2014/12/30 13:41 【現在地】/【迅速測図】
隧道擬定地は、公園なのか。
これを知って期待感を高めるオブローダーは、おそらくいないと思う。
これまでの理想的な展開から、隧道、ないしは隧道の痕跡の現存への期待感を、出発時よりも数倍に期待を高めていた私だが、いざ山中へという場面に待ち受けていた「長沼公園」の立派な案内板に、大きな落胆を余儀なくされた。
道路地図などにはちゃんと公園として記載があるのだが、地形図や地理院地図には書いてなかったんだよな。
案内板を読む限り、この公園(都立長沼公園)は、いわゆる自然公園というやつで、色々な施設が整備された都市公園ではないのが救いである。
遊歩道以外の山林内は開発を免れ、明治の遺構が壊されずに残っている可能性もある。
案内板の地図には、地形図などには記載されていないような細かな遊歩道が沢山描かれていたが、それらも隧道擬定地点には被っていない。
もちろん、地図上に「明治隧道跡」などといった親切な記述も無く、今のところは、依然としてガチの探索を否定しない。
そもそも、結果がどうあろうとも、自分の目で確かめずに引き返すハズはないのである。都立長沼公園内へ突入!
長沼公園の入口は一箇所ではないが、私が入った地点から隧道の擬定地点(北口)までは、おおよそ500m離れている。そこまで道は終始沢沿いを行くようだが、案内板によればこの沢は「柿ノ木谷戸」というそうだ。
この道自体にも「霧降の道」と命名がされていたが、こちらは公園化した際に得たものだろう。
そして、現在地から隧道が潜っていただろう尾根までの高低差は7〜80mある。隧道は尾根より幾分低い所にあったと思うが、いずれにせよ50m前後のアップはあろう。
さて、再び道のレポートである。
この長沼公園が都により整備されたのは昭和55年らしいが(それ以前は手付かずの森であったのかは不明)、迅速測図の明治道と現在の地図に描かれている柿ノ木谷戸の道(霧降の道)は、隧道の近くまで完全に同じラインをなぞっている。つまり、いま辿っているこの道は明治道である。少なくとも線形については。
路面は中央の幅1mが敷石鋪装であるが、さすがにこれは明治のものではない。「もしや」と疑わせる余地さえない、萎え萎えの鋪装であった。
13:36 【現在地】
おっ! 穴があるぞ。 それも二つ。
と