[[江戸幕府]]8代将軍[[徳川吉宗]]による幕政改革。 *財政再建 おおむね、1722年から。 **上米の制 1722年〜1730年 -諸[[大名]]に、石高1万石につき100石上納を指示。 -参勤交代を緩和。江戸半年・国元1年半 -財政好転につき1731年廃止 *年貢増徴 -検見法に替えて定免法を採用。 -税率を五公五民に引き上げる。 cf. [[勘定奉行]]神尾春央「胡麻の油と百姓は絞れば絞るほど出る。」 -[[新田開発]]の推進 --町人請負新田 ([[越後国]]紫雲寺潟新田など) --代官見立新田 ([[大岡忠助]]らによる武蔵野新田) --[[見沼代用水]] 利根川から水を引く -[[質流し禁令]] 1722年 [[本百姓]]体制の崩壊阻止を図るが、質流し騒動 (質流れ地の取戻しを求めた運動) (1722年 [[越後国]], 1723年 [[出羽国]]) のため1723年撤回。 *経済政策 物価統制策 ― 米価安諸色高 (豊作・年貢米の大量流通) 米価調節。米公方と呼ばれる。 -大阪堂島の米市場を公認 (1730年) -買米令で町人に強制買い入れさせる (1731年) -享保の大飢饉で米価急騰 (1732年) -→[[百姓一揆]]・江戸で初の[[打ちこわし]] (1733年) 結局不調に終わる。 -株仲間の公認 (1721年) -享保金銀 ― 良貨だが、発行量少なく却って米価安 -元文の改鋳 ― 銀貨の質を落として流通量をふやし、銀相場を引き下げる -殖産興業 (農民生活安定を図るが、商品経済を更に発達させることとなる。) --甘藷・砂糖黍・朝鮮人参・櫨・菜種・薬草の栽培を奨励 cf. [[青木昆陽]] 『蕃藷考』