*観応令 (1352年; [[足利尊氏]]の時代; cf. [[観応の擾乱]]) 近江美濃尾張三国内の[[荘園]]・[[公領]]の 年貢の半分を[[守護]]が[[兵粮米]]として徴収する。 (1年限り) *応安令 (1368年; [[足利義満]](後見[[細川頼之]])就任時) 諸国において、国内荘園・公領の土地の半分を分割。恒久化。 結果として守護の財産が増え、国内の武士(国人)が家臣となり、 守護の力が強まった。 (cf. 守護[[請]])