1221年。 (ひとに(12)ふい(21)うち承久の乱。) [[後鳥羽上皇]]、西面の武士を置いて武力増強。 [[源実朝]]暗殺後、[[鎌倉幕府]]は皇族将軍を要請。 後鳥羽上皇は拒否。 後鳥羽上皇、鎌倉幕府に攝津国長江・倉橋両荘の[[地頭]]罷免を要求。 [[北条義時]]は拒否。 後鳥羽上皇、北条義時追討の[[院宣]]。 [[京都守護]]の伊賀光季を倒して[[朝廷]]方が挙兵。 [[鎌倉]]から[[北条泰時]]・[[北条時房]]が上洛、圧勝。 *処置 後鳥羽上皇, [[隠岐]]に配流。土御門上皇、土佐 (後に阿波)へ。 順徳上皇、佐渡へ。仲恭天皇廃位、後堀河天皇が即位。 後高倉上皇 (後鳥羽上皇の兄) が院政。 [[六波羅探題]]を設置。北 北条泰時, 南 北条時房。 新補地頭を設置。上皇方所領3000箇所に、[[新補率法]] (1223年) に 基づいて設置。 大田文 (面積・荘園領主・地頭名) を作成。 (北条義時が諸国の [[国衙]]に命令。) - [1] [WEAK[2003-10-26 13:58:23 +00:00]] ''[[後鳥羽上皇]]'': - [2] [WEAK[2003-10-27 05:08:24 +00:00]] ''1'': 1