GoodFriends 運動 (通称 GF) は、おくちゅ。独自の運動で、 身近過ぎてつい忘れがちな「友達」を見直し、友情の輪を より広く、より深くしていこうという活動であります。
毎年6月に行われます。中旬1週間をGF週間と定め、 その時期にいろいろな行事が集中します。最後に総決算となる GF全校集会が行われます。
年度 | スローガン |
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平成9年度 | |
平成10年度 | 支えあう大きな輪 〜私の隣に大切な友〜 |
平成11年度 | Friends make me SMILE 〜僕らは一人じゃない〜 |
GF運動の歴史は、実の所ほとんど明らかにされていません。 これから説明するのは、断片的な資料を元に推定される経過です。 大まかな流れは間違っていないとは思いますが、参考程度に 御読み下さい。
昭和63年12月、当時1年生だった、岩脇寛子さんが、いじめを 苦にして自殺しました。この事件をめぐっては未だに裁判が 続けられています。 (2001年1審判決, 原告=遺族が控訴。)
これが、GF運動の起源とされています。「いじめ0運動」, 「We are Good Friends 運動」など何度か名前を変えた後、 現在の「Good Friends 運動」として定着しています。
始まった当初の資料は残されていません。生徒会の資料は 学校上層部の指示により、破棄されています。上記の粗筋は 最後の資料が破棄される直前に調べたものです。折角ですから 複製するなどしておくべきでした。
GFの起源, すなわちいじめ事件当時のことは、現在の おくちゅ。には全くといっていいほど伝わっていません。 起こって直ぐは、新聞などで大きく報道されたでしょうから、 関心も高かったに違いありません。生徒会がGF運動(の元になるもの) を始めたのは必然的なことです。
しかしその後、いじめ事件そのものは、あまり触れたがられない、 いわば禁句となっていったのではないでしょうか。責任問題で裁判 沙汰にまでなっていますし、そうでなくても積極的に話したいような 話題ではないでしょう。それに直接の当事者以外の関心はそのうちに 他へ移ったことでしょう。
そうこうするうちに、生徒は卒業し、先生は転勤、誰も知る人は いなくなった――こうしたシナリオの想像は容易なことです。
調べようと思えば、当時の生徒会誌『あおぐも』は残っているはずですし、 卒業生や当時の教師を訪ねればまだ記憶の内にあると思います。 いつか、生徒会でそうした歴史検証を行っていただきたいものです。 現体制化では無理かもしれませんが。
ところでGF運動が始まって10年、その起源となった事件は既に風化し、 そのよりどころは失われました。これが、GF運動の見直しに当たって ぶち当たった困難でした。GF運動は過去のしがらみを完全に断ち切り、 現在の生徒自身により方向付けされざるを得なくなったのです。
とはいえ、依然、この学校からはいじめは消えていません。 である以上、過去のこの大きな汚点は、今後何度も参照されるべきもの であるはずです。GF運動の原点に立ち返るとき、必ず見なければならない ものであるのです。であるにも関わらず、この事件とGFの生い立ちに関わる 一切の記録が残されなかったこと、残念で堪りません。
[/] [伝説(謎)の「おくちゅ。」]