本が新たに始める「上野東京ライン」のためだ。これは宇都宮線、高崎線、東海道線が相互直通運転し、常磐線も品川駅まで直通運転を実施するというもの。

栃木、群馬、茨城、埼玉といった北関東に住む人が、上野駅での乗り換えをせずに東京や品川、神奈川の横浜などに到着できるのはとても便利だ。

しかし、寝過した場合のリスクも生半可なことではないとあらためて感じさせられた。上野東京ラインの直通列車は始発に限らず通勤時間帯を中心に多数運行するので、決して気を抜けない。

[59] 戸塚駅 - Wikipedia, , http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%88%B8%E5%A1%9A%E9%A7%85

戸塚駅(とつかえき)は、神奈川県横浜市戸塚区戸塚町にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)・横浜市交通局(横浜市営地下鉄)の駅である。

JR東日本では「塚」を旧字体の「塚」で表記する事がある。横浜市営地下鉄の案内サインでは旧字体の「塚」で表記している。

乗り入れ路線[編集]

JR東日本の各線(後述)と、横浜市営地下鉄のブルーライン(1号線)の合計4路線が乗り入れる接続駅となっている。地下鉄ブルーラインの駅には「B06」の駅番号が与えられている。

JR東日本の駅に乗り入れる路線は、正式な線路名称では東海道本線のみであるが(詳細は路線記事および「鉄道路線の名称」を参照)、運転系統上は東海道本線大船駅以西に直通する系統と、同駅より横須賀線に直通する系統があり、旅客案内上は前者が「東海道線」、後者が「横須賀線」と呼ばれている。それぞれ専用の線路が割り当てられており、当駅以東(東京方面)では停車駅および経路が異なっている。またこれらは東京駅を発着・経由する系統に加え、東海道線と高崎線間、横須賀線と東北本線(宇都宮線)間をそれぞれ直通する湘南新宿ラインも乗り入れており、同ラインは当駅以東で西大井駅まで横須賀線と同一の線路を使用する。当駅はこれら各系統同士の乗換駅としての役割を果たしている。また当駅は特定都区市内制度における「横浜市内」に属するが、東海道本線においては当駅がその西限となる。

歴史[編集]

1887年(明治20年)7月11日 - 国鉄東海道本線横浜 - 国府津間開通と同時に開業。旅客・貨物の取り扱いを開始。横須賀線開業後は同線直通列車も停車。

東海道の宿場である戸塚の地に開設された。元々は旧宿場町側の西口が多く利用されたが、戸塚競馬の開催と共に東口も次第に賑わうようになった。

1930年(昭和5年)3月15日 - 横須賀線の電車化、東海道線は当駅を全列車通過となる。[1]

1937年(昭和12年)- 東口を開設。

1954年(昭和25年)- 戸塚競馬場廃止。

1969年(昭和44年)3月26日 - 橋上駅が完成。[2]

1970年(昭和45年)5月1日 - 貨物の取り扱いを廃止。

1971年(昭和46年)- 戸塚バスセンターが完成。

1979年(昭和54年)10月1日 - 東海道貨物線 鶴見 - 横浜羽沢 - 当駅間が開通。また、当駅 - 大船 - 小田原間の複々線化完

[60] 開通前夜 - 総武・東京トンネル(1) - Reports for the future ~未来へのレポート~, , http://mirai-report.com/blog-entry-8.html

※クリックすると目次ページを表示します。 千葉に住んでいる私は東京へ出る際に必ずといってよいほど総武快速線を利用しています。この路線は錦糸町(正確には両国)駅から品川駅まで地下線になっていますが、鉄道構造物マニア(?)の私はここで当然のことながらこのトンネルの構造について調べたくなり、試しにネット上を検索してみました。ところが、 その情報が全くといってよいほど無い のです。何しろ建設から40年近くたっているわけで、最近開業した路線のように電子媒体の情報はほぼ存在しないと考えてよく、ある意味当たり前です。 それなら自分でゼロから調査してしまおう 'と考えたのがこのレポートの発端です。本レポートはこのブログ初めての本格的な文献研究+現地調査として今日の大深度地下鉄道の礎をつくったこのトンネルの内部に迫っていこうと思います。 ■国会図書館へ ネット上で資料が見つからないとなると、残されるのは紙の文献である。最も手っ取り早いのは新線建設ではかならず発行される工事誌をあたることである。しかし、年代が古いだけに地元の図書館ではそれらしき資料は見つからなかった。そうなると、最後の手はこれである。日本の全出版物が収蔵されている 国立国会図書館 だ。ゴールデンウィーク前半、私は東京・永田町へ向かった。そして館内のPCで検索すると・・・ あった 「総武線線増工事誌:東京・津田沼間 日本国有鉄道東京第一工事局1973年」 「東海道線線増工事誌:東京・品川間 日本国有鉄道東京第一工事局1977年」 どちらも千ページを超える超大作である。しかも、前者に関しては「東京・津田沼間」というタイトルながら内容の約4分の3が私が求めていた東京~錦糸町間の地下区間に関する情報であった。よって、このレポートはこの工事誌2冊を主要な出典として話を進めていくこととしたい。 ■総武快速線開通前の情勢 総武快速線E217系電車(下総中山)。総武線は近郊型初の4ドア車となるこのE217系や首都圏では初となる幅広車体の通勤型E231系が導入されるなど、平成の現在も混雑緩和の努力が続けられている。 昭和30年代の日本は高度経済成長期に突入し、首都圏では郊外まで住宅が次々と建設され爆発的に人口が増加する。これにより、当時の首都圏の国電は異常事態といえるほどの混雑を呈していた。千葉県のホームページにこのレポートの対象とした

[103] “まっちの街歩き”ブログ 【能登半島一周その1】七尾は衝撃的な簡易郵便局の宝庫だった, , http://match345.blog28.fc2.com/blog-entry-166.html

▲能登半島の付け根、富山県との県境がある七尾市大泊町付近で。長い長い能登路はここから始まった。 広島・岡山シリーズ が終わった後は、夏の北陸シリーズ。去る7月26日~28日、友人N氏と一緒に 石川県・能登半島 を旅してきた。 今回の旅程は、3日間ひたすら海沿いを走り続け、能登半島をクルマで一周するというシンプルかつ壮大なもの。個人的に能登という土地にはいろいろと縁があり、既に 2008年の夏 には半島の先っぽにある禄剛埼(ろっこうざき)まで行ったこともある。そして同行のN氏も北陸に数年間住んでいた経験がある。いろんな意味で懐かしさを感じさせる旅行だった。 さて、初日の7月26日。愛知県一宮市の自宅を出発したのは早朝の5時半。尾張一宮駅でN氏と合流し、東海北陸道、能越道を経て富山県氷見市の氷見北ICに到着したのがちょうど9時だった。

手始めに、氷見北ICにほど近い稲積簡易郵便局と八代郵便局に立ち寄ってから、最初にやって来たのは氷見市の北西部に位置する 胡桃(くるみ) という小さな集落(▼)。 こんな感じの寂しい山村で、有名な観光地でも何でもないところ。しかもこの集落、悲惨なことに大正時代から幾度となく 地すべり の被害に遭っているという。 ところがこの度重なる地すべりは、いつも集落の中央に位置する 火神社 だけを避けるようにすべっていったようで、この神社は「 すべらない 」=「 合格祈願 」の神社としてじわじわと有名になってきているらしいのだ。 ▲こちらがその 火神社 。全く観光地化されていない、山の中の素朴な小さな祠だ。 実は同行のN氏、ここの絵馬を奉納して見事医師国家試験に合格している。今回はそのお礼参りも兼ねてやって来たのだ。全国から受験生が集まるような大きな神社を想像していたが、意外とこぢんまりとしたスポット。私も教育関係の仕事をしているので、ここで教え子たちの合格祈願をしてきた。 丘陵地にある胡桃集落から今度は長い下り坂を下って、再び富山湾沿いへ。本日3局目の 宇波郵便局 に寄りつつ、郵便局のある 灘浦地区 の集落を少しだけ散策。 ▲宇波郵便局近くの街並み。昔ながらの商店が点在する街道筋のようなところだ。 このあたりの風景にも心惹かれるものがあったが、今日のメインは石川県の能登半島。富山県の人には申し訳ないが、国道160号(能登立山シーサイドライン)をさ

[104] 東横線・副都心線直通工事(2)渋谷~代官山間(2013年2・3月取材) - Reports for the future ~未来へのレポート~, , http://mirai-report.com/?no=1243

東急東横線・東京メトロ副都心線直通開始に向けた準備の最終レポートの続きです。第2回目の今回は 渋谷~代官山間の地下化区間、代官山駅の切替工事に向けた準備の状況、地下化に合わせて開催される各種イベントの予定 などについてお伝えしてまいります。工事の概要などについては 前回の「(1)新・渋谷駅」の記事 をご覧ください。 ▼関連記事 東急東横線・東京メトロ副都心線直通工事(2013年1月2日取材・地上部分) (2013年1月15日作成) 東急東横線・東京メトロ副都心線直通工事(2012~2013年取材・地下部分) (2013年1月18日作成) 東急東横線・東京メトロ副都心線直通工事(2012~2013年取材)&再開発の現状 (2013年1月19日作成) ■直通・切替準備が完了!(つづき) 渋谷~代官山間地下化工事の概要と副都心線渋谷駅の状況はこちら ●渋谷~代官山間 左:渋谷川に並行する東横線高架橋。トンネルはこの直下にある。 右:山手線の交差部分は軌道の復旧が続いており、徐行がかけられていた。2013年2月9日撮影 ※クリックで拡大 地下化後のシールドトンネルは 並木橋付近から現在線の高架橋直下 に入ります。シールド区間は地上掘削はありませんが、掘進の際沈下などが予想されるため工事に先立つ2009(平成21)年頃に 鋼材や地盤改良などにより高架橋が補強 されています。また、JR山手線の交差部分から先は地上を切り開いてトンネルを建設するため、 線路が鋼材により仮受け されています。トンネル内の工事は完了しており、1月調査時から変化があったのはJR山手線の交差部分のみです。山手線の軌道は 地下の掘削の際橋梁構造に変更 されていましたが、工事が終了したため 元のバラスト軌道に戻す 作業が行われています。2月はじめの調査時は山手線外回りで復元作業が行われており、軌道がまだ安定していないため 45km/hの徐行制限 が設けられていました。 ●代官山駅 2013年3月10日の代官山駅 代官山駅構内でも15日終電後の切替に向けた準備が大詰めを迎えています。3月10日の調査時は ホーム床面に15日切替時の切断位置を示すマーキングが書き込まれた ほか、駅内外を分ける柵も以前より背の低い簡易的なものに交換されました。なお、15日当日は朝から切替工事に向けた準備が行われるため、 ホーム渋

[105] 「梅まつり」ことしも臨時駅 - NHK茨城県のニュース, , http://www3.nhk.or.jp/lnews/mito/1075200681.html

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来月から水戸市の偕楽園で始まる「梅まつり」に合わせて、JR東日本は、ことしも祭りの期間中の土曜と日曜、それに祝日の限定で、会場の近くに臨時駅を設けます。

「水戸の梅まつり」は、日本三名園の一つで梅の名所として知られる偕楽園などを会場に、およそ3000本の梅が見頃となる来月20日から3月31日まで行われます。

JR東日本は、毎年「梅まつり」に合わせて会場のすぐ近くを走る常磐線に「偕楽園臨時駅」を設けていて、ことしも来月20日から3月27日までの土曜と日曜、それに祝日に運用します。

臨時駅には、1日当たり東京方面からの下りの特急列車13本と普通列車17本の合わせて30本が停車し、改札口で「水戸の梅大使」が出迎えます。

JR東日本水戸支社によりますと、臨時駅は毎年およそ4万人が利用していますが、上野東京ラインの開通を受けて、ことしはさらに利用客の増加を期待しているということです。

JR東日本水戸支社は「上野東京ラインの開通で、首都圏の広いエリアからの集客が見込めると考えている。期間中はいろいろなイベントを企画しているのでぜひ利用してほしい」と話しています。

01月21日 07時41分

[106] JRの料金路線図、山手線が消えるのはどのへん? - デイリーポータルZ:@nifty, , http://portal.nifty.com/kiji/160210195692_3.htm

ほら、1660円だ! 予想通りですね。これって、つまり下の券売機で買えるきっぷの金額の上限ってことじゃないですか?

そうか、うっかり路線図の形ばかりみててそっちに気がむかなかった……でも、そうなると、上野で1940円の宇都宮が復活してたのはなぜなんでしょうかね?

[107] 5年前のスーパーひたち、駅に止まったまま:朝日新聞デジタル, , http://www.asahi.com/articles/ASJ333RSTJ33UQIP00B.html

福島県南相馬市のJR常磐線・原ノ町駅。5年前の3月11日、午後3時9分発の上野行き特急「スーパーひたち50号」が、今も止まっている。雨だれの跡や大きなさびで、4両編成の白い車体はくすんで見える。

取り残されたのは、常磐線の一部が、東日本大震災による津波や原発事故で、再開できないためだ。原ノ町駅から南46キロの竜田駅までの一部は、帰還困難区域に指定され復旧が進まない。北側も、約20キロ先の相馬駅までは運転を再開したが、その先の一部が津波で不通になっている。

今月中旬から、JR東日本はこの車両の撤去を始める。同社によると、同型車両の多くが運用を外れ、再び走るのは難しいという。(写真・文 林敏行)

[108] 震災後5年間放置の列車 駅から撤去 福島・南相馬 NHKニュース, , http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160317/k10010446741000.html

東日本大震災と原発事故の影響で、福島県南相馬市にあるJR常磐線の駅の構内に、震災直後から留め置かれたままになっていた列車の車両が、17日に5年ぶりに撤去されました。

東日本大震災が発生した際、南相馬市にあるJR常磐線の原ノ町駅に停車していて、その後、震災の津波や原発事故の影響で駅近くの一部区間が不通になったため動けなくなり、5年間留め置かれたままになっていました。この2つの車両についてJRは、常磐線の平成31年度中の全線開通を目指し線路などの復旧作業を進めるため、駅から撤去することになり、17日に大型のクレーンで車両をトレーラーに載せる作業を行いました。車両は5年余りにわたって雨風にさらされていたため、塗装などが黒ずんでいました。JRは19日までに、2つの車両を福島県郡山市の施設に運び込み解体することにしています。 作業の様子を撮影していた82歳の男性は「町の記録を残さなければという思いと、3・11に関係するものなので写真に残しました」と話していました。 JR東日本水戸支社車両グループリーダーの小山智久さんは「多くの人に親しまれた車両なので、非常に寂しいですが、感謝の気持ちで送り出したいです。今までありがとうと、ことばをかけてあげたいです」と話していました。

[109] 気仙沼線、復旧を断念 JR東のバス輸送提案受け入れ:朝日新聞デジタル, , http://www.asahi.com/articles/ASJ3L514DJ3LUNHB013.html

東日本大震災の津波で不通になり、一部区間がBRT(バス高速輸送)で仮復旧しているJR気仙沼線について、宮城県気仙沼市は18日、鉄道復旧を断念し、将来もBRTを続けるJR東日本の提案を受け入れると正式に発表した。

津波で線路が寸断された気仙沼(宮城県気仙沼市)―柳津(同県登米市)の約55キロについて、沿線3市町のうち、登米市と同県南三陸町は昨年12月、BRT受け入れを表明。地元要望を理由に鉄路復旧を唱える気仙沼市だけが回答を保留していたが、観光振興などにJRが協力すると約束したため、受け入れを決めた。

菅原茂・気仙沼市長は18日の定例記者会見で、「これ以上先延ばしにすることで、復興事業に影響が出るといけない」と述べた。

[110] 岐路の三陸鉄道 住民が支える | NHKニュース, , http://www3.nhk.or.jp/news/business_tokushu/2016_0329.html?utm_int=news_contents_tokushu_003

5年前の東日本大震災では、太平洋沿岸の鉄道も大きな被害を受けました。いまだに復旧していない鉄道がある一方で、岩手県沿岸を走る第三セクターの三陸鉄道は、おととし4月に全線での運転を再開。NHKの連続テレビ小説「あまちゃん」の効果もあって、知名度は全国区になりました。 しかし、震災への関心が徐々に薄れるなかで、利用者の確保が課題になっています。震災当時、NHK盛岡放送局で勤務し、今回再び現地に取材に入った経済部の橋本知之記者が被災地の鉄道が抱える課題を解説します。

あの日から5年 混雑した三陸鉄道

震災の発生から5年となった3月11日の午後2時46分。私は、岩手県大船渡市の三陸鉄道の三陸駅のホームで、乗客たちが海に向かって黙とうをささげる姿を取材していました。

乗っていた列車は「震災学習列車」。三陸鉄道が震災の教訓を語り継いでいこうと運行している列車で、乗客たちはガイド役を務める三陸鉄道の社員から被災当時の状況や復興の現状について説明を受けながら、復興工事が進む被災地の景色を見学しました。

この日の列車は、地元をはじめ、東京などからの旅行客40人余りで満席となっていました。横浜市から来た大学生は「柱に示された津波の到達地点が思ったより高く、津波の高さを実感した」と話していました。

鉄道被害現在も復旧作業続く

しかし、三陸鉄道のように、震災の被害を受けた太平洋沿岸の鉄道のすべてが復旧したわけではありません。

震災では、岩手・宮城・福島の5つの鉄道事業者の25の路線が一時、不通となりました。震災の発生から5年が経過した今も、JR東日本の4つの路線の 約223キロで鉄道運行ができない状態 です。

このうち、岩手県を走る山田線の宮古と釜石の間は、JRが復旧作業を行ったうえで、三陸鉄道に運行を移管する予定で、平成30年度内の復旧を目指しています。福島県の常磐線は、浜吉田と相馬の間がことし中の復旧を計画していて、原ノ町と竜田の間は4年後・平成31年度末までの全線開通を目指しています。また、岩手県の盛と宮城県の気仙沼を結ぶ大船渡線、宮城県の気仙沼と前谷地を結ぶ気仙沼線は、BRTと呼ばれるバスを運行し、鉄道での復旧は行わないことになりました(気仙沼線の一部区間は鉄道と並行)。

鉄道の復旧は今も道半ばの状態です。

復興のシンボル三陸鉄道も岐路に

復旧を果たした鉄道も、震災の発生から5年が

[111] 亜洲鉄道日記 : 1999年 インドシナ雲南鉄道の旅 12, , http://blog.livedoor.jp/asianrailroad/archives/685473.html

月曜日と木曜日に定期更新。亜洲鉄路(アジアの鉄道)の日記です。中国と日本の鉄道が主になりますが、そのほか近辺の国の鉄道・飛行機の写真を載せています。

旅行をした年も記載していますが、古い旅行の写真も入りますのでこの日記を参考に旅行をされる方は充分に現地に確認して下さい。

下の写真をクリックすると目次が開きます。

「2000年1月1日 滇越鉄道 ベトナム〜中国 国際列車 5121次 6」                     その後は車内でしばらくボケ〜〜〜っとしていました。あまりにも静かで車庫の中にいる車両に間違えて乗っている気分です。しばらくすると入れ替えが再び始まり、写真のようなベトナムの小型ディーゼル機関車が2両の国際客車を牽く小さな編成になりました。これが国際列車と言われても、イメージが程遠いです。編成が完成すると機関車のエンジンが止められて、機関士もどこかに行ってしまいました。時刻表での出発の時間は9:20。1時間くらいあります。 ベトナムのラオカイから中国の国境の町の河口までの間は5121列車という列車番号になります。番号のパターンからこの国境超え区間はベトナムの列車として扱われるみたいです。 9:20になると、定刻ですが発車の合図も前触れも無く突然列車は動き出しました。時速約20キロ程度、警笛を鳴らしながら子どもが遊んでいる庭先をのんびりと進んでいきます。次の停車駅は中国であることを全く思わせません。 列車が一旦停止しました。国境です。モンゴルのときのようにものものしさは全く無く、1分くらい停車すると汽笛一声、再び列車は動き出し国境の川の南渓河を渡り始めました。この橋は幅7メートルの鉄道道路併用橋で、列車が渡る時間帯は人や車はシャットアウト。ゆっくりゆっくりと列車は橋を渡ります。 橋の長さは200メートルです。渡り終えた瞬間、中国に入った!と思いました。まず目についたのは人の多さ。橋の入口のところには沢山の国境の行商人が国境が開くのを待っています。すごい人の数。その人たちは蹴散らすように列車はその中を割り込んで行きます。鉄道の標識も漢字になりました。橋を渡るとすぐにトンネルがあります。トンネルの中で右への急カーブになっていて、抜けると河口駅。ベトナムと中国との間には1時間の時差があるので1時間時計を進めて10:30に定刻に到着しました。 列車が到着す

第三耳ヶ谷隧道

第三耳ヶ谷隧道

第一耳ヶ谷隧道

第一耳ヶ谷隧道

第二耳ヶ谷隧道

第二耳ヶ谷隧道

立野隧道

立野隧道

泉沢隧道

泉沢隧道

江垂隧道

江垂隧道

川子隧道

川子隧道

岩迫隧道

岩迫隧道

立野踏切

立野踏切

豆ヶ谷踏切

豆ヶ谷踏切

小高瀬隧道

小高瀬隧道

東善寺隧道

東善寺隧道

台ノ山隧道

台ノ山隧道

末続隧道

末続隧道

夕筋隧道

夕筋隧道

館山隧道

館山隧道

大沢隧道

大沢隧道

原見坂隧道

原見坂隧道

鞍掛山隧道

鞍掛山隧道

向山隧道

向山隧道

逢隈駅

逢隈駅

下郡トンネル

下郡トンネル

履歴

[126] この記事はSuikaWiki Worldに作成されました。 に最終更新されました。 https://world.suikawiki.org/spots/22776855933291553

メモ