三陸鉄道

三陸鉄道

[1] 三陸鉄道

Webページ

[2] 岐路の三陸鉄道 住民が支える | NHKニュース, , http://www3.nhk.or.jp/news/business_tokushu/2016_0329.html?utm_int=news_contents_tokushu_003

5年前の東日本大震災では、太平洋沿岸の鉄道も大きな被害を受けました。いまだに復旧していない鉄道がある一方で、岩手県沿岸を走る第三セクターの三陸鉄道は、おととし4月に全線での運転を再開。NHKの連続テレビ小説「あまちゃん」の効果もあって、知名度は全国区になりました。 しかし、震災への関心が徐々に薄れるなかで、利用者の確保が課題になっています。震災当時、NHK盛岡放送局で勤務し、今回再び現地に取材に入った経済部の橋本知之記者が被災地の鉄道が抱える課題を解説します。

あの日から5年 混雑した三陸鉄道

震災の発生から5年となった3月11日の午後2時46分。私は、岩手県大船渡市の三陸鉄道の三陸駅のホームで、乗客たちが海に向かって黙とうをささげる姿を取材していました。

乗っていた列車は「震災学習列車」。三陸鉄道が震災の教訓を語り継いでいこうと運行している列車で、乗客たちはガイド役を務める三陸鉄道の社員から被災当時の状況や復興の現状について説明を受けながら、復興工事が進む被災地の景色を見学しました。

この日の列車は、地元をはじめ、東京などからの旅行客40人余りで満席となっていました。横浜市から来た大学生は「柱に示された津波の到達地点が思ったより高く、津波の高さを実感した」と話していました。

鉄道被害現在も復旧作業続く

しかし、三陸鉄道のように、震災の被害を受けた太平洋沿岸の鉄道のすべてが復旧したわけではありません。

震災では、岩手・宮城・福島の5つの鉄道事業者の25の路線が一時、不通となりました。震災の発生から5年が経過した今も、JR東日本の4つの路線の 約223キロで鉄道運行ができない状態 です。

このうち、岩手県を走る山田線の宮古と釜石の間は、JRが復旧作業を行ったうえで、三陸鉄道に運行を移管する予定で、平成30年度内の復旧を目指しています。福島県の常磐線は、浜吉田と相馬の間がことし中の復旧を計画していて、原ノ町と竜田の間は4年後・平成31年度末までの全線開通を目指しています。また、岩手県の盛と宮城県の気仙沼を結ぶ大船渡線、宮城県の気仙沼と前谷地を結ぶ気仙沼線は、BRTと呼ばれるバスを運行し、鉄道での復旧は行わないことになりました(気仙沼線の一部区間は鉄道と並行)。

鉄道の復旧は今も道半ばの状態です。

復興のシンボル三陸鉄道も岐路に

復旧を果たした鉄道も、震災の発生から5年が

[3] 秩父鉱山関連施設(1)崖登りと無能吊橋|廃の道, , http://ameblo.jp/kyuudou-issin/entry-11525028646.html

どうもどうも みなさんGWは満喫出来ましたでしょうか? 自分は昨日、応援しているベイスターズの中村紀選手が史上43人目の2000本安打を達成したのでとても嬉しいです。おかげでその再放送を見てたら二限目の英語の授業がブログの更新となってゴホンゴホン このGW中に高校時代の写真部の親友、しろくまさんと写真好きで日芸に行ったA藤くんの三人で秩父の廃墟探索をしてまいりました! いやー、一度秩父行ってみたかったんですよねー。 そんなわけで今回は秩父鉱山、ニッチツ周辺を探索しました。 朝5時前起きからの西武線で一路秩父へ。 秩父からは馬鹿みたいに揺れるバスで目的地まで一時間半くらい。 ちなみに全員軽く酔いました。 5時からずっと移動で目的地に着いたのは9時半頃、うーんこの田舎。 バス停からはずーっとこんな景色が続く山道を45分ほど登ります。 抜け道らしく結構頻繁に車やバイクが脇をすり抜けていきます 秩父県とかなんかグンマー臭い こちらは現役の施設 石灰を扱っているとのことで辺りが白かったです 目的地までトンネルを5つ通ったのですが、最後のここはなかなか強敵でした… なぜかというとトンネルが長くて出口が遥か遠くに見えるからなのです 実際の長さは400mくらいらしいですが… 明かりもないので中を歩いていると、全然進まないように感じるためルームランナーに乗っているような錯覚に襲われ全員気分が悪くなりました トンネルを抜けて右手に目をやると・・・ なんだあれは 猿が通るのかな(適当)とか思いつつ先に進むと、突然しろくまさんからの崖を登るよ発言。 奥多摩の崖なんかとは比較にならないくらいなんだよなあ・・・もはやロッククライミングのような感じ。 上に社宅の廃墟でもあるのかな?と20mくらいはありそうな崖を3人で登る… 地盤が脆いためか登っていると普通に10cmはあるような岩がゴロゴロ落ちてくる。 これ頭当たったら死ぬな 失礼ながらA藤くんは自分に似ておっちょこちょいなので登るときは彼に気を配っていた なぜかこんな崖に先人が作った跡のようなものがあり、こんなところに来る人がいたのかーと親近感が沸く。 そんなわけで頑張って登り終えると上には少し座れるくらいのスペースがあるだけ… 奥には木が生えていて進めない。 これは…?と思っていたらしろくまさんが一言。 「これ違うわ」 …降りよう! 登る

[4] 駅利用の高校生に感謝のメッセージボード 岩手 NHKニュース, , http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160301/k10010427791000.html

高校の卒業式シーズンを迎えて、岩手県の三陸鉄道の久慈駅には通学で鉄道を利用してもらったことへの感謝の思いを伝えるメッセージボードが登場しました。

久慈駅はNHKの連続テレビ小説「あまちゃん」で『北三陸駅』として、たびたび登場しました。 駒木さんは「卒業生たちにスマートフォンなどでボードを撮影してもらって記念になればうれしい。『あまちゃん』の駅から通学した思い出を胸に、都会などに出ても頑張ってもらいたい」と話していました。 メッセージボードは、東日本大震災が起きた日と同じ今月11日まで設置されるということです。

[5] 大仏公園 - 気ままな日記〜弘前にて〜, , http://blog.goo.ne.jp/sohmah147/e/676a0dd4bafb9ee3af8769edb67b0aca

いつも鉄道写真のために訪れる大仏公園

弘南大鰐線の石川駅から歩いて10分程度のところにあり、車でのアクセスもよいので撮り鉄の間では有名なポイントとなっている

こうして歩いてみると、起伏に富んでいろんな草木があり、野鳥もいてなかなか味わい深い公園だ

東側からは弘前市南部と平川市を一望できる

今朝久しぶりに訪れた

休日の朝で、当然撮影に来ている方が数名はいるだろうと思っていたがなんど私一人であった

やや霞んでいるが、黄金色に色づいてきた稲穂と「あけぼの」をまったりと撮影できた

[6] 昭和三陸津波の記念碑見つかる~岩手・大船渡 - MSN産経フォト, , http://photo.sankei.jp.msn.com/highlight/data/2011/07/13/13stone/

2011年07月13日

昭和三陸津波の記念碑見つかる~岩手・大船渡

岩手県大船渡市の吉浜川河口付近で、津波被害に遭った道路ののり面から昭和三陸津波(昭和8年)の記念碑(縦3・7メートル×横3・1メートル、高さ2・1メートル)が見つかった。地元住民らが先月、巨大な石を発見、手で掘り返したところ、石の表面に「津波記念石」と書かれていたため、今月に入り市が重機で掘り出した。昭和三陸津波で河口から200メートル打ち上げられた巨大な石を、その場で記念碑にしていたが、昭和50年代の道路整備で埋められていた=13日午後(沢野貴信撮影)

[7] 朝日新聞デジタル:大阪・梅田の昭和が消える 駅地下道の横丁、来春にも - 社会, , http://www.asahi.com/national/update/0515/OSK201305150166.html

【神志那諒】大阪市北区の阪神電鉄梅田駅近くの地下道にある飲食店街「ぶらり横丁」や地方の名産品が並ぶ別名「アリバイ横丁」が、来春にもなくなる見通しになった。半世紀以上、サラリーマンらに親しまれてきたが、地下道を所有する大阪市が占用許可を更新しない方針を決めたからだ。店主や常連客に動揺が広がっている。

■百貨店建て替えで拡幅へ

ぶらり横丁は阪神梅田駅西改札口の近く、「大阪駅前地下道」の一角にある。約190平方メートルに、串カツ屋やうどん屋、居酒屋など、カウンターだけの7店舗がひしめく。

[8] 朝日新聞デジタル:再開発で変わりゆく渋谷 シンボル相次ぎ消える - 社会, , http://www.asahi.com/national/update/0414/TKY201304140014.html

【大室一也】渋谷駅の再開発で、駅を象徴する建物が相次ぎ消える。関東初のターミナル駅直結デパート、東急百貨店東横店東館は80年の歴史に幕を閉じ、かまぼこ形屋根の東急東横線ホームは5月に取り壊しが始まる。戦争中も威容を保った百貨店は15年かけ、高さ200メートルを超える超高層ビルなど3棟のビルに変わり、周辺を含め新しく5棟の高層ビルが林立する。

東急百貨店東横店の東館は1934(昭和9)年、東横百貨店として創業した。銀座の和光を手がけた建築家・渡辺仁の設計だ。

阪急が大阪・梅田駅に開いた百貨店にならったという。駅には、黙っていても電車の乗客が来る。その客を狙った、今の「エキチカ」「エキナカ」ビジネスの先駆けだった。

戦争中、渋谷の街は空襲で焼け野原になった。その中で、地上7階建ての巨大な建物が屹立(きつりつ)していた様子を、古くからの住民はよく覚えている。

戦後、この百貨店の名を一躍有名にしたのが「東横のれん街」だ。日本で初めて、老舗の味を1カ所に集めた画期的な専門店街だった。

古くからの商業地の日本橋や銀座と比べ、新興の渋谷はいわゆる老舗が少ない。51(昭和26)年10月27日、東横百貨店と取引があった菓子店や水産加工品店など15店が集まり、東横線渋谷駅2階ホーム下の倉庫で営業を始めた。

[9] 隧道道 田野畑村の隧道(2), , http://zuidou.blog31.fc2.com/blog-entry-401.html

岩手県の田野畑村。 北山崎に代表される三陸海岸の景勝は、一見の価値があろう。 面積156平方キロメートル。 人口約4200人(2005年現在)。 今回の探索場所は2つ。 1つ目は、“ココ”。 2つ目は、先にお知らせしたように、“ココ”。 田野畑駅にほど近い、中福旅館に旅装を解く。 (中福旅館のウマ~い夕食については別館隧隧道をご覧ください) 隧道着に着替え、セルフタイマーにて記念撮影。 ヤバいよな~・・・今回はひとりなんですよ・・・。 まずは1つ目の隧道のある、真木沢海岸に向かう。 宿のおっちゃんが言ってた。 まず、真木沢海岸に行ったほうが良いと。 潮が満ちると隧道に入れなくなるそうな。 県道から分岐する脇道に入る。 海岸へ向かう未舗装路を下っていくと・・・ 三陸鉄道の下をくぐったりして・・・ 真木沢海岸に到着である! 周囲を見渡すと・・・ おぉ! 岩の右下に何やら怪しい穴が!!

[10] 忘れられた陸中海岸(真木沢編)② - ドラベル日記 - Yahoo!ブログ, , http://blogs.yahoo.co.jp/ssstaff98/62861291.html

そこには多くの観光スポットが存在しますが、今から向かう真木沢海岸は誰からも忘れられた存在であると言います。

[11] 7/12 ドライブ日和♪「田野畑村・はまなす家族公園(真木沢海岸)」|HEART'S EDGE., , http://ameblo.jp/take-alfaromeo/entry-10298691399.html

はぃどーもこんばんわぁぁ。コンクール、実はこの時期にバストロから2ndへとパートチェンジの可能性があったのですが、なんとか回避することができました(汗)。危ない危ない・・・。

さて。

先日の日曜日。この日は楽団の練習はお休み。珍しく早起き。コンビニでお買い物。そのまましばらく何もする気が起きず阿呆ーーーっとしてたけど、なぜかちょいと海が見たくなり、フラッと北へドライブしてきますた。

田野畑村方面。お目当ては「はまなす家族公園」。すでに施設としては廃止されてはいますが、海岸自体は残っていたと思います。立ち入りが禁止されているワケではなかったな、確か・・・。

その前にちょっと寄り道。県道44号線を下っていくと、このように「全面通行止」の看板が。おそらく去年多発した大地震によるがけ崩れかと思われます。

遠くに見える北リアス独特の切り立った断崖。その間にひっそりと存在する「白池海岸」。

で。

ちょいと引き返し、看板に沿って県道を右に入る・・・右なのか? 本当にこの道なのか?

こんな道だよ? 大丈夫なの?? 無舗装のデコボコダート道。木々の間からは太平洋がチラリと。

あまりの凸凹道にいい加減ウンザリする頃、「真木沢海岸」の文字。ココを左に折れ、再び海を目指す。

海を目指す・・・海を・・・。こんなダート道でホントに海にたどり着くんかいな?

ズガーンと突然現れる鉄橋とトンネル。三陸鉄道北リアス線の「小本トンネル」と「島の越トンネル」の明かり区間。'77年製らしい。一応国鉄時代、宮古線と久慈線をつなごうと計画してはいたようです。もっとも宮古線・久慈線とも廃止されてしまい、皮肉にも第三セクターとなってから三陸鉄道、として使用されることに。

・・・などと言っているうちに。

ぉぉぉ、来たよ来たよ。海が見えてきましたよ(≧▽≦)♪ しかも見覚えのある建物も。信じられないかもしれませんが、ここは「プール」です! プールの跡地。いや、まだプールは実在してるんですが(笑)。

この藪の中にプールは当時のままの姿で実在しています(たぶん)。藪の奥に水色の塗装が見えませんか? 一応プールサイドの手すりも錆びずに日の光を反射させていました(っていっても、写真じゃ見えませんよね。苦笑)。

いわゆる「カナヅチ」な私ですが、このプールで多少泳ぎを覚えました(笑)。しかし、よく考えれば海辺にプール、ってのもワケ

[12] 円形交差点「ラウンドアバウト」実験中 事故の減少期待:朝日新聞デジタル, , http://www.asahi.com/articles/ASG1W3FS7G1WPQIP003.html

信号機のない円形の交差点「ラウンドアバウト」の社会実験が、滋賀県守山市の立田町交差点で続いている。車は交差点入り口で一時停止し、左折で進入する。時計回りに周回し、目的地方向へ出て行く。左折のみのため車の動線が交わることが少なく、事故の減少が期待される。今月15日から実験を始め、3月20日まで続く。

ラウンドアバウトは欧州などでは一般的だが、道が狭かったり、交通量が多かったりする日本の都市部には不向き。土地が広い郊外であれば設置しやすく、信号機を設置・維持する費用も省ける。停電の影響も受けないため、災害時の交通整理も不要となる。

同交差点は比較的郊外にあるが、学校や住宅に近く、住民から安全対策の要望が出されていた。今後、利用者へのアンケートや通過する車の速度など安全面の効果を調べ、夏にも本格的に運用を始める。(伊藤進之介)

[13] 道路レポート, , http://yamaiga.com/road/r340_osikado/main.html

本州最大の面積を有する町「岩泉町」。

県都盛岡市に隣接し、太平洋にもその端を置くというその広大さは、チャリという人力の乗り物で走ることで最もよく実感される。

その上、その町土の大半が北上山地の1000m級の山地と、その隙間に穿たれた深い峡谷によって構成されており、移動の困難は言うまでも無い。

一般国道340号線は陸前高田市と八戸市を結ぶ長大な南北路であり、全線が北上山地と共にあるという、嫌になるくらいの山路である。

そのなかでも特に深い歴史を有するのが、今回紹介する「押角峠」である。

読みは『おしかど』。

これまでネット上でこの名が露出したのは、私の知る限り…、峠にあるという隧道にまつわる心霊話くらいだろうか。

まあ、マイナーな峠道だ。

押角峠の道は、それだけでも十分に“ネタ”になる、魅力的なものであった。

しかし嬉しいことに、ここ岩泉町とその周辺には、他にも私を刺激するスポットが多数ある。

レポートでは、一本の道にこだわらず、寄り道を交えつつそれらをも紹介していきたい。

あなたのお気に召すスポットもあるとよいが…、

それでは、これより始まるやや長い、数回に分けてのレポートにお付き合い願いたい。

<地図を表示する>

JR岩泉駅 構内

レポートの始まりは夜。

しかも、無人の終着駅。

ここは、JR岩泉線の終着駅、岩泉。

JRが現在所有する鉄道の中でも、最も営業係数の悪い、つまり赤字路線の筆頭に上げられる路線の一つだ。

それでもなお廃止を免れているのは、一説に、沿線の他の交通が余りにも遅れている為に、鉄道の公共性を重視してのことという…。

しかし、その実情は夜が明けてから、見ていこう。

今はただ、眠い。

盛岡市から、国道106号線を宮古まで、さらには国道45号線を岩泉町の太平洋沿岸にある小本まで北上。

内陸へと20kmほど歩みを進め、やっとたどり着いた、この日の目的地である。

延べ15時間の間に、170km位は走った。へとへとだ、マジで…・・。

明朝の一番列車は、午前8時4分初、宮古行き。

余りにも遅いが、現在では一日にこの駅を訪れる列車は僅か3本。致し方ないだろう。

むしろ私にとっては、人の往来から離れてゆっくりと眠れるので好都合だ。

もっとも、今の私に許された旅の時間は残り少なく、明日は遅くとも9時までには、約50k

[14] 岩泉線 - Wikipedia, , http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B2%A9%E6%B3%89%E7%B7%9A

岩泉線(いわいずみせん)は、かつて岩手県宮古市の茂市駅と同県下閉伊郡岩泉町にある岩泉駅を結んでいた東日本旅客鉄道(JR東日本)の鉄道路線(地方交通線)である。

茂市駅で山田線から分岐していた、第二次世界大戦中に耐火煉瓦の原料となる耐火粘土の輸送のために建設された路線で、日本国有鉄道(国鉄)時代に特定地方交通線第2次廃止対象線区に選ばれていた[1]が、並行する道路が整備されていなかったため、代替道路未整備を理由に名松線[注釈 1]とともに廃止対象から除外された[2]。2010年7月31日に発生した土砂崩れによる脱線事故のため、以来全線で運休になっていたが、2012年3月30日にJR東日本は鉄道での復旧を断念し、バスによって輸送を継続したいという方針を発表し[3]、2013年11月8日に廃止届が提出され[4]、2014年4月1日に廃止された[5][6]。

歴史[編集]

全通までの経緯[編集]

岩泉線の歴史は、1922年に公布された改正鉄道敷設法の別表第8項に掲げる予定線として「岩手県小鳥谷ヨリ葛巻ヲ経テ袰野[注釈 2]付近ニ至ル鉄道及落合付近ヨリ分岐シテ茂市ニ至ル鉄道」と規定されたものに端を発する[8]。この予定線は、袰野で三陸海岸沿いに走る別の予定線「岩手県久慈ヨリ小本ヲ経テ宮古ニ至ル鉄道」(別表第6項)[注釈 3]に接続するものであった[8]。

この予定線は直ちに建設に着手される見込みはなかった[8]が、第二次世界大戦に入ると、小本川上流で耐火煉瓦の原料となる耐火粘土が採掘されることから、これを輸送する路線として山田線茂市駅から浅内駅に至る鉄道路線が着工されることになった[7][注釈 4]。

この路線は小本線と称し、まず1942年6月25日に茂市駅から岩手和井内駅までの区間が開業した[8]。次いで岩手和井内駅から押角駅までの区間も1944年7月20日に開業した[2]が、この時点では岩手和井内駅以遠の区間は貨物輸送のみであった[2]。その先も浅内駅までの延長工事が進められていた[2]が、第二次世界大戦中には開通せず、耐火粘土は索道によって押角駅まで運ばれていた[2]。また、木材輸送も行われていた[8]。

終戦後も工事は継続され、押角トンネルが貫通した出口に宇津野駅を設け[2]、1947年11月25日に押角駅から宇津野駅までの区間も開業[8]、これと同時に岩手和井内駅か

[15] 岩泉線の廃止決まる、JR東が届出 - 鉄道コム, , http://www.tetsudo.com/news/922/

JR東日本は、土砂崩落により運休している岩泉線の廃止を決定し、8日に国土交通大臣に廃止届を提出した。

岩泉線は、山田線の茂市駅から分岐し、龍泉洞の玄関口となる岩泉駅に至る38.4キロの路線。1942年に開業し、1972年に全線が開通した。いわゆる盲腸線で、自動車の普及や沿線人口の減少から廃止が検討されたこともあるが、バス転換が困難といった理由で廃止されず、1日3往復(茂市~岩泉間)が運行されていた。

2010年7月、押角~岩手大川間で土砂崩落が発生し、列車が乗り上げて脱線。以降、全線でバスによる代行輸送が行われている。同社は復旧に伴う費用が多額になることに加え、復旧に要する期間の長さ、利用者の減少を考慮し、復旧の断念を表明。今月7日に地元自治体との間で、同線の廃止について合意が成立した。

今後、同社は押角トンネル(約3キロ)を岩手県に、茂市~岩手和井内間(約10キロ)を宮古市に、浅内~岩泉間(約7.4キロ)を岩泉町に、それぞれ無償で譲渡する。県は国道の難所区間の迂回路としてトンネル区間を道路に転用。道路改良に関する工事費の一部を同社が負担する。また、廃止後の代替バス運行に伴う赤字分を、同社が全額負担する。

2013年11月8日(金)19時17分更新

投票・みんなの意見

岩泉線の廃止、受ける影響が大きいと思うのは?

岩泉線の廃止が決まりました。その影響を最も大きく受けると思うのはどれか、1つ選んでください。

投票結果(計5項目/462票)

各項目の下部には、最新の支持コメントを表示しています。 各項目のは未投票の項目、は投票済みの項目であることを示します。

自分自身

[16] 【まったり駅探訪】陸羽東線・堺田駅に行ってきました♪|歩王(あるきんぐ)のLet’sらGo!, , http://ameblo.jp/aru-king/entry-10548721826.html

皆さま、おはようございます!

昨日は中古車の引取りで秋田市まで行ってきました。

時間と心の余裕さえあれば、

いろいろと巡ってみたい場所もあったのですが、

同伴者がいたことと天候も悪かったこともあり、

寄り道は一箇所に留めることにしました。

そして寄り道した場所が、こちらの駅なのです!

JR陸羽東線・堺田(さかいだ)駅です!

この駅には30年ほど前、

「いい旅チャレンジ20,000km」キャンペーン時代に、

当時中学生だった頃に降り立ったことがありました。

その時に撮影した写真がこちらです。

この写真をブログに掲載したところ、

県境マニアのオーソリティである石井さん

からコメントを頂く事ができ、

以来、再訪したいスポットだったのでした。

それでは早速、堺田駅のホームに降り立ちたいと思います。

こちらの深い階段を降りると、堺田駅のホームに出ます。

いつの間にやら簡素な駅舎へと変わってしまった堺田駅でした。

自分が訪れた30年前には、

大きくて立派な木造駅舎があったのですが、

今ではちっちゃな駅舎に建て替えられたみたいです。

駅舎の「資産票」を見ると建立年は昭和58年。

…ということは、

自分が訪れた直後に立て替えられちゃった訳なのですよ。

もう少し当時の写真を撮っておくべきでした。

大正6年に開業した堺田駅、

列車の行き違いがあったために駅員が配置されていたのですが、

昭和58年の陸羽東線CTC化によって駅員が不要となって無人駅化、

駅舎も簡易駅舎に変わってしまったそうで。

その行き違い設備も、現在は撤去されてしまいました。

使われなくなった対向ホームに立つ県境駅を示す駅名標。

石井さんにも教えていただきましたが、

当時立っていた木製のものは既に姿を消してしまったようです。

あれはあれで味があったのにな…。

しばらくすると、仙台始発のみのさんがやってきました。

なんというタイミング!

当然ながら停車することなく、

みのさんはゆっくりと通過してゆきました。

それにしても本日のみのさんは、そこそこの乗車率でしたよ。

宮城の温泉巡りはこの列車に限ります。

駅の観察も程ほどに終えたら、もうひとつのお楽しみです。

堺田駅の目の前には、珍しい分水嶺(ぶんすいれい)があるのです!

分水嶺をわかりやすく説明しますと…

海域の境界線なのですよ。

上の写真の中央から流れ出た流水は、

[17] IBC NEWS|盛岡 木伏川に油流出, , http://news.ibc.co.jp/item_23105.html

きのう、盛岡市羽場を流れる用水路に油が流出しているのが見つかりました。今のところ健康被害などは報告されていませんが、盛岡市は原因の特定を急いでいます。

きのう午前9時ごろ盛岡市羽場の木伏川に繋がる用水路から「灯油のにおいがする」と近くの住民から市に連絡がありました。市が調べたところ、幅およそ40センチのコンクリート製の用水路の壁から黒い油が染み出し、水路を50メートルほど下り木伏川に流れ込んでいました。これまでに付近の住民の健康被害や農作物への影響は報告されていません。市の担当者は油が流れ出ている場所に吸着マットを敷くなどして対応しましたが、きょうになっても流出は収まっていません。市はきのう、現場に隣接する民家や事業所の浄化槽などを調べましたが原因は特定されておらず、きょうも引き続き聞き取り調査を行うことにしています。

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[19] 懐かしい風景その4「JR木伏アパート」 - 愛LOVEもりおか★徒然日記 - Yahoo!ブログ, , http://blogs.yahoo.co.jp/kfuji_taxi/58523812.html

2月22日(日)曇りのち雪 -4.9/2.4℃ (-6.9/4.4℃)積雪深21cm(18cm) ( )は前年同日値

過去に撮り貯めた膨大な写真データの中から、懐かしい風景を振り返る新コーナーです。

盛岡駅前北通り、現在のMaxValuの所にはJR木伏アパートが6棟(昭和41年竣工)建っていま

した。2002年から2003年にかけて1〜4号棟までが解体され、MaxValuの本体部分(左半分)が

オープンしました。その後、2004年に5号棟が解体され翌2005年にMaxValuの専門店部分(右半分)

が増築されました。6号棟は現在もJRアパートとして健在です。

[20] “まっちの街歩き”ブログ 【能登半島一周その1】七尾は衝撃的な簡易郵便局の宝庫だった, , http://match345.blog28.fc2.com/blog-entry-166.html

▲能登半島の付け根、富山県との県境がある七尾市大泊町付近で。長い長い能登路はここから始まった。 広島・岡山シリーズ が終わった後は、夏の北陸シリーズ。去る7月26日~28日、友人N氏と一緒に 石川県・能登半島 を旅してきた。 今回の旅程は、3日間ひたすら海沿いを走り続け、能登半島をクルマで一周するというシンプルかつ壮大なもの。個人的に能登という土地にはいろいろと縁があり、既に 2008年の夏 には半島の先っぽにある禄剛埼(ろっこうざき)まで行ったこともある。そして同行のN氏も北陸に数年間住んでいた経験がある。いろんな意味で懐かしさを感じさせる旅行だった。 さて、初日の7月26日。愛知県一宮市の自宅を出発したのは早朝の5時半。尾張一宮駅でN氏と合流し、東海北陸道、能越道を経て富山県氷見市の氷見北ICに到着したのがちょうど9時だった。

手始めに、氷見北ICにほど近い稲積簡易郵便局と八代郵便局に立ち寄ってから、最初にやって来たのは氷見市の北西部に位置する 胡桃(くるみ) という小さな集落(▼)。 こんな感じの寂しい山村で、有名な観光地でも何でもないところ。しかもこの集落、悲惨なことに大正時代から幾度となく 地すべり の被害に遭っているという。 ところがこの度重なる地すべりは、いつも集落の中央に位置する 火神社 だけを避けるようにすべっていったようで、この神社は「 すべらない 」=「 合格祈願 」の神社としてじわじわと有名になってきているらしいのだ。 ▲こちらがその 火神社 。全く観光地化されていない、山の中の素朴な小さな祠だ。 実は同行のN氏、ここの絵馬を奉納して見事医師国家試験に合格している。今回はそのお礼参りも兼ねてやって来たのだ。全国から受験生が集まるような大きな神社を想像していたが、意外とこぢんまりとしたスポット。私も教育関係の仕事をしているので、ここで教え子たちの合格祈願をしてきた。 丘陵地にある胡桃集落から今度は長い下り坂を下って、再び富山湾沿いへ。本日3局目の 宇波郵便局 に寄りつつ、郵便局のある 灘浦地区 の集落を少しだけ散策。 ▲宇波郵便局近くの街並み。昔ながらの商店が点在する街道筋のようなところだ。 このあたりの風景にも心惹かれるものがあったが、今日のメインは石川県の能登半島。富山県の人には申し訳ないが、国道160号(能登立山シーサイドライン)をさ

[21] 「そごう柏店」を撤退に追い込んだ過酷な事情 | 百貨店・量販店・総合スーパー | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準, , http://toyokeizai.net/articles/-/108957

「ああ、ここもなくなってしまうのね」――。JR柏駅前にそびえる“思い出の場所”を前に、通りがかった年配の女性はそう嘆いた。

セブン&アイ・ホールディングス(HD)は3月8日、運営する西武旭川店(北海道)とそごう柏店(千葉県)の2つの百貨店について、2016年9月末に閉店すると発表した。好調なコンビニエンスストア事業とは対照的に苦戦する百貨店事業のリストラに踏み切り、経営改革のスピードを加速させる狙いだ。

「グループの利益が最大の今だからこそ、構造改革を進める」。記者会見に臨んだセブン&アイHDの村田紀敏社長はこう強調した。百貨店閉鎖に加え、同じ傘下の総合スーパー(GMS)のイトーヨーカ堂についても、2017年2月期中に20店の不採算店閉鎖に踏み切る。

閉鎖する百貨店2店舗で働く社員は、そごう・西武のほかの店舗へ配置転換する。契約社員については、閉店となる9月末で契約切れとなる。今回の閉鎖に伴い、2016年2月期に15億円前後の特別損失を計上するほか、本部要員を100人削減し、店舗へ配置することで現場のサービス力強化につなげる構えだ。

旭川と柏では事情が異なる

百貨店は都心の大型旗艦店を除くと、苦しい状況が続いている。今回閉鎖する西武旭川店は、その顕著な例の1つだ。旭川市の人口は1998年(36.4万人)以降、少子化や転出超過で減少の一途をたどる。2015年9月末では34.5万人となった。こうした状況から、「地方都市は百貨店が1店舗しか存続できないマーケットになった」(村田社長)。

だが、柏市は事情が異なる。東京のベッドタウンである同市は、旭川市とは逆に人口が増加している。2016年3月時点の柏市の人口は41.4万人と、10年前から3.3万人増えている。にもかかわらず、そごう柏店を閉めるという決断に至ったのはなぜなのか。

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