昭和52年夏、日原鉱業所で見たTLのヤード。
これがずっと気になっていて…
なにぶん鉱山施設ゆえに気軽には立ち入れないし、
まさかフェンスを越えて不法侵入する訳にもゆかないし…
なので正攻法で、氷川工場の時と同様に見学許可の申請をしました。
経緯はまったく記憶がありませんが、無事に許可が下りたのでしょう、
実際に施設へ立ち入っているのですから(笑)
奥多摩工業氷川工場が開設された当時、
石灰原石は氷川鉱山の日原鉱業所周辺で採掘されていました。
その後、日原周辺の鉱床が掘り尽くされると、
更に山奥の三ツ又鉱業所での採掘が始められました。
訪問当時は三ツ又より先にある天祖採掘場にて採掘がおこなわれ、
天祖~三ツ又間はベルトコンベアで、
三ツ又~日原間は曳鉄三ツ又線、
そして日原~氷川間を曳鉄氷川線にて運搬していました。
要するに天祖で採掘された石灰石は、氷川工場までの間に
三ツ又、日原で中継されていたということです。
なんだか凄~く手間がかかっているようにも思えるのですが…
日原鉱業所周辺には採掘線の軌道が多く存在しました。
その一部が『日原電車線』と呼ばれるものです。
TL牽引のグランビー鉱車で石灰石を運搬し、
日原鉱業所で曳鉄氷川線に積み換えて氷川工場へ送っていたのです。
その役目は随分前に終えていたようで、
近年では鉱山施設や坑道の点検のために軌道を維持していたようです。
だから、ごく稀に動くこともあるとか…
残念ながら動く姿を見ることは叶いませんでしたが…
曳鉄三ツ又線の鉱車は、氷川線のものよりやや大型でした。
システムそのものは大差が無いのですが、
三ツ又線の施設は山の中腹にあり、面積を広く取れないせいか
ややこじんまりとした構内だったという印象があります。
曳鉄三ツ又線の複線に並行し、もう一本の軌道がありました。
この軌道は三ツ又電車線と称し、
TL牽引によって日原~三ツ又の資材輸送を担っています。
曳鉄竣工前は、このTLがグランビー鉱車を牽引していたそうです。
日原鉱業所では電車線と三ツ又線の施設を見学できましたが、
当時の取材力が稚拙で、きちんとした記録が出来ていません。
写真の点数も少なく、今思うと
せっかくの機会なのに勿体ないなぁ…
という後悔の念が絶えません。