*太陽暦について 太陽暦は太陽の運行によって日付を決定する暦法である。現在世界でもっとも広く使われている暦法(日本でも含め)[[グレゴリオ暦]]もまた太陽暦である。 [[太陰暦]]とは違い日付はお月さまの満ち欠けにはよらない。 *太古の太陽暦 太古、エジプトには古代文明が発生した。食料資源の確保のために農業をする必要があった。農業をスムーズに行うためには災害の予知が必要であった。 エジプト人たちは、明け方前に東の空に明るいシリウスが輝き始める時期からナイル川の氾濫が起こることを発見した。 その周期は 365 1/4 日であることが分かっていたという。これがエジプト暦、太古の太陽暦の起源となった。 *[[ユリウス暦]] B.C.E 46年にジュリアス・シーザーによって定められた暦である。 置閏法の間違いや皇帝による勝手な月の長さの変更があったが C.E. 8年より変わらない形で運用されはじめた。 各月の長さはグレゴリオ暦と同じで、紀元年が4で割り切れる年に2月に閏日を置くという形となった。 ここからは余談であるが、325年の二ケア会議で復活祭の日取りを決める起点の春分の日が3月21日とされた。 よって、ユリウス暦のはじめ頃には春分は3月25日頃であったと考えられる。実際グレゴリオ暦導入前まではイングランドなど一部の地域では3月25日を春分新年としていたようだ。 さて3月25日が春分なら、冬至は12月25日となる。太古冬至は太陽が復活する日(つまり昼の長さが長くなり始める日)として祝われていたそうである。 いわゆる「''くりすます''」の日付は冬至祭から来たのではないかというのが私の個人的な考えである。 (ちなみにイエス・キリストの本当の誕生日は紀元前4年5月20日らしい…。) *[[グレゴリオ暦]] 1582年にグレゴリオ13世によって導入された。 導入の理由は二ケア会議で定められた3月21日の春分の日付と天文学的な日付の違いが10日にもおよんだためである。 このずれの原因はユリウス暦の置閏法が不完全であったためである。 グレゴリオ暦の置閏法は基本的に紀元年が4で割り切れる年うるう年とするが、400年に3回の100で割り切れるが400で割り切れない年に閏日を設けないというものである。 また、この10日間の修正のために1582年10月4日(ユリウス暦)の翌日を1582年10月15日(グレゴリオ暦)とすることにした。 しかし、グレゴリオ暦はすぐに世界中に広まらず(宗教の関係で)イギリスは1753年, ロシアは20世紀に入ってからだった。 現在では多くの国や地域がグレゴリオ暦を使用している(日本も含めて) ちなみにグレゴリオ暦からユリウス暦の日付を知りたいときにはグレゴリオ暦から13日引けばよい(2099年までの間は) *ギリシャ正教暦 グレゴリオ暦と同じ日付だが100年単位で置閏法が異なるらしい。 2800年になるとグレゴリオ暦と差が生じるとのこと。 *イスラム太陽暦 イスラム暦は[[太陰暦]]であるがイスラム太陽暦、ペルシャ暦と呼ばれる太陽暦も存在する。 グレゴリオ暦3月21日頃(春分頃)が年初でそれぞれの月には黄道十二宮の星座名がついている。 なおこの暦は置閏法は完璧に近く、イスラム暦が128年に1日、グレゴリオ暦が3300年に1日のずれが生じるのに対してこの暦は300万年に1日のずれしか生じないとのこと。 ただし、置閏法はややこしい。 *フランス共和暦 1793年から1805年までのフランス革命後のフランスで使用された太陽暦。1792年秋分を元年とする。 パリにおける平均時の秋分日を元日とする。各月の長さは30日。年末の残りの5, 6日間は Sans-culottides と呼ばれる祝日である。 月名は次のとおり。 - 1: 葡萄月 / Vendemiaire - 2: 霧月 / Brumaire - 3: 霜月 / Frimaire - 4: 雪月 / Nivose - 5: 雨月 / Pluviose - 6: 風月 / Ventose - 7: 芽生月 / Germinal - 8: 花月 / Floreal - 9: 草月 / Prairial - 10: 収穫月/ Messidor - 11: 熱月 / Thermidor - 12: 果実月 / Fructidor 個人的に月名に美しさを感じるので取り上げた。