京浜東北線

京浜東北線

[1] 京浜東北線

Webページ

[2] 京浜東北線 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%AC%E6%B5%9C%E6%9D%B1%E5%8C%97%E7%B7%9A

{{Infobox rail line | box_width = {}; border-top:5px {} solid | name = {} | other_name = | native_name = | native_name_lang = | color = | logo = | logo_width = | logo_alt = | image = JR East E233 series EMU 1021.JPG | image_width = 300px | image_alt = E233系1000番台 | caption =主力車両のE233系1000番台 | type = | system = | status = | locale = | start = 起点:大宮駅 | end = 終点:横浜駅 | stations = 35駅 | routes = | ridership = | ridership2 = | open = | event1label = | event1 = | event2label = | event3 = | event3label = | event3 = | close = | owner = 東日本旅客鉄道(JR東日本) | operator = | character = | depot = | stock = E233系1000番台 10両 | linelength_km = 59.1 | linelength_mi = | linelength = | tracklength_km= | tracklength_mi= | tracklength = | notrack = | gauge = | ogauge = | lgauge = | minradius = | racksystem = | routenumber = | linenumber = | el = 直流1,500 V, <br> 架空電車線方式 | speed_km/h = | speed_mph = | speed = 最高90km/h | elevation_m = | elevation_ft = | elevation = | website = | map = <small>※駅をクリックすると駅記事へ移動します。</small><br> | map_state = }} 京浜東北線(けいひんとうほくせん)は、埼玉県さいたま市大宮区の大宮駅から、東京都千代田区の東京駅を経由して神奈川県横浜市西区の横浜駅を結ぶ東日本旅客鉄道(JR東日本)が運行する電車線の運転系統の通称である。大宮駅 - 東京駅間は東北本線の、東京駅 - 横浜駅間は東海道本線の一部である。 運行形態は横浜駅 - 磯子駅 - 大船駅間の根岸線と一体であり、合わせて京浜東北・根岸線と呼ばれる場合もある。以降、必要に応じて根岸線区間も含めた大宮駅 - 大船駅間の状況について記す。

[3] 京浜東北線 - Wikipedia, , https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%AC%E6%B5%9C%E6%9D%B1%E5%8C%97%E7%B7%9A

京浜東北線 (けいひんとうほくせん)は、 埼玉県 さいたま市 大宮区 の 大宮駅 から、 東京都 千代田区 の 東京駅 を経由して 神奈川県 横浜市 西区 の 横浜駅 を結ぶ 東日本旅客鉄道 (JR東日本)が運行する 電車線 の 運転系統の通称 である。大宮駅 - 東京駅間は 東北本線 の、東京駅 - 横浜駅間は 東海道本線 の一部である。

運行形態は横浜駅 - 磯子駅 - 大船駅 間の 根岸線 と一体であり、合わせて 京浜東北・根岸線 と呼ばれる場合もある。以降、必要に応じて根岸線区間も含めた大宮駅 - 大船駅間の状況について記す。

概要

京浜東北線は、 東京 の 電車特定区間 内の運転系統( E電 )の一つであり、東京の 都心 を南北に縦貫し、北は 埼玉県 さいたま市 、南は 神奈川県 横浜市 ・ 鎌倉市 まで結んでいる。 ラインカラー は スカイブルー ( ■ )で、車両の車体帯の色や駅施設などにおける案内に使用されている。

1914年 (大正3年) 12月20日 の 東京駅 開業と同時に「 京浜線 」として 東海道本線 東京駅 - 高島町駅 (現存せず)間で開始された電車運転が起源であり、その後北は 東北本線 大宮駅、南は 根岸線 大船駅まで運行区間が延伸されて 1973年 (昭和48年)に現在の運行形態となった。 2014年 には運行100周年を迎えた。

「京浜東北線」の名称は、その運行区間である東 京 と横 浜 間を結ぶことに拠る『京浜』と、東北本線の 電車線 であることに拠る「東北」からなる(名称の経緯は「 #歴史 」節も参照)が、これは旅客案内上の通称であり、正式な線路名称は東京駅 - 横浜駅 間が東海道本線、東京駅 - 大宮駅 間が東北本線、横浜駅 - 大船駅間が根岸線である。一般的には運営事業者(JR東日本)はもとより、 国土交通省 や関係する各鉄道事業者、 マスメディア などが『京浜東北線』の名称を使用するため、この名称が定着している。

長い間東京の中心部を南北に縦断し埼玉県域と神奈川県域を結ぶ唯一の鉄道運行系統であったが、 2001年 の 湘南新宿ライン 運行開始、東京都心の地下鉄線と郊外の鉄道各線との直通運転実施 [注 1] 、さらに 2015年 に東北本線と東海道本線間の中距離電車の相互直通運転( 上野東京ライン )が開始されたこと [1

[4] 浜松町駅 - Wikipedia, , https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%9C%E6%9D%BE%E7%94%BA%E9%A7%85

浜松町駅 (はままつちょうえき)は、 東京都 港区 にある、 東日本旅客鉄道 (JR東日本)・ 東京モノレール の 駅 である。ただし、東京モノレールでは、 モノレール浜松町駅 (モノレールはままつちょうえき)が正式な駅名である。

所在地は、JR東日本が 海岸 一丁目、東京モノレールが 浜松町 二丁目となっている。

乗り入れ路線 [ 編集 ]

JR東日本の各線(後述)と、東京モノレールの 東京モノレール羽田空港線 が乗り入れている。

JR東日本の駅に乗り入れている路線は、線路名称上は 東海道本線 1路線のみである(詳細は路線記事および 鉄道路線の名称 参照)が、当駅には 電車線 を走る 京浜東北線 電車および 山手線 電車のみが停車し、旅客案内では「東海道(本)線」とは案内されていない。また、当駅はJRの 特定都区市内 制度における「 東京都区内 」および「 東京山手線内 」に属する。このほか、 東京貨物ターミナル駅 方面への東海道本線支線( 東海道貨物線 )の起点駅となっているが、現在、当駅 - 東京貨物ターミナル駅間は休止中である。

歴史 [ 編集 ]

当駅付近では 日本の鉄道開業 当時から列車の運行が行われていたが、この時点ではまだ当駅は開設されていなかった。開設されるのは、市街高架線の部分開通に伴って 国有鉄道 東海道本線の 品川 - 烏森 (後の新橋駅)間が開通する1909年(明治42年)12月16日のことであった。鉄道開業当初の新橋駅は後に貨物駅となる 汐留駅 で、また東京から北へ鉄道網を伸ばしていた 日本鉄道 のターミナル駅は 上野駅 となっていたが、この間を結ぶ鉄道がなく、連絡が課題となっていた。このため、この間を連絡する高架鉄道の建設が行われることになった。この際に当駅付近で旧線から分岐する形で高架橋を建設した。この時点では旧新橋駅が東海道本線の起点で、当駅は東海道本線支線上の駅であった。開業時点では山手線の電車のみが停車する駅で、島式プラットホーム1面2線が設置され、プラットホームの長さは約93.6 m あった。すぐ東側には竹芝や芝浦など 東京港 の桟橋があり、 伊豆七島 へ向かう航路などへの連絡駅でもあった [1] [2] 。

1914年(大正3年)12月20日に 東京駅 が開業し、これに合わせて東京駅を起点とする市街高架線が東海道本線となり、

[5] 有楽町駅 - Wikipedia, , https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%89%E6%A5%BD%E7%94%BA%E9%A7%85

乗り入れ路線 [ 編集 ]

JR東日本の各線(後述)と、東京メトロの 有楽町線 が乗り入れている。

JR東日本の駅に乗り入れている路線は、線路名称上は 東海道本線 1路線のみである(詳細は路線記事および 鉄道路線の名称 参照)が、当駅には 電車線 を走る 京浜東北線 電車および 山手線 電車のみが停車し、旅客案内では「東海道(本)線」は使用されていない。かつ、昼間時は京浜東北線の電車がすべて快速運転するため、山手線の電車のみ停車する形になる。また、当駅はJRの 特定都区市内 制度における「 東京都区内 」および「 東京山手線内 」に属する。 日本国有鉄道 (国鉄)が運営していた1954年から1956年までは 常磐線 からの電車が朝夕の通勤時間に当駅まで乗り入れたことがある [1] 。

東京メトロの駅には「 Y 18 」の 駅番号 が付されている。また 日比谷駅 とは地下通路で連絡しており(改札内では連絡していない)、東京メトロの 日比谷線 ・ 千代田線 、 東京都交通局 の 都営地下鉄 三田線 との乗り換え駅になっている。

歴史 [ 編集 ]

駅名である有楽町の地名は、この辺りに 織田信長 の弟である 織田長益 (有楽斎)の邸宅跡地があったことに由来している。

JR東日本 [ 編集 ]

1910年 ( 明治 43年) 6月25日 - 国有鉄道 東海道本線の駅として開業。 旅客駅 で、当時から京浜電車(後の京浜東北線)のみ停車した。

1945年 ( 昭和 20年) 1月27日 - 太平洋戦争 中の 空襲 で中央改札口が大破し、駅員9名と 旅客 87名の計96名が死亡。

1972年 (昭和47年) 3月15日 - 荷物 取り扱いを廃止。

1987年 (昭和62年) 4月1日 - 国鉄分割民営化 により、国鉄の駅はJR東日本が継承。

1988年 (昭和63年) 3月13日 - 京浜東北線の快速運転開始に伴い、日中は同線が通過するようになる。

2001年 ( 平成 13年) 11月18日 - ICカード Suica 供用開始。

2014年 (平成26年) 8月30日 - 山手線ホーム(2番線と3番線)においてホームドア稼働開始。

東京メトロ(日比谷駅を含む) [ 編集 ]

1964年 (昭和39年) 8月29日 - 帝都高速度交通営団 (営団地下鉄)日比谷線の日比谷駅が開業

[6] 新橋駅 - Wikipedia, , https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E6%A9%8B%E9%A7%85

新橋駅 (しんばしえき)は、 東京都 港区 にある、 東日本旅客鉄道 (JR東日本)・ 東京地下鉄 (東京メトロ)・ 東京都交通局 ( 都営地下鉄 )・ ゆりかもめ の 駅 である。

所在地は、ゆりかもめの駅が 東新橋 一丁目、その他の駅が 新橋 二丁目となっている。

乗り入れ路線 [ 編集 ]

当駅には以下の4社・局の路線が乗り入れている。なお、地下鉄各線とゆりかもめの駅には 駅番号 が付されているため、それも併せて記す。

JR東日本 : 各線(後述)

東京メトロ : 銀座線 - 駅番号「 G 08 」。

東京都交通局(都営地下鉄) : 浅草線 - 駅番号「 A 10 」。

ゆりかもめ : 東京臨海新交通臨海線 - 当駅が起点。駅番号「 U-01 」。

JR東日本の駅に乗り入れている路線は、線路名称上は 東海道本線 1路線のみである(詳細は路線記事および「 鉄道路線の名称 」参照)が、運転系統としては以下の4系統が停車し、それぞれ専用の線路が割り当てられている。旅客案内でも以下の系統名で案内されている。

東海道線 : 列車線を走行する東海道本線の 中距離電車

京浜東北線 : 電車線を走行する東海道本線・ 東北本線 の近距離電車

山手線 : 電車線を走行する 環状路線

横須賀線 : 地下線を走行。 大船駅 まで東海道本線( 品鶴線 経由)、同駅より線路名称上の横須賀線に入る

また、 特定都区市内 制度における「 東京都区内 」および「 東京山手線内 」に属する。

歴史 [ 編集 ]

JR東日本 [ 編集 ]

1872年 10月14日 ( 明治 5年 9月12日 )、当駅 - 横浜駅 (現・ 桜木町駅 )間に日本初の鉄道が正式開業する際に起点駅として開設された( 日本の鉄道開業 を参照)。なお、1872年 6月12日 (明治5年 5月7日 )に品川駅 - 横浜駅間は仮開業していた [1] 。

その後、 1889年 (明治22年) 7月1日 には 東海道本線 が 神戸駅 まで全通し、国土の重要幹線に於ける東京側の ターミナル駅 として、 東京駅 の開業まで重要な役目を担うこととなった。 1900年 (明治33年)に 大和田建樹 が作詞した「 鉄道唱歌 」では、 「汽笛一声新橋を はや我汽車は離れたり 愛宕の山に入りのこる 月を旅路の友として」 と歌われた。

現在の駅は2

[7] 品川駅 - Wikipedia, , http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%93%81%E5%B7%9D%E9%A7%85

構内の中央に位置し、山手線、京浜東北線、東海道線、横須賀線のホームがある。島式ホーム7面14線と単式ホーム1面1線で構成され、西から1番線 - 15番線と並ぶ。東海道線は5・12番線が本線である。京浜急行電鉄と1・2番線ホームの間には山手線の留置線が数本ある。また、東海道下り本線にある電留線(札の辻群線3~22番)や洗浄線(白金群線)などは当駅構内の所有である。よって、本線からの到着以外のルート構成は品川駅にある高輪信号所が扱っている。

改札内コンコースは、駅の北側と南側にそれぞれ東西に伸びるものがある。中央にある改札外のコンコースで分断され、直接にはつながっておらず、両コンコース間をホームや改札を通らずに行き来することはできない。

南側の改札内コンコースの西側には京急のきっぷうりばや京急連絡改札口があり、京急の下りホームに直結している。構内には駅ナカ商業施設として「ecute 品川」と「ecute 品川サウス」がある。かつて当駅にはチップトイレが存在していた(2011年5月30日現在)。便器の一部に温水洗浄便座が使用されている。

1番線の東京寄りに、山手線の0キロポストがある。

9・10番線は臨時ホームであり、東海道線が早朝・深夜に設定している当駅発着の列車が臨時ホームを使用している他、当駅終着の「湘南ライナー」も到着する。時折行われるジョイフルトレインなどの鉄道車両の展示イベントの他、東海道線や横須賀線のダイヤ乱れ時にはこのホームが使用され、湘南新宿ラインが大崎駅ではなくこのホームに発着する事もある。団体列車などの臨時列車の発着にも使われる。この付近では現在、東北縦貫線(宇都宮線・高崎線・常磐線)直通列車用折り返し設備の工事が行われている。15番線が完成するまでは横須賀線の早朝始発電車も臨時ホームから発車していた。[要出典]

臨時ホームの駅名標は、両隣の駅が川崎駅・新橋駅と東海道線に準拠した表示になっている。また、下り方は東海道線以外に横須賀線(西大井方面)・山手貨物線(渋谷・新宿方面)の発着が各番線で可能である。

戦前、国鉄では品川 - 東京間に複線を増設し、京浜東北線の一部と横須賀線を走らせる「京浜急行線計画」が存在していた。その計画では、1番線が山手線内回り、2番線が山手線外回り、3番線が京浜東北線北行、4番線が「京浜急行線」北行、5番線が京浜東北線南行、

[8] 横浜駅 - Wikipedia, , https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A8%AA%E6%B5%9C%E9%A7%85

横浜駅 (よこはまえき)は、 神奈川県 横浜市 西区 にある、 東日本旅客鉄道 (JR東日本)・ 東京急行電鉄 (東急)・ 京浜急行電鉄 (京急)・ 相模鉄道 (相鉄)・ 横浜市交通局 ( 横浜市営地下鉄 )・ 横浜高速鉄道 の 駅 である [1] 。

JR東日本と京急の駅は 高島 二丁目に [1] [2] 、東急・相鉄・横浜市営地下鉄・横浜高速鉄道の駅は 南幸 一丁目にある [3] [4] [5] 。

概要 [ 編集 ]

横浜市の中心駅であり、JR・私鉄・地下鉄の各線が集まる ターミナル駅 である。当駅には合計6社局が乗り入れており、2015年2月現在 一つの駅に乗り入れる鉄道事業者数としては日本最多となっている 。

現在の横浜駅は三代目であり、初代の「横浜駅」は 桜木町駅 に改称され、二代目の「横浜駅」は現在の横浜市営地下鉄 高島町駅 付近にあったが廃止された。

当駅は工事完成前に構内や駅周辺で次々と工事が行われるため、実質1915年に開業してから2015年2月現在に至るまで、一度も工事計画が完全に完成したことはない。このため、「日本の サグラダ・ファミリア 」と揶揄されている [6] [7] 。ただし、これは横浜駅のみに限った傾向とは必ずしも言えない。現在では駅ビルおよび駅周辺の大規模 再開発 事業が進行中( 2011年 〜 )である(詳細は「 #エキサイトよこはま22(横浜駅周辺大改造計画) 」を参照)。

2008年4月から、当駅に乗り入れている4者と横浜市や市民団体によって、当駅の俯瞰図・構内図・広域図・断面図に 点字 を施した「横浜駅さわる地図バリアフリーマップ」が配布されている [8] 。点字のないPR版もある。

乗り入れ路線 [ 編集 ]

以下の6社局が乗り入れている。JR東日本を除く各社局の駅には 駅番号 が付されているため、その番号も合わせて記す [2] [3] [5] [9] 。

JR東日本 : 各線(後述)

京浜急行電鉄 : 本線 - 駅番号「 KK37 」

東京急行電鉄 : 東横線 - 駅番号「 TY21 」

相模鉄道 - 駅番号「 SO01 」

本線

いずみ野線 (起点は 二俣川駅 であるが、早朝・深夜のごく一部を除く全ての電車が本線を介して当駅発着となっている)

横浜市交通局 : 横浜市営地下鉄ブルーライン - 駅番号「 B20 」

[9] 東北縦貫線計画 - Wikipedia, , http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E5%8C%97%E7%B8%A6%E8%B2%AB%E7%B7%9A%E8%A8%88%E7%94%BB

東北縦貫線計画(とうほくじゅうかんせんけいかく)とは、上野駅が事実上の起点となっている東日本旅客鉄道(JR東日本)の東北本線の列車線を東京駅まで乗り入れさせ、東海道本線との直通運転を実現することを想定した計画。2008年5月30日から工事が始まり、2014年度中の完成を予定している。路線の愛称は上野東京ライン(うえのとうきょうライン)である。

概要[編集]

東北新幹線の建設に伴い分断された上野駅 - 東京駅間の線路を再度敷設することで、上野駅を起点とする中距離電車(東北本線〈宇都宮線〉・高崎線・常磐線、以下3線)を東京駅まで乗り入れさせ、さらに東海道本線へ直通運転を行うための路線である。3線方面から東海道線東京・新橋・品川・川崎・横浜方面への直通が可能となり、また山手線や京浜東北線の混雑率が大幅に緩和され、直通輸送体系の整備により都心をまたいで中距離電車を利用する際の所要時間が短縮されるなどの利点があり、利便性が大きく向上することが期待される。

2013年12月、JR東日本はこの路線の愛称を「上野東京ライン」と定め、同月9日に発表した[1]。

予定駅:東京駅 - 上野駅

全線が東北本線であるので、東京駅が起点駅である。

途中駅はなく、並行する電車線となる山手線・京浜東北線にある神田・秋葉原・御徒町の各駅は通過する。このうち、秋葉原駅については停車も検討されていたが、費用とスペースの面から見送ることとなった。

計画に至るまでの過程[編集]

第二次世界大戦前から東京駅 - 上野駅間には回送列車や貨物列車を走らせるための回送線が存在し、戦後の1946年7月に連合軍専用列車「Yankee Limited」が初めて同区間を直通する列車として設定され、1954年 - 1956年の山手線と京浜東北線の分離運転工事期間は上野駅折り返しだった国電常磐線が朝夕のみ有楽町駅まで乗り入れ、その後も東北本線・常磐線・高崎線の通勤列車が上野から新橋駅まで朝晩の各1往復程度乗り入れていた。後年に「Yankee Limited」の後を引き継いだ急行「十和田」が東京駅へ乗り入れ、特急「ひたち」「つばさ」「ひばり」「はつかり」「とき」「あさま」、準急「日光」「中禅寺」といった列車に東京駅を発着する列車が設定されていた。準急「湘南日光」や通勤時間帯に設定されていた快速「わたらせ」などは東京駅を越えて東海

[10] 東京駅 - Wikipedia, , http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E9%A7%85

東京の表玄関とも言うべきターミナル駅で、プラットホームの数は日本一多く、在来線が地上5面10線と地下4面8線の合計9面18線、新幹線が地上5面10線、地下鉄は地下1面2線を有しており、面積は東京ドーム約3.6個分に相当する。赤レンガ造りの丸の内口駅舎は辰野金吾らが設計したもので、1914年に竣工、2003年に国の重要文化財に指定されている。「関東の駅百選」認定駅でもある。

当駅にはJRの新幹線と在来線各線(後述)、東京メトロの丸ノ内線が乗り入れている。丸ノ内線の駅には「M 17」の駅番号が与えられている。また、当駅を発着するJR線と東京メトロ大手町駅間との連絡運輸は東西線のみ行われている[2]。

JRの駅に乗り入れている路線は、正式な路線名称上は、新幹線が東海道新幹線と東北新幹線の2路線、在来線が東海道本線・東北本線・総武本線・京葉線の4路線であり(詳細は路線記事および「鉄道路線の名称」を参照)、東海道本線を当駅の在来線における所属線としている[3]。管轄会社は東海道新幹線がJR東海、東北新幹線がJR東日本となっている。これら各路線はすべて当駅を起点としており、当駅構内にはこれら各線の0キロポストが設置されている。ただし旅客案内では後述の運転系統名称が使用される。「東北(本)線」は案内上では上野駅発着の長・中距離列車を意味するため、当駅では現在用いられていない。なお中央本線についてもかつては当駅が正式な起点であったが、当駅 - 神田間における東北本線との二重戸籍区間を解消するため、JRへの移行に伴い中央本線は神田駅が起点とされた。ただし、現在でも0キロポストは設置されている。

運転系統では、JR東日本の新幹線ホームには、以下の路線の列車が乗り入れている。

東北新幹線

上越新幹線 : 大宮駅から東北新幹線に乗り入れている。

長野新幹線 : 長野駅 - 高崎駅間は北陸新幹線を、高崎駅 - 大宮駅間は上越新幹線をそれぞれ走行し、大宮駅から東北新幹線に乗り入れている。

山形新幹線 : 新庄駅 - 福島駅間は奥羽本線を走行し、福島駅から東北新幹線に乗り入れている。

秋田新幹線 : 秋田駅 - 大曲駅間は奥羽本線を、大曲駅 - 盛岡駅間は田沢湖線をそれぞれ走行し、盛岡駅から東北新幹線に乗り入れている。

また在来線に関しても多岐にわたる運転系統が発着する。これらの在来線各線のうち

[11] JR東、山手線・京浜東北線「品川新駅」概要を公表 20年春に暫定開業へ - ITmedia ビジネスオンライン, , http://www.itmedia.co.jp/business/articles/1609/06/news102.html

駅は地上3階(高さ約30メートル)・地下1階、総床面積は約7600平方メートル。デザインは建築家の隈研吾氏が手がけ、2014年から作業に着手。日本の折り紙をモチーフとした大屋根に、障子をイメージした膜や木などの素材を活用、日本の「和」を感じさせる駅にするという。

駅の東西には大きなガラス面を、またコンコース会には約1000平方メートルの大きな吹き抜けを設け、街との一体的な空間を創出。改札内には約300平方メートルのスペースを設け、さまざまなイベントを行う。

「グローバルゲートウェイ品川」を目指す品川開発プロジェクトの一環。「世界中から先進的な企業と人材が集い、多様な交流から新たなビジネス・文化が生まれるまちづくり」を目指し、国際交流拠点となる新しい街の中核施設として新駅を位置付ける。

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[12] 常磐線 - Wikipedia, , http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B8%B8%E7%A3%90%E7%B7%9A

ここでは常磐線の沿線の概況について記す。なお、不通区間については東日本大震災による被災前の状況を記してある。

首都・東京の北の玄関口・上野駅。正確には日暮里駅が常磐線の起点であるが、上野駅が列車運用上の始発駅である。

上野駅を出発した後、隣の日暮里までは山手線など、多くの路線と併走し、日暮里から東北本線と分かれる。東北本線とは約330km北の岩沼駅で合流する。北千住駅付近まで、日光街道沿いの下町の中を走り、荒川を渡る手前で地下鉄千代田線と合流し綾瀬駅まで並行する。ここから複々線区間となり、各駅停車は綾瀬駅を出ると亀有駅、金町駅といった東京の下町の駅に停車する。ここまでは住宅街の中を走るため、車窓からは常に多数の家屋が見える。荒川、中川、江戸川などの河川を連続して渡るため、北千住から江戸川を渡るまでは高架線である。

江戸川を渡り、東京都から千葉県松戸市へ入ると、矢切の田園地帯にて緩行線と快速線が交差した後、線路は地上へ降りる。千葉県内は地上複々線だが踏切はなく、道路との交差はすべて立体化されている。複々線化されているので、緩行線の電車が終日走る我孫子までの区間は、快速電車の場合は松戸駅、柏駅、我孫子駅といった市の中心駅しか停まらないが、快速通過駅の周辺も高度経済成長期以降人口が爆発的に増え、現在は東京のベッドタウンである。武蔵野線と交差する新松戸駅周辺までは平地だが、北小金駅周辺から柏市内は下総台地の中を走り、柏では東武鉄道野田線と連絡し、我孫子では成田線が分岐する。

我孫子を過ぎると千葉県と茨城県の境である利根川を渡って茨城県に入り、電車特定区間の終点である取手駅へ至る。上野から約40km北東にあり、複々線もここで終わる。銀色青緑帯の通勤形電車はここで折り返し、ここから先は交直流電車のみが走る。

取手駅と藤代駅の間にはデッドセクションがある。この辺りになると田畑も多く見られるが、ベッドタウンとして発展しているため家屋や高層アパートもまだまだ多い。牛久駅を通り、新興住宅が多くなったところで、かつての常陸南部の中心的な城下町である土浦市の中心駅・土浦駅に到着する。土浦駅を過ぎ、神立駅から高浜駅にかけては畑の中心を走る。常陸国府跡を背にした石岡駅の前後で住宅地や市街地の間を過ぎ、友部駅に到着して水戸線が合流する。赤塚駅付近で住宅地が目立ち始め、偕楽園の木々を臨み大小のビル

[13] @nifty:デイリーポータルZ:「どこまで東京?」, , http://portal.nifty.com/2011/04/22/a/

「はじめて上京してきたときは、びっくりした。東京ってテレビで見るような高層ビルばかりのところだと思ってたから」という話をきいたことがある。

ぼくは東京のお隣、千葉県の出身なので、東京にもなんてことない住宅街や畑が広がっていることは知っていた。が、そういう「いかにも東京」のイメージもなんとなくわかる。

実際の行政界の「東京」と、いかにも東京だよなー、と思う「イメージ上の東京」は異なる。たとえばぼくは立川より西は東京とは思えない(立川以西の方、すみません)。

みんなが「どこまで東京と感じるか」を調べてみよう。

(大山 顕)

千葉県とはいえ日常的に東京で遊び、働いて20年あまり。もちろん行政界的にどこまでが東京かは知っている。が、どこまで東京と「感じるか」はべつだ。以下にその感じを書き下してみよう。

東側

葛西は東京じゃない

でも葛西臨海公園は東京

小岩は東京だよなー

でも金町って東京じゃない気がする

綾瀬、微妙。

北側

赤羽とか高島平とかの団地知識のおかげで実際の東京境界にけっこう忠実な自分に気がついた

でもひばりヶ丘は東京じゃない

小平も東京じゃない

西側

東京は立川まで

府中本町は東京じゃない(たぶん武蔵野線のイメージ→「埼玉に行く線」)

南側

やっぱり多摩川って言われると東京じゃない

小田急線は下北沢までが東京(!)これはこの線に関してぼくが全く疎いから。世田谷代田って、もう東京な気がしない。

でも溝の口は東京

武蔵小杉も東京な気がした。なぜだ。

そして蒲田は断固東京じゃない。

とはいえ、羽田はやっぱり東京だ

千葉っ子なので、西側のことがよくわからない。小平って何。(小平の方、すみません)

で、みんなにも「どこまで東京?」をきいてみよう、と投稿してもらってまとめるサイトを作ってみた。その名も『どこまで東京?』だ。

インターネットって素晴らしい。こういうことのために開発されたんじゃないと思うけど。

自分がやったように、みなさんに地図に線を引いてもらうのは難しいだろうと思ったので、JR私鉄各線の駅名を挙げ、何駅までを東京だと感じるかを選んでもらうやり方にした。東京の鉄道の多くは郊外に向かって放射状にのびているので、つごうがよい。こういうことのために放射状にしたわけじゃないと思うけど。

西方面は「中央線-青梅線」「京王線」「小田急線」、南西方面は「田園都市線」「東

[14] 秋葉原 - Wikipedia, , http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%8B%E8%91%89%E5%8E%9F

概要[編集]

第二次世界大戦後の日本において、高度経済成長とともに多様な電子機器や部品(ハードウェア)およびソフトウェアを取り扱う店舗が建ち並ぶ世界有数の電気街として発展した。世界的な観光地の顔も有する。秋葉(あきば)・アキバ・AKIBAの略称で呼ばれる。

当初はジャンク品の商店とそこから発展した家電量販店が中心の電気街だったが、高度経済成長を経て音楽ブームを背景としてレコードやCDを取り扱う専門店が軒を連ね、その後は電子ゲームブームの到来とともにゲームショップが繁盛した。この電子ゲームブームが本格化すると仮想空間を嗜好する需要に着眼したホビーショップやアニメショップも建ち並ぶようになった。近年では都市再開発により秋葉原駅を中心に多くの複合ビルが建設され、訪れる年齢・客層も様々になっている。

地理[編集]

秋葉原と呼称される区域の明確な定義はないが、東京都が策定した都心等拠点地区における秋葉原地区の範囲は、東は昭和通り、西は昌平橋通り、南は神田川、北は蔵前橋通りに囲まれた区域、すなわち東京都千代田区外神田一丁目・外神田三丁目・外神田四丁目・神田佐久間町一丁目・神田花岡町・神田相生町・神田練塀町・神田松永町・台東区秋葉原を指す[1]。秋葉原電気街とサブカルチャー関連の店舗は主にJR秋葉原駅周辺および中央通りの万世橋北詰から東京メトロ銀座線末広町駅のある外神田五丁目交差点までを中心に広がっている。

JR秋葉原駅には東西に総武線、南北に山手線・京浜東北線(東北本線)が通り、東京メトロ日比谷線秋葉原駅やつくばエクスプレス秋葉原駅とも接続するターミナル駅として多くの人に利用されている。住居表示では電気街口前が外神田一丁目、その北の中央通り東側が外神田四丁目、西側が外神田三丁目となっている。

秋葉原電気街の外側は主にオフィス街だが、古くから建っている民家も見ることができる。前述のように鉄道各線の駅が近く、都心の一等地として地価・家賃ともに高価になる傾向がある。

歴史[編集]

前史[編集]

現在でいう秋葉原にあたる地域は、徳川家康入国後、神田川が現在の流路を通るように開削されると、川沿いに材木商が集まり、神田佐久間町が起立したほか、大部分は大名屋敷・旗本屋敷などで占められた。しかし、江戸の人口が拡大するにつれ、大名や旗本は大火等を契機に次々に郊外へ移転し、跡地にはより中心の町民が

[15] 構造に欠陥がある駅wwwwwwwwww:哲学ニュースnwk, , http://blog.livedoor.jp/nwknews/archives/4856388.html

1: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2015/04/13(月) 10:13:48.77 ID:6syUqxmV0.net

[16] 都営地下鉄三田線 - Wikipedia, , https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%83%BD%E5%96%B6%E5%9C%B0%E4%B8%8B%E9%89%84%E4%B8%89%E7%94%B0%E7%B7%9A

三田線 (みたせん)は、 東京都 品川区 の 目黒駅 から 板橋区 の 西高島平駅 までを結ぶ、 東京都交通局 が運営する 鉄道路線 ( 都営地下鉄 )。『 鉄道要覧 』には 6号線三田線 と記載されている [1] 。開業当初は「都営6号線」と称した(後述)。

路線名の由来は名称制定時の終着駅である 三田 (みた)から。車体・路線図・乗り換え案内で使用される ラインカラー は「ブルー」(青): 、路線記号は I [2] 。

概要 [ 編集 ]

東京特別区部の南部から都心部の日比谷・大手町を経由し、北西部の板橋区まで、おおむね南北を弓なりに(西に向いた逆C字型)走る路線である。目黒駅で 東急目黒線 と 相互直通運転 を行っている(詳細は #運転 を参照)。

この路線は 高島平駅 側より開業したが、起点は目黒駅( 2000年 9月26日 - )である。 ワンマン運転 を実施しており、保安装置として 日立製作所 製の ホームゲートシステム [3] を全駅に装備する( #駅設備 を参照)。

収支状況は、 2004年 度決算で純損益が約16億2,131万6,000円の赤字 [4] 、 2005年 度決算で約14億8,247万4,000円の黒字 [5] 、 2006年 度決算で約21億6,957万6,000円の黒字 [6] で、着実に改善している。

路線データ [ 編集 ]

路線距離( 営業キロ ):26.5km

目黒 - 白金高輪間2.3km(第二種)、白金高輪 - 西高島平間24.2km

軌間 :1067mm

駅数:27駅(起終点駅含む)

複線区間:全線

電化区間:全線(直流1500V 架空電車線方式 )

地上区間:志村坂上 - 西高島平間

閉塞方式 :車内信号閉塞式

保安装置: CS - ATC

列車無線 方式: 空間波無線 (SR) 方式

漏洩同軸ケーブル (LCX) を使用したものである。

最高運転速度:75km/h

表定速度 :31.1km/h

全線所要時分:52分10秒

車両基地 : 志村車両検修場

目黒 - 白金高輪間 (2.3km) は 東京地下鉄 (東京メトロ) 南北線 と線路(施設)を共用しており、東京地下鉄が 第一種鉄道事業者 、東京都交通局が 第二種鉄道事業者 となっている。このため、運賃計算方式に特例がある。 東京メトロ南北線#運賃計算の特例 を参照

[17] 高輪橋架道橋訪問(2014/06/14)+ほか: 日々是鉄日, , http://suigousblog.cocolog-nifty.com/blog/2014/06/post-fbbb.html

先週末は特に予定がなかったので、品川周辺を散策してきました。 低さで有名な「高輪橋架道橋」と、田町の旧車両基地の解体の様子など。

品川駅周辺の話題が増えたことで、 ネットのニュース記事などで取り上げられることもでてきた「高輪橋架道橋」。 前々から行ってみたい場所だったので、せっかくなので行ってきました。 �

<高輪橋架道橋> 京急泉岳寺駅のA4出口からから徒歩数分、高輪橋架道橋の入口に到着。 1.5mの高さ制限標識なんて初めて見ましたよ…。

ちなみに、高輪橋架道橋はその狭さ故に、 歩行者はどちら側からでも行き来できますが、車はこちらからの一方通行です。

� 狭い&低い道路ですが、写真の通り、ガンガン車が通っています。 写真を撮る場合は安全確認が不可欠です。

� いざ進入!

� 低い…低すぎる。 なお、このあたりの低さはまだ序の口です。

� 写真奥の方にちらっと写ってますが、途中からさらに低くなります。

� (進入時と逆の方向を向いた写真ですが)一番低い区間だとこんな具合。 高さは170cm前後まで低くなります。

自動車向けの高さ制限標識は1.5mですが、走行時の上下動なども考慮して、 それなりに余裕はあるようです。

� この通路には、直上にある留置線への出入り口が2箇所あります。 写真の通り、鉄板で封鎖済みですけれど。

� もう1箇所もこの通り。 いつ頃まで使用されていたのでしょうか…。

� 今はもう存在しない「品川運転所」。

� 頭上の留置線に思いをはせつつ、脱出! �

<出口より> 出口側(海側)から高輪橋架道橋を。 すごい場所から出てきたもんだ…という感想しか抱けませんでした(笑)

� 出口の脇にある、簡易的ですが歴史のありそうな銘板。

� この道路ですが、通行量の割に貧弱なことは確かで、 新車両基地の建設前、あのあたりが更地だった頃に、現在の架道橋のすぐ北側に 『 39mのボックスコンクリート躯体の先行施工と、事前準備工として27mの工事桁架設を「高輪橋架道橋」改修工事として行った 』 (『土木施工 2014年4月号』の特集記事2「東北縦貫線開業に向けた駅の改修 品川車両基地整備工事」 P57より) とのことです。

旧車両基地(跡)の再開発とも関連すると思われるので、数年のうちに…ということは無いでしょうが、 田町地区の新駅が開業する頃には、低く狭い、現

[18] @nifty:デイリーポータルZ:「どこまで東京?」, , http://portal.nifty.com/2011/04/22/a/3.htm

どうだ、この広大な東京は。

みなさんに投稿してもらうための投稿フォームには、ぼくが「まあ、みんなここまでぐらいを選ぶだろう」と予想した駅名を選択肢として用意しているのだが、それら選択肢ではものたりない、という方もいらっしゃるかと思い、自由記述欄も完備した。

で、この林さん、その自由記述欄を最大活用。せっかくなので選んだいただいた駅名を挙げてみよう。

中央線-青梅線:八王子

西武池袋線:所沢

小田急線:町田

京王線:八王子

田園都市線:南町田

東横線:元町・中華街

東海道線:戸塚

東武東上線:川越

京浜東北線:大宮

京成-伊勢崎線:春日部

常磐線:我孫子

総武線:千葉

京葉線:蘇我

大胆すぎる。蘇我て。千葉県民のぼくもさすがにそれはどうかと。さらに我孫子て。だいたいみんな「我孫子」って読めないでしょ。

みれば林さん、出身地といちばん長く住んでいる場所がいずれも兵庫県。みなさんの投稿を見てみると、首都圏にお住まいでないかたの東京は広がる傾向にある。いや、それにしても大胆すぎる。春日部て。

さらにびっくりなのがコメント。

『東京から電車で出て、立っていても疲れないぐらいまでは東京』

いや、これらどの駅もずっと立ってるのはつらいと思う。林さん、タフすぎる。

独創的な東京

「ひとつとして同じ東京はない」と書いたが、みなさんの投稿を見れば見るほどその思いは強くなる。とくに独創的な「ここまで東京」を見てみよう。

なんだろうこの自由奔放さは。はじめて見たこんなかたち。こういう方がいらっしゃると、ああこのプロジェクトやって良かったなあと思う。まあ、好きではじめたことなんだけど。

ほんと、まともな回答がほとんどない!(褒め言葉です)すばらしすぎるので各線見てみよう。

中央線→吉祥寺

京王線→武蔵野台

小田急線→町田

田園都市線→渋谷

東横線→綱島

東海道→品川

京葉線→新木場

総武線→小岩

常磐線→上野

京成-伊勢崎線→町屋

京浜東北線→上野

東武東上線→朝霞

西武池袋線→練馬

中央線は吉祥寺っていう順当なつかみから始まったかと思えば、いきなり京王線が武蔵野台っていうしぶいところを見せつける。田園都市線がなんと渋谷!という大胆さで度肝を抜いておいて、小田急線は町田。この緩急はすごい。

そして急転直下、東横線がまさかの綱島。しぶい。関係ないけどあ

[21] 山手線新駅から読み解く品川再開発の行方 | 企業 | 東洋経済オンライン | 新世代リーダーのためのビジネスサイト, , http://toyokeizai.net/articles/-/39267

山手線では1971年にできた西日暮里駅、京浜東北線では2000年に誕生したさいたま新都心駅以来の新駅誕生となる。

JR東日本は6月3日、定例の社長会見で田町・品川間に新駅を設置することを明らかにした。これまで報道ベースで新駅構想が取りざたされていたが、正式に発表した形だ。

場所は、田町駅から南へ約1.3キロメートル、品川駅から北へ約0.9キロメートルの地点。山手線と京浜東北線が停車し、両線が走る位置は今より東側に移す予定だ。暫定的な開業時期は2020年。五輪の開催時期を1つの目安とし、これに間に合わせることを目指す。駅名については未定で、今後公募も含めて検討していくという。

イメージ図から読み取れること

「新駅とまちが一体となった象徴的なにぎわい空間」。JR東日本が新駅の特徴として掲げる言葉だ。イメージ図には巨大な屋根の下に、緑あふれる開放的な駅舎が描かれている。駅の入り口となる2階部分には人が往来する広場を作り、1階部分はバスや自動車用のターミナルを整備する。

左図は西(陸)側(国道15号線側)から新駅を見たものだ。これを見る限り、東(海)側の芝浦方面への通路はない。

ホームは線路別島式2面4線の形態。田端―田町間のように、山手線と京浜東北線が同一方向・同一ホームという形式ではなく、品川駅と同様、各線のホームが別々となる形だ。

都営地下鉄と京浜急行電鉄が走る泉岳寺駅から300メートルほど南東の場所に位置するため、昇降設備などを設置し、乗り換えの利便性を図ることも検討している。さらに、新駅の南東側にはJR東海が運行する東海道新幹線の品川駅があり、その地下には2027年度の開業を目指すリニアの始発駅が建設される予定だ。リニアについて意識はしているが、今のところ、連絡通路などの具体的な設置計画はないという。

[24] 戸塚駅 - Wikipedia, , http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%88%B8%E5%A1%9A%E9%A7%85

戸塚駅(とつかえき)は、神奈川県横浜市戸塚区戸塚町にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)・横浜市交通局(横浜市営地下鉄)の駅である。

JR東日本では「塚」を旧字体の「塚」で表記する事がある。横浜市営地下鉄の案内サインでは旧字体の「塚」で表記している。

乗り入れ路線[編集]

JR東日本の各線(後述)と、横浜市営地下鉄のブルーライン(1号線)の合計4路線が乗り入れる接続駅となっている。地下鉄ブルーラインの駅には「B06」の駅番号が与えられている。

JR東日本の駅に乗り入れる路線は、正式な線路名称では東海道本線のみであるが(詳細は路線記事および「鉄道路線の名称」を参照)、運転系統上は東海道本線大船駅以西に直通する系統と、同駅より横須賀線に直通する系統があり、旅客案内上は前者が「東海道線」、後者が「横須賀線」と呼ばれている。それぞれ専用の線路が割り当てられており、当駅以東(東京方面)では停車駅および経路が異なっている。またこれらは東京駅を発着・経由する系統に加え、東海道線と高崎線間、横須賀線と東北本線(宇都宮線)間をそれぞれ直通する湘南新宿ラインも乗り入れており、同ラインは当駅以東で西大井駅まで横須賀線と同一の線路を使用する。当駅はこれら各系統同士の乗換駅としての役割を果たしている。また当駅は特定都区市内制度における「横浜市内」に属するが、東海道本線においては当駅がその西限となる。

歴史[編集]

1887年(明治20年)7月11日 - 国鉄東海道本線横浜 - 国府津間開通と同時に開業。旅客・貨物の取り扱いを開始。横須賀線開業後は同線直通列車も停車。

東海道の宿場である戸塚の地に開設された。元々は旧宿場町側の西口が多く利用されたが、戸塚競馬の開催と共に東口も次第に賑わうようになった。

1930年(昭和5年)3月15日 - 横須賀線の電車化、東海道線は当駅を全列車通過となる。[1]

1937年(昭和12年)- 東口を開設。

1954年(昭和25年)- 戸塚競馬場廃止。

1969年(昭和44年)3月26日 - 橋上駅が完成。[2]

1970年(昭和45年)5月1日 - 貨物の取り扱いを廃止。

1971年(昭和46年)- 戸塚バスセンターが完成。

1979年(昭和54年)10月1日 - 東海道貨物線 鶴見 - 横浜羽沢 - 当駅間が開通。また、当駅 - 大船 - 小田原間の複々線化完

[25] 開通前夜 - 総武・東京トンネル(1) - Reports for the future ~未来へのレポート~, , http://mirai-report.com/blog-entry-8.html

※クリックすると目次ページを表示します。 千葉に住んでいる私は東京へ出る際に必ずといってよいほど総武快速線を利用しています。この路線は錦糸町(正確には両国)駅から品川駅まで地下線になっていますが、鉄道構造物マニア(?)の私はここで当然のことながらこのトンネルの構造について調べたくなり、試しにネット上を検索してみました。ところが、 その情報が全くといってよいほど無い のです。何しろ建設から40年近くたっているわけで、最近開業した路線のように電子媒体の情報はほぼ存在しないと考えてよく、ある意味当たり前です。 それなら自分でゼロから調査してしまおう 'と考えたのがこのレポートの発端です。本レポートはこのブログ初めての本格的な文献研究+現地調査として今日の大深度地下鉄道の礎をつくったこのトンネルの内部に迫っていこうと思います。 ■国会図書館へ ネット上で資料が見つからないとなると、残されるのは紙の文献である。最も手っ取り早いのは新線建設ではかならず発行される工事誌をあたることである。しかし、年代が古いだけに地元の図書館ではそれらしき資料は見つからなかった。そうなると、最後の手はこれである。日本の全出版物が収蔵されている 国立国会図書館 だ。ゴールデンウィーク前半、私は東京・永田町へ向かった。そして館内のPCで検索すると・・・ あった 「総武線線増工事誌:東京・津田沼間 日本国有鉄道東京第一工事局1973年」 「東海道線線増工事誌:東京・品川間 日本国有鉄道東京第一工事局1977年」 どちらも千ページを超える超大作である。しかも、前者に関しては「東京・津田沼間」というタイトルながら内容の約4分の3が私が求めていた東京~錦糸町間の地下区間に関する情報であった。よって、このレポートはこの工事誌2冊を主要な出典として話を進めていくこととしたい。 ■総武快速線開通前の情勢 総武快速線E217系電車(下総中山)。総武線は近郊型初の4ドア車となるこのE217系や首都圏では初となる幅広車体の通勤型E231系が導入されるなど、平成の現在も混雑緩和の努力が続けられている。 昭和30年代の日本は高度経済成長期に突入し、首都圏では郊外まで住宅が次々と建設され爆発的に人口が増加する。これにより、当時の首都圏の国電は異常事態といえるほどの混雑を呈していた。千葉県のホームページにこのレポートの対象とした

[68] 田町車両センター - Wikipedia, , https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%B0%E7%94%BA%E8%BB%8A%E4%B8%A1%E3%82%BB%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%BC

田町車両センター (たまちしゃりょうセンター)は、かつて 東京都 港区 にあった 東日本旅客鉄道 (JR東日本) 東京支社 の 車両基地 である。

2013年3月16日のダイヤ改正で車両配置がなくなり、 東京総合車両センター の下部組織として、 東京総合車両センター田町センター に改組された。

「 東チタ 」…東京支社を意味する「東」と、 田町 を意味する 電報略号 の「チタ」から構成される。

鉄道省 から 日本国有鉄道 (国鉄)時代の表記も「東チタ」であったが、この場合の「東」は東京 鉄道管理局 を表している。 1969年 3月1日 の再編で東京局は3分割され、東京南鉄道管理局所属となり以後 民営化 まで「南チタ」表記となっていた。

歴史 [ 編集 ]

1930年 ( 昭和 5年) 3月15日 : 横須賀線 の電車運転開始に際し、 田町電車区 として開設。

1950年 (昭和25年): 80系電車 が新製配置され、 湘南電車 の運転を開始。

1955年 (昭和30年):この年より運転される 準急 「 東海 」を受け持つ。

1958年 (昭和33年):ビジネス 特急 「 こだま 」の運転開始に伴い、 151系電車 が新製配置。日本初の特急形電車配置区となる。

1959年 (昭和34年):準急「伊豆」用として 153系電車 が新製配置。

1961年 (昭和36年):準急「 日光 」用として 157系電車 が新製配置。

1976年 (昭和51年):特急「あまぎ」用157系置き換え用として 183系電車 が新製配置。

1981年 (昭和56年):153系置き換え用としてとして 185系電車 、 113系電車 が新製配置。185系によって 急行 「伊豆」は特急「 踊り子 」に格上げ(特急「あまぎ」を統合)。113系は153系のローカル運用を置き換え。

1985年 (昭和60年):183系が特急「 あずさ 」増発用として全車転出。 211系電車 が新製配置。

1987年 (昭和62年) 4月1日 : 国鉄分割民営化 により東日本旅客鉄道に移管。

1989年 ( 平成 元年):113系、211系用の2階建てグリーン車が導入。

1990年 (平成2年):特急「スーパービュー踊り子」用として 251系電車 が新製配置。

1991年 (平成3年):3月16日ダイヤ改正までに113系が

[69] 創業期の鉄道, , http://uub.jp/hmt/hmt36.html

日本の鉄道創業 140周年を機会に、hmtマガジン 鉄道特集号 を作ることにしました。 最初の特集は 「創業期の鉄道」 と題して、1872年6月12日の品川−横浜間仮開業の記事から 同1872年10月14日【注1】に 明治天皇を迎えて行なわれた 新橋−横浜間開業式の記事へと 進めようと思いました。 【注1】日付について 「10月14日」は、ご存知「鉄道の日」ですが、政府が好んで使う「太陽暦換算」です。当時使用されていた暦(太陰太陽暦)では明治5年9月12日になります。品川仮開業日は明治5年5月7日です。 しかし、品川仮開業時【注2】の本格的記事は見当たらず、いきなり本開業の記事 [80065] [49808] から始めます。 【注2】品川〜横浜(現・桜木町)間仮開業時 所要時間は35分というから、意外なスピードに驚きます。但し新橋まで開通して途中駅に停車するようになったら53分。 [39140] [80065] には、公文録付属の「新橋横浜間鉄道之図」(国の重要文化財指定)、本営業に先立つ工部省布達 「汽車運転之時限並賃金表」、それに明治天皇の御案内役を勤めた 山尾庸三の伝記も リンクしてありますから、ぜひ リンク文書も御覧ください。 山尾の伝記には、工事中の明治4年8月に、早くも木戸孝允・大隈重信の試乗があり、11月には鉄道反対論の大久保利通も試乗した結果、双手を挙げて鉄道賛成に転じたというエピソードも綴られています。 [49808] には、開業時の終点であった(初代)横浜駅(現・桜木町駅)が記されており、両ターミナルの位置から「市街地に入れない」鉄道の問題点に触れています。この問題については、特集: 市街地乗り入れに成功した鉄道 を御覧ください。 明治5年の京浜間に続いて開業した鉄道は、明治7年の阪神間であり、この時の仮開業達も [80065] にリンクしました。 阪神間鉄道が大津まで延びた後は、とりあえずは水運が使える 琵琶湖を挟んで 長浜から大垣への 中山道鉄道 になりますが、この鉄道建設の起点が 日本海の港湾 金ヶ崎とされたのは 建設資材輸送があるためです。 そして中山道鉄道の東側も、半官半民の日本鉄道によって建設が開始されました。最初は資材輸送に隅田川の舟運も使われましたが、本格的には 品川−赤羽間の支線により 横浜港からの鉄道輸送を可能とする体制 を取

[70] 火事で焼失した戸塚の重要文化財、住友家俣野(またの)別邸、その後はどうなった?[はまれぽ.com], , http://hamarepo.com/story.php?story_id=1764

投稿の中から、はまれぽ編集部もキニナルことを調査してお答えします! ぜひ投稿してみてね。(200文字まで)

[71] 火事で焼失した戸塚の重要文化財、住友家俣野(またの)別邸、その後はどうなった?[はまれぽ.com], , http://hamarepo.com/story.php?page_no=1&story_id=1764

投稿の中から、はまれぽ編集部もキニナルことを調査してお答えします! ぜひ投稿してみてね。(200文字まで)

[72] 伊東線 - Wikipedia, , http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%8A%E6%9D%B1%E7%B7%9A

[編集] 概要

熱海から伊豆半島東岸を走り伊東に至る路線である。熱海駅では東海道本線と東海道新幹線に接続し、また伊東駅以南では当路線を延長する形で伊豆急行線が伊豆半島南部の下田まで延びており、直通運転が行われている。東京方面から東海道本線を経由して多くの特急列車が乗り入れ、観光路線としての役割を担う。

0キロポストは来宮駅に置かれているが、正式な起点は、線路名称上の起点である熱海駅となっている。そのため、熱海駅 - 来宮駅間は併走する東海道本線との重複区間である。ただし東海道本線上に来宮駅のホームはない。

日本国有鉄道(国鉄)の路線として初めて列車集中制御装置 (CTC) を導入した線区である。

伊豆多賀駅 - 網代駅間のカーブはほとんど半径300mから400mである。また宇佐美駅 - 伊東駅間は山地が迫る海岸沿いを走る。全線の約3割がトンネル区間だが、沿線は伊豆半島特有の軟弱地層のため、大雨が降ると土砂崩れの危険性が高く、しばしば運転見合わせになることがある。

当線の来宮駅 - 伊東駅間は単線であるものの、全駅で行き違い可能となっているが、ほとんどY字分岐のため進入時に減速を余儀なくされる。先に普通列車が停車していても、通過する特急列車が運転停車することが多い。

旅客営業規則の定める大都市近郊区間の「東京近郊区間」、およびIC乗車カード「Suica」の首都圏エリアに含まれている。

静岡県内を通るJR線で、唯一県内で完結する路線でもある。

[編集] 路線データ

管轄:東日本旅客鉄道(第一種鉄道事業者)・日本貨物鉄道(第二種鉄道事業者)

路線距離(営業キロ):16.9km

軌間:1067mm

駅数:6(両端を含む)

伊東線所属駅に限定した場合、東海道本線所属の熱海駅[1]が除外され、5駅となる。

複線区間:熱海駅 - 来宮駅間(1968年完成)

電化区間:全線(直流1500V・架空電車線方式)

閉塞方式:自動閉塞式

保安装置:ATS-PN

運転指令所:熱海CTC

最高速度:95km/h

最長トンネル:新宇佐美トンネル (2941m)

全区間がJR東日本横浜支社の管轄となっている。

[編集] 運行形態

多くの列車が伊東駅で伊豆急行線と、熱海駅で東海道線(東京方面)とそれぞれ直通運転を行っている。

普通列車は、早朝と夜間は熱海駅 - 伊東駅間の折り返し運行となるが、それ以

[73] @nifty:デイリーポータルZ:山手線はどこ行きなのか?, , http://portal.nifty.com/kiji/130524160731_3.htm

つまり、品川、東京、上野、池袋、新宿、渋谷、という主要な駅を「方面」として並べた感じだろう、と。

ところがどっこい、前述のように思いのほか「例外」がたくさんあった。これは楽しい。

たぶん、ホームの行き先表示看板は古いものもあれば新しいものもあって、結果的に変わっていく各時代の表示の考え方が併存しているせいもあると思う。

[74] 杉山淳一の時事日想:都心〜羽田「JR東日本の羽田新線」、新案で再浮上する「やっかいな問題」 (2/6) - Business Media 誠, , http://bizmakoto.jp/makoto/articles/1408/22/news017_2.html

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森田健作千葉県知事が5月13日、JR東日本京葉線と東京臨海高速鉄道りんかい線の直通運転の実現を目指す意向を表明した。この二つの路線は新木場駅で接続しており、線路はすでにつながっている。直通運転の障壁は何か。解決に何が必要だろうか。

どうなる、こうなる首都圏の鉄道網――(4)東京駅周辺編

今後の首都圏での新線計画を運輸政策審議会答申第18号に基づいて予想する連載の4回目(全5回)。上野駅と東京駅との間に複線を設け、JR東北本線とJR東海道線を相互直通させる東京縦貫線計画など、東京駅に関わる新線計画を今回は紹介する。

どうなる、こうなる首都圏の鉄道網――(最終回)成田新線・新交通編

今後の首都圏での新線計画を運輸政策審議会答申第18号に基づいて予想する連載の最終回(全5回)。北総鉄道を延伸し、成田空港へ接続させる計画や、ゆりかもめ、多摩都市モノレール、千葉都市モノレールといった新交通の延伸計画を今回は紹介する。

鉄道と街はどのように変化するのか――渋谷と大阪に注目する

渋谷駅と大阪駅の周辺が変化しつつある。両駅とも駅前再開発が進んでいて、今後も商業施設やホテル、オフィスビルなどが建ち並ぶ予定だ。しかしこうした開発は、

[75] にょほほ電鉄 - 街 - 高輪橋架道橋, , http://www.nyohohodentetsu.com/html/nyohohocitytakanawa.html

高輪橋架道橋は、東京都港区の泉岳寺駅付近に存在するJR東海道

線の架道橋。ただし架道橋は山手線・京浜東北線の部分のみであり 東海道線や東京車両センター直下は実質、トンネルとなっている。 このトンネルは高さ1.5mと異様に低く、頭をかがめて歩かない

と天井に頭をぶつけてしまう程である。この項では都心にある不思

議なトンネルを紹介する。

■国道15号線と高輪大木戸跡

国道15号線はいわゆる第一京浜と呼ばれ、その昔は都電第1系統

が走るなど、古くからの街道である。泉岳寺交差点付近には、高輪

大木戸と呼ばれる遺跡が存在する。江戸府内への入口として設けら

れた木戸であり、四谷や板橋にも設けられていたが、遺跡として現

存するのは、東海道に設けられたこの木戸のみである。

[76] 高輪橋架道橋下が「爆音浴スポット」として脚光浴びる-珍スポット愛好家が紹介 - 品川経済新聞, , http://shinagawa.keizai.biz/headline/2184/

都営浅草線・泉岳寺駅近くの「高輪橋架道橋」下(港区港南2)が、「爆音浴」スポットとして脚光を浴びている。

爆音浴の第一人者・大北浩士さん

「爆音浴」とは、航空機や鉄道、花火などの爆音を全身で浴びる行為。航空ファンが飛行場の離着陸音に注目したことが始まりとされる。

爆音浴の第一人者・大北浩士さんは「2000年ごろから一部のネットユーザーを中心に浸透した。航空ファンをはじめ、鉄道ファンやミリタリーファン、工場ファンなど、マニアックな趣味を持つ人に愛好家が多い」と話す。

大北さんは建設業を営む傍ら、大仏や神社仏閣、鉄道、軍事廃線など、日本全国のマニアックなスポットを巡るフリーフォトライターとしても活動している。変わった趣味を持つ人をゲストに招くテレビ番組「ワケあり!レッドゾーン」の9月5日放送回に、大北さんが「爆音大好き男」として出演。高輪橋架道橋下を爆音浴スポットと紹介したことで注目が集まった。

同スポットは、JR山手線と京浜東北線のガード下に位置する。高さ制限は1.5メートル、全長は約230メートル。

注目した経緯について、大北さんは「もともと仕事場が近くにあったことがきっかけで見つけた。都内では数少ない爆音浴スポットで、駅からも近い。あまりにも気に入ってしまったため、架道橋下でランチをしていた時期も」と笑顔を見せる。「運が良ければ、山手線と京浜東北線が同時並行で来ることがある。そのときの爆音の迫力は最高」とも。

大北さんに同行し、品川経済新聞記者も爆音浴を体感。頭上を猛スピードで走る山手線はごう音を上げ、その振動が全身で感じられた。「電車が近づいてくる音や過ぎ去った後の余韻も興奮材料。朝の通勤時間、夕方の帰宅時間は電車の本数が増えるので狙い時」(大北さん)。

爆音浴の魅力について、大北さんは「プラスのストレスだと思う。『うるさい』と思うと同時に『気持ちいい』と感じる。ストレスでありながら、娯楽でもある」と熱く語る。「新駅建設で再開発が進む泉岳寺エリアだが、同スポットのような建築物は残してほしい」

[77] JRの料金路線図、山手線が消えるのはどのへん? - デイリーポータルZ:@nifty, , http://portal.nifty.com/kiji/160210195692_1.htm

鉄道の路線図に興味がある。

興味があるので、JRの駅のきっぷ売り場の上にある「JR近距離きっぷ運賃表」こと、料金路線図がきになる。

この料金路線図、改めてよく見てみると、駅ごとにデザインが微妙に違っている。

いったい、どれほどの違いがあるのだろうか?

[78] 八高線 - Wikipedia, , https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AB%E9%AB%98%E7%B7%9A

八王子駅 - 高麗川駅間 [ 編集 ]

中央本線 上りホームの反対側1番線から 八王子駅 を発車すると、右手に 横浜線 が分岐し 京王線 を跨ぐ。左へカーブし中央本線から分かれ、 浅川 を渡り、 国道16号 ( 八王子バイパス )を跨いで勾配を上っていく。 国道20号 (甲州街道)を潜って巨大な倉庫や工場の林立する 北八王子駅 に到着する。北八王子を発車すると勾配を下り、 中央自動車道 を潜ると間もなく 小宮駅 に到着し、勾配を下りながら 1945年 に 八高線列車正面衝突事故 のあった 多摩川橋梁 にかかる。多摩川両岸に向き合う 東京都下水道局 の二つの 下水処理場 を右手に見ながら鉄橋を渡ってしばらく直線に進むと 青梅線 を跨ぎ、青梅 電留線 、 米軍横田基地線 、 保線 基地などを大きく抱き込む形で左にカーブし、右手から 西武 拝島線 が寄り添ってきて 拝島駅 に到着する。

拝島駅を出るとすぐ国道16号の武蔵野橋を、 五日市線 、青梅線とともにくぐり、両線を左に分けながら住宅街の間のゆるい勾配を直線で上り、 東福生駅 に到着。東福生駅 - 箱根ケ崎駅間の路線は 横田基地 拡張にともない付け替えられたが、基地を完全に迂回したわけではなく、駅を出るとしばらく基地内の住宅やスーパーマーケットの間を走る。基地内を出て右に並行していた国道16号が、 瑞穂バイパス となり下をくぐって左に分かれていくと、コンクリート壁の間を抜ける。この部分は 滑走路 からすぐの延長線上にあり、未電化時代は トンネル となっていた部分である。これは昔、 飛行機 からの部品落下などが時おりあったためだが、飛行機の安全性向上もあり、電化の際に 架線 を張る邪魔になるため上部が取り壊された。 新青梅街道 を跨いですぐに、 箱根ケ崎駅 に到着。箱根ケ崎駅は拝島方面からの折り返し列車もある。以前は待避線もあったが撤去された。

箱根ケ崎駅を出ると、かつては本線の右側を複線のように貨物線が並走していた。撤去された現在は草に覆れ面影が乏しい。ゆるい登り勾配を進むと、瑞穂バイパスの跨線橋をくぐる。ここで、八王子駅から当線の左右を並行して走ってきた国道16号と一旦別れ、 川越市 までは、当線と 川越線 とは全く別ルートを走る。 埼玉県 入間市 に入り、 狭山茶 の 茶畑 の中を走り標高158メートルの八高線最高

[79] 東京の鉄道、「都会」「郊外」の境目はこの駅だ | 通勤電車 | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準, , http://toyokeizai.net/articles/-/130274?page=2

中央線(中野〜高尾)は、総世帯数、借家世帯数ともに立川までが高い。借家年収も立川までが400万円台、立川以降は300万円台と分かれる。新築マンションも立川までは高単価・高価格だが、日野より先は単価・価格ともに大きく低下する。つまり立川より先が郊外と考えられる。

京王線(新宿〜京王八王子・橋本)の場合、総世帯数は分倍河原まで、借家世帯数は府中まで、借家年収は中河原までが高い。一方、新築マンションは聖蹟桜ヶ丘までが単価が高い。中古マンションは聖蹟桜ヶ丘まで取引が多いが、調布以降は特急停車駅の府中を除き成約単価が低水準。これらを総合的に判断すると聖蹟桜ヶ丘から先が郊外と判断される。

小田急線(新宿〜本厚木・片瀬江ノ島)は、急行停車駅の町田・相模大野を除くと、生田以遠は借家世帯数が大幅に減る。新築マンションは生田までは単価が高いが、生田より先は急行停車以外の単価は低め。中古マンションは向ケ丘遊園を越えると急行停車駅以外の単価が低くなる。以上から、向ヶ丘遊園から先が郊外(町田、相模大野などの急行停車駅を除く)。

東急田園都市線(渋谷〜中央林間)は青葉台を除き、江田以遠で借家世帯数が低下する。借家年収は沿線全体で高く、青葉台まで500万円台を維持。新築マンション市場は長津田まで坪単価が200万円超と高い。その先は同160~170万円に低下する。中古マンション市場はあざみ野までの坪単価が高い。以上から江田以遠が郊外と判断される。

東横線に「郊外」はない

東急東横線・みなとみらい線(渋谷〜元町中華街)は沿線全体が借家率、借家年収ともに高い。新築マンションも東白楽〜横浜を除くほとんどの区間で高単価だ。中古マンションも都心から武蔵小杉にかけて成約単価は高い。渋谷と横浜という大都市同士を結んでいるという沿線の性格もあり、郊外は存在しない。

東海道線(小田原まで)・京浜東北線(横浜方面)・根岸線は、横浜まで同じ方向なのでまとめて考える。根岸線(横浜〜大船)は石川町まで総世帯数、借家世帯数いずれも高水準で山手より先で落ち込む。借家年収は沿線全体で高い。供給単価は根岸から先が低下。中古マンションは関内までの取引は活発だが、石川町以遠は落ち込む。

東京から小田原までの東海道線を見ると、茅ヶ崎までのマンション供給が活発で平塚より先は減少。供給単価は茅ヶ崎より先で低下する。中古マンション取引は藤沢を

[81] さいたま新都心 - Wikipedia, , http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%95%E3%81%84%E3%81%9F%E3%81%BE%E6%96%B0%E9%83%BD%E5%BF%83

概要[編集]

東京特別区以外で首都を補完し地域の中心となるべき都市「業務核都市」に旧浦和市・大宮市が指定されたことにより、両市および旧与野市の間にまたがって位置し1984年(昭和59年)に機能を停止した国鉄大宮操車場の有効活用として、政府閣議決定により再開発・土地区画整理事業が行われたものである。2000年(平成12年)5月5日に「街開き」が行われた。街開き後は埼玉県内でも有数のビジネス拠点となり、さいたま市の都市計画でも浦和駅、大宮駅と並ぶ主要ビジネスエリアとして指定され市により企業誘致が進められている。

南北に走るJR東北本線をはさみ、東側の地区(片倉工業大宮製作所跡地周辺、さいたま市大宮区吉敷町)と西側の地区(国鉄大宮操車場跡地周辺、中央区新都心)に分かれている。新都心整備事業では、「未来を担う新都心」にふさわしい都市基盤施設として、さいたま新都心駅、地上2階レベルで各施設を結ぶ歩行者デッキ、都市計画道路、区画街路、首都高速道路、ライフラインの共同溝、雨水の調整池などを重層・複合的に計画し、整備が進められた。2004年(平成16年)には20年間の有期限事業(後述)として、片倉工業大宮製作所跡地にコクーン新都心が開業した。また、さいたま新都心合同庁舎には、政府機関(中央官庁)の関東地方を管轄とするほとんどの出先機関(各省庁の地方支分部局)、ならびに甲信越地方を管轄とする一部の出先機関が設置されている。他に民間高層ビル、さいたまスーパーアリーナ、けやきひろば等が立地する。

現在の埼玉県さいたま市中央区新都心とされている場所は、さいたま市が成立する以前は合併以前の旧浦和市、旧大宮市、旧与野市が入り組んでおり、地名も旧浦和市上木崎一丁目、旧大宮市北袋町一丁目、ならびに旧与野市上落合二番地とされていた。さいたま市の政令指定都市移行に伴い、東北本線より西側の全区域が旧与野市域とともに中央区に編入され、東側は大宮区となった。また同時に、旧市の町名が混在していた西側地区が「さいたま市中央区新都心」に統一された。

詳細[編集]

所在地:埼玉県さいたま市中央区新都心、大宮区吉敷町

事業手法:土地区画整理事業

事業主体:国、埼玉県、住宅・都市整備公団(現・都市再生機構)

開発面積:474,000m2 (47.4ha)(旧国鉄大宮操車場跡地24.9ha、民間再開発予定地18.9ha、

[82] 山手線で30番目の新駅設置へ NHKニュース, , http://www3.nhk.or.jp/news/html/20140531/k10014871851000.html

JR東日本は、山手線ではおよそ半世紀ぶりとなる新しい駅を品川駅と田町駅の間に設置する方針を固めました。 東京オリンピックが開催される2020年までの開業を目指していて、周辺では大規模な再開発も進められる予定です。

JR東日本が山手線の新しい駅を設置する方針を固めたのは品川駅と田町駅の間で、現在は車両基地がある敷地です。 この場所では、来年春に「上野東京ライン」として東海道線と東北線などが直通運転を始めるのに伴い、車両基地を縮小して移動する工事が進められていて、新しい駅は山手線や京浜東北線の線路を移動したあと設けられる見込みです。新駅開業の具体的な時期は固まっていませんが、JR東日本では、東京オリンピックが開催される2020年・平成32年までの開業を目指しています。 山手線で新しい駅ができるのは、西日暮里駅が開業した昭和46年以来およそ半世紀ぶりとなり、30番目の駅になります。 現在の品川・田町間は駅の間の距離が2.2キロと山手線では最も長いことや、ここ数年、高層マンションが相次いで建設されたこともあって新駅設置への期待が高まっていました。 また、車両基地の跡地では大規模な再開発も進められる予定です。JR東日本はこうした方針を近く正式に発表することにしています。

[83] 田町の車両基地移設が完了、山手線新駅いよいよ|日経BP社 ケンプラッツ, , http://kenplatz.nikkeibp.co.jp/article/const/news/20131116/640429/?P=3

東北縦貫線の2014年度開業後に再開発本格化?

再開発が本格化するとすれば、現在は上野駅止まりの電車を東京駅に乗り入れ可能にする東北縦貫線が2014年度に開業してからだとみられる。東海道線や東北方面への路線は、それぞれ田町の車両基地と上野駅近くの尾久車両センターを使っている。東北縦貫線が開業すれば、両車両基地を一体的に運用できるようになり、田町側の機能を大幅に縮小できるからだ。

[84] 浅草線短絡新線構想 - Wikipedia, , http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%85%E8%8D%89%E7%B7%9A%E7%9F%AD%E7%B5%A1%E6%96%B0%E7%B7%9A%E6%A7%8B%E6%83%B3

浅草線短絡新線構想(あさくさせんたんらくしんせんこうそう)とは、京浜急行電鉄本線泉岳寺駅から都営地下鉄浅草線に並行して東京駅を経由し、京成電鉄押上線押上駅を結ぶ鉄道路線の構想である。都心直結線構想ともいう[1]。

構想概要[編集]

京成線および北総線、成田スカイアクセス(成田空港線)の各方面から本路線を経由し、東京駅を介して泉岳寺駅で京急線との相互直通運転を行う予定である。現在の都営地下鉄浅草線の西側に新線(バイパス)を建設する。

現在、成田空港の空港第2ビル駅と日暮里駅との間は成田スカイアクセス利用で36分〜40分程度である(京成上野駅から成田空港駅へ行く場合、43分〜48分程度かかる)。しかし、国内線(羽田空港)と国際線(成田空港)との乗り継ぎ、あるいは新幹線ターミナルである東京駅や横浜方面からのアクセスは依然不便な状況にある。たとえば、羽田空港国内線ターミナル - 成田空港間はスカイライナー等を乗り継いで90分程度[注 1]、直通列車で100分程度かかる[2]。また、羽田空港国内線ターミナル - 東京間は乗り換えが必要で25分程度、成田空港 - 東京間が成田エクスプレスで55分程度を要する。

この路線が完成すれば、いずれも最短で、羽田空港国内線ターミナル - 東京間が22分[3]、成田空港 - 東京間が37分[3]、羽田空港国内線ターミナル - 成田空港間を59分[3]で結ぶことが可能となる[4]。また、京成線や京急線などの通勤電車も乗り入れる予定で、併走他社線の混雑緩和や所要時間短縮も期待されている。

当初は、日本橋・東銀座(当初は宝町を予定)の両駅から分岐線を新設し、東京駅八重洲口の地下に東京駅を設置すると共に、蔵前駅を北寄りに移設して追い抜き設備を新設する構想があった(東京駅接着)。これは運輸政策審議会答申第18号にて答申されているが、浅草線は非常に古い地下鉄であるため新型スカイライナーが構造上の問題で直通できないほか、速度制限が45km/h前後のカーブが多く、駅数が多く、また列車風の問題などで駅を通過するときは55km/hに減速する必要性があり、所要時間短縮に大きな効果が期待できなかったことから、この構想の具体化と共に事実上消滅した。

なお、既にこの短絡線が具体化していた2009年、民主党の「東京政策2009」[5]には「都営浅草線の活用により東京駅と

[85] オバマが決めた!東京の「主要駅」 - デイリーポータルZ:@nifty, , http://portal.nifty.com/kiji/140502164005_1.htm

以前ぼくは、みんなのイメージの中では東京はどこまでだと感じるかを調査したことがある。「どこまで東京?」という記事はそのまとめだ。

こういうことに興味を持っている人間が「主要10駅あまり」と言われてエキサイトしないわけがない。これはいわば「オバマが決める『どこまで東京?』」ということではないか!

JR東日本に問い合わせれば、それがどの駅でどのような理由で主要扱いされたのかすぐにわかるが、ここはあえて自分で巡って確かめてみよう。

なぜならそのほうが楽しいからだ。効率的な人生を送りたいのならそもそもデイリーポータルZのライターなどやるべきではないのだ。

厳重な警備の中をかいくぐって出かけるその前に、自分で予想してみよう。10駅あまりとなればまず山手線内だろう。山手線でたとえば11駅「主要」なものを選ぶとしたら…

1.新宿

2.東京

3.品川

4.渋谷

5.上野

6.池袋

7.秋葉原

8.有楽町

9.新橋

10.恵比寿

11.浜松町

ってところかな。1番から主要順だ。8番ぐらいまではまず間違いないと思う。11番に神田を入れるかどうか迷った。

みんなはどう思うだろうか?そう思って訊いてみたのが上のTwitterによるよびかけだ。

結果はぼくの予想と違ってバリエーションがたくさんあった。下記が55名の方々からいただいた結果をまとめたものだ。

[86] 東京臨海高速鉄道りんかい線 - Wikipedia, , http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E8%87%A8%E6%B5%B7%E9%AB%98%E9%80%9F%E9%89%84%E9%81%93%E3%82%8A%E3%82%93%E3%81%8B%E3%81%84%E7%B7%9A

りんかい線(りんかいせん)は、東京都江東区の新木場駅と東京都品川区の大崎駅を結ぶ東京臨海高速鉄道の鉄道路線である。

計画・開業時の路線名は臨海副都心線(りんかいふくとしんせん)だったが、2000年から一般公募によって決定された愛称を使用している[1]。

なお、株式会社ゆりかもめが運営する東京臨海新交通臨海線とは別の路線であり、運営会社も別である。

大崎駅で接続する東日本旅客鉄道(JR東日本)埼京線と相互直通運転を行っている。大半の区間が地下にあるが、運営会社の東京臨海高速鉄道は一般社団法人日本地下鉄協会に加盟しておらず、国土交通省監修の統計資料[2]においても地下鉄としてとして扱われていない。

路線データ[編集]

路線距離(営業キロ):12.2km

軌間:1067mm

駅数:8駅(起終点駅含む)・1信号場

複線区間:全線

電化区間:全線(直流1500V・架空電車線方式)

閉塞方式:(複線)自動閉塞式

保安装置:ATS-P

最高速度:100km/h

車両基地:東臨運輸区(八潮車両基地)- 場所は東京貨物ターミナル駅脇

地上区間:大崎駅 - 大井町駅間(東京総合車両センター付近まで)・国際展示場駅(トンネル出口は東側) - 新木場駅間

地下区間:大井町駅 - 国際展示場駅間

沿革[編集]

新木場 - 東京テレポート間は高度成長期に東京外環状線の一部として計画され、湾岸部の海底トンネル工事も完了していた旧国鉄京葉貨物線のうち、国鉄時代に旅客線に転用されず、国鉄分割民営化後は国鉄清算事業団が所有していた新木場 - 東京貨物ターミナル間の一部を東京臨海副都心地区の開発と同地区での開催が予定されていた世界都市博覧会(1995年開催中止決定)に伴う旅客輸送のために旅客線として開業したものである。また、東京テレポート駅構内(八潮車両基地への分岐点、品川埠頭直下) - 大崎間については新規に工事を行った上で延長開業した。

なお、同じく工事が終了していた東京テレポート駅 - 東京貨物ターミナル間は、東京貨物ターミナルの東側に車両基地を設置した上で回送線として利用されている。また新木場駅の蘇我方ではJR東日本の京葉線と線路が接続されている。

東京テレポート駅 - 東京貨物ターミナル駅(八潮車両基地)を結ぶ海底トンネル・東京港トンネルは旧国鉄の京葉貨物線の一部として建設されたもので、沈埋工

[87] 荒川 (関東) - Wikipedia, , http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8D%92%E5%B7%9D_%28%E9%96%A2%E6%9D%B1%29

歴史[編集]

荒川は、江戸時代初期以前は現在の元荒川の川筋を通っていた。つまり関東平野に出たのち東へ下り、武蔵国・下総国境付近(今の越谷市・吉川市周辺)で南流していた利根川と合流、そこから合流と分流を繰り返しながら江戸湾(現在の東京湾)に注ぐ川だった。「荒」という名の通りの暴れ川でしばしば川筋を変え、下流域の開発も遅れていた。本流が今の綾瀬川を流れていた時代もあるが、戦国時代に水路が掘られて東の星川に繋がれ、綾瀬川と分流した[2]。

利根川東遷事業[編集]

1629年(寛永6年)に関東郡代の伊奈忠治らが現在の熊谷市久下で河道を締切り、和田吉野川の河道に付け替えて入間川筋に落ちるようになった。元の河道は、熊谷市で荒川から離れて吉川市で中川と合流する元荒川となっている。同時期の工事で利根川は東に瀬替え(利根川東遷事業)して古利根川流路から江戸川の流路を流れるようになった。付け替え後の荒川(元の入間川)は、下流で現在の隅田川の河道を通っていた。この部分は流速が遅く、台風で大雨が降るとしばしば溢れて江戸の下町を水浸しにした。明治時代の調べでは、大雨の際、熊谷市と川口市で最高水位に達する時刻の差が48 - 60時間あった[3]。洪水が人や家を押し流すことはないが、浸水による家屋と農作物の被害は深刻であった。しかし、荒川の舟運にとってはこの瀬替えによって水量が増えたことにより物資の大量輸送が可能となり、交通路としての重要性を高めた[4]。

荒川放水路[編集]

荒川放水路(あらかわほうすいろ)は、荒川のうち、岩淵水門から、江東区・江戸川区の区境の中川河口まで開削された人工河川を指す。途中、足立区千住地区、および墨田区・葛飾区の区境を経由し、全長22 km、幅約500 mである。1913年(大正2年)から1930年(昭和5年)にかけて、17年がかりの難工事であった。

計画に至る過程[編集]

明治43年(1910年)8月5日ごろから関東地方では長雨が続き、11日に房総半島をかすめ太平洋上へ抜けた台風と、14日に甲府から群馬県西部を通過した台風が重なり、荒川(現隅田川)を含む利根川や多摩川などの主要河川が軒並み氾濫し、死者769人、行方不明78人、家屋全壊2,121戸、家屋流出2,796戸に上る関東大水害が発生した。利根川左岸上五箇・下中森の破堤により群馬県邑楽郡一帯に被害が集中したほ

[88] 生活費は月3万―5万円 自作の小屋で暮らす若者たち:朝日新聞デジタル, , http://www.asahi.com/articles/ASH496V8ZH49UDCB01R.html

自作の小屋で暮らす若者が千葉県内で相次いでいる。郊外の手頃な土地を購入し、量販店で仕入れた建材でインターネットを見ながら自らで建築。普段の生活は井戸水を使い、電気も最低限の電流を契約する「エコ」な暮らしぶりだ。ネットでその輪も広がりつつある。

九十九里浜にほど近い九十九里町作田。吉田克也さん(28)は一昨年11月に東京・世田谷から自転車でリヤカーを引いて移住してきた。

ネットで検索して見つけた140平方メートルの空き地を45万円で購入。業者に依頼して井戸を掘り、最低電流の電気も引いた。

テントで暮らしながら、近くのホームセンターで建材を買い、ネットに掲載された建築の方法を参考にして毎日少しずつ建設。約1カ月で4畳ワンルームの小屋を完成させた。ここまでの出費は計約90万円。

普段の生活も質素だ。水道代は無料だが、電気代は月約400円。日々かかるのは食費がほとんどだが、家庭菜園で野菜を作ったり、近所から食料品を分けてもらったりも。締めて月3万~5万円ほどの出費だ。「節約するつもりはないのだが」と吉田さん。

[89] 港区 (東京都) - Wikipedia, , https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B8%AF%E5%8C%BA_%28%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E9%83%BD%29

概要 [ 編集 ]

企業が本社を最も多く構える区の一つであり、いわば日本のビジネスの中心である。 東京23区 の中央からやや南東寄りに位置している。特に、 虎ノ門 ・ 新橋 ・ 芝 をはじめとしたオフィス街では、経済活動が非常に活発である。 青山 ・ 赤坂 などの商業エリアや、 六本木 などの歓楽街、 麻布 ・ 白金台 などの住宅街、 汐留 ・ 台場 などの大規模開発地区があり、さまざまな表情をもっている。 東宮御所 ・ 迎賓館 (赤坂離宮)をはじめとして 芝公園 ・ 白金台 の 自然教育園 など緑地帯が豊富な自然環境である。駐日大使館や外資系企業も数多く立地しており、外国人居住者も人口の約1割を占める。 江戸時代は広大な武家屋敷と町人町が存在する街で、 文京区 と同様の混在した街であった。

人口 [ 編集 ]

[90] gori.sh's [23区・高輪橋架道橋], , http://www.gori.sh/23/sengakuji.htm

国道1号線、泉岳寺駅の上。信号と信号の間に、不自然に中央分離帯が途切れる場所がある。

良く見ると小さな道が東へ伸びていて、それを進むと現れるトンネルがある。

[91] 高輪「提灯殺し」ガード 桁下制限高1.5m - 東京DEEP案内, , http://tokyodeep.info/post_274/

東京における大部分では都市交通のインフラとして鉄道が整備されており、少々電車賃がかかるものの我々は広い都内を自由に移動する事が出来る。 網の目のように張り巡らされた東京の鉄道、地下には巨大なトンネルの迷宮が複雑に掻い潜っているが、地上に出るとそれが高架橋へと変わる。 高架橋の走る場所には必ず高架下があり、その下の隙間を道路などが交差したり、時には戦後のドサクサで住宅が建てられたりもして様々な風景を見せる。 高架下の研究・観察は東京DEEP案内においても重要視している部門であり、大都会東京の交通網から推測する研究対象の多さにも感嘆する次第だ。 ところでそんな東京には、車や人が通るのがとても大変な「桁下制限高」がやたら低いガードが何ヶ所か存在する。 高さ2メートル以下のガード下は通行人が頭をぶつけたり、車ならば天井の装飾等がひっかかってぶっ壊れる恐れがあるのだが、最低最凶なのが品川駅北側に存在する 「桁下制限高1.5m」 という「高輪橋架道橋」、別名「提灯殺しのガード」と呼ばれる、なんとも物騒な場所だ。 品川駅港南口(東口)を降りてNTTのオフィスが密集する方向、すなわち北に歩く。NTTドコモ品川ビルに隣接して「芝浦水再生センター」の広大な敷地と、その上に広がる「芝浦中央公園」があるが、その間の道をさらに進むのだ。 超巨大ターミナル品川駅周辺は、駅こそ立派なのにそこから少し離れると通り掛かるのも気味が悪いくらい人通りがないアンバランスさが特徴的。ドコモビルから先、汚水処理場の敷地を抜けるまでは寂しい一本道が続く。 「 芝浦水再生センター 」の敷地は綺麗に緑化されて「浄化された下水処理水」が流されているが、その割にはなんか臭う。この敷地ひとつで東京都内の山手線に匹敵する面積から運ばれる汚水を処理しているのだ。 後ろを振り返るとNTTドコモ品川ビルの建物がそびえているのが見える。ドコモだけあってどこもかしこも超豪華なオフィスビルを構えているがどれだけ銭蓄えとるねん、日本の携帯会社は高い通話料と通信料でボロ儲けしすぎやで!しょうみのはなし!と個人的にタラタラ愚痴を吐きつつ先へ進む。 そうこうしているうちに件の「提灯殺しのガード」に到着した。 このガード下はちょうど都営浅草線泉岳寺駅前の第一京浜に繋がっているのだが、山手線だけではなく京浜東北線、東海道線、横須賀線、おまけに新幹

[92] つれづれ実践記 高輪橋架道橋, , http://mgc.blog53.fc2.com/blog-entry-364.html

つれづれ実践記

最近体力も落ちて、贅肉も付き出し健康のことが気になり体重計とにらめっこ。 趣味をとおして 健康なことをやり始めた日々の出来事などを記録していきますので 是非見てください。

品川駅東口からJR線路沿いの道を田町方面へ向かうと とっても低い高架があります。 タクシーの提灯殺しで知られる東京都品川区泉岳寺と芝浦を結ぶの高架で、名称は高輪橋架道橋(たかなわきょうかどうきょう)といいます。 その高さは低いところで1.5mで高輪側から芝浦へ抜ける道として利用する車や 人や自転車の通行も多い場所です。 今回は品川駅高輪口から この高架へ行ってきました。 *地図上の△をクリックすると動き出します。 また地図上の「高輪橋架道橋」をクリックすると大きな地図が表示されます。 品川駅改札口を出て高輪口出口へ向かいます。 高輪口駅前 品川駅下車情報 駅前の第一京浜(R15)の向こうには ホテルパシフィック東京 が姿を見せます。 1970年2月に設立された30階建の高層ホテルです。 ホテルパシフィック東京HP 第一京浜 を泉岳寺方面に向けて歩いて500mほど行くと高速バス専用の 品川バスターミナル が見えてきます。 このターミナルからJRの線路がよく見えるので近寄ってみると 何か動くものが・・・。 「ネコが線路を横断していました!」 電車が引切り無しに通る場所なので引かれるのではないかと心配し左右を見てみると、電車の姿がないので一安心。 悠然と線路を横断していくネコですが きっと慣れているのでしょうね? 東京駅方面 電車は山手線 品川駅方面 電車は東海道線 泉岳寺交差点の手前に 高輪神社 がR15の向こう側見えます。 泉岳寺交差点 奥には 赤穂浪士の討入で有名な 泉岳寺 の屋根が見えます。 泉岳寺駅 の前に設置してある地図 この地図のJR路線を横断している白い線が「高輪橋架道橋」です。 R15から架道橋へ入る道の先に「高輪大木戸跡」という石垣が残されているので立寄りました。 高輪の大木戸は、江戸の治安維持のため、宝永7年(1710)に東海道の両側に石垣を築き、設置されました。各町に ある「町木戸」に対し、江戸全体を守る木戸であることから、「大木戸」と呼ばれ、旅人やその送迎客でにぎわいました。 初めは柵門があり明六ツ、暮六ツに開閉していましたが、後に廃止され、浮世絵には石垣の

[93] JR下の特異空間 - 都市徘徊blog, , http://blog.goo.ne.jp/asabata/e/fe2024857d9795f4516318c4edd3c427

JR山手線、新幹線、品川操車場の下を潜り抜ける長さ200mほどのガード。< Google Map >。

ここが特異な空間になっている最大の理由は、写真で見れば一目瞭然、ガードの高さが極端に低いのだ。車輌の通行制限高さは1.5m。多少、余裕を見ているので、ガードの高さじたいが1.5mというわけではないが、それでもかなりの圧迫感。特に東側150mぐらいの区間の天井高がかなり低い。身長170cmの私もここでは頭がぶつかってしまうので、最低高は160〜165cm程度ではないだろうか。

ネットで調べてみると「提灯殺しのガード」という、すごい異名がついているという。提灯というのは、タクシーの屋根に付いているランプのこと。このガードがあまりにも低いため、その提灯が天井に引っ掛かって壊れてしまうのだそうだ。このエリアを走るタクシーは、ここのガードに合わせて、あらかじめ低い提灯を使っているという話さえある。確かにタクシーの提灯は天井すれすれをかすめるように駆け抜けていく。たまに見かける、大きな三角形の広告パネルを付けたタクシーなどは、絶対に無理。

提灯の明かりや、ブレーキランプの明かりが、天井に反射して映り込むガードって、そうそうない。

途中に何カ所か路面の凹凸があるのだが、ここでは多くの車が少し減速する。凹凸で車が上下して、万一天井に擦るといけないと思うかららしい。しかしその他の部分では一方通行であることもあって、皆かなりの速度で走っていく。天井の圧迫感から一刻も早く抜け出したいという心理もあるのかもしれない。地震で万一崩れたら、逃げ場もなくペシャンコになってしまうんだろうなという嫌な想像が頭をよぎる。

一番西側では頻繁に山手線の電車が行き交う。頭上2mぐらいのところを、何トンもある車輌が疾走し、雷のような大音響がガード内に響き渡るのはかなり恐い。音と振動で思わず首をすくめてしまう。そんなことしてもどうにもならないのはわかっているのだが。

今までここの名前は知らなかった。所在地をもとにGoogleで検索してみたら、高輪橋架道橋という名前だった。長くてトンネルのようになっているので、隧道かともちょっと思ったのだが、地面を掘って造ったものではないので、やはりトンネルや隧道ではなく、道路に架かる橋という扱いになっていた。現場で見落としていたのだが、ガードの梁にちゃんと高輪橋架

[94] 夏の内川探検 (02) « 庵魚堂日乗, , http://tanken.life.coocan.jp/weblog2/?p=344

順番が前後しましたが、夏の内川探検 第2回 です。

新田橋から眺めた上流方向。

開渠区間の上流端です。

「頭上に注意・足元に注意」

鉄橋の下へと続く、試練の道。

大人は謙虚に屈まないと歩けません。

じっさい、電車が来ると死ぬほど怖い。インディ ジョーンズの3作目を思い出します。(笑)

これで川に落ちちゃうのはさすがに悲しすぎるので(?)、手厚くフェンスでガードされています。

で、フェンスの外側。

水路はというとこんな按配になっていまして、上流がありません。

逆流防止の蓋がついているんですが、流れ出ている気配もありません。

※ 大雨の時には流れ出てくるんでしょう。

ガードをくぐった反対側。川はどこへ行った?

あれだけの川が暗渠になっているようすもありません。

地図で見てもこんな感じです。

じつはこの上流側の住宅地内に、いくつかの川跡が残っています。

ルートの大部分は付け替えられ、道路と同じく直線になっているので、地図を見ただけではちょっと分かりにくい。

そのうちの一本が内川の流路です。

[95] “まっちの街歩き”ブログ 【能登半島一周その1】七尾は衝撃的な簡易郵便局の宝庫だった, , http://match345.blog28.fc2.com/blog-entry-166.html

▲能登半島の付け根、富山県との県境がある七尾市大泊町付近で。長い長い能登路はここから始まった。 広島・岡山シリーズ が終わった後は、夏の北陸シリーズ。去る7月26日~28日、友人N氏と一緒に 石川県・能登半島 を旅してきた。 今回の旅程は、3日間ひたすら海沿いを走り続け、能登半島をクルマで一周するというシンプルかつ壮大なもの。個人的に能登という土地にはいろいろと縁があり、既に 2008年の夏 には半島の先っぽにある禄剛埼(ろっこうざき)まで行ったこともある。そして同行のN氏も北陸に数年間住んでいた経験がある。いろんな意味で懐かしさを感じさせる旅行だった。 さて、初日の7月26日。愛知県一宮市の自宅を出発したのは早朝の5時半。尾張一宮駅でN氏と合流し、東海北陸道、能越道を経て富山県氷見市の氷見北ICに到着したのがちょうど9時だった。

手始めに、氷見北ICにほど近い稲積簡易郵便局と八代郵便局に立ち寄ってから、最初にやって来たのは氷見市の北西部に位置する 胡桃(くるみ) という小さな集落(▼)。 こんな感じの寂しい山村で、有名な観光地でも何でもないところ。しかもこの集落、悲惨なことに大正時代から幾度となく 地すべり の被害に遭っているという。 ところがこの度重なる地すべりは、いつも集落の中央に位置する 火神社 だけを避けるようにすべっていったようで、この神社は「 すべらない 」=「 合格祈願 」の神社としてじわじわと有名になってきているらしいのだ。 ▲こちらがその 火神社 。全く観光地化されていない、山の中の素朴な小さな祠だ。 実は同行のN氏、ここの絵馬を奉納して見事医師国家試験に合格している。今回はそのお礼参りも兼ねてやって来たのだ。全国から受験生が集まるような大きな神社を想像していたが、意外とこぢんまりとしたスポット。私も教育関係の仕事をしているので、ここで教え子たちの合格祈願をしてきた。 丘陵地にある胡桃集落から今度は長い下り坂を下って、再び富山湾沿いへ。本日3局目の 宇波郵便局 に寄りつつ、郵便局のある 灘浦地区 の集落を少しだけ散策。 ▲宇波郵便局近くの街並み。昔ながらの商店が点在する街道筋のようなところだ。 このあたりの風景にも心惹かれるものがあったが、今日のメインは石川県の能登半島。富山県の人には申し訳ないが、国道160号(能登立山シーサイドライン)をさ

[96] エレベーター好きの息子と山手線ホームに設置されているエレベーターをすべて調べてきました! - バンビのあくび, , http://bambi-eco1020.hatenablog.com/entry/2015/08/30/215810

皆様、ごきげんよう。

夏の終わり、いかがお過ごしでしょうか?

さてさて、さかのぼるは昨年の夏休み。

エレベーター好きの息子の記事を書いたら面白いかな?とふと思いつきまして、息子に色々聞きながらエレベーターの記事を書いたところ、皆様にわりと受け入れてもらえたようで私も息子も「良かったね。楽しかったね」と気分が良く新学期を迎えることができました。

(こちらがその記事です)

&amp;amp;amp;amp;amp;amp;amp;amp;amp;amp;amp;amp;amp;amp;amp;amp;amp;amp;amp;amp;lt;a href="http://bambi-eco1020.hatenablog.com/entry/2014/08/24/221656" data-mce-href="http://bambi-eco1020.hatenablog.com/entry/2014/08/24/221656"&amp;amp;amp;amp;amp;amp;amp;amp;amp;amp;amp;amp;amp;amp;amp;amp;amp;amp;amp;amp;gt;エレベーター好きの息子が選ぶ「ボクの好きなエレベーター ベスト5」!! - バンビのあくび&amp;amp;amp;amp;amp;amp;amp;amp;amp;amp;amp;amp;amp;amp;amp;amp;amp;amp;amp;amp;lt;/a&amp;amp;amp;amp;amp;amp;amp;amp;amp;amp;amp;amp;amp;amp;amp;amp;amp;amp;amp;amp;gt; bambi-eco1020.hatenablog.com

�そんなこともあって、調子に乗った私達は今年の夏休みもエレベーター記事を書くことにしました!

今回は 「エレベーター好きの息子と山手線ホームに設置されているエレベーターをすべて調べてきました!」 でお送りしたいと思います。

山手線一周 をひたすら電車→エレベーター→電車→エレベーターを繰り返したんですけど、正直、夏にやるのはけっこうキツかったです。もしもやってみるなら夏以外の季節がよろしいかと思いますが、きっとトライする人、いないですよね?

ですので、これを読んで乗った気分になったら良いのではないかと

[97] 北浦和駐輪場 (さいたま市浦和区) - 東京DEEP案内, , http://tokyodeep.info/kitaurawa-churinjo/

京浜東北線に乗ってひたすら大宮方面に向かうと、大宮の3つ手前、浦和の次のところに「北浦和」という駅があり、このへんに来るとかつてのテレビ番組・タモリのボキャブラ天国にあった山本リンダの替え歌ネタで「浦和は7つの駅がある」というのを脊髄反射的に思い出してしまう困ったレトロ脳なのだが、今は埼玉高速鉄道の浦和美園駅もあるので浦和には8つの駅があるんだな…と、のっけから話が脱線してしまったが、いずれにしても地元民でなければあまり来ない場所であるには違いない。 そんな北浦和駅で降りると東西双方に商店街があり殊の外栄えている街である事に気付く。駅前は雑多な繁華街的風情だが、西川口や蕨のようなどこか危険でアレな香りがする事もないし、変な外国人がたむろしている事もない。文教都市浦和ですからね。 北浦和駅東口から少し歩いた所に「栄通り」というちょっとした飲み屋小路がある。かなり場末感のきつい佇まいだが、駅からバスターミナルが入居するビルの間を抜ける通勤客が頻繁に通行するので人通りは一応ながら激しい場所だ。 そんな飲み屋小路に昼間から行列ができている中華料理店「娘々北浦和店」。地元民のパワーフードでしょうか。店の前に浦和レッズの旗やポスターが掲げられているあたりがサッカー王国浦和のお土地柄である。 この栄通り沿いにやたら気になる駐輪場を発見した。そりゃ駅前だし駐輪場の一つくらいあるだろうと気にも留めずに素通りしてしまいそうになるが、どこかしらその佇まいに違和感を感じた。「北浦和駐輪場」という単刀直入過ぎるネーミング。うーん… 入口の横にある「更新の受付」と掲示された看板、それを囲っているどこかで見た事のありそうな独特な形状のごついフレームが一体何なのか、思い出すのにさほど時間は必要としなかった。これは…元キャバレーではないのだろうか。 24時間管理された駐輪場で、1階下段は月額3000円だが、1階上段と2階は月額2500円で契約する事が出来るという月極駐輪場、兎角気になってしょうがないのが、どう見ても元キャバレーにしか見えない2階部分である。古風な筆字と、「静」「負」の旧字体が際立つ手書きの警告文もじわじわくる。この勢いだとオーナーはかなりのご高齢ではないだろうか。 2階へ続く階段を見上げると、足下こそは駐輪場らしく自転車を押して上げ下げできるようスロープが設置された階段に変わっている

[98] 東横線・副都心線直通工事(2)渋谷~代官山間(2013年2・3月取材) - Reports for the future ~未来へのレポート~, , http://mirai-report.com/?no=1243

東急東横線・東京メトロ副都心線直通開始に向けた準備の最終レポートの続きです。第2回目の今回は 渋谷~代官山間の地下化区間、代官山駅の切替工事に向けた準備の状況、地下化に合わせて開催される各種イベントの予定 などについてお伝えしてまいります。工事の概要などについては 前回の「(1)新・渋谷駅」の記事 をご覧ください。 ▼関連記事 東急東横線・東京メトロ副都心線直通工事(2013年1月2日取材・地上部分) (2013年1月15日作成) 東急東横線・東京メトロ副都心線直通工事(2012~2013年取材・地下部分) (2013年1月18日作成) 東急東横線・東京メトロ副都心線直通工事(2012~2013年取材)&再開発の現状 (2013年1月19日作成) ■直通・切替準備が完了!(つづき) 渋谷~代官山間地下化工事の概要と副都心線渋谷駅の状況はこちら ●渋谷~代官山間 左:渋谷川に並行する東横線高架橋。トンネルはこの直下にある。 右:山手線の交差部分は軌道の復旧が続いており、徐行がかけられていた。2013年2月9日撮影 ※クリックで拡大 地下化後のシールドトンネルは 並木橋付近から現在線の高架橋直下 に入ります。シールド区間は地上掘削はありませんが、掘進の際沈下などが予想されるため工事に先立つ2009(平成21)年頃に 鋼材や地盤改良などにより高架橋が補強 されています。また、JR山手線の交差部分から先は地上を切り開いてトンネルを建設するため、 線路が鋼材により仮受け されています。トンネル内の工事は完了しており、1月調査時から変化があったのはJR山手線の交差部分のみです。山手線の軌道は 地下の掘削の際橋梁構造に変更 されていましたが、工事が終了したため 元のバラスト軌道に戻す 作業が行われています。2月はじめの調査時は山手線外回りで復元作業が行われており、軌道がまだ安定していないため 45km/hの徐行制限 が設けられていました。 ●代官山駅 2013年3月10日の代官山駅 代官山駅構内でも15日終電後の切替に向けた準備が大詰めを迎えています。3月10日の調査時は ホーム床面に15日切替時の切断位置を示すマーキングが書き込まれた ほか、駅内外を分ける柵も以前より背の低い簡易的なものに交換されました。なお、15日当日は朝から切替工事に向けた準備が行われるため、 ホーム渋

[99] 金沢マラソンを二度と開催すべきではない理由 - Togetterまとめ, , http://togetter.com/li/900495

明日は金沢マラソン。市内は交通規制で渋滞だろな。店が定休日で良かった。1万円払って12000人が走るらしい。1億2千万円。それに参加者の宿代や飲食費で経済効果はすさまじい。がめつい金沢!

[100] 東京計器OB会のホームページ, , http://tkob.jp/wad/yom/wad_ren_11.html

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青色の枠で囲まれた

は、クリックすると図や写真が大きく表示されます。

[101] 紀伊国屋新宿南店、事実上の撤退へ 売り場を大幅に縮小:朝日新聞デジタル, , http://www.asahi.com/articles/ASJ5D5DP6J5DUCVL017.html

大型書店「紀伊国屋書店新宿南店」(東京都渋谷区)が7月下旬をめどに、売り場を大幅に縮小させ、事実上撤退する方針であることがわかった。計6フロア(約4千平方メートル)ある売り場のうち、6階のみを洋書専門店として残す。紀伊国屋は「ビルの所有者側と賃料交渉がまとまらなかった」としている。

紀伊国屋によると、新宿南店は、JR新宿駅新南口に近いタカシマヤタイムズスクエア南館に1996年10月オープン。当時、全国最大規模の大型書店として話題になった。現在は若者を主なターゲットにコミックを幅広く扱うなど、同駅東口に近い新宿本店との差別化を図ってきたが、客足が伸びなかった。オープンから20年を迎え、9月の契約満了を控えて交渉が続いていた。

[102] USJと間違う人も...まるでテーマパークのような、大阪のすごいゴミ処理場 - コラム - Jタウンネット 大阪府, , http://j-town.net/osaka/column/gotochicolumn/225781.html

2016年5月8日、次のような写真付きのツイートが投稿され、話題となっている。

USJ初体験の夫の両親を案内するべく車で走行中、義父が「あっUSJ見えたよ!」と一番乗り!みたいな声を上げたが残念ながらそれは大阪のゴミ処理場だった。 義父は「ちがうの?」と恥じ入っていたけれどあんなの間違えて当然だ。 pic.twitter.com/Y2h9Rhnxh5 — ユキ (@yukioden) 2016年5月8日

写真にはなんだか楽しそうなカラフルな建物が写っている。かなり巨大な施設のようだ。右側の青い塔の上には、金色の丸い帽子のようなものも飾られている。USJ初体験の義理のお父様が「あっUSJ見えたよ!」と声を上げたというが、もっともな話だと思う。

「残念ながらそれは大阪のゴミ処理場だった」というコメントが添えられており、「あんなの間違えて当然だ」とも付け加えられている。

[103] 旧二条城の堀跡を発見 信長、義昭が対峙、文献にも一致:朝日新聞デジタル, , http://www.asahi.com/articles/ASJ5B656KJ5BPLZB01B.html

織田信長が室町幕府最後の将軍、足利義昭のために築城した旧二条城跡(京都市上京区)で、後に信長と対立した義昭が防御のために造った堀とみられる跡が見つかった。民間調査機関の古代文化調査会(神戸市)が12日発表した。ポルトガル人宣教師ルイス・フロイスが、戦国期の日本を描いた「日本史」や書簡に残した記述を裏付ける遺構とみられるという。

旧二条城は、義昭とともに上洛(じょうらく)した信長が1569年、13代将軍・義輝の居城「武衛陣第」跡地に築いた。推定される敷地は南北386メートル、東西366メートル。フロイスの記述によると「はなはだ広大で華麗な建築の宮殿」の建設は「70日間で完了した」とされる。義昭は68年に15代将軍に就いたものの信長と関係が悪化し、武田信玄や浅井長政らと信長包囲網を構築。73年、旧二条城に立てこもったとされる。

調査会によると、堀はマンション建設に伴う発掘調査で見つかり、東西方向に約8メートルの長さで確認できた。幅は最大約7メートル、深さ約3・4メートル。底部の南側が2段に掘られ、北側は急傾斜になっている。堀の縁には土塁のような盛り上がりや、柵の跡とみられる柱列も見つかった。

[104] 富山)中世富山城の遺構か 戦国後期の堀跡見つかる :朝日新聞デジタル, , http://www.asahi.com/articles/ASH9C5HKCH9CPUZB00R.html

富山市埋蔵文化財センターが、旧総曲輪小学校跡地(同市総曲輪4丁目)で行っている発掘調査で、富山城の原型となった中世富山城か当時の城下町のものとみられる遺構などが見つかり、12日に一般公開された。中世富山城の遺構はこれまで、富山城址公園内でしか見つかっておらず、同センターの担当者は、「城や城下町の範囲を探るきっかけになるのでは」と話している。

中世富山城は1543(天文12)年ごろ、戦国期の守護代・神保長職(ながもと)が築き、その後、佐々成政が拠点にしたとされる。

同センターによると、戦国後期~江戸前期(16世紀後半~17世紀前半)の中世富山城内か、その城下町を囲っていたとみられる堀跡が見つかった。土中の炭素年代を測定したところ、戦国後期のものと分かった。城の規模を知る手がかりになる可能性があるという。深さ1・75メートルだが、幅や方向は不明。来年度、詳しく調べる予定。

[105] 富山)利長公の石垣石材58個出土 富山城外堀跡から:朝日新聞デジタル, , http://www.asahi.com/articles/ASHC53CT4HC5PUZB001.html

富山市埋蔵文化財センターが旧総曲輪小学校跡地(同市総曲輪4丁目)の富山城外堀跡で行った発掘調査で、1883(明治16)年に取り壊された二ノ丸二階櫓御門(やぐらごもん)の石垣の石材58個が見つかった。櫓御門の石垣石材がまとまって見つかったのは初めて。

石垣は江戸初期の1605(慶長10)年、加賀藩の前田利長が築城した際に造られた。09(同14)年の城の焼失、61(寛文元)年の初代富山藩主・前田利次による城の修復を経て、1831(天保2)年、大火での損傷後に解体修復したとされる。櫓御門は、現在の富山市大手町交差点付近にあった。高さ、幅とも約12メートルある城最大の門で、藩主を守る要所だったという。

見つかった石材は一辺0・5~1メートル。慶長期のものとみられる小型の刻印や、天保期の修復時にしるしたとみられる石の積み直し順を示す墨書があったため、櫓御門石垣の石材と判明。地上部の石垣石材は約600個と推定され、今回の石材は取り壊し後に外堀に廃棄されたと考えられるという。

[106] JR山手線 品川と田町間の新駅は隈研吾氏が設計 | NHKニュース, , http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160906/k10010672431000.html?utm_int=news_contents_news-main_007

JR東日本は、品川駅と田町駅の間で2020年の開業を目指している新しい駅について、新国立競技場をデザインした建築家の隈研吾氏が設計することなどを発表しました。

[107] 新駅で消える山手線「低すぎるガード」の秘密 | 通勤電車 | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準, , http://toyokeizai.net/articles/-/174663?page=2

ゴーゴーと上を通る大音響に「キャーッ! ウワ――!」とみんな大騒ぎするが、その声もレールの音にかき消されがち。山手線が通り過ぎると「ワッ、なんか水しぶき。ほら、服が少し濡れてる!」とまた大騒ぎである。

私など昭和の列車の垂れ流しトイレを経験している者としては、ドキッとする。ガード下で上を列車が通ると、汚物が降ってくることが本当にあったのだ。ここも昭和のムードが横溢(おういつ)する場所。一瞬その時の記憶がよみがえって頭の中が混乱したが、これは屋根の上の冷房機から降ってきた水であることに気が付いた。

「電車の冷房の水だから大丈夫だよ」

小学生に声をかけると、「エー! 汚くない? よかった」と安心していた。

その隣の京浜東北線田町方面行きは、山手線をオーバークロスするために少し高架となっている。なんだか遊園地のジェットコースターのようでもある。さらに進むと、頭上はコンクリート天井が続くようになる。明かりがあるものの暗い。古いトンネルを進む感じだ。

天井にぶつからないかと、時速10キロメートル程度でそろそろと走る車、頭を下げながらゆっくりと進む自転車があるかと思えば、かなり飛ばして通る車、前傾姿勢でスピードを上げて通る自転車もある。ここに慣れていない人と慣れている人の違いだろう。

やっと向こう側に着く。その先には、高架橋が見える。新幹線の車庫への線路である。

山手線や京浜東北線の車窓からも、注意して見ていると、眼下にこのガードがちらりと見える。

ガードの今後に対する区の見解は?

品川新駅はこのすぐ南側にでき、一帯は「グローバル ゲートウェイ 品川」と呼ばれるプロジェクト地として再開発される。高輪橋架道橋はその域内に入るので、昭和の亡霊のようなこのガードが生き残れるはずもない。

それではいつまで通れるのか。何やら廃線となる路線を今のうちに訪ねたい気にもなってくる。この道路は港区の管轄なので、港区の担当者に今後の予定を聞いた。

結論からいえば、「現在調整中なので、いつどうなるか言明できない」とのことだった。同じ場所に地下道を造り直す予定だという。

逆にいえば、いつ工事が始まりこのガードが閉鎖されてもおかしくないのである。運命は風前の灯(ともしび)なのだ。訪れるなら、田町駅や品川駅から歩いてもいいが、都営地下鉄・京急泉岳寺駅からだと、A1、A4出口どちらからでも徒歩2分くらいで行

[108] 品川駅・鶴見駅間を含むJR定期における途中下車区間の謎 - xckb的雑記帳, , http://xckb.hatenablog.com/entry/2017/06/04/005742

xckb的雑記帳

15年ほどWeb日記をつけ続けていたのですが2012年で一旦休止、1年半ほど休んで新天地でぼちぼちのんびりまた始めてみることにしました。

さて、先日から私を悩ませていた、 JR東日本 にまつわる不思議な現象にやっと解決がついたため、少しまとめてみたい。私は鶴見に引っ越してきて何年も経ち、ずっと品川駅・ 鶴見駅 間を含む定期で通勤しているのだが、最近やっと、この定期はとても不思議な性質を持つということに気がついたのだ。まず、この 区間 界隈のJRの路線図を抜き出してみたい(実際には品川にはさらに山手線や 東海道新幹線 も走っているがここでは省略する)。問題の品川駅と 鶴見駅 をピンクで塗っておこう。 (追記)あ、 尻手駅 から 浜川崎駅 方面に伸びる 南武支線 を書き忘れていた。申し訳ないけれども論旨に影響はないので、このままにしておく。 この 区間 を含む定期券で、追加料金無しで途中下車できる駅はどこだろう。常識的に考えて見ると、次の図で水色で塗った、 大井町駅 、 大森駅 、 蒲田駅 、川崎駅となるだろう。 しかし実際は違うのだ。この定期券で途中下車できるのは、次の図の水色で塗られた駅なのである。つまり、上で挙げた4駅に加え、なぜか 横須賀線 の 西大井駅 、 武蔵小杉駅 、 新川崎 駅でも「途中下車」ができるのだ(特に 東急東横線 にも乗り換えできる 武蔵小杉駅 はデカい)。しかしそもそも、 横須賀線 は 鶴見駅 にホームなどは持っておらず、 新川崎 の次の駅はずっと先の 横浜駅 なのである。 この、 東海道線 ・ 京浜東北線 経由の、「品川駅・ 横浜駅 間」を含む定期券で、西大井、武蔵小杉、 新川崎 でも途中下車できるというのは、よくネットに情報が書かれているのだけれども、そちらのほうはまだ納得ができる(品川駅・ 横浜駅 間では 東海道線 と 横須賀線 は同一視するという特例と解釈できる)。 たとえばこういうブログがあったりするけれども、よく読むとちょっと誤解があるようで、結論的にもちょっとおかしい。

pengin.hatenablog.jp 実際には、 横浜駅 を通過せずとも、たとえば品川駅・ 新子安駅 間の定期でも、あるいは 鶴見線 に乗り換えて品川駅・ 国道駅 間の定期でも、 横浜線 に乗り換えて品川駅・ 大口駅 間の定期でも、全て西

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