※この項は、日経新聞に掲載された記事を検証することを主目的にしております。
「銀座の幻の地下街」の設立経緯等にご関心の方は、別項 東銀座「幻の地下街」を作った経緯が(ほぼ)分かった http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2015/02/post-3bf6.html をご覧ください。
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日経新聞の「 東京ふしぎ探検隊 」に、「 東銀座に地下広場出現 現役最古の地下街は閉鎖へ 」という河尻定氏の署名記事が掲載されていた。
http://megalodon.jp/2013-0422-0253-00/www.nikkei.com/article/DGXNASFK17045_Y3A410C1000000/
http://megalodon.jp/2013-0422-0254-04/www.nikkei.com/article/DGXNASFK17045_Y3A410C1000000/?df=2
http://megalodon.jp/2013-0422-0256-56/www.nikkei.com/article/DGXNASFK17045_Y3A410C1000000/?df=3
http://megalodon.jp/2013-0422-0257-20/www.nikkei.com/article/DGXNASFK17045_Y3A410C1000000/?df=4
三原橋地下街と歌舞伎座をからめて書いた記事で、今時ありがちな記事ではある。 ただ、私も今までそれなりに三原橋地下街について調べてきた目で見て、河尻定氏の記事の中身に疑義があるので、整理してみる。
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三原橋地下街は、露店を収容するためのものだったのか? 河尻定氏の記事では、
東銀座周辺にはかつて三十間堀川が流れ、三原橋という橋が架かっていた。終戦後、戦災で生じたがれきの処分先として川は埋め立てられたが、なぜか橋桁だけが残った。1952年(昭和27年)に 露天商を収容する目的で地下街を造った 際も、橋桁を残したまま開業した。
とある。
(※「橋桁だけが残った