ありがたきもの、山寺の或中。
猛き僧の、山寺におはしましけるが、酒を治し、ただ一人飲みにけり。
この山寺に一人ありける或中に飲ませずして、「これは人が飲みつれば、死ぬるものぞ。」
と言ひけるを、この或中、「あはれ、飲まばや、飲まばや。」と思ひけるに、猛き僧、他行の隙に、
棚より取り下ろしけるほどに、うちこぼして、すべて口の中に入れてんげり。
或中酔ひに酔ひて、うつぶしに伏せり。
つとめて、猛き僧帰りにけり。その日の行ひありけるに、ものもおぼえで、なえかかりたり。
僧、これを見つけ、
「いかでか寝ざらんや。」
大いに怒り、まさに天誅を下さんとす。
「集中!」
といひつつのみてんげり。或中さめほろと泣く。然れども、つゆ信起こさざりけり。
猛き僧、或中を要なきものとして、詠める
世の中に 絶へて或中 なかりせば 人の心は のどけからまし
我にもいかなる故かはべりけん。