今日もまた雨。
本当に梅雨に舞い戻ってしまいましたね、これでは。
気象庁の方々、ちゃんと高円寺の気象神社にお参りに行ったのかなぁ?(笑)
よく気象神社に「明日晴れますように」とお参りに行かれる方もおいでのようですが、もともと気象神社は「天気予報が的中しますように」という神社ですから、お間違いなきように。
じゃぁ昨日に引き続き、今日も水っぽいお話しといたしましょう。
まず例の2005年9月の水害時、水没?した阿佐ヶ谷駅について。
阿佐ヶ谷駅の南口ロータリーから西に延びる商店街は「川端商店街」と言います。
このあたり、かつて文学者が多く住んで「阿佐ヶ谷文士村」などという通称もあったということで、川端康成先生の旧宅があった・・・・とか、そういうわけではありません。
実際に「川端」だったからこそのネーミング。
そう、水没もするはず。阿佐ヶ谷駅前は、元々はなんと川だったのです。
高円寺には馬橋稲荷神社という、こちらも由緒ある神社があります。ここでは江戸時代、よく雨乞いが行われていたそうです。
江戸中期以降に田畑の開発が進んだ中野・杉並地区では、やがて水不足に直面します。
宝永年間に天沼・阿佐ケ谷村は、千川上水(元禄年間に開削)から分水を引くことを許されました。これは通称「六ケ村分水」と呼ばれます。けれどもその先の高円寺・馬橋・中野の三ケ村は、その恩恵に預かることが出来ませんでした。天沼の弁天沼を源とする桃園川の水量は乏しく、そのため田圃の用水は雨水に頼るしかないため、雨乞いが盛んに行われたのです。
しかし、いつまでも神頼みでは仕方がありません。「天は自ら助くる者を助く」というじゃありませんか。しかも「天保の大飢饉」が関東一円を襲いました。高円寺・馬橋・中野三ケ村の名主さんたちは相談し、水量豊かな善福寺川から桃園川に通じる水路を開削しました。工事は青梅街道という丘を胎内掘り(地下トンネル)で越すという難しいものでしたが、幕府の協力と優秀な民間技術者、川嶋銀蔵の力により見事成功。これが「新堀用水」です。荻窪団地のあたりで取水し、杉並高校横の成宗弁天池を中継地とし、地下トンネルで青梅街道を横断。杉並区役所やショッピングアーケード「パールセンター」の地下を通り、桃園川の東橋付近で合流していました。
豊かな農村地帯であった高円寺や阿佐ヶ谷近辺には、こうした用