教頭殿, 学年主任殿の激励の挨拶に続いて校歌を歌い*1 , ゴシが応援団風にエールをおくりました(w。
明日は大学入試センター試験だそうです。ということで会場である富山大学のウェブ・サイトを見たんですが、何の案内もありません。ひどいもんですね。*1
朝は大学受験板でも見ながらまた〜り出勤ですか?
午前8時半ごろ会場である富山大学に到着しましたが、既に人がたかってました。周辺の道路は車がつながってはいましたがスムーズに流れていて、待たされるほどの渋滞ではありませんでした。
正門付近には各学校の生徒・教師 (及び浪人生や大学関係者。) が入り乱れていました。「ちゅーぶでは伝統的に出席は取らないが、出来るだけ確認する」ということで、松本先生に「発見」されました:)
実際の試験場は受験番号順, すなわち名前の五十音順に分かれていて、わかばは工学部でした。富山大学の工学部は一番奥, 噂に聞いていた通り遥かかなたでした。*1
途中経路にはぽつんぽつんと案内の矢印がありました。工学部の入り口には棟内の配置図があり、そこに部屋ごとの受験番号が書いてありました。立っている係員の職員が、受付でその案内図と同じ紙がもらえると言っていますが、それでも気になるもの, 沢山の人が見てました。
玄関には受付があって、受験票の提示を求められます。受験者以外を完全に遮断すると共に、受験番号の範囲を簡単に確認していると思われます。*2 なお、玄関前には長机が1つ用意されていて、受験票を鞄から出しやすいようにとの配慮が見られました。
廊下には至るところに案内が貼ってありました。 (ちなみに学生向けの掲示板は紙を貼って隠してありました。) 部屋の配置は番号の若い方が2階の奥、大きい方が1階の手前でした。わかばは一番手前の部屋でした。*3
試験室の戸のところには「締切」という紙が貼ってありました。その横に座席図がありました。*4 配置は前→後→前→・・・の順。*5
試験室には入れないので廊下で待ちました。 (受験者控室があったので、そちらは開いていたのかもしれませんが、離れた部屋だったのでそっちにはいかずに廊下で待ちました。) 受験者がひっきりなしに集まってきます。まよさんとかやなてーさん*6 とか知ってる人が何人かいました。
廊下には「荷物置場」と称して机 (中学校や高校にあるのと同じもの。そして試験会場のものとも同じ。) が並べられていました。また、長椅子 (よくある、もっと柔らかければソファーと呼ばれるもの。) が幾つかありました (多分常設のものだと思います)。もちろん待っている人に対して十分な数ではなく、立っている人が多かったです。荷物はほとんどの人が机や椅子の上に置いていましたが、床に置いている人もいました。傘も壁や机に立てかけてました。
しばらくして (時計を見てないのでわかりませんが、推定では9時頃。) 大学職員がやってきて、「締切」をはがして入っていきました。準備を始めたようです。それから数分おきに何人かが部屋に入ろうとして、中の人に追い出されてました(w。
9時半にチャイムが鳴って、戸が開いて中に入るように促されました。とは言っても最初はちょっと遠慮して誰も入りませんでしたが。
部屋は小教室で、中学校や高校の普通教室と同じ大きさ。出入口は2つで共に1枚の開き戸 (廊下側に180度開く)。*7 白壁, 前面の黒板, 窓*8 はブラインド (途中で日差しが強くなって閉められた。) 及び黒カーテンつき、背面には上部に丸い時計 (紙が貼ってあって隠してある*9 ), 前面右上に「禁煙」マーク。机と椅子はやはり中高と同じあれで、全て「特」号。*10 前の方には試験監督者用の教卓・椅子がありました。前方窓(左)側には小さな洗面台及び鏡。右側の黒板下には黒板消クリーナがありました。
入室時に、受験上の注意にあるもの以外は持ち込まないようにと注意がありました。筆箱も持ち込まないように言われます。携帯・PHS は特に電源を切って廊下に置き, 財布等の貴重品は身につけて置くようにと指示がありました。ティッシュは袋から出して机の上に置いておくように言われました。
試験官は2人のおじさん。(やや老)教授及び助教授(もうすぐ教授!)と勝手に推測します(w。一日中同じ人で、ずっと老教授が仕切ってました。
最初は外国語。別冊子の配布はなく、全員英語を受験したようです。また、この部屋の受験者は全員外国語を受験したみたいです。
9時40分 (『受験上の注意』より推定。時計など役に立たんという信念(?)の元わかばは腕時計を(とりあえず持ってきたものの)鞄の中に入れたまま。以下同じ。) に、説明が開始されました。おおむね冊子の通りでした。「写真に貼るシール」が配布され、受験票の写真の部分を覆って緑の半透明のシールを貼るように指示された後、写真票を、本人と照合しつつ回収されました。外国語を受験しない人は退室するように、と言われましたが誰も退室しませんでした。(なお、女の人が一人、筆箱を廊下に置きに行く、と行って一度試験官の付き添いの元退室しました。 (その後の試験時間においては誰一人退室していません。))
問題冊子及び解答用紙は順に2人の試験官がそれぞれ両端から1人ずつ順に配布しました。それから受験番号, 氏名及びそのフリガナ, 試験場コード並びに解答教科を記入するように言われます。 (再三注意した上、終了時刻10分前及び終了後にも確認させます。) 解答用紙の配布順は結構いい加減。解答用紙番号の類は存在しないようです。 (だから受験番号は重要です。) 試験場コードのマークはありません (記入だけ)。もしかしたら用紙下の印刷済みマークは試験場コードかもしれません。科目コードにしては多すぎたし。
時間開始及び終了にはチャイムがなりました。鉛筆などを落としたら試験官が拾いに来てくれます。終了十分前にはその旨及び受験番号等の確認を促されました。(他の時刻には案内はありませんでした。)
時間終了後、「選択教科のマーク・ミスはないか? あれば試験官立会で修正を認める」と言われましたが誰も反応せず。試験官が両端から解答用紙を回収。この時軽く確認しているようではありましたが、仮にここで間違いが分かっても、「今後一切修正を認めません」と言った後ですから直せるのかどうか。
休み時間はそのまま試験室を使っても良い由。解散の後試験官は退室。外国語の後は昼で、多くの人が昼食をとっていました。後半になるとほとんど全ての人 (わかばを除く。) が参考書に目を通していました。
試験室から出る時及び建物から出る時には受験票を持っていくようにと注意がありました。前者は紛失例があったためだそうで、後者は再入館時に確認されます。受付のところ以外の出入口は使用禁止と張り紙がありましたが、無視して出入りしている人も少なからずいました。 (ちょうど見張りの係員の死角でした。)
室内は暖房 (廊下側上部に2つ空調設備があった。) が十分効いていて暖かかったですが、廊下はやや寒く感じました。朝は小雨がぱらついていましたが、最初の休憩時間には晴れていました。 (そのため地理歴史が始まる前に試験室のブラインドが下ろされました。)
受験生は休憩中に試験室で勉強なり雑談なりする人が半分くらい。廊下や外に出ている人も多かったです。廊下で勉強している人は少なめでした。雑談は大体同じ学校の人とのようです。他の部屋から来てた人もいました (特に昼食時)。
次の科目の開始15分前 (入室時間の5分前) には試験室から退室を命じられます。準備をするのでしょうが、見たところたいしてすることはなさそう。単なる形式的時間つぶしでしょう。
時間 (10分前。『受験上の注意』に書いてある時間。) になったら、チャイムが鳴って入室するように言われます。それから5分くらいは何もせずに待ってます (いつも遅めに入ってくる人がいます(w))。
2つめの地理歴史以降も、ほとんど外国語の前と同じように注意, 配布されました。受験しない人もちらほらいて、試験官はいない人の受験番号をなんかの用紙にメモしていました (ちらりと見たところではやはりマークシートでした)。また、写真票の束をぺらぺらめくって確認していました。
地理歴史では問題に修正がありました。開始前にその告知があり、開始後に板書で伝達されました。修正があった科目名 (世界史) も含めて修正内容は読み上げられず、不親切だなあと思いました。
全科目終わったら真っ暗でした。先程出入り禁止だった入口も開放されていました。前述のように工学部は隔離されています(藁)が、その途中の道は、困るほどではないにしろ暗かったです。街灯のない区間がありました。川及び普通の道路を横断するところでは警備員らが仰山並んでました。
帰宅する受験者は (当然ながら) 正門に近づくにつれ増え、喧騒も大きくなっていきました。正門付近では携帯がつながらないという声が複数聞こえました。みんなが同時に掛けているのでつながりにくいみたいです。
正面の道路はかなり混んでました。警官 (富大の向かいには交番がある。) が出て誘導していました。バスが云々とメガホンを持ってる人もいました。混雑の中でチラシを配っている迷惑な予備校?宣伝舞台がいました (朝もいました)。ちゅーぶの教師も何人かいると言っていましたが見かけませんでした。
渋滞は橋の向こうの交差点より更に続いていました。
ところでわかばはここまで書くのに20分ほど掛かりまして、午後8時を過ぎたところなのであります。もう風呂も入りましたし、明朝のヒカルの碁を見逃すわけにも行きませんから、 no sooner, 寝ることにいたします。
プロ試験はまだ続くんですか...
2日目。昨日と大体同じですが、写真票関連のアナウンスが全くありませんでした。 (昨日は毎時間注意の時に言ってました。)試験官は昨日と同じ人達でした。
窓のブラインドは最初から閉められていました。
開始前に廊下で雑談をしていた大学関係者2名は、 Windows で起動ディスクがどうとか、 chkdsk がなんたら、ハードディスクがどうこう、 DOS で実行したら Windows でないと動きませんと言われた云々とか言っていました。なるほどここは工学部だなーと思いました。 (専門ではないんでしょうが、それなりには精通していると見えました。)
わかばの部屋では国語と理科(1)はほとんどの人が受験していました。理科(2)は半分程の人でした。公民は4分の3くらいでした。
控室も見てきました。階段状になってる大教室で、勉強とか雑談とかしてました。出入口の扉は開けっ放しで、その前の廊下の所も十分暖房が効いていました。廊下はそれなりの大きさがあって椅子も置いてあって、ここにも人が溜まってました。 (例の机を並べた荷物置き場もありました。)
トイレは何箇所かあり、矢印ですぐわかるようになってます。うち1箇所は、屋内のは女性専用になってて、近くの屋外に仮設トイレが5つほど並べてあって、男はそちらを使うことになってました。ちなみにそのトイレの横からコソーリ外に出られるようになってました。もしかすると大学側も、受付を通らずに出入りするのを黙認してるんですかね?
親戚の人が (たまたま) 来てたので回転寿司に夕食を食べに行きました。
制服姿の人を含んだ家族連れが何組かいました。きっとセンター試験が終わったお祝い(?)でしょう。とかなんとかいってわかばもセンターの後そのまま連れられて来たんですが:)
今日は自己採点がありました。ベネッセ+駿台, 河合塾, 代々木(任意。)に自己採点結果を送りました。
公民は学校での判断に入れてもらえないので、コソーリ(?)地歴と入れ替えてもよいんだそーです。そんなことして統計的に問題ないのかと、激しく疑問なんですが。全国の値では誤差になったとしても*1 、校内ではかなーりずれると思うんですがどうでしょう。今回の受験校決定にはそんなに影響がないとしても、その資料は来年度以降の参考にするでしょ*2 。
採点等は朝から11時までで、その後新しいクラス分けが発表されました。明日からの授業は選択科目ごとに編成されたクラスになります。わかばは 3-7 で変わらず。
12時過ぎで解散になりましたが、結果が悪かった人が先生と相談したり、点数処理かなんかをしてるっぽいニッタマンが走り回ってたり、盛り上がってました。
え? わかばの結果ですか? 9割くらい取れたら嬉しいなあと思ってたんですが*3 、遥かに及ばず。まあそんなもんでしょう。数学II・B*4 と国語I・II (と化学IB) がやばすぎ。物理IBもしょぼいミスで大失点。
しかし昨日と一昨日の日記読んだ人にはこいつ何しにセンター試験受けに行ったんだ? と思われそう。
「算法とコンピュータ」の問題、滅茶苦茶簡単じゃん。ぱっと見で難しそうだったから我慢して複素数解いたのに... 激しく鬱だ。
いいや。もう忘れよう。
回線切って首吊って死にたいものですなあ(w。
A: たぶんたまたま問題が簡単だったんだと思います。だいたい、理数科にはいつも9割以上取ってる人がごろごろしてるわけで。
A: 5月になったら得点が大学入試センターから送られてくることになっているので、その時に (気が向いたら) 書きましょう。
A: はい。そんなことは他の人に聞くなり、自分で問題を解いてみるなりすればわかるでしょう。そんなことより、会場の雰囲気が分かっていた方が気が楽じゃないですか。そう思って書いたんですが、「他の受験生」の記述がもうちょっとあった方が良かったですかね。
A: ごめんなさい。元々下書き程度のつもりで書いたんで。そのうち気が向いたらまとめなおします。 (参考: 「気が向いたら」などと先送りしてちゃんとやった前例はありません(w。)
中部的センター試験。
この質問は本当にあったの?
実際に聞かれたものが多いです。
なぜあんなに余裕なのでしょうか?
余裕はないです。 日記のネタ考えるのに必死でした(藁。