About The solar calendar - Wrote on 2002-09-04 by Thilogane *太陽暦について 太陽暦は太陽の運行によって日付を決定する暦法である。現在世界でもっとも広く使われている暦法(日本でも含め)[[グレゴリオ暦]]もまた太陽暦である。 [[太陰暦]]とは違い日付はお月さまの満ち欠けにはよらない。 *太古の太陽暦 太古、エジプトには古代文明が発生した。食料資源の確保のために農業をする必要があった。農業をスムーズに行うためには災害の予知が必要であった。 エジプト人たちは、明け方前に東の空に明るいシリウスが輝き始める時期からナイル川の氾濫が起こることを発見した。 その周期は 365 1/4 日であることが分かっていたという。これがエジプト暦、太古の太陽暦の起源となった。 *[[ユリウス暦]] B.C.E 46年にジュリアス・シーザーによって定められた暦である。 置閏法の間違いや皇帝による勝手な月の長さの変更があったが C.E. 8年より変わらない形で運用されはじめた。 各月の長さはグレゴリオ暦と同じで、紀元年が4で割り切れる年に2月に閏日を置くという形となった。 ここからは余談であるが、325年の二ケア会議で復活祭の日取りを決める起点の春分の日が3月21日とされた。 よって、ユリウス暦のはじめ頃には春分は3月25日頃であったと考えられる。実際グレゴリオ暦導入前まではイングランドなど一部の地域では3月25日を春分新年としていたようだ。 さて3月25日が春分なら、冬至は12月25日となる。太古冬至は太陽が復活する日(つまり昼の長さが長くなり始める日)として祝われていたそうである。 いわゆる「''くりすます''」の日付は冬至祭から来たのではないかというのが私の個人的な考えである。 (ちなみにイエス・キリストの本当の誕生日は紀元前4年5月20日らしい…。) *[[グレゴリオ暦]] 1582年にグレゴリオ13世によって導入された。 導入の理由は二ケア会議で定められた3月21日の春分の日付と天文学的な日付の違いが10日にもおよんだためである。 このずれの原因はユリウス暦の置閏法が不完全であったためである。 グレゴリオ暦の置閏法は基本的に紀元年が4で割り切れる年に閏日を設けるものとするが、400年に3回の100で割り切れるが400で割り切れない年に閏日を設けないというものである(例えば1600年は閏年だが, 1700,1800年などは閏年としない) また、この10日間の修正のために1582年10月4日(ユリウス暦)の翌日を1582年10月15日(グレゴリオ暦)とすることにした。 しかし、グレゴリオ暦はすぐに世界中に広まらず(宗教の関係で)改暦はイギリスは1753年, ロシアは20世紀に入ってからだった。 現在では多くの国や地域がグレゴリオ暦を使用している(日本も含めて) ちなみにグレゴリオ暦からユリウス暦の日付を知りたいときにはグレゴリオ暦から13日引けばよい(2099年までの間は) *イスラム太陽暦 イスラム暦は[[太陰暦]]であるがイスラム太陽暦、ペルシャ暦と呼ばれる太陽暦も存在する。 グレゴリオ暦3月21日頃(春分頃)が年初でそれぞれの月には黄道十二宮の星座名がついている。 なおこの暦は置閏法は完璧に近く、イスラム暦が128年に1日、グレゴリオ暦が3300年に1日のずれが生じるのに対してこの暦は300万年に1日のずれしか生じないとのこと。 ただし、置閏法はややこしい。 *フランス共和暦 1793年から1805年までのフランス革命後のフランスで使用された太陽暦。1792年秋分を元年とする。 パリにおける平均時の秋分日を元日とする。各月の長さは30日。年末の残りの5, 6日間は Sans-culottides と呼ばれる祝日である。 月名は次のとおり。 - 1: 葡萄月 / Vendemiaire - 2: 霧月 / Brumaire - 3: 霜月 / Frimaire - 4: 雪月 / Nivose - 5: 雨月 / Pluviose - 6: 風月 / Ventose - 7: 芽生月 / Germinal - 8: 花月 / Floreal - 9: 草月 / Prairial - 10: 収穫月/ Messidor - 11: 熱月 / Thermidor - 12: 果実月 / Fructidor 個人的に月名に美しさを感じるので取り上げた。 *ギリシャ正教暦 現在のところグレゴリオ暦と同じ日付だが100年単位で置閏法が異なるらしい。 2800年になるとグレゴリオ暦と日付の差が生じるとのこと。 *アケリス世界暦案 1930年代に世界暦協会のアケリスに提案された暦法である。 アケリスは現在最も使われている[[グレゴリオ暦]]の欠点として次のようなものを挙げた。 - 1ヵ月の長さが最短28日(2月)から最長31日までばらつきがあること - 同月同日であっても年によって曜日が異なること - 年初、1月1日にははっきりいって何の意味もないこと アリケスは前者2つを是正した次のようなルールの暦法を提案した - 1月1日はグレゴリオ暦の1月1日と同期させる。 - 1月, 4月, 7月, 10月 を 1ヶ月31日間, 残りの月は30日間とする - 1月, 4月, 7月, 10月 の各月の 1日を必ず日曜日とし、毎年の日付と曜日の関係を固定する。 - 12月30日の翌日に週外日、すなわち曜日を持たない日を置く(World Holiday, 12月W日とも呼ばれる) - 閏年には6月30日の翌日にも週外日を置く。 便利といえば便利な暦法である。しかし、曜日は宗教とも密接に関連しているので(どの暦法でも, 七曜は同じ日である)反対も多く廃案となった暦法である。 *筆者の余談(日本と太陽暦) まず。用語などについては[[太陰太陽暦]]の項を参照してください。 日本では1873年(明治6年から)グレゴリオ暦(実は置閏法もグレゴリオ暦にあわせたのは明治31年ですが)を使っています。 しかし、この改暦は1ヶ月前になってから決定されたというのはご存知ですか(明治5年11月9日 = グレゴリオ暦12月8日) 実は新暦の1月1日は旧暦12月3日にあたっていたので日本において「明治5年12月」は2日間しかありませんでした。 (''「一番短い月は?」と聞かれて「閏年以外の2月の28日間です」と答えるのは間違いです :-)、なお西洋でのグレゴリオ改暦の際の「1582年10月」は21日間です。'') とうぜん庶民は大混乱だったそうです。 なんでこんなにとっさに改暦が行われた(当然明治の初期のうちにグレゴリオ暦の導入は必要だったのでしょうが、なにもこんなに突然...)かというと情けないことに''財政難''が理由なんだそうです。 明治6年も旧暦のままにすると「閏月」が生じ年13ヶ月になります。すでに政府は月給制を導入していたので1年に13回も月給を払うのは痛いと、しかし明治6年元日で改暦を行えば短い明治5年12月分の月給も省略しちゃえるから2か月分も月給が節約できる、うれしー。となるわけです。 西洋でユリウス暦からグレゴリオ暦の改暦が一通り済むまで宗教上の理由で結局3世紀もかかったのに比べると、なんとも情けない理由ですね :-) もひとつ愚痴(?)、今まで日本では伝統的に陰暦正月すなわち立春の頃に「お正月」のお祝いをしていたのに、現代日本では寒の入りも前のグレゴリオ暦1月1日に「お正月」のお祝いをしています。なのに「迎春」という言葉だけは生き残っているんですよねぇ。 それだけではなく現代日本では、陰暦の日付をそのままグレゴリオ暦の日付に数字どおり移して伝統行事を行っていることが多いですよね。 桃の節句なのに桃の花はどこだ〜、七夕の節句なのに梅雨空で織姫と彦星がデートできないぞ〜、重陽の節句なのに菊酒飲めないぞ〜ってな奴です。 しかしながら太陰太陽暦の日付はまぁ月の満ち欠けによって決まるので「日常生活暦」のグレゴリオ暦とあわせるのは不便なのでいまさら復活するわけにはいきません。 (たとえば「立春」といえばグレゴリオ暦では毎年2月4日頃で一定ですが、日本の旧暦に直すと2000年は12月29日, 2001年は1月12日, 2002年は12月23日, 2003年は1月4日などと最大では約30日の幅で変動します) しかし、陰暦の日付は新暦より平均1ヶ月ちょっと遅れているということに着目してそこで月遅れという知恵(高岡の七夕とかお盆休みとか)が生まれたんですね。 でもアケリスさんのいうとおり「1月1日」にははっきりいって何の意味もないので。その意味のない日に日本で伝統的なお正月を行ってもね。 いっそのことお正月も月遅れにして''立春の日に「お正月」''(2月3,4日頃)のお祝いをすればいいと個人的に思ったりします。 お正月に暦は変わらないけれど季節感としてはこのあたりがちょうどいいような。 というのも12月25日のクリスマスが終わったとたんお正月セールになるなんてまさにあわただしい日本人の姿をあらわしているなぁと思いませんか。 12月にはゆっくりクリスマスを祝って、1月に入ったらお正月に向けて''「のんびり師走気分」''。もっと冬を楽しみましょう :-) マーケティング的にも11, 12月いっぱいクリスマスセールを行えるし、1月いっぱいから2月上旬へお正月セールを行えるから経済効果も... あ、バレンタインがお正月のお祝いで消えちゃうか、まぁあんなもんいいや :-)