岩泉線

岩泉線

[1] 岩泉線 (いわいずみせん)

Webページ

[2] 岩泉線 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B2%A9%E6%B3%89%E7%B7%9A

岩泉線(いわいずみせん)は、かつて岩手県宮古市の茂市駅と同県下閉伊郡岩泉町にある岩泉駅を結んでいた東日本旅客鉄道(JR東日本)の鉄道路線(地方交通線)である。 茂市駅で山田線から分岐していた、第二次世界大戦中に耐火煉瓦の原料となる耐火粘土の輸送のために建設された路線で、日本国有鉄道(国鉄)時代に特定地方交通線第2次廃止対象線区に選ばれていたが、並行する道路が整備されていなかったため、代替道路未整備を理由に名松線とともに廃止対象から除外された。2010年7月31日に発生した土砂崩れによる脱線事故のため、以来全線で運休になっていたが、2012年3月30日にJR東日本は鉄道での復旧を断念し、バスによって輸送を継続したいという方針を発表し、2013年11月8日に廃止届が提出され、2014年4月1日に廃止された。

[3] H22.11.18. JR岩泉線 事故車両の撤去.mpg, , http://www.youtube.com/watch?v=v6PW6J20mn0

11月18日(木)午後0時5分、JR岩泉線の土砂崩壊による脱線事故車両が現場から撤去されました。7月31日の事故発生からじつに110日、事故車両はディーゼル機関車にけん引されて同線の茂市駅に運ばれました。JRでは明日東京で、第2回JR岩泉線土砂崩壊災害原因調査検討委員会を開催するとしています。

[4] 岩泉線 - アンサイクロペディア, , http://ja.uncyclopedia.info/wiki/%E5%B2%A9%E6%B3%89%E7%B7%9A

茂市駅という、すでにど田舎の山田線の駅から出発し、岩泉に向けて行く岩泉線である。

そもそも、岩泉の観光地へは盛岡からバスで行くのがセオリーで、わざわざ岩泉線を使って行くのはよほどのマニアである。利用客は人の他、山の動物たちの割合も高い。

JR東日本では岩泉線と山田線に限り、山の動物の利用が認められている。運賃は子供料金と同額であるが、なぜか山の動物たちは金をきちんと払う。それでもこの路線は大赤字垂れ流し路線である。何せ、いわてはいない駅からは人の利用もあまりなく、携帯電話の電波もFOMA以外はほとんど届かないのだ。

岩泉駅へは、岩泉高校生なる学生が利用している。朝夕の一往復はともかく、残りの2往復はもはやネタ運転である。

ところがこの路線は、鉄道教徒の目に留まるようになり、いまや利用客の過半数は鉄道教徒である。特に、押角駅は“秘境駅”として聖地のひとつとなっており、90%以上の利用者が鉄道教徒とする説まであるほどである。

鉄道教徒のほか、押角トンネル(1914.7hyde)など、1000hydeを超える長大トンネルが多数あり戦争中の混乱期に建設されたことから心霊マニアも多数みかける。路線最長のトンネルは現在全長2000hydeとされているが、後述の通り、その調査は頓挫している。

訪問者からは、あんなに開業時はワイワイ騒がれてたのに、今じゃ閑散してるため、別名・祝い済み線と言われる。

[編集] 岩泉線の存続経緯

もともとは、もっと先の龍泉洞が通じているとされる小本あたりまで延びる予定だった。ところが、色々と事情があって頓挫(理由は後述)。結局岩泉止まりに終わった。しかも、国鉄末期に廃線になるはずなのに、「沿線道路が狭隘である」などとクレームがあり残った。……運が良いやつめ。

かつては鉱山鉄道として繁栄しており、旅客ゼロでもなんともなかった。今は通学生のほか観光客輸送が主力となっている。龍泉洞は日本の三大洞窟としてスペランカーたちの人気を集める一大観光スポットである。環境保護のため、龍泉洞内への自動車乗り入れは、マイカーは論外として観光バスすら禁止されており、岩泉線だけが唯一のアクセス方法となっている。さっき少し触れてみたように、小本までの岩泉線延伸計画もあったが、洞窟内の探索中にコウモリの糞に当たった国鉄関係者が死亡し、現状では盲腸線となっている。終点で降りる際は、

[5] バイクで旧岩泉線を訪問してみる・その1(横浜→茂市駅まで) - きたへふ(Cチーム)のブログ, , http://blog.goo.ne.jp/cars-kitahefu/e/3cebc2cb868747f350b8f18e6082777e

【記事作成日:2014/4/29、現地訪問日:2014/4/26】

1. はじめに

ブログ主は鉄ヲタ(乗り鉄)でバイク乗りで酷道マニア(見習い)という

“逸般的”な趣味を持っているのですが、そんな私は言わずもがな

鉄道趣味のジャンルの一つである“秘境駅”も好きだったりします。

※ 正確に言うと秘境駅のある路線に乗りに行くのが好きなんですが。

そういう私が心底残念で心残りに思っていることが1つあります。

それは岩手県を走るローカル線である岩泉線に乗れなかったことです。

岩泉線は1日3往復ぐらいしか運行されず、途中には全国最強クラスの

秘境駅とされる押角駅を有する、秘境駅マニアであれば絶対に

知っておかねばならない、超絶ローカル路線です。

(詳細はWikiPediaの岩泉線の項参照)

そんな私も岩泉線に乗りに行く気は満々で、2010年の夏休み

(18きっぷのシーズン)にでも乗り行くつもりだったのですが、

その矢先の2010年7月31日に発生した土砂崩れと脱線事故から

立ち直ることができず、その後バス代行が続いた上で、

2014年3月31日で正式に廃線になってしまいました。(つД`)

廃線までに岩泉線には乗れなかったのですが、それでもまだ

岩泉線の名残があるうちに現地を訪問したいと思い、

今回は一泊二日の強行日程ながら、横浜から岩手まで

バイクで現地を訪問してみることにしました。

今回はそのときの記録をブログに残したいと思いますが、

写真が多くてページが重たくなってしまうことから

4つのエントリに分けて記載したいと思います。

その1: 横浜から茂市駅まで (←このページ)

その2: 岩手刈屋駅から岩手和井内駅まで

その3: 押角駅と押角峠

その4: 岩手大川駅から岩泉駅まで

2. 岩泉線の概要(地図)

岩泉線は、盛岡と宮古市(実際にはその先の釜石まで)を結ぶ

山田線の途中駅である茂市駅から岩泉駅までを結ぶ路線です。

起点の茂市駅のある山田線ですら超ローカル路線なのに、

ましてや、そこから過疎の山の中に延びていく盲腸線である

岩泉線はとんでもない超絶ローカル路線となります。

旧岩泉線 茂市駅から岩泉駅まで (クリックでgoogle mapの元データへ)

A…茂市駅

B…岩手刈屋駅

C…中里駅

D…岩

[6] 茂市駅 - Wikipedia, , http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8C%82%E5%B8%82%E9%A7%85

駅構造[編集]

単式ホーム1面1線と島式ホーム1面2線、合計2面3線のホームを持つ地上駅。

直営駅(駅長配置)。管理駅として、山田線の腹帯駅・蟇目駅を管理している。

駅舎には出札窓口(POS端末設置・指定券取扱)があるだけである。運転事務室が2・3番線ホーム上にあるため、閉塞扱いのときは駅舎(窓口)に駅員が不在となることが多い。

岩泉線の列車は当務駅長からスタフをもらい1番線から発車していた。宮古方面 - 岩泉線直通列車は1番線を通り直通できるが、盛岡方面 - 岩泉線の直通列車(秘境駅号などの臨時列車)は当駅に盛岡方 - 岩泉方の渡り線がないため、到着番線に入線後、一旦列車のドアを閉めて宮古方のポイントの向こうに移動する転線作業が必要となる。そのため、これらの臨時列車の当駅での停車時間は約20分強と長かった。

なお、岩泉線は2010年7月30日に発生した土砂災害による脱線事故(岩泉線列車脱線事故)の影響で、事故以後運休していたが、2012年3月30日にJR東日本は、鉄道路線を廃止し、バスによる輸送に転換する方針を発表した。2013年11月8日に廃止届が提出され、2014年4月1日に廃止された。

のりば[編集]

駅舎(北側)から、

[7] 押角駅 - Wikipedia, , http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%8A%BC%E8%A7%92%E9%A7%85

押角駅(おしかどえき)は、かつて岩手県宮古市和井内にあった、東日本旅客鉄道(JR東日本)岩泉線の駅。同線の廃線により2014年(平成26年)3月31日限りで廃止となった。

歴史[編集]

1944年(昭和19年)7月20日 - 日本国有鉄道小本線の駅(貨物駅)として開業。

1947年(昭和22年)11月25日 - 宇津野駅[1]まで小本線が延伸、中間駅となる。同時に旅客取扱も行う一般駅に変更される。

1948年(昭和23年)11月26日 - 風水害により営業休止。

1949年(昭和24年)3月5日 - 営業再開。

1961年(昭和36年)11月1日 - 貨物取扱廃止。

1972年(昭和47年)2月6日 - 小本線が岩泉線に改称。同時にスイッチバックを廃止し無人化。

1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により、JR東日本の駅となる。

2010年(平成22年)

7月31日 - 災害により、岩泉線が不通となる。

8月2日 - 代行バスによる運行開始。ただし当駅は通過。

8月17日 - 代行バスが当駅に停車するようになる。

2014年(平成26年)4月1日 - 岩泉線の廃止に伴い廃駅[2][3]。

駅構造[編集]

傾いた木製の単式ホーム1面1線を有する地上駅であった。茂市駅管理の無人駅であった。

駅にはベンチや待合室は存在せず、駅舎・屋根もない。

開業時はスイッチバック駅で、かつては横取線のある方に駅舎とホームがあった。通過不能型の配線で、単式1面および島式1面の3線と引き上げ線1線を有した。駅本屋があった場所は、現在、川を利用した養魚場となっている。

駅周辺[編集]

駅附近には押角の集落があったが、現在は養鱒場と、近くに自然で育てた鶏の卵を販売する養鶏場の2軒があるのみで、周囲は山である。国道340号に隣接しており、駅があることを示す小さな標識がある。雑草に埋もれた駅前広場の奥に仮設にしか見えない橋と階段があるが、その橋を渡り階段を上って左折し線路脇を50mほど歩くとようやく駅のホームにたどり着く。

前述の通り、橋を渡った先には国道340号があるが、この駅の周辺は押角峠と呼ばれる難所であり、道幅が狭く交通量も少ない。このため、国道と接続している駅とは思えないほどであり、これらのような事情から、この駅は一部の鉄道ファンから全国屈指の秘境駅として扱われていた。橋

[8] 岩泉線の廃止決まる、JR東が届出 - 鉄道コム, , http://www.tetsudo.com/news/922/

JR東日本は、土砂崩落により運休している岩泉線の廃止を決定し、8日に国土交通大臣に廃止届を提出した。

岩泉線は、山田線の茂市駅から分岐し、龍泉洞の玄関口となる岩泉駅に至る38.4キロの路線。1942年に開業し、1972年に全線が開通した。いわゆる盲腸線で、自動車の普及や沿線人口の減少から廃止が検討されたこともあるが、バス転換が困難といった理由で廃止されず、1日3往復(茂市~岩泉間)が運行されていた。

2010年7月、押角~岩手大川間で土砂崩落が発生し、列車が乗り上げて脱線。以降、全線でバスによる代行輸送が行われている。同社は復旧に伴う費用が多額になることに加え、復旧に要する期間の長さ、利用者の減少を考慮し、復旧の断念を表明。今月7日に地元自治体との間で、同線の廃止について合意が成立した。

今後、同社は押角トンネル(約3キロ)を岩手県に、茂市~岩手和井内間(約10キロ)を宮古市に、浅内~岩泉間(約7.4キロ)を岩泉町に、それぞれ無償で譲渡する。県は国道の難所区間の迂回路としてトンネル区間を道路に転用。道路改良に関する工事費の一部を同社が負担する。また、廃止後の代替バス運行に伴う赤字分を、同社が全額負担する。

2013年11月8日(金)19時17分更新

投票・みんなの意見

岩泉線の廃止、受ける影響が大きいと思うのは?

岩泉線の廃止が決まりました。その影響を最も大きく受けると思うのはどれか、1つ選んでください。

投票結果(計5項目/462票)

各項目の下部には、最新の支持コメントを表示しています。 各項目のは未投票の項目、は投票済みの項目であることを示します。

自分自身

[9] バイクで旧岩泉線を訪問してみる・その4(岩手大川駅からと岩泉駅まで) - きたへふ(Cチーム)のブログ, , http://blog.goo.ne.jp/cars-kitahefu/e/b89eb7fa72711ac77d4995b3d5035142

【記事作成日:2014/5/3、現地訪問日:2014/4/26】

このエントリでは、

バイクで旧岩泉線を訪問してみる・その1(横浜→茂市駅まで)

バイクで旧岩泉線を訪問してみる・その2(茂市駅→岩手和井内駅まで)

バイクで旧岩泉線を訪問してみる・その3(押角峠と押角駅)

の続きとして、今回の岩泉線沿線見学ツアーの最後となる

岩手大川駅の手前から終点岩泉までをバイクで訪問したときの

状況を記載します。

旧岩泉線 茂市駅から岩泉駅まで (クリックでgoogle mapの元データへ)

A…茂市駅

B…岩手刈屋駅

C…中里駅

D…岩手和井内駅

E…押角駅

:

かつてこの間に宇津野駅あり(廃駅)

:

F…岩手大川駅

G…浅内駅

H…二升石駅

I…岩泉駅

1. 雄鹿戸トンネル先から岩手大川駅まで

雄鹿戸トンネルから岩手大川駅までの地図(抜粋)

60岩泉町へ突入

雄鹿戸トンネルを抜けると岩泉町に入ります。

61押角峠の下り

岩泉町側の道は、それ程険しくはありませんでした。

62岩泉線の高架橋

高いところを岩泉線が走っています。

列車から見る眺めはきっと良かったんだと思います。

岩泉線に乗れなかったことが、本当に残念です。

63高架橋にも柵

なお、こうしたところにもしっかり柵が張られて

立入近似状態になっていました。

64県道171号線との分岐点

T字路型の交差点に到達します。

岩泉駅方面は右側ですが、岩手大川駅は左にあるので

一旦左方面へ寄り道します。

65落石注意

なお、ここから岩泉側は「この先5km付近まで落石に

特に注意して通行してください」との警告がありました。

66大川駅分岐

県道171号線から駅の方の道に入ります。

67あじのある大川駅と小中学校の案内板

イイ感じです。

68大川駅&トイレ

いかにも田舎の駅舎といった感じです。

69大川駅・右側

何といっていいのか分かりませんが、なんとなく

学校の花壇の先に駅があるような感覚でした。

70大川駅・茂市側

大川駅のホームから見た線路の風景は、

すでに廃線が進んでいるなぁ〜といった感じでした。

71大川駅・岩泉側

岩泉側も同様です。

72なくなっている駅名標

この駅も看板がなくなって枠だけになっています。

続け

[10] 道路レポート, , http://yamaiga.com/road/r340_osikado/main.html

本州最大の面積を有する町「岩泉町」。

県都盛岡市に隣接し、太平洋にもその端を置くというその広大さは、チャリという人力の乗り物で走ることで最もよく実感される。

その上、その町土の大半が北上山地の1000m級の山地と、その隙間に穿たれた深い峡谷によって構成されており、移動の困難は言うまでも無い。

一般国道340号線は陸前高田市と八戸市を結ぶ長大な南北路であり、全線が北上山地と共にあるという、嫌になるくらいの山路である。

そのなかでも特に深い歴史を有するのが、今回紹介する「押角峠」である。

読みは『おしかど』。

これまでネット上でこの名が露出したのは、私の知る限り…、峠にあるという隧道にまつわる心霊話くらいだろうか。

まあ、マイナーな峠道だ。

押角峠の道は、それだけでも十分に“ネタ”になる、魅力的なものであった。

しかし嬉しいことに、ここ岩泉町とその周辺には、他にも私を刺激するスポットが多数ある。

レポートでは、一本の道にこだわらず、寄り道を交えつつそれらをも紹介していきたい。

あなたのお気に召すスポットもあるとよいが…、

それでは、これより始まるやや長い、数回に分けてのレポートにお付き合い願いたい。

<地図を表示する>

JR岩泉駅 構内

レポートの始まりは夜。

しかも、無人の終着駅。

ここは、JR岩泉線の終着駅、岩泉。

JRが現在所有する鉄道の中でも、最も営業係数の悪い、つまり赤字路線の筆頭に上げられる路線の一つだ。

それでもなお廃止を免れているのは、一説に、沿線の他の交通が余りにも遅れている為に、鉄道の公共性を重視してのことという…。

しかし、その実情は夜が明けてから、見ていこう。

今はただ、眠い。

盛岡市から、国道106号線を宮古まで、さらには国道45号線を岩泉町の太平洋沿岸にある小本まで北上。

内陸へと20kmほど歩みを進め、やっとたどり着いた、この日の目的地である。

延べ15時間の間に、170km位は走った。へとへとだ、マジで…・・。

明朝の一番列車は、午前8時4分初、宮古行き。

余りにも遅いが、現在では一日にこの駅を訪れる列車は僅か3本。致し方ないだろう。

むしろ私にとっては、人の往来から離れてゆっくりと眠れるので好都合だ。

もっとも、今の私に許された旅の時間は残り少なく、明日は遅くとも9時までには、約50k

[11] 日本の桃源郷・岩泉線終着「浅内駅」へようこそ, , http://www.karamatsu-train.co.jp/aomori/iwaizumi.html

この駅を訪れたとき 心が躍った 探し続けてきた鉄道の終着駅があった

なにもかもが新しくなり捨て去られていく中 外界と隔離された現実の桃源郷がある

昭和47年小本線と賞し岩泉までの路線延長がはじまるまでこの駅が終着駅だった

狭い集落の中に駅を中心とした終着駅がある 現在は歯が抜けたようにそれぞれがポツンと遺構が残る

その大きな隙間に当時を埋め込めばそれは生活の足であり生きていくための駅が蘇って来る

山深い谷と川に挟まれながら精一杯の設備を擁した「浅内駅」があった

すべては最小ながら日通もあった郵便局もあった 現在は日通の看板を付けたまま民間会社が

使用している 目の前の郵便局もプレハブ仕立てでワム1両ほどのミニチュア店舗である

ありもしないと思えるものたちが現存している 外界とは押角峠の向こう側を言いたい

車で走ってみればわかる 厳しい峠はたくさんあれど本気で怖くなる山越えの小道である

乗用車ですら行き違いが出来ないところへ10トン車が越えてくる ガードレールを越えたらダメだろうなと・・・

登るだけ登ったところでトンネルに入る 最初からトンネルにすれば?そういう山々ではない

いまだ林業も盛んだが驚くことに運搬には磨き上げられたモスグリーンのボンネットトラックたちが

何両も活躍しているそれもユニック付である 巨木を満載してこの峠の冬を越せるドライバーは

凄い!命がけである そのむこうとこちら側が桃源郷と外界である

いまの日本どこにでも道がある 知床ぐらいかなないのは・・・ 念のためこの道は一応国道である

集煙装置付C58が宮古からやってきた時代を創造せずにいられない

現在も残る給水塔は充分それをそそってくれる 道路問題から現在に至っているようだが

むずかしいことは別として陽のあたるホームに立てば囲まれた山々と空が美しい天然色に

見えるのは事実である こんな駅で少年時代を過ごした夢を見たのは私だけだろうか・・・

[12] 道路レポート, , http://yamaiga.com/road/r340_osikado/main5.html

岩泉駅で一夜を明かした私は、始発列車より早く駅を発ち、概ね岩泉線の鉄路に沿って旅の終点、茂市へと向かっていた。

途中最大の難関であった押角峠を攻略し、究極のしょぼい駅をも目撃した。

残すは、新里村の道中20km足らず。

引き続き、鉄路に沿って国道340号線を南下してゆく。

<地図を表示する>

押角地区

押角駅前には、駅前たるに相応しい、奇妙なオブジェが存在している。

タイヤで形作られたそれは、目立ちはするが、決して待ち合わせ場所にはしたくないムードを、そこはかとなく醸し出している。

あえて、今回そのオブジェは公開しないので、興味のある人は是非、押角へ!(笑)

さて、押角駅を出発すると、国道は刈屋川の渓流に沿っての緩やかな下り坂だ。

霧雨のちらつく中、やや肌寒さを感じつつも、快調にペースを上げて茂市を目指す。

途中、廃屋らしき一軒の民家が森の中にとり残されるように建っていたのでシャッターを切ったが、うまく映っていなかった。

これが、失われた押角集落の姿と思われる。

国道は岩泉町で分岐して以来、この辺が最も狭い。

決して不可能ではないだろうが、このままではバスによる輸送が難しいというのも頷ける。

それでも、舗装は新しくなっており、ちゃんと手はかけられている様子だ。

それにしても、この写真に写る標識…。

一つ一つは、おなじみのものであるが、この組み合わせって…?

どーいう意味なのー??

さっぱりわからん。

[16] バイクで旧岩泉線を訪問してみる・その3(押角峠と押角駅) - きたへふ(Cチーム)のブログ, , http://blog.goo.ne.jp/cars-kitahefu/e/137169b32383c53e9febe80a0645f429

【記事作成日:2014/5/4、現地訪問日:2014/4/26】

このエントリでは、

バイクで旧岩泉線を訪問してみる・その1(横浜→茂市駅まで)

バイクで旧岩泉線を訪問してみる・その2(茂市駅→岩手和井内駅まで)

の続きとして、今回の岩泉線沿線見学ツアーのハイライトである

秘境駅の押角駅とその前後の押角峠(酷道340号線)をバイクで

訪問したときの状況を記載します。

旧岩泉線 茂市駅から岩泉駅まで (クリックでgoogle mapの元データへ)

A…茂市駅

B…岩手刈屋駅

C…中里駅

D…岩手和井内駅

E…押角駅

:

かつてこの間に宇津野駅あり(廃駅)

:

F…岩手大川駅

G…浅内駅

H…二升石駅

I…岩泉駅

1. 岩手和井内駅から押角駅まで

岩手和井内駅から押角までの地図(抜粋)

31押角峠スタート

茂市駅から和井内の集落を過ぎるまでの道は、

一部狭いところはあったもの、ごく普通の

一般的な生活道路という感じでした。

ところが押角峠に近づいてからは、道幅は狭くなり、

一気に酷道色が強くなってきます。

32路肩注意

ヘマをするとガードレールのない川底にドボンです。

33路肩と崖

路肩のガードレールはあまり役に立っているとは思えず、

網タイツ(←正確にはタイツではない)を被せられた山肌も

今にも崩れ落ちてきそうです。

34役に立っていないガードレール

特にガードレールは、あちこちでぶつけられており、

バイクが路肩に落ちてしまう程のスペースが空いている

個所もちらほらと見つかりました。

35雪崩

川の向こうの岩泉線の線路を見ると、雪崩で線路が

埋まっちゃっている状態でした。

この日の岩手は20℃を越える暖かい日で、茂市からは

バイクの上着(3シーズンジャケット)を脱いでおり、

中のインナーも脱ごうかどうか迷うぐらいの暖かい

天候だったのですが、山間部ではまだこれだけ雪が

残っていることに驚きました。

36刈屋川沿いの風景

刈屋川はイワナやヤマメ、鮎などが釣れる清流で

釣り人には人気のところだそうです。(要日釣券)

37国道340号のおにぎり

そろそろ押角駅に近づいてきました。

38押角駅入口の標識

そしてついに目的地である押角駅に到着です!

2. 押角駅付近を散策し

[17] 有効なのは廃線後?誤って乗車券販売 岩手のJR岩泉線:朝日新聞デジタル, , http://www.asahi.com/articles/ASG376GJMG37UTIL044.html

4月1日に廃線となる岩手県内のJR岩泉線(茂市―岩泉間)で、廃線日以降の利用を有効とする乗車券65枚(計1万6540円)が販売されていたことがわかった。JR東日本が指定席券売機のシステムに今回の廃線を反映させていなかったことが原因で、これに気づいた鉄道ファンが記念に購入したケースが多いとみられる。

同社が7日発表した。東京、神奈川、埼玉、千葉、長野の5都県内の22駅の指定席券売機で今月1~6日に販売されていた。指定席券売機は1カ月先までの乗車券を購入することが可能。65枚すべてが廃線区間を行き来するもので、うち54枚(計1万5430円)は、廃線日の4月1日有効の乗車券だった。

同社は今月2日、外部から指摘を受け、6日までに、廃線日以降の岩泉線の乗車券を販売できないようにシステムを変更した。「深くおわび申し上げます」として、対象の乗車券の払い戻しには手数料無料で応じる。

[18] バイクで旧岩泉線を訪問してみる・その2(茂市駅→岩手和井内駅まで) - きたへふ(Cチーム)のブログ, , http://blog.goo.ne.jp/cars-kitahefu/e/cc3daf4d9e2b4320c4dda48271a440e1

【記事作成日:2014/5/3、現地訪問日:2014/4/26】

このエントリでは、

バイクで旧岩泉線を訪問してみる・その1(横浜→茂市駅まで)

の続きとして、岩手県の旧岩泉線の茂市駅から

岩手和井内駅までの訪問記を記載します。

旧岩泉線 茂市駅から岩泉駅まで (クリックでgoogle mapの元データへ)

A…茂市駅

B…岩手刈屋駅

C…中里駅

D…岩手和井内駅

E…押角駅

:

かつてこの間に宇津野駅あり(廃駅)

:

F…岩手大川駅

G…浅内駅

H…二升石駅

I…岩泉駅

茂市駅から岩手和井内駅までの地図(抜粋)

1. 岩手刈屋駅に行ってみる

00 茂市駅付近より国道340号の北上開始(岩泉まで45km)

盛岡と宮古を結ぶ幹線道路である国道106号線より、

北上山地を縦に貫く国道340号線に入って岩泉方面へ

北上を開始します。

01岩手刈屋駅・分岐

国道から横道に入ります。

02岩手刈屋駅・駅舎

駅舎はこんな感じでした。

03岩泉茂市線バス時刻表

鉄道としての岩泉線は無くなりましたが、

同じ区間を走る路線バスは存在するので、

駅舎はバスの待合室として使われていました。

04岩手刈屋駅・駅舎(ホームから)

味のある風景です。

05岩手刈屋駅・茂市側

花壇があって綺麗な花が咲いていました。

06注意看板

残念ながら、列車はもう来ることはありません。(つД`)

07岩手刈屋駅・岩泉側

線路沿いに大きな桜の木があったのですが、

満開でとても綺麗な状態でした。

08岩手刈屋駅近くの別のバス停

風雨をしのげる小さな待合室がイイ感じです。

続けて隣の中里駅に向かいます。

2. 中里駅に行ってみる

09刈屋踏切1

岩手刈屋駅から中里駅までは線路沿いの道を進んだところ

途中に踏切を発見しました。

10刈屋踏切2

踏切では道路両端の線路側にトラロープが張られていて

線路内には立入禁止の状態になっていました。

11途中の橋

橋については両端の入口に柵が設けられて、

簡単に立入できないようになっていました。

12お寺の近くの踏切

この踏切もトラロープが張られて、

立入禁止の状態になっていました。

13線路を塞ぐ枯れ枝

日々のメンテナンスがされないと、やっぱり

こんな感じにな

[19] 八高線 - Wikipedia, , https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AB%E9%AB%98%E7%B7%9A

八王子駅 - 高麗川駅間 [ 編集 ]

中央本線 上りホームの反対側1番線から 八王子駅 を発車すると、右手に 横浜線 が分岐し 京王線 を跨ぐ。左へカーブし中央本線から分かれ、 浅川 を渡り、 国道16号 ( 八王子バイパス )を跨いで勾配を上っていく。 国道20号 (甲州街道)を潜って巨大な倉庫や工場の林立する 北八王子駅 に到着する。北八王子を発車すると勾配を下り、 中央自動車道 を潜ると間もなく 小宮駅 に到着し、勾配を下りながら 1945年 に 八高線列車正面衝突事故 のあった 多摩川橋梁 にかかる。多摩川両岸に向き合う 東京都下水道局 の二つの 下水処理場 を右手に見ながら鉄橋を渡ってしばらく直線に進むと 青梅線 を跨ぎ、青梅 電留線 、 米軍横田基地線 、 保線 基地などを大きく抱き込む形で左にカーブし、右手から 西武 拝島線 が寄り添ってきて 拝島駅 に到着する。

拝島駅を出るとすぐ国道16号の武蔵野橋を、 五日市線 、青梅線とともにくぐり、両線を左に分けながら住宅街の間のゆるい勾配を直線で上り、 東福生駅 に到着。東福生駅 - 箱根ケ崎駅間の路線は 横田基地 拡張にともない付け替えられたが、基地を完全に迂回したわけではなく、駅を出るとしばらく基地内の住宅やスーパーマーケットの間を走る。基地内を出て右に並行していた国道16号が、 瑞穂バイパス となり下をくぐって左に分かれていくと、コンクリート壁の間を抜ける。この部分は 滑走路 からすぐの延長線上にあり、未電化時代は トンネル となっていた部分である。これは昔、 飛行機 からの部品落下などが時おりあったためだが、飛行機の安全性向上もあり、電化の際に 架線 を張る邪魔になるため上部が取り壊された。 新青梅街道 を跨いですぐに、 箱根ケ崎駅 に到着。箱根ケ崎駅は拝島方面からの折り返し列車もある。以前は待避線もあったが撤去された。

箱根ケ崎駅を出ると、かつては本線の右側を複線のように貨物線が並走していた。撤去された現在は草に覆れ面影が乏しい。ゆるい登り勾配を進むと、瑞穂バイパスの跨線橋をくぐる。ここで、八王子駅から当線の左右を並行して走ってきた国道16号と一旦別れ、 川越市 までは、当線と 川越線 とは全く別ルートを走る。 埼玉県 入間市 に入り、 狭山茶 の 茶畑 の中を走り標高158メートルの八高線最高

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